これは、チャンスだ。

またとないチャンス。

これを逃したら、きっともう二度とこんな機会はやってこない。

だから、逃げないと。







7.逃げ出す







「なまえ、ありがとうね!」

「いえ…、別に」

いつものように、触りたくもないハンジさんの髪を洗ってやって、セクハラに耐えて、お風呂から出る。

ハンジさんにわしゃわしゃと髪を拭かれ、服を着せられる。

最近冷えるから、とズボンももらえた。

ありがたい、という表現は間違っていると思うけれど、とりあえず、それは私にとってとても嬉しいことだった。

そのまま、ベッドに連れ込まれる。

寝転がった私に覆い被さるハンジさんが、首輪に手を伸ばし、手に取る。

…が、そのまま、固まってしまった。

何かと思い、自分に身体半分乗っかるハンジさんを見ると、

「寝てる…?」

なんてことだ、こんなことがあるのか。

むしろわざとらしく思えるほどあっけなく訪れた逃亡のチャンスは、私にとってある意味で恐怖だった。

掴むべきか、べかざるか。

ハンジさんの肩に手を置く、起きない。

思いっきり力を入れて彼女を押す、起きない。

そしてそのまま彼女の下から脱出、起きない。

どうしよう、こんな簡単にいっていいのか。

扉の確認、…開く。

どうしたものだ、これは、逃げられる。



きぃ、と音をたてて扉が開く。

ここはどこで、何時なんだろう。

わからない、わからないけれど、外に出なくちゃ。

私は震える右手でドアノブをさらに押す。

大丈夫、人はいない。

後ろを軽く振り返って、ハンジさんが寝息をたてているのを確認する。

ゆっくり、ゆっくり、音がたたないように扉をあけ、抜き足差し足といった様子の足取りで部屋を出る。

「出れちゃった…」

心臓がばくばくしている。

しーんとした廊下に、その音が響いてしまうんじゃないかと思うくらい。

それにすら怯えてしまう。

だめだ、震えてちゃだめだ、行かなくちゃ。

裸足の足がぺたぺたと音を鳴らさないように、ゆっくり、だけど早足で、壁沿いに歩いていく。

自分の居場所がどこかなんてわからない、けど、出口を見つけなきゃ。

今は、夜なんだろう。

人が誰もいない、よかった。

壁沿いに、廊下を曲がったり、まっすぐ進んだり、だけれど外がわからない。

落ち着け、落ち着け、と言い聞かせながら、とりあえず一旦その場に座り込んだ。

「おい」

「ひっ!」

「てめえは誰だ」

「ひ、ぁ 」

「答えろ」

ぽたり、と濡れたままだった髪から水が滴り落ちる。

唇が真っ青になって、ぶるぶると震えるのがわかった。

「おい」

「、やっ」

その髪を乱暴に掴まれ、上を向かされる。

私を睨んでいた彼の目が、少しずれる。

「…てめえ、ハンジの犬か」

「……っ」

「なんでここにいやがる。
てめえが逃げ出すと面倒だろうが」

「ぇ…っ」

「こっちこい」

「痛いっ」

髪を無理やり引っ張られて、膝立ちさせられる。

ぶちぶちと嫌な音がした。

「嫌っ」

「あ?」

「やめて、逃がしてください…っ!」

「なぜだ」

「なぜって…」

どうして伝わらないんだろう。

彼は、まともなはずなのに、なのになんで。

「リヴァイ」

「…エルヴィン」

ずっと昔に聞いたことのある声が耳に入ってくる。

そして、かつかつと近づいてくる靴の音も。

「その女性は一体誰だ?」

「ハンジの犬らしい。首に跡がある。あと、手首にもな」

「そうか、ならなぜ彼女がここに?」

「知らん」

「ハンジがみすみす逃すようには思えないのだが…」

「全くだ。相当入れ込んでいたくせに、何やってるんだ…」

「あ、の…っ!」

「あ?」

「何かな」

意味が、わからない。

この二人は、何を話しているの。

私がハンジさんに捕まっていることを知っているなら、どうして助けてくれないの。

「助けて、ください」

「君をかい?」

「はい…っ!」

「残念だが、それはできない」

「なぜ!?」

「逆に聞くが、何で俺たちがお前を助けると思うんだ」

「だって…!私は、無理やり…っ!
お礼は、ちゃんとしますから……!」

リヴァイさんが掴んでいた私の髪を手放す。

そのまま勢いよく崩れ落ちる。

汚えな、なんていって、彼が手を拭くから、悲しくなる。

「すまないが、私たちは君がハンジと共にいてくれないのは困るんだ」

「どうして!?」

「てめえがいねえと仕事しねえと抜かしやがった…。
仕事中毒のくせに、何いってやがるんだ」

「…自分のしたい仕事しか、しないからね」

「……何で、私が」

「さあな」

「ハンジは君をいたく気に入っているらしいね」

「でも、だからって、何で私が、彼女に捕まらなくちゃならないんですか!?」

「叫ぶな、うるせえ…」

ぼろぼろ泣く。

もうみっともないほど泣いて、それでもハンジさんは嫌そうな顔なんてしなかったのに、二人は心底面倒くさそうな顔で私を見下している。

どうして、おかしいのは彼女だけじゃないの?

「私が、何をしたんですか!」

「君は、何もしなかったんだ」

「…っ!?」

団長さんが、怖い目で私を見る。

「…何の役にもたたない君がいるだけで、ハンジが心置きなく戦えると言うなら、私はそれに協力するだけだ」

「……そん、な」

「…どうせ、誰もお前を探しちゃねえ。
俺は面倒なのは嫌いなんだよ、早く戻れ……」

リヴァイさんが私の胸ぐらを掴む。

「うっ…」

「エルヴィン…、こいつを連れていくぞ」

「ああ、頼めるか」

「構わん…」

「…どうして!」

「…何度も言わせるな、てめえは」

「私がいなくたって!
あなたたちなら、ハンジさんを働かせることが、できるでしょう!?」

「……まあ、私は団長だからね」

「なら、わざわざ私をハンジさんの側になんておいておかなくても、いいじゃない…っ!」

「てめえがいなくてもハンジのやつは働くだろうが、てめえがいた方がよく働くらしい。
だからてめえをハンジの傍においておく、それがエルヴィンの判断だ」

「、あなたはどう判断したの!」

「エルヴィンの判断に従う」

「なぜ!?」

「それが正しいと思うからだ」

「人任せにしないで、自分できちんと考えてくださいよ!」

「あいにくだが、考えた結果だ。
てめえと違って、すっからかんな頭で生きていけるほど、楽な環境にいねえからな」

「…そん、な」

「すまないが、もし人類存続のため、その一点において判断するならば、君の命はハンジの数百分の一の価値にも満たない」

「……っ!」

「君の代わりはいくらでもいるが、ハンジの代わりはいないんだ」

「そんな、に……」

「…何だい」

「そんなに、すごい人なの…?」

「……ただの変態だ、てめえも知ってんだろ」

「だが、ハンジの仕事はハンジにしかできない。
私は、調査兵団そして人類のためになくてはならない存在だと、思っている」

「……」

そんな、すごい人なんだ。

地位のある人だと、すごい人なのだろうとは、思っていた。

けれど、まさか調査兵団団長や、人類最強にここまで言われるほどの人だなんて、思っていなかった。

あの人は、たかが4/300の地位にいる人じゃない。

人類の、全人数分の一の地位にいる。

たぶん、この二人に、並ぶ人なんだ。

私が、知らなかっただけ。

団長だとか、最強だとか、そういう派手で民衆が崇拝しやすい二人しか私が知らなかっただけで、きっと彼女も、将来教科書に載るような人なんだ。

一気に怖くなった。

今まで私を捕らえ、私に触れ、私を愛しているといっていたあの人は、もしかしたら本当は私なんかが一緒にいてはいけない人なのかもしれない。

将来、そうなる人なのかもしれない。

あの人は、偉人かもしれない。

そして目の前のこの二人も、そうかもしれない。

「、なまえ!!」

「……ハンジ、さん」

「…チッ」

リヴァイさんが私の胸ぐらを掴んでいた手を離す。

崩れ落ちる私の身体を、急いで駆け寄ってきて、受け止めるようにハンジさんが私を抱き止めた。

「なまえ…っ!」

「ハンジさん…?」

ぎゅう、と抱き締められて痛い。

「なまえ、行こう」

私の身体を解放して、ハンジさんが私の手を軽く引く。

なぜかその手が優しくて、また涙がぼろぼろ流れてきて、ああそういえば私はさっきまで泣いていたんだ、と思い出す。

振り切って、三人のいる逆方向に逃げれば、もしかしたら逃げられるかもしれない。

一瞬そんなことも考えたが、やめた。

あとから考えれば、調査兵きっての精鋭なのであろう三人の目の前から逃げ切れるはずがない、という最もな理由も思い付いたが、そうじゃない。

ただ、彼女は私を絶望に突き落とした張本人なのに、なのに、彼女が私の希望に見えた。

「…帰ろう」

「……はい」

ハンジさんが、私の手を引く。

「、おいハンジ」

「リヴァイ、後にしろ」

「…、了解だエルヴィン」

二人は追っては来なかった。

外に出た、でも助けてくれなかった。

あの二人が助けてくれないなら、きっとここにいる誰も、助けてくれない。

シーナにいる親戚だって、友達だって、助けてくれない。

誰も、私を助ける人なんて、いないんだ。

心のなかで、何かが崩れる。

いや、何かつっかえが取れた。

諦めがついた、ふっきれた。

私はきっと、こう、生きるべきなんだ。




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