ハンジさんに部屋に連れ戻されて、首輪やら何やらをまたつけ直された。

そこでいい子で待っていな、という彼女が無表情だから、思わずびくりとしながらも、返事をしなくては、と、どうにか、はい、と震える声を絞り出した。

ちょっと行かなきゃいけないことがある、と行ってハンジさんはどこかへ出ていってしまった。

私の心は、まさにぽっかりと穴が空いてしまったような感じ。

助けてくれないんだ、誰も助けてくれないんだ。

どんどん、どんどん、悪い方に、悪い方に、考えてしまう。

どっちにしろ、もう助かる気がしなかった。

私が悪いんだ、私がちゃんと生きなかったから、誰も私に価値を見いだしてはくれない。

両親にすら助ける価値を見つけてもらえないだめな娘、他人が私に何かしらの価値を見いだしてくれるとは思えない。

だけど、ハンジさんは誰かにとって、人類にとって、本当に価値のある人材なんだ。

だから、私を平気で人形扱い犬扱い。

ハンジさんも、ハンジさんの周りの人たちも。

だけど、そのハンジさんは、私の数百倍はその命に価値のあるハンジさんは、私を無条件に愛玩対象として見てくれる。

なぜなんだろう、どうして私なんだろう。

わからないけれど、私はもしかしたら私を愛してくれるかもわからない元婚約者と結婚するよりも、ハンジさんといる方が幸せなのかもしれない。

もう頭がおかしくなっていた。

だめだ、結局私は何かから逃げることばかり考えてしまう。

ハンジさん"から"逃げることができなくなった今、私はハンジさん"に"逃げる方法を考えてしまっている。

ふと、かつかつとブーツが床を鳴らす音が聞こえてきた。

近づいてきて扉の前でとまった足音、一呼吸おいて、思い詰めたような顔をしたハンジさんが、部屋に入ってきた。

私は知らない。

扉の前で一呼吸おいたあのとき、ハンジさんがにやけた自分の顔を、どうにか深刻そうな顔にしようと、していたことなんて。







8.残酷な世界を思い知らされる







「お、かえり、なさい」

「…ただいま」

何を、考えているんだろう。

怒っている感じの顔じゃないし、困っている顔でもない。

ひたすら無表情で、でも絶対何かを考えている顔だ。

考えている内容を、どう外に出すか、考えあぐねている感じ。

私はどうしていいかわからないまま、ただ一言、「ごめんなさい…」と呟いた。

「…それは、何に対しての謝罪?」

ハンジさんの顔が、少しだけ困ったような怪訝そうなような顔に変わった。

「私、逃げた、から…」

「…わかってるんだね」

はあ、とハンジさんがため息をついた。

なんとなく、無表情から悲しいのか怒っているのか、とにかく複雑そうな負の感情が読み取れる顔になる。

余計に、どうしていいかわからなくなった。

「逃げちゃだめだよ、って言ったのにね」

「ごめんなさい…!」

「言っただろ?君は転落したんだよ、って。
何で逃げたんだい?」

「……」

「なまえ、答えて。
逃げたことに関しては、私怒ってるよ。
だけど、逃げた理由に関して、今ここで何を言っても怒らないから、きちんと言ってごらん。
言わないなら、むしろそれを叱るよ」

「……」

「なまえ、言って。じゃないと君に優しくできない」

一体、なんて言えばいいんだろう。

逃げた理由なんて、言っても仕方ないじゃないか。

自由になりたいのは、普通じゃないか。

「…家に、帰りたかったんです」

「家に?」

「みんなに会いたい…。
でも、もうみんな私を人間として扱ってくれないんでしょ…?
なら、会いたくない…」

「そうだね」

「どうして私なの…」

「どういうこと?」

「ハンジさんは、どうして私がいいの?
何の取り柄もない、価値のない人間だって、ハンジさんわかってるじゃないですか。
なのに、なんで…」

涙目になる。

ここに来てから、私は本当によく泣くようになった。

「わからない、なんで君じゃなきゃだめなんだろうね。
でも、君以外いないんだよ。
きっと君のような人間はこの世界に五万といるよ。
だけど、君じゃなきゃ嫌なんだよ。
会ったその日に、君を私のものにしなくちゃ、って思ったんだ」

「…私、覚えてないんです」

「何を?」

「ハンジさんと初めて会った日を、覚えてないんです…」

「…そうだったね」

ハンジさんが、ベッドに腰かける私の隣に座る。

思わず引け腰になったが、私は逃げなかった。

彼女が私の肩を引き寄せる。

「そんなに固くならなくてもいいだろ?」

「す、みません…」

「いつ会ったか、だっけ?」

「は、はい」

「内地に行ったときにね、すれ違った」

「…はい?」

「それで、道を聞いた。…私の部下が」

「……?」

「そのとき、惚れた」

「…それだけ……?」

「何がそれだけなんだい!?」

「っ!?」

がっ、がしっ、どんっ!

そんな感じ、私の肩を抱いていたハンジさんががっとこっちを向き、がしっと両手で肩を掴み、どんっと揺すった。

驚く。

「あれが私とあなたの出会いだったのに!
あんなに嬉しいことなんて、今までなかったんだ!
わかるだろ!?好きなんだ!愛してるんだよ!
君にはなんてことない、ただ迷った兵士に道を教えた、たったそれだけのことかもしれないけど、私には違ったんだよ!!
嬉しかったんだよ、自分が捕まえて、死ぬまで愛でたいと思える子がいたのが!
だから!君が何と言おうと!私は君を私のものにすると決めた!絶対だ!
変?普通じゃない?頭がおかしい?結構だよ!
言われ慣れてる、知ってるよ、わかってる。
でも、だから何なんだよ、構うもんか!
空回りに終わるかもしれないけど、それでもやるって決めたんだ。巨人に関しても、君に関しても。
だからといって、空回る気はない。
何があっても、絶対に、君を愛してる!」

「……っ」

おかしい、おかしい。

絶対に、おかしいよ、この人は、おかしい。

それはわかってる。

「だから、早く私の人形になってよ。
早く堕ちて。それで、君が私だけを見て、私の傍だけにいてくれるなら、私は全てから君を守るよ。
巨人はもちろん、君を拒否する世界からも守ってあげる」

私を世界から拒否される人間にしたのは、あなたなのに。

「転落して、誰からも必要とされないかわいそうななまえ。
だけど、私だけは君を愛してる。
知ってる?君の婚約者と、君の替え玉のこと」

「…替え玉……?」

「そう、替え玉。
君の親戚の…なんだっけ、名前?まあいいや。
とにかく、婚約した以上、結婚しないわけにはいかないから、君のそっくりさんに代わりに結婚させるらしい。
まあ、本人の気持ちはともかく、おいしい話だよね。
親戚で、自分にそっくりななまえに来てた中流貴族との結婚が、そっくりそのままもらえるんだから」

「…嘘」

両親は私を探すどころか、中流貴族のご機嫌取りに必死になっていたのか。

「嘘言ってどうするんだよ。
そっくりさん、確かにそっくりだったね、本当に。
でも何でだろうね、私は断然、なまえがいい」

私の肩を掴んでいたハンジさんがにこりと笑って、また私の肩を抱き直した。

そのまま、その手が頭に添えられて、引き寄せられる。

私が頭を彼女に寄せる形になった。

「あんな男と結婚したところで、幸せになれるとは思えないけどね、その子も」

「……」

一度しか会ったことはないけど、なかなか好印象な男性だったが、そうなのだろうか。

ハンジさんが、まともに彼を知っているとは思えない。

「知ってるかい?彼が何で君なんかと婚約したか」

「…知りません」

私は、彼とは一度しか会ったことがないのだ。

それも、両親立ち会いのもと、一緒に食事をとったくらい。

正直まともに話してないし、まともに顔も見てない、知るわけがない。

「やましいことがあるから、情報元は聞かないでほしいんだけど、彼には本当の婚約者がいるんだ」

「本当の…?」

「うん、彼が本当に愛し、将来を誓い合った女性が。
だけど、彼女は没落貴族でもなければ一般人でもない、地下街の生まれだった。
まあ、地下街出身でも、実力があれば相当の地位が得られるって例を、私は間近で見ているのだけれど…まあ、彼は例外だ。
つまり、そんな少女とあの婚約者が、まさか結婚できるわけないじゃないか。
そこで、彼は考えた。
地位の低く、自分に逆らえないような"貴族"の女性と結婚しよう、と。
乱暴はせず、従順な性格か従順でなくてはいけない事情のある、自分より地位の低い、女性とね。
そこで、たまたま、君が選ばれた。
理由はこうだ、まず君は地位が最近がた落ちしている貴族であり、さらにウォール・マリアの放棄によりさらに生活が困窮している。
…まあ、生活水準の基準は、私たちより随分高めだとは思うけど。
だから、こんな中流貴族との結婚を、まさか断るはずがない。
そして、結婚後、そのおかげで君の家はきっとある程度再建できる。
そうしたら絶対に、君は旦那に逆らわないだろう?…例え、不倫されてもね」

「…やっぱり、私なんてどうでもよかったんですね。
わかってたけど…」

少し、彼女に頭を預ける。

「まさかあいつに惚れていたわけじゃないんだろう?
なら、いいじゃないか、結局君は結婚せずに済んだんだから」

「……確かに、そうですけど 」

「…けど、何?」

「結婚したかった…」

「え?」

何言ってるんだろう。

あの人を、愛してはいなかった。

しかも、あの人にとって私はどうでもよくて、他の女と不倫する気満々だっただなんて、その点においては、私は結婚できなくなってよかったとさえ思っている。

…でも、そうあの人と、じゃなくて、ただ単純に、結婚、したかった。

「じゃあ、私としようか!」

「……それは、無理ですけど」

「えー、何で?」

「だって、私人間じゃないし…」

思わず皮肉めいたことを言った自分に苦笑する。

「あはは!そうだけどさ!
だったら尚更、結婚できる。
だって人間同士なら同性婚は認められないけど、君は"私の"人形なんだから、私さえ認めれば、君は誰とだって結婚できるよ」

「……」

「でも、なんで結婚なんかしたいの?
決していいことばかりじゃないよ、結婚って」

「なら、ハンジさんは何で、私に結婚しようなんて言うんですか」

「君とだったらその良くないことも耐えられるくらい、いいことが多いからだよ」

「例えば?」

「君が私と結婚してもいいって思ってくれた証明が得られること」

「え…?」

「つまり、君と結婚するってのは、君の同意がないとできないでしょ?
それって、つまりそういうことだろ?」

「……ハンジさんは、本当に…」

「ん?何?」

「本当に…私が好きなんですね

「あはは、今さら気付いたの?」

ぎゅうっとさらに肩を抱かれる。

もっと、頭を寄せてみる。

世界でたった一人だけ、私そのものを必要としてくれる人。

きっと、私の価値は彼女の傍にいることによってのみ、認められるんだ。

結局、婚約に関しても私の代わりはいたし、相手側にとってだってそう。

兵長さんや団長さんだって、私の意思なんてどうでもよくて、ただハンジさんがそう願ってるから彼女の犬であることを望んだ。

別に彼らにとって、私じゃなくちゃいけない理由なんてない。

私じゃなくても、娘として中流貴族に嫁げるなら構わないし、ハンジさんの望む犬でいられるなら、誰だって構わなかったのだ。

彼らだけじゃない、きっと友達や知り合いみんなそうだ。

きっと私を友達だと思って大切にしてくれていたと思う、でも私は数多い友達の一人だった、唯一じゃない。

でも、ハンジさんにとっては、私は唯一無二の存在。

彼女だけは、世界でたった一人、"私"を求めてくれる人。

なら、私にとっても、彼女は、唯一無二なんじゃないか。

「…っ!」

「わっ!何?どうしたの?」

いつの間にか止まっていた涙が、ぶわりと溢れた。

彼女に預けていた頭をあげる。

まさか、そんなわけないじゃないか。

いや、確かに私を拉致監禁するような人は、ハンジさん以外にはいないだろう。

でも、まさかそんなわけない。

そうだ、誘拐に、監禁、さらに人形扱い。

そんな人が、私の運命の人なわけない。

だけど、同時に、彼女を受け入れる他、自分が楽になれる道がないことも、わかっていたのだ。

「…なまえ」

ハンジさんが私を抱き締める。

「大丈夫だよ、私がずっと傍にいて、君を守るよ。
わかっだろ?どれだけ世界が残酷なのか。
でも、私ならなまえに価値を見いだせる。
好きなんだ、大好きなんだよ、愛してるんだ。
だからここにいろよ、何も怖いことはないから」

ハンジさんの胸に顔を押し付けられたまま泣く。

普段見ている分にはわからない胸の膨らみがきちんとあって、やっぱりこの人女の人なんだ、と再確認する。

そうだよ、女の人、何でこの人、私だったんだろう、女じゃないか。

まあ、でもきっとそんなことを聞いたところで仕方がない。

きっと、彼女にとっても想定外だったのだろうから、…たかが私に惚れるなんて。

「……ハンジ、さん」

「なあに、なまえ」

わからない、私はどうしていいのか、わからない。

彼女から逃げるべき?

でもまた逃げたところで、私はどこに帰ればいいの?

じゃあ、受け入れるべき?

でも、そうしたら、私は人間じゃなくて、お人形さん。

拘束されて、彼女に飼われる犬。

それは、嫌だ。絶対に、嫌。

でも、私は大事にされたい。

必要とされたい、守られたい、愛されたい。

「どうしたらいいの…!」

「なまえ…」

ハンジさんがさらに強く抱き締めてくる。

ぼろぼろ涙が流れてきて止まらない。

「うぇ…ひ、っく」

「…なまえ、大丈夫だよ、大丈夫だから」

背中を撫でられる。

私をここまでにしたのは彼女なのに、彼女のせいでこんなに苦しいのに、妙に安心して、余計涙が出てきた。

「なまえ」

「っえ…?」

背中に手を添えられたまま、ぽすりと背中をベッドに落とされた。

私に覆い被さったハンジさんが、ゆっくりと私の頭を撫でる。

「ねえ、なまえ。このままシようか」

顔が近づいてくる。

だめ、逃げなきゃ。

そう思う反面、ぴくりとも動けない私がいる。

「なまえ…」

私の名前を呼ぶ声が、息が、熱っぽい。

「愛してる」

唇が重なった。




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