5.彼女を知ろうとする




同じ本を二度も読み終えたけれども、ハンジさんは一向に私を見ない。

これはもしかしたら、勝手に動いても気づかないかも、と思い、座っていたベッドから、鎖の音をたてないようにして立ち上がった。

「どうしたの?」

「いえ……」

だめだった、視線をちらりともこちらに向けないでハンジさんは私の動きに気づいた。

「本、読み終わっちゃった?」

「えっと、はい」

「じゃあ、今度また何か本買ってくるよ。
ねえ、なまえって編み物とか好き?」

「ええと、何でですか…」

「好きなら道具買ってくるから、暇潰しにでも何か作ればいいと思ってね。
お嬢様の趣味なんてわからないけど、なんとなく編んだり縫ったりが好きなんじゃないかな、って気がするからさ」

「……ください」

「いいよ、わかった」

好きとか嫌いとか置いておいて、彼女が与えてくれるならとりあえずもらっておこう。

それだけ私は暇なのだ。

しばらく監禁されているうちに、段々神経が図太くなっているように感じた。

私から全てを奪った人から何かをもらうなんてどうかしてると思うかもしれないが、ここまできたら何でも利用してやろう、という気になっていた。

問題は、頭の中では強気でも実際にそう振る舞えるわけではないということ、つまるところ私は臆病だった。

「なまえ、そろそろ寝たら?」

「……はい」

「ん、おやすみ」

鎖を避けて、ベッドに横たわる。

相変わらず何かを必死で書いている彼女を見ながら、眠たくない瞼を落とす。

しばらくそうしていたが、眠気は一向に襲ってはこず、私は結局暇をもて余した。

目を開けて、じっとハンジさんを見つめる。

真剣な横顔。

彼女は一体何を考えているのかな、どんな人なのかな、と無性に気になった。

「……眠れないの?」

「っ、え」

タイミングよくこちらを振り返り、そう言われて少し驚く。

「ずっと私を見ているから。
さすがに少し照れるかなー」

「ごめんなさい…」

「ううん、全然構わないよ。
何か、私に言いたいことでもあるの?」

「え…、いや、あの……」

「いいよ、言ってよ。
もちろん、ただ見とれてました、でも構わないけど」

「違っあの、…聞きたいことが、あるんです」

「何?」

「ハンジさんって、何をしている人なんですか…?」

「え?」

ハンジさんが一瞬ぽかん、とした表情をした。

すぐににこっと笑って、「私のこと、気になるの?」と言った。

「…えっと」

「ふふ、いいよ。
ちょっと意地悪言っちゃったかな…ごめんね。
で、私のしてることだっけ?」

「はい…」

「ただの兵士だよ、なんてことない」

「何とか、隊長だって…」

「…調査兵団、分隊長をやらせてもらってる」

いきなり真剣な顔をして、何やら敬礼をする。

けれど、それもすぐに崩されて、「なんてね」と彼女は笑った。

「分隊長、って…?」

「簡単に言えば、団長の指事に従ってそれぞれの班を指揮する役割だよ」

「すごいん、ですか?」

「んー、まあ一応の数字上は三百人中、四人しかいないことになってるから、すごいのかな」

「……っ!」

地位の、ある人なんだ。

「普段は、どんなお仕事してるんですか…」

「巨人の研究とか!」

「ひっ!」

がたん!と立ち上がって、いきなり目を輝かせるハンジさんに、どうしたらいいのか対応に困る。

「研究…?」

「そう!聞きたい!?」

「い、嫌です、怖いです…」

巨人の話なんてだめ、聞けない。

「ええ…、残念」

言葉通り心底彼女は残念そうにしていた。

巨人愛好家?でも、そんな人が4/300の地位を得るのだろうか。

「なまえ」

「…は、ぃっ!」

寝転がる私に、ハンジさんが倒れ込むようにのし掛かってくる。

枕につっぷした彼女の息遣いが耳のすぐ近くで聞こえて、こそばゆい。

「ねえ…」

「ひぃ…っ!」

耳を舐めあげられる。気持ち悪い。

「今日はもう、何もしないって…!」

「もう12時回ってる。だからもう、"今日"じゃない」

そのまま耳にキスされて、首に唇を這わされる。

「や、いやっ…!」

「嫌?……まあ、やめないけど」

「ひい…」

首筋を舐められて、吸われて、どうにか逃げるけど、身体ごと押さえられてるんだから、それも叶うわけない。

涙が溢れてきた。

「なまえ」

ハンジさんが私の顔の両横に手をついて、私の顔を真っ直ぐ見る。

真顔で、少し眉間に皺を寄せていた。

そのまま無言で指で私の涙を拭ってから、目を瞑って顔を近づけてきた。

「っ、嫌!」

「……」

自分の顔の前に、手を置く。

ハンジさんがあからさまに嫌そうな顔をする。

「嫌…、嫌っ!」

「…はあ」

いやいやと首を振っていると、すごい力で顔の前の手をどかされて、押さえられる。

そのままぐいっとぎりぎりまで顔を近付けられる。

「…なまえ」

「嫌…!何で私なんですか……っ!何で私だけ!」

「君だけ、ねえ」

彼女のため息が前髪にかかる。

顔が離されて、少し安心する。

「女の子が好きなら、私じゃなくてもいいじゃないですか……っ!
お金払えば、私よりずっと可愛い子が、傍にいてくれます!
なんで、私……」

えぐえぐと泣きながら話す。

彼女の真っ直ぐな視線を感じながらも、私は彼女を見れなかった。

「……君は、自分が偶然、私に捕まったとでも思ってるの?」

「……わから、な」

「私はね、なまえだから捕まえて、閉じ込めたんだよ。
君が女の子だからでも、貴族だからでも、君がかわいいからでもない。
私は元々、同性が好きなわけじゃない…ただ、好きになったのが君で、君がたまたま女の子だっただけ。
私は、君のことすごくかわいいと思っているけど、たぶん一般的にはそんなじゃないよね。
怒らないで、そこも含めて好きなんだ。
君は覚えてないけど、私君に会った瞬間、この子だ!って思ったんだよ。
この子が私の運命の相手だってね。
例え私が、君の運命の相手じゃなかったとしても、私にはこの子しかいないって!
わかる?私は君を見つけたその瞬間から、君を愛していたんだ!
そのとき君のことを捕まえておかなかったことを、しばらく私は本当に後悔したよ…。
内地で自由に動けるなんて機会ろくにないのに、何であのとき、ってね。
だから、今度こそ捕まえようって、君のこと色々調べて、根回しして、今度こそと思って内地に行ったら、なんと!君が歩いてるじゃないか!!
いやあ、本当にテンション上がったね!
これで!なまえが!私のものにできるって!!
まあ、焦ったせいで多少面倒なことになったけど気にしない!!
愛してるんだよ、なまえーー!!」

がばっと抱き締められる。

先程まで不機嫌そうだったのが、どんどか興奮したように顔を紅潮させてゆき、この調子だ。

一体、どうしたらいいのかわからなくて、私は身体を硬直させた。

「…ふ、普通に、声……かけるとか」

「初対面はそうだったじゃないか。
……ああ、覚えてないんだったね。
それに、今度君、結婚する予定だったじゃないか。
そもそも私女だし、普通に接して落とせる相手じゃないと思うね」

「……だからって、こんなの、おかしい…、ぁっ」

言ってから、口をぱっ、と押さえる。

"おかしい"と言って、今日…いや昨日、痛い目見たばかりじゃないか。

「んー…」

私を抱き締めていたハンジさんが顔をあげる。

「なら君の存在もおかしいよ。
貴族なんて、地位だけで金と権力をいいようにしてるんだから。
その金を私の研究に回してもらいたいものだね。
その方がよっぽど人類のためだと思うけど」

「……違う。そんな、私は」

「違くないって。
だからって、君を責めようってわけじゃない
私だって特権乱用をしたことがあるもの。
そもそも世界がおかしいんだよ。
なまえは私の運命なのに、どうして手にいれちゃいけないの?
どうして私たちを拒むの?
答えは簡単、まず生物は男女で交わって子孫を繁栄してきた。
歴史は力のある者が、血を利用して作ってきた側面が間違いなくある。
これを全て否定できるわけじゃない、きっとそういうの全部否定したところで、結局別のおかしな世界ができるだけだ。
どうやったって、どこかに歪みはできる。
なら、こうやって捕まえておくのが一番じゃない。
私たちはきっと世界の歪みなんだよ。
小さな小さな歪みだ。
それが嫌なら、なまえが世界を変えてよ。
貴族でも兵士と結婚できて、政略結婚なんか必要なくて、女同士でも恋愛できて、それでもたくさん子供たちがいて、未来が希望に満ちてる世界を作ってよ」

彼女は笑顔だった。

「…無理、です」

「だろうね。
でもいい、少なくとも私は今の現状に満足しているどころか、たまらなく興奮してるんだから」

はあ、と熱い息が顔にかかる。

「嫌、嫌、って言いながら、もう頼れる人は私しかいないのにね」

……違う、そんなわけない。

そうだよ、もう何日も帰っていない。

きっと、父も母も私を探してくれている。

私がハンジさんに抱き締められているときも、たくさんの人がそれを見ていたはず。

すぐにバレる、すぐに気づいてくれる。

それまで私は耐えればいいだけ、それだけ。

「……その顔は、わかってないね。
まあいいよ、今日は疲れた。もう寝よう。
そのことは、また追々ね…」

ハンジさんがそのまま私の上にもう一度倒れ込んだ。

また何かされるんじゃないかと、思わずびく、とする。

はは、と掠れた低い笑い声が聞こえた。

「"今日"は、もう何もしないよ。
だから安心して眠りな。
私も、寝る……」

そのまま、おやすみとも言わないまま、彼女が私の耳元で寝息をたて始めた。

私も眠れるはずもないのに、ぷつんと糸が切れたように睡魔が襲ってきて、眠りに落ちてしまった。




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