これと同じ設定
恋人未満な平←ツク




ピコン。無機質な電子音が鼓膜に響き、ペンを走らせていた手を止める。手にいれた当初よりは数倍かは慣れた手つきで操作する。パッと中央に表示されたメッセージを見た瞬間溜め息がでそうになった。


書類を忘れた
悪いが会社まで来てくれないか
引き出しに入っている


簡易的かつ重要なことしか書かれていない三文を彼らしいと思いつつも、現役大学生を何だと思っているのだという怒りというべきか呆れというべきか、表現できない感情が生まれる。
そう思いながらも机に広げていた筆記用具を片付け、平門の自室から書類を取り出す。封筒に入ったそれは中身こそは見ないがかなりの重厚感を手で感じられた。きっと大事に違いないのに、と私は呆れて、息を吐いた。


20分ぐらいに着くわ


外に出る準備をする手を動かしつつも、メッセージを打つ。何だかんだ言いつつも私は彼に甘い。出来上がった文は彼に負けないぐらい簡単な文しか書いておらず、人のことを言えないなと心中苦笑する。元々今日は家に出る予定がなかったと物語るラフな格好から表に出てもおかしくないような服に着替え、貴重品やらを手軽なバックの中に入れるのを終えると、頼む と一言返ってきたので鞄を腕に通し、外に出るためドアに手をかけた。
ガチャッと開けると直ぐに感じたのは熱風と太陽からの直射日光だった。エアコンで適度な環境にいた私の肌は焼かれるかのように燦々に当たる。まだ出て一分も経っていないのにもう帰りたいと私の本能が訴える。

早く行って終わらせてこよう、私はミンミンと喚く蝉を見て思った。

涼しいどころか肌寒いほど冷房がきいた電車内15分。ようやく目的地に着いた。出口Bをかけ上がると相変わらず陽が照りつけていた。電車内のクーラーですっかり冷えきった肌の表面はまるで氷のように徐々に、少しづつ熱気に溶かされる。

オフィス街なので、道はスーツ姿の働く人達が右へ左へ交差していて、私はその流れを掻き分けるように進む。

他の建物より格段に大きいものが目の前に立ちはだかる。有名大手企業だから当然といえば当然だが。何回か来ているものの、このでかさに毎回圧倒される。
静かな音で開く自動ドアを抜けると、目の前に受付嬢が数人見える。


すみません。経営部の平門にこれを渡してほしいのですが。


受付嬢の方へ歩きながら何回も何回も心の中で唱える。幾度来ているにも関わらず、こう唱えていないといざ面と向かったときに聞き取れなかったり、噛んだりするからだ。もちろんそんなこと相手側は気にしないとは思うが、何となく自分がそういうヘマをすることを許せないのだ。プライドというやつだろう。

「ツクモ」

すぐ目の前にいる受付嬢に話しかけようとした時だった。聞き慣れたテノールが鼓膜を掠める。振り返るといつも怪しい笑顔を振りまきながらこちらに向かって来る。

「いつも悪いな」

「そう思うなら少しは気を付けてよ」

はい、とバックから取り出した書類を平門に渡す。あぁ、有り難うといいつつ平門は受けとる。

「…いかにも大事な書類じゃない、コレ。私がいなかったらどうするのよ。」

「逆だ。お前というのがいるからこうやって忘れても大丈夫だと思ってしまう。」

つまり忘れ物をするのは私のせいなのだろうか。そう思っていると本当にいつも助かっているよ、と頭を撫でてくる。何だのかんだこれだけで許せてしまう自分がいる。我ながら単純な思考だ。会議があるとは前々から聞いていたことだし平門も今こそ私に構っているが、本当は忙しいに決まっている。まだすべき仕事がたんまり残っているだろう。
あまり長居はすべきではないなと思い、じゃあ、私帰るからと撫で続ける大きな手のひらから逃れるように出口へ足を向けると、がしりとした腕が私のを捉えた。

「待て、礼がまだじゃないか。」

「別にそういういいから」

振りほどこうと藻掻くが力の差は圧倒的である。そのはずなのに、私は悪あがきを繰り返す。

「っ……離し、てよ」

「ツクモが分かったと言ったら離してやる。」

ただでさえ人の出入りの激しい会社の玄関である。しかも誰もが知っている大手企業のというオプション。だからか行き交う人々は私たちを興味深い視線やら迷惑そうな視線やら向けてくる。それらの視線を受けて私の顔は早くこの場から逃れたいと熱くなる。いつからこの人はこんなに横暴だっただろうか。あぁ昔からか。

「分かった、分かったから……!」

それを聞いて平門は満足そうに微笑む。分かったと言ったら離してくれるはずの細いくせにしっかりとした腕は変わらず私の腕を掴んでいる。

「こっちだ」

「っ!…だから離し」

て、全て言い終わる前に平門は半ば無理矢理私の腕を引っ張り、歩き始めた。足の長さも違えば、歩幅だって差があるというのに彼はお構い無しにどんどん進む。自然と私は駆け足に近い形で白い背中を追いかける。

ピタッといきなり前が止まり、止まれなかった衝動で平門の背中に軽く体当たりをしてしまう形になる。ドンという軽い音にあぁ、すまない。と首を後ろにいる私に向けて言う。

平門の隣に行き、キョロキョロ見渡す。テーブルやらベンチが沢山置かれているこのスペースに居る人々はお揃いで首からカードか何かをぶら下げている。平門も同じものを身につけているのを見るに此処は従業員専用の休憩スペースなのだろう。

「あそこが空いているな。」

平門が目を向ける方を見ると、丁度二人分の椅子が空いていた。そこに腰を下ろすと、平門に気づかれないよう小さく息を吐く。なんだか疲れた。

「此処はカフェがついているんだ。」

何が飲みたい?そう言い、カフェテーブルに元々置かれていたメニューを私が見えるように開く。カフェではよく目にするような商品名から名前からではどういうものか分からないものまである。

「…仕事は大丈夫なの?」

メニューから目を外し、平門の目を捉える。僅かに薄めるくすんだ真珠色は何を考えているのか分からない。

「大丈夫だからこうやってしているんだろう?会議まで時間はあるし、今特にすることがない。」

それより、頼むものは決まったのか?急かすようにメニューの上に指を置き、トントンと軽く叩く。少しムッとしながらメニューを覗く。

「じゃあ、これ」

何となく目に入った文字、『アイスキャラメルラテ』を指差す。これなら苦いのがあまり得意ではない私も飲める。我ながらナイスだ。
そうか、と短く言うと近くにいた店員を呼ぶ。

「アイスキャラメルラテとアイスコーヒーを」

茶色のエプロンを着たお姉さんはにこやかに答える。かしこまりました。テーブルに横たわったメニューを持ち、ペコリとお辞儀すると脇の方へ行ってしまった。

「……そういえばお前はさっきまで何をしていたんだ?」

「レポートよ。」

店員が居なくなり、平門の視線は再び私に注がれる。こうやってゆっくり彼と話すのは久しぶりかもしれない。

「そうか。終わりそうか?」

「えぇ、この分なら提出期限に間に合うわ。」

「心配など無用なようだな。ツクモは昔から律儀にものをこなすからな。」

「それ、律儀関係なくない?」

「お待たせしました。」

先程のお姉さんが注文したものをテーブルに静か置く。ストローに口をつけるとほんのりと甘い優しい味が口に広がる。

「美味しいか?」

思わず頬が緩みそうになるのを何とか抑えていると、テーブルに肘を立てそう聞いてくる。昔からの付き合いだから分かる。この人は私がキャラメルラテを美味しいから頬が緩みそうになったのを分かって聞いてくる。そのことを相変わらず意地が悪いと思いつつも、ストローに口をつけながらコクコクと頷く。結局この甘いキャラメルラテはこの人に奢ってもらうのだし、そういう意地の悪い部分も好きだと思っている自分がいるからだ。

「それは良かった。」

そう言い、平門も自分の頼んだアイスコーヒーに口をつける。アイスコーヒーを喉に通そうと上下に動く喉仏を見つめていると突如ある違和感を感じる。
あっ、ネクタイを着けていない。違和感の正体は直ぐに分かった。彼の胸元にいつも目につくワインレッドがないのだ。

「クールビズ?」

自分の胸元を差しながら聞くと、あぁ、ネクタイか。と小さく呟く。

「そうだ。道理で俺を見つめて呆けていたのか。」

「そ、その言い方は誤解呼ぶから止めて…!」クスクスと意地悪く笑いながら、目を細める。過去の経験上、私はこの状態の彼に勝ち目がない。落ち着け、落ち着け私と自己暗示しながら、再びキャラメルラテを口に含む。少し時間が経ったからか、先程より冷たい。

「それ、美味しいか?」

「えっ」

変わらない甘さに癒されていると、不意にそう聞かれる。

「一口、もらっていいか?」

予想だにしなかった言葉に息が詰まる。私が苦いものを得意としないのと同じように、彼も甘いものをあまり好まない。だからといって別に特別食べないというわけではない。社交辞令として貰ったものはちゃんと食べようとする。
…話が少し反れてしまったが、とにかく何が言いたいのかというと、こうやって自分から積極的に甘いものを摂取しようとしたことがないということだ。

「でもこれ甘いよ?」

「わかっている」

どういう心情変化か、単なる好奇心なのか。よく分からないが引く様子はないようだ。
はい、グラスを平門に向けると、私より長く骨ばった指がグラスを持ち、ストローに口をつける。ゴクッと小さく喉仏が音を鳴らす。その光景をなんだか現実味が感じられずに見ていた。

「甘いな……」
ふわふわとした夢物語を遮断するような甘く低い声に平門の透き通った瞳を見つめる。相変わらず心情が読めない、綺麗な瞳だ。

「あのっ!」

何分、いや何秒経ったのだろうか。突如見知らぬ高い声が聞こえる。そっちを見るとセミロングの女性が立っていた。左目に泣き黒子がある、華やかな女性だ。

「平門さん、今質問いいですか?このあとの会議についてなのですが…」

女の人の声は先刻よりさらに高くなる。私には到底できないことだ。平門はつい先程の意地悪な表情は何処へ行ったのか、シャキとした顔になる。所謂仕事モードになった証である。大事な書類を忘れたりするが、やはり彼は大がつく真面目である。

「何だ?」

「複数有るので場所を移って欲しいのですが…」

カチリ、本格的に溶け始める氷が音を立てる。その音に反応してテーブルを見る。私のキャラメルラテはまだ少し残っているが、平門のアイスコーヒーはいつ飲み終わったのか空の状態になっていた。どちらにしろもうそろそろでお開きになっていただろう。何より予定外にもこの場に長居しすぎた。長居しすぎてしまったのだ。
チラリと平門が此方見る。その視線が何を示しているのか分かっていたので、私は微笑みながら、行って。と軽く首で合図した。平門は困ったように笑いながら席を立った。悪いな、本当。とでも言うように。

「久々にゆっくり話せて楽しかった。埋め合わせはする。」

柔らかく微笑み、骨ばった指が私の頬を撫でる。平然を装いながら、うんと短く返事した。恐らく相手にはバレバレだと思うが。

「分かった。今の時間は多目的室が空いている。」

「はっはい!」

間もなく再び平門は仕事モードになる。そそくさと歩く彼を女の人は駈け足で追いかける。私は上半身をテーブルに向き直し、残りのキャラメルラテを飲んだ。甘かったキャラメルラテは何故かほろ苦く感じた。
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