FW・B
いきたいの
2009/11/20 00:02
色々と可哀想な伊食満。温いが、やること犯ってるので注意。
耳元で囁く。囁かれる。いかして。行かして?逝かして?文字の当てはまらない幼稚な発音が、耳の奥に住まうと云う蝸牛を刺激する。否、その手前に或ると云う膜を刺し続けるのだ。
「ねえ、ねえ、ねえ、いかして、いかしてよ」とめさぶろう、と甘言を吐き出す薄紅色がひらめく。骨の通っていないべぇろが、己の鎖骨を舐めたてた。粘着質な水音が、悪辣に方向性をさ迷う。
(いたい、いたい、いたい)悲鳴が喉から絞り取られる。(いたい、いたい、いたい、やめてくれ)乾いたと思っていた頬が濡れる。それは目の前のこの男の分泌液なのだろうか。
頬よりもやや斜め上に存在する思考回路は暗中模索というか、出口などあり得ない沼地に突き落とされたままである。ああ、濡れるこれは沼のへどろか、唐突に理解する己はどれ程滑稽なのだろうか。痛みと奴の声イクォール外部刺激、そして苛まれる痛み(これは心の問題とでも解釈して欲しい)の針が俺の、俺と呼ばれる自己の足の親指の甘皮を突き刺すのである。
陽の光が生きている間、目の前の男は優しい男であった。良い友好い生徒、善い人間。名の通り善い男である(忍びを目指す者としてはどうかと思うのだが)。同室の自分としても共に惰眠を貪るのみではない彼のことを、大変好ましく思い、少しばかり人よりも不運な彼のそれさえ、特長、愛嬌だとして受け入れていた。しかしある日の寒い冬。物語の書き出しとしてはマンネリズム、けれど自分の人生としては既に十以上の冬であったし、庭に紅葉舞い散り去った痕跡のある程度、(つまり秋の終わりであった)寒冷な日々を経験していた訳である。
日常と変わらない常日に、彼は変貌を呈した。彼は俺を押さえ付け馬乗りになり、西日の陰る黄昏よりも甘い暗闇を纏っていた。驚愕。恐怖に繋がる前の段階で止まった俺の思考は、全てが終わるまで動くことはなかった。やめて、よして、やめて。生娘でもないくせに、女々しい喧しいと頬を張り飛ばされた衝撃は覚えているものの、他の事(何を言われた何を求められた何処を触られた何処を舐められた何処を求められた)なんて、忘れてしまっているのだ。優しい男の顔は思い出せるものの、鹿爪らしい彼の顔は思い出せないのだから情けない。
物事というものは数度、繰り返せば定着するものである。(留さん、きもちぃよ)きもちぃかい、問われる問いかけに頷かねば張り飛ばされることは知っていたから、何をされても俺は首を縦に振るしかないのだ。本当は、本当に痛かった。うんうんうん、何があっても縦運動。某かの郷土にこの様な玩具があったなぁと感慨に耽る程度には、彼の話を聞いていなかったように思える。
「僕は留三郎が一番大切だよ」こくり。それは知っている。昼間の顔を捨てる位に俺を必要としているのだもの。
「留三郎は僕のことが一番だよね」こくり。ここで頷かなければ打たれてしまうであろう。
「うそつき」こ、く、痛みや悔しさや緊張から高ぶっていた体温は急激な飛び降り自殺。右頬には烈火、左頬には烈火、胴には灼熱、熱された薬湯と鉄急須が、七輪から舞飛び順繰りに巡った結果であった。
「ああ、ごめんなさい。僕の不運の所為で煮詰めている薬湯をひっくり返してしまった、大変だなぁ。それが同室の子に降り掛かってしまったよ。しかし同室の食満留三郎は優しいから許してくれるのだろうね。ほら、分かった?」
ぐぐぐ、粘着な液体が畳を侵食する、その光景を眺める余裕はなく、顔に掛かった少量の薬湯(急須の大半は太股腹部胸部を焦がしている)を振り払うための横運動は許されず、顔が正面を向くように固定される。熱い熱い熱い熱い熱い、意識とは別に水揚げされた青魚のように痙攣する内股に爪を立てられた。
「ほら、早く頷いて」
そういって、昼間と同じように優しく微笑み俺を突き落とすのだ。
「ああああいかせて、いかせて、いきたい、留三郎」
ガクガクガクガク縦に縦に縦に。俺に許されること、唯一の動きを繰り返せば、俺に湯を浴びせた時の奴と同じ声がする。思い出す度にケロイド状になった内股が震えだすのだ。(何故だか彼は俺の顔以外に手当てをしてくれなかった。なにが基準だというのか)
「いきたい、いきたいよね、ねえ留三郎?いきたい?」
自己主張に飽きたのか、彼は俺の後頭部に爪を立て下を向かせる。彼の太股を跨いでいる己が下を向けばつまり、目が合う。そうすれば炯炯と輝く杏仁が俺を刺すのだ。痛い。ごぽり、口を開くと腐った空気が口腔内を侵す気がした。
「生きたい、よ」
沼の底よりも深い其処から見上げる彼の「いきたい」が何を指すのかは知らない。けれど俺は生きたいのだ。内股の灼熱は内に潜り、今では臓物さえも焼き尽くしているだろう。それでも俺は、生きたい。
彼と共には生きれないだろうけれど。俺には、名前を呼んでやることも出来ない。
END
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