タマの噂 |
僕は新しいおうちに無事引っ越して、そのおうちの屋根裏を自分の住処にした。
屋根裏は部屋の熱が昇ってきてとても温かい空間だから。
そのおうちには友達の猫がいる。
―タマの噂―
その猫はタマといって、茶色い長い毛がフサフサしている綺麗な雄猫。
以前寒さに凍えていた僕を、なんと自分のお腹の下に入れて眠ってしまったんだ。
てっきり食べられるんだと思ってた僕は、それからタマが大好きになった。
ゴソゴソと新しい住処に寝床を用意していると、後ろの方で物音がして振り返った。
暗がりに赤い目が見えて、やがてそれがネズミだと分かると、ほっと安心する。
「き、君、新参者だね」
「はい、僕チュウタって言います。お世話になります」
そのネズミの声は怯えているのか震えていて、僕はふと怪訝に思ったけど挨拶をしてペコリと頭を下げた。
ネズミの世界は特になわばりとかっていうのは気にしない。
ただ発情期になると雄同士はあまり近寄らないけど。
「悪いことは言わない、君も早くここを出たほうがいい。僕も今からここを出るつもりなんだ」
「どうしてですか?」
「ここ、猫がいるんだよ」
あータマのことかぁ、と納得する。
でもタマはネズミを食べないって言ってたから、このネズミは知らないのかな?
「大丈夫ですよ」
そう言ってにっこりすると、目の前のネズミは驚いたような表情をした。
「な、何言ってるんだ! 猫だぞ! ここの猫は、俺の家族を全部食ったんだ!」
「え……?」
ヒステリックに叫んだネズミの言葉に僕はわが耳を疑った。
このネズミは違う猫の事を言ってるんじゃないかと思う。
でもここに住んでる猫はタマ一匹だけだったはずだけど……。
と僕が考え込んでいると、ネズミはさらに言葉を続けた。
「僕だけなんとか逃げ延びて助かったけど……。ここに住むつもりなら気をつけろ、ここの猫はほかのと違ってすばやいぞ。茶色い毛の長い猫がそうだ。……じゃあ、君が食べられない事を祈ってるよ」
そう言ってまた怯えたように背中を向けて立ち去ってしまった。
でも僕はそんなネズミを見送ることも忘れてしまってた。
「……茶色い毛の長い猫」
ネズミが言った猫の特徴、これってタマのことだよね……。
いったい、どうして、どういうことなんだろう。
タマは僕と出あったとき、確かに食べないって言った。
しかも猫の急所、お腹の所に僕を寝かせたんだ。
タマがそんなことするはずがない。
僕はいてもたってもいられずに、タマを探しに行こうと屋根裏を駆け出した。
するとすぐに前方でネズミの悲鳴が聞こえて足を止めた。
「や、やめてくれ。頼む…………!」
最後は小さな悲鳴に変わった。
きっと、猫だ。さっきのネズミが猫に捕らえられて……。
僕は、その猫がタマでないことを祈りながら、見つからないようにそうっと進んだ。
暗がりから、骨の砕ける音と肉が引きちぎられるような音が聞こえて耳を塞ぎたくなる。
やがて、うっすらと見えてきた影。
わずかな明りに見えたのは、茶色い物体。
やがてそれが動くと、ふわりと長いふさふさの毛が見えた。
「…………タマ?」
呆然と、僕は呟いてしまった。
それが聞こえたのかタマはビクリと振り返り、僕と目が合う。
それは、暗闇にもかかわらず狩りの興奮に細くなった瞳孔で、この前の穏やかな丸い眼とは違う。
怖い。
「…………っ!」
僕は踵を返して逃げるように走った。
「チュウタ! ……クソッ、待て!」
後ろから、僕の足音よりも重い音を響かせて、タマが追ってくる。
僕は何がなんだか分からなくなって必死に走った。
やっぱりタマは嘘を吐いたんだ。
それが悲しくて、僕は泣いた。泣きながら走った。
タマは僕よりも足が速くて、もうすぐ追いつかれてしまう。
「おい! チュウタ、止まれ!」
僕は必死に走って、屋根裏の小さな隙間に滑り込んで屋根の上に出た。
外はまだ雪が降っていて冷気で毛が膨らんだ。
壁の向こうではタマの舌打ちと、引き返した足音が聞こえる。
「タマ……なんで、なんで……」
タマに騙されたのが悔しくて、その場で泣いた。
このままここにいたら、そのうちタマに見つかってしまうって分かっていたけど、涙は止まらなかった。
せっかく、タマと友達になれたと思ったのに……。
その時、軽いトンという足音に続いて、僕の身体に激痛が走った。
「……ヒッ!」
タマ?! と思ったけど、見える毛は真っ黒。
僕は黒猫の口にくわえられてしまった。
牙が食い込む感触に、僕は絶望した。
食べられちゃう……!
猫は僕を違う場所で食べようとしているのか、くわえたまま屋根をゆっくり歩き出した。
屋根を降りる瞬間、登ってきたばかりだろうタマが視界の隅に映った。
「あ、おい!」
タマは血相を変えてその猫を追いかける。
「タマ――!」
僕は、今さっきまでタマに食べられると恐怖していたのも忘れて、名前を呼んだ。
助けて、タマ!
口の中で、僕をくわえている黒猫が舌打ちをする。
トン、と着地して地面に降りた黒猫は、追いかけてきたタマを忌々しげに振り返った。