イアリス 2 |
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「ウリ!!!」
勢いよく酒場の扉が開けられる。もう聞きなれた声が響いて、ドキリと跳ねた心臓を押さえ、ウリは顔を上げた。
……瞬間にすごい力で抱きしめられた。
「……っ! アルザッ! ……苦しい」
海の男、それも船長の逞しい胸に顔を押し付けられて苦しい。着ている服は胸元が大きく開いた船長服なので、生の肌の感触にカッと顔を熱くした。
短く切られた金色の髪が視界に入る。精悍な顔には髭を生やしており、ワイルドだが若々しく見える。
本当にかっこいい男だ。歳はウリよりも10歳以上うえなので、憧れの視線が入ってしまうが、それを除いても本当にかっこいい。
厨房からシャルルがニコニコと出てくる。熱い抱擁を受けている息子などお構いなしだ。
「いらっしゃい。待ってたわ」
「シャルル! 今日こそウリを貰っていくからな!」
ウリを腕から離し、今度は肩を抱いた状態でシャルルに宣言する。
「ちょ……っ! 俺は行かない!」
嘘だ。本当は行ってみたい。でも口からは反対の言葉が出る。
そんなウリの心情にとっくに気づいているシャルルは、優しい顔をしている。
「うふふ。いつも言ってるじゃない。ウリさえ行くって言うならいつでも連れてっていいのよ」
「母さん!」
息子がいなくなってしまうのは哀しいが、それが息子の望むことなら、それでもいいとシャルルは思っている。
ウリにはうまく伝わっていないようだが、それが親子というものだろう。
アルザの背後から、ゾロゾロとイリアスの乗組員がなだれ込んでくる。ウリを抱いている船長は見慣れてしまったので、各々が自由に席について早速酒を飲み始めた。
なんとかアルザの腕から抜け出して、ウリも母を手伝い酒や料理を運ぶ。
アルザもウリが忙しいのを分かっているので、それ以上拘束はしない。ただアルザの席に運んだ時は、もれなく愛の囁きと称して肩を抱いたりするが。
楽しい。
ウリは自然と笑顔になる。
イリアスという陽気な海賊に囲まれ、話をし、笑い。
いつも無表情なウリも、この時ばかりは笑顔を隠しきれない。
そしてアルザに肩を抱かれ囁かれるのも、恥ずかしいが嫌な気持ちはしない。
楽しい。
でもやはりどうしてだか、アルザに肩を抱かれるたび、見つめられるたび、胸が締め付けられた。
そうしてウリとイリアスの夜は更けていった。
イリアスの海賊たちが船に寝に戻り、宴の後をシャルルと共に片づけをしていると。
「ウリ。ちょっといいか」
いつも陽気に笑っているのとは違う、真剣な顔をしたアルザが入り口にもたれて立っていた。
心臓がはねたが、気づかない振りをして母をうかがう。
「いってらっしゃい」
一言。それだけで母の気持ちが分かってしまったような気がした。
――いいのよ。
アルザと共に外に出て、港の先端に座り込んだ。
水平線から朝日が顔を出して、世界へと光を届けている。朝の海風が二人の頬を優しく撫でていった。
隣のアルザを見る。真剣な眼差しはじっとウリを見つめている。
その眼差しに絡め取られ、ウリは目が離せない。
「ウリ。これで最後だ。俺と一緒に来い」
いつもと違う、真面目なアルザ。それだけなのに、なぜこんなにドキドキしてしまうのか。
「……ずるい」
頬に血が上る。恥ずかしいがアルザの強い眼差しをそらすことなんてできなかった。
――ずるい。アルザはずるい。
いつもふざけてるみたいに言うくせに。突然こんな真面目になられたら、心が動かないはずが無い。
「ウリ」
アルザが名前を呼ぶ。手が頬に触れて、いつのまにか流れていた涙をぬぐった。
「お前は綺麗だ」
そのまま、顔が近づいて。唇が触れる。ウリは自然と目を閉じて、アルザの背中に手を回した。
触れるだけのキスだったが、とても長く感じた。腰にアルザの腕が回されて抱き寄せられる。
唇が離れていって、二人は鼻先が触れるほど間近で見つめあった。
「愛してる。……お前は?」
もう一度口付け。答えを促すかのようにすぐに離れていく。
「……好き。アルザ……」
自然と口からこぼれた言葉を受け取って、アルザはふっと笑った。
こんな優しい笑みは初めて見た。ウリの鼓動が上がり、たまらなくなって今度は自分から口付けた。
「……んっ」
アルザの口がニヤリとまげられた気がした。
ウリの後頭部を掴み、口付けを深くされる。初めての感覚にウリは酔いしれた。
「……ん、……ふぁ」
口腔内を舌でくまなくなで上げられ、息継ぎの合間に吐息がこぼれる。それすらも愛しいというように、アルザの口付けは止まらない。
二人分の唾液を嚥下するためにコクリとウリの喉が上下する。それでも溢れてくる唾液が、ウリの顎を伝った。
やがてウリの上唇を離れがたいというように音をさせて何度も吸いながら、激しい口付けは離れていった。
息を荒くしながらも、とろりとしたウリの瞳はアルザを一心に見つめている。
アルザはウリの顎を伝ったものを親指でぬぐってやった。
「お前は今日から俺の嫁だ」
愛しむような視線。今日見た初めてのアルザの表情二つ目だ。
アルザの手のひらが何度も何度もウリの頬を撫でる。
もう迷う必要はない。
「ああ……俺はアルザの嫁だ。どこまでもついてく」
二人は確かめるように言いあい、再び抱きしめあった。
海賊『イリアス』に仲間が一人加わった。
船長の最愛の人だ。
おわり