ジリリリリリ……

けたたましい目覚まし時計が静寂な朝の空気を壊す。その騒々しい音に逃れようと顔を布団で隠した途端、耳障りな音が止まる。

「朝です。起きてください。」

代わりに聞こえるのは布団越しでもよく通るテノール。同時に感じる間接的な振動に体を揺すられているんだなとぼんやりと思う。

「んー…あと五分…」

まだ夢見心地な私はもぞもぞと動きながらそう言い放つ。またですか…とため息混じりの声が布団を通して聞こえる。

「いい加減起きてください。それとも貴方は襲われたいんですか?」

「ッ!?」

引き続き聞こえた声は先程より間近に聞こえ、私の意識はクリアになった。
カバッと勢いよく起き上がるとこちらを見る深紅の瞳と目が合う。

「おはようございます。」

「お、おはようございます」

先刻本当にあんなコト言ったのかと疑うほど涼しい表情をしているので対応に躊躇う。

「…ねぇ、先刻の発言どういうことなの?」

恐る恐る聞くと、彼は顔色変えずに「さぁ、なんのことでしょうか。」と微笑む。

(白々しいよ!)

思わず心中で突っ込みを入れる。

「あぁ、もしかして本当に襲われたかったのですか?」

「っ!違うに決まってるでしょ!!」

意地悪な笑みを浮かべながらズイッと寄せてくる長体を何とか押し退けベッドから下りる。

「左様ですか。」

手を口に押さえながらクスクス笑う。それに私は反論できずにただ一睨みする。

「あぁ、そういえばお嬢様。」

一通り笑い終えた彼は普段通り畏まった態度で話す。

「そろそろお時間です。学校に遅刻しますよ。」

「えっ!?」

慌ててベッド際に置いてある目覚まし時計に目をやる。時計盤の長針はいつも起きる時間より十数分ほどを指している。

「わっ!ほんとだ!」

遅刻すると急いで着替えの準備をする……が。

「あの、イヴァン?」

「何でしょうか?」

「着替えたいんだけど……」

「えぇ、それなら早くしないと。」

「いやいや!出てってよ!」

人差し指で廊下に続くドアを指すと、「お嬢様の身の回りを守るのが私執事の務めです。」と胸に手を置き、軽く体を屈む。

「む……それならば着替えも手伝わなければいけませんね。さぁ、万歳してください。」

「ふざけるのも大概して!!」

出てってよ!と180有る体を何とかしてドアの向こうに押し入れようとする。

すると大きな背中の向こうから僅かだがクスクスという声が聞こえた。頭に?マークが浮かび、彼の様子を伺おうとすると、「分かりました。では準備ができたら声をお掛けください」と言い、あっさり部屋から出ていってくれた。

バタンと扉が閉まる音がしてからまたからかわれたと気付くが後の祭り。顔をしかめながら、学校の準備に取りかかった。

――彼の名はイヴァン。訳あり、この家に昔から仕えている。私と年があまり差がないためか、よく遊んだり世話を焼いてくれた。

今のような朝起こしにくるのも本来女性の人がすることだが、起きるのが苦手な私を起こすのは難易なものらしく、結局昔から彼に起こしてもらっている。

(時々からかったりするけどやっぱり優しいんだよね。)

鏡を見ながらリボンをキュッと締める。これで準備は完了だ。

ガチャ

「イヴァン!準備できたよ!」

「そのようですね。」

勢いよくドアを開けると案の定彼が居た。一度上下に私を眺めると満足そうな表情をしてから「では参りましょう。朝食は車内にご用意しております。」と言い歩き出す。おそらく駐車場まで行くのだろうと思い、彼の後をついていった。





車内全体にふわっと漂うハーブティーの香り。静かに路上を走るエンジンの音。耳と鼻でそれを感じながら朝食のフレンチトーストを口にする。

「学校、間に合うかな」
「ギリギリ、といったところでしょうか。と言うよりお嬢様がもう少し早く起きていればこんな事にはならないのですがね。」

「う゛っ!スミマセン…」

目のやり場がなくなりふと目に飛び込んだふわふわなフレンチトーストをもうひとかじりする。…うん、美味しい

「まぁいつもことなので今更謝らないで下さい。」

「……ううっそうだけど。」

「後十分程で着きます。早く食べてしまってください。」

「っ!う、うん!!」

前方、運転席から聞こえる声に応じ、食べるスピードを早める。急いで食べたフレンチトーストはあまり味が分からなかった。





やがて車内の窓から見慣れた風景が目に飛び込む。いつも通り、人通りの少ない道に車を止める。

「着きました、どうぞ。」

「ありがとう。」

先にイヴァンが降り、車のドアを開ける。そこから出ようとした時、大きい手が私の腕を掴む。

「おひとつ重要なもの忘れておりますよ。」「っ!!」

その言葉を聞いた瞬間、ビクッと肩が震える。外で待ちかねている執事は逆光で表情が見えない。

「…どうしてもやらなきゃダメ?」

「毎日何を躊躇っているんですか。今日こそは貴方からしてください。」
腕を掴む手の力が少し強まる。これは離してくれそうにない、そう確信した。

「じゃ、じゃあこっち来て」

高鳴る鼓動を悟られないようになるべく平然とした態度で話す。彼は大人しく私の指示に従ってくれた。バタンと車のドアの音がやけにクリアに聞こえた。

「眼、つぶって」

「何でですか。それでは意味がないじゃないですか。」

「っ!いいから!」

仕方がないですね。と彼は渋々目を閉じる。こうやって間近に見ると本当に整っている顔だ。

じゃ、じゃあいくよ。と意味のないかけ声を上げて、イヴァンの両頬に手を添える。加速していく心臓の音とは裏腹に睫毛、長いなぁと呑気なことを考えたりする。
ゆっくり、ゆっくりと彼との距離が0になる。

「っ………」

そしてようやく重なった唇は柔らかく、いつもよりもそれがリアルに感じた。いつもよりというのはその言葉通り、私と彼は学校に行く前必ずしているのだ。

(……こういうの禁断愛っていうのかな)

脳裏でそんなことが浮かぶ。そろそろ離そうかと思った時、私の後頭部をイヴァンの手が押さえているに気付く。それに気づいた時には口付けはさらに深いものになり、私の意識はぼんやりとしたものになっていく。

「イッ…ん…ヴァンっ…」

息苦しくなり、ギュッとイヴァンの燕尾服の裾を握るとようやく唇が解放された。酸素を求めて肩を上下させていると、覆い隠すように抱き締められた。

「すみません、貴方からのキスが嬉しくてつい…」

「イヴァン…」

私もつられて彼の背中に腕を回す。

「いいよ、許す。」

「っ!……本当ですか?」

「うん」

こくりと縦に頷くとありがとうございますと頬に口付けを落とす。

「………ゲルダ」

「……なに?」

「実はこの時間が好きなんですけど…嫌いです。」

脳内にハテナが浮かび上がると先刻私がしたように彼は私の両頬に手を添える。

「屋敷内ではないのでこうやって貴方に触れることは出来ますが……手放したくない、貴方とずっと居たくなってしまうんです。」

「イヴァン……」

頬にある大きな手の上に私の小さな手を重ねる。手袋から感じる温もりは僅かに暖かい。

「それは私もだよ。私も…貴方に触れていたい。」

「ゲルダ……」

キーンコーンカンコーン

窓越しから予鈴の音が鳴り響く。朝のHRまで数分といったところだろうか、そろそろ行かなくては遅刻してしまう。

「…すみません、ゲルダ。引き留めてしまって。」
「イヴァンが謝ることはないよ。…お迎えは貴方からしてね。」

「っ!……貴方という人は…」

イヴァンの頬がほのかに赤く染まる。鏡がないから分からないが私の顔も彼以上に真っ赤になっているだろう。

先程のように車のドアを開き、私は今度こそそこを通る。今から走っていけばギリギリ間に合う。

「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」

「うん、行ってきます!」

私は遅刻しないよう、猛ダッシュで学校へ向かった。


いってらっしゃいませ
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