翌朝。登校し席についてから携帯を開くと、メールが一件。もしかしなくてもそれは眞木のアドレスからだった。

内容は『今日の放課後も空けておいてくれ』というもの。
わざわざ連絡をくれなくても俺には友人と呼べる人が誰一人としていないのだから、そんな心配はいらないのに──と思いつつも、自分からそれを言うのはなんだか虚しくなって、ただ了解の旨だけを記して返信をした。

それからはいつもと変わらない日常を過ごす。ただ淡々と授業を受けて、一人で昼食を摂り、眠気を堪えながら午後の授業を乗り切る。

ただ──今日はいつにも増して、豚と目が合うような気がした。

「おーい、前澤! ちょっといいかー!」

帰宅の準備をしている最中、重たそうな教材を大量に抱えた担任の先生に呼ばれる。

「……はい、なんでしょう」
「もしよかったらこれ、化学準備室まで運ぶの手伝ってくれないか?」

担任の先生はあまり友人のいない俺を気にかけてくれているのか、たまにこうして手伝いを頼んでくることがある。
手伝いが終わった後は、学校の生活はどうだとか、家庭ではどのように過ごしているかだとか、色々と長話をすることが多い。

今日は眞木との約束もあるし断りたかったのだが、今までずっと手伝ってきたのに今更拒否するのも気が引けた。

「和穂! おまたせ、帰ろうぜ」
「あ、眞木くん……」

いいタイミングで眞木が俺を迎えに来てくれた。申し訳ないが、少しだけここで待っていてもらおう。

「ごめん眞木くん、先生の手伝い頼まれちゃったから少しだけ待っててもらえる?」
「へぇ、和穂は優等生だなぁ〜見かけ通り」

仲よさげに会話する俺たちを見た担任は、驚きを隠せないようだった。

「お前達、仲良かったのか」
「あー……まぁ、最近になってツルむようになったっつーか」

俺の代わりに、眞木が照れを隠すようにぶっきら棒な返事をする。
すると先生はハァ、と一つ溜息を吐いて。

「少しは付き合う友達は選べ……と言いたいところだが、最近の前澤は以前と比べて元気そうだな。まるで何か大きな悩み事を吹っ切ったみたいだ」

──これも眞木のおかげかな、と、教材を持ち上げ笑った。

そうだ。俺が豚を気にしなくなったのも、恐怖が紛れたのも、何もかもすべて眞木のおかげだ。眞木は俺の恩人だ。

「ただ、眞木! お前のそのだらしない制服の着方はなんだ! ほら、シャツのボタンをとめてきちんとしなさい。前澤に悪影響だ」
「あーへいへい! あとで直しますよ〜ったくお前は和穂の保護者かよ」
「受け持つ生徒はみんな自分の子供のように思ってるぞ、もちろん別クラスのお前もな。だからその腰まで下げたズボンも直せ」
「わーった、わかったから早くその教材運びに行ってこいって!」

担任と眞木のやりとりが可笑しくて、俺の顔にも微かな笑みが浮かぶ。

その後、担任と他愛ない会話をしながら一緒に荷物を運び、俺は急いで眞木の待つ教室へ走り戻った。



「……お前の担任さ、お前に気があるんじゃねぇの」
「えっ?」

校舎を出てすぐ、眞木が不機嫌そうにそう言った。
なるほど、だから校舎を出るまでずっと無言のままむすっとしていたのか。

まったく、そんな心配いらないのに。相手が俺に気があるのかどうか、それは俺自身が一番よく分かるのだ。
俺に恋愛感情を持った人間は、皆すべて豚になる──眞木ただ一人を除いては。

「大丈夫だよ、それだけはないって俺が誓えるから」
「なんで和穂が誓うんだよ……ってか、そう言ったって分かんねぇだろ? 人の感情なんかさ」
「ううん、大丈夫なんだよ。安心して」
「……?」

眞木はいまいち腑に落ちないといった感じだ。
先生は俺を恋愛対象として見ていない──そう言い切れる証拠は十分にあるのだが、説明しても理解を得られるものでないことは分かっている。だからいちいち説明する気はない。

でも、これからもずっと一緒にいるのなら、眞木にだけは俺のトラウマや"豚"のことをすべて話してもいいと思っている。ただ、まだ時期じゃない。

「まぁ、和穂がそこまで言うなら信じるよ。でもお前は俺のものだからな」
「ありがとう、嬉しい」

眞木は話をきちんと聞いてくれるし、物分りもいい。もしかしたら、眞木は俺のトラウマすらもその胸に包みこんでくれるかもしれない。
俺の事情を彼にすべて打ち明ける日も、そう遠くないような気がした。

「──んでだ」

ふと、眞木は足を止めて俺に向き直る。俺もつられて足を止め、眞木の顔を見上げた。
眞木の視線はきょろきょろと空中を泳いで、なんだか落ち着かない様子だ。

「どうしたの? どこか行きたい所でもあるの?」
「あー……あるっちゃある……! あるんだが……」
「じゃあ行こうか。俺も暇だから付き合うよ」

俺は眞木の袖を引いて、歩き出すよう促す。すると眞木は俺の両肩をがっしりと掴んできた。

「……眞木くん? どうし──」
「今日俺の家に来ないか!」
「えっ……?」

急なお誘いだった。俺の肩を掴む眞木の顔は真っ赤で、湯気が立ちそうなほどだ。

「今日、親いないんだ! だからっ……」

眞木の家──彼氏の家。両親のいない恋人の家。
きっとそこで行われる行為はただ一つ──。

「へ、あ……ぁ……」

眞木の家での情事を想像してしまい、俺もつられて真っ赤になる。お互い何の言葉も発せなくなって、数秒、その場に立ち尽くしてしまう。

「嫌ならいいんだ、断ってくれ。その方が俺も──」
「い、嫌じゃない!! 嫌なはずがないじゃないか!!」

思わず大声を出してしまった。なんとも俺らしくない。

俺は今どんな顔をしている? 眞木と同じくらい真っ赤で、情けない表情を浮かべているんじゃないだろうか。
でも、眞木も同じ気持でいるのかと思うと、不思議と恥ずかしさはない。

「じゃ、決まりだな」

眞木は照れくさそうに笑い、一度だけさらりと俺の髪を撫でた。



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