深い眠りから、目が覚めた。
手首と足首に違和感を感じて、何かと思って身体を起こすと、聞こえてきたのは何か…金属音。
見れば私は手錠と足枷をつけられて、鎖で繋がれていた。
ああ、私の本能は判断を間違えた。
昨日のうちに逃げ出しておけば、まだチャンスはあったかもしれなかったのに。
とまあ、こんな話をしておいて難だが、このときの私はこんな冷静に後悔をできていたわけじゃない。
ただただ、恐怖に戦いて、どうしようかどうしようかと、頭をぐるぐるさせていたのだった。
3.首輪を付けられる
「やあ、なまえ!
ただいま、私からのプレゼントは気に入ってくれたかな?」
「これ、プレゼントなんですか」
「そう!素敵な手錠と足枷だろう!」
「……」
どう、反応しろというのか。
一応、顔は彼女の方に向けたが、まるで悪気のないようににこにこと笑う彼女の顔を見ると、余計どんな反応をすればいいのかわからなくなってきた。
「……気に入らなかった?」
「いや…気に入る気に入らないじゃなくて、なんていうか…。
…外してくれません?」
「嫌」
「……どうして」
「だって外したら君逃げるでしょ。
そもそも、私はそれだけじゃ足りないと思って、首輪まで用意したんだよ!
せっかくなら可愛い方がいいと思って、ピンクの花柄!
たぶん君そういうの好きだろ!?」
色と柄はともかく、物が問題だ、ということに彼女は気づかないのだろうか。
「なまえが私のものになった印だよ!さあ!」
「い、嫌です…」
首輪片手に息を荒げてじりじりとにじりよってくる彼女に、私は後退りする。
私を繋ぐ鎖は長さはあるから、ベッドから勢いよく起き上がって部屋の隅まで走ったが、結局鎖が絡まって前に転んでしまった。
「わっ!」
「おっと」
転んだ私を踏まないように、ハンジさんが急ブレーキをかける。
無駄な抵抗だというのはよくわかっていたけれど、それでも諦めたらたぶん、そのときは私が人間としての尊厳を失うときだ。
とはいってもまあ、"無駄"な抵抗であることには変わらないので、私は結局ハンジさんに上から背にのし掛かられる、という形で逃げ場を失ってしまった。
「いいこにしててねえ〜」
「嫌、嫌ですってば!」
私の抵抗もむなしく、無情にも首輪ががちゃっと音をならして私の首にはめられた。
「かわいい、かわいい。
よく似合うよ」
屈辱以外の何物でもない。
そりゃあ、私は決して上流階級の人間じゃない。
肉だってたまに食べられる(たまにでも贅沢かもしれないが…)くらいだし、至って慎ましいくらしをしていたと思う。
ちょっとお金のある一般人、というレベルだ。
私たちのことを没落貴族と呼ぶ人たちもいるけれど、それは少し違うと思う。
私たちは、ウォール・マリアを放棄したことで下がった人類全体の生活水準に従って、生活の質が落ちただけだ。
…と、まあ何が言いたいのかと言えばつまり、私はこんなでも一応貴族の端くれで、大事に大事に育てられてきた。
どちらかといえば、上の立場として、だ。
それに優越感を覚えていたつもりはないけれど、こうやって人間以下の扱いを受ければ、劣等感は人一倍だった。
泣くものか、と歯を食い縛るけれど、涙は溢れてくる。
ああどうして私はこんなに意志が弱いの、どうしてお父さんもお母さんも、私を意志の強い女の子に育ててくれなかったの?ええわかっているわ、私のせいね。私がそう生きようとしなかったせいね。きっと今、罰が当たっているんだわ。
こんな馬鹿なお芝居を脳内で上演しながら、私は涙を拭う。
鎖が口に当たった、不味い。
「あーあ、また泣いちゃって。
君は泣けば許されると思ってるの?」
「ち、ちがっ…」
「じゃあ、何で泣いてるの?」
「ひっ…あ」
「答えてよ、何で?」
私はうつ伏せで彼女に乗られているから、彼女の顔が見えなくて怖い。
今彼女は怒っているのか、それとも笑っているのか、全くわからない。
「あ、の…」
「うん」
「わ、たし…ひっ、くペットじゃ、ない…っ!」
「うん、で?」
で?と言われても…。
しばらく答えられずにいるが、ハンジさんは相変わらず私にのし掛かったまま動かない。
これは、彼女の思い通りに答えないと、解放されないのかもしれない…。
「首輪なんて、嫌…っ」
「首輪が嫌で、泣いてるの?
じゃあ、首輪の種類変える?」
「ちがっ…、外し、外してください…」
「それはだめだよ。
きちんと捕まえてないと、逃げちゃうからね。
…で、君が泣いている理由だけど、できないこととはいえ、君は首輪を私が外せば、泣き止むの?」
「……」
答えられなかった。
どうしたら、自分は泣き止むか。
「私の考えを言おうか。
本当はなまえ本人の口から言わせたかったけど、なまえは仮にもお嬢様の自分がこんなペットか奴隷みたいな扱いを受けることが屈辱で泣いているんだよ。
そして、自分のお願いを聞いてもらえないのが不満なんだ。
……納得いかないって顔をしているね、見えないけどわかるよ。
そりゃあ、君だって何を言ってもすべて叶えてもらえたわけじゃないだろう。
でも、まさか手錠を外してほしいなんてお願いは、受け入れてもらえると、そう思い込んでいるんだよ。
いい?君は、すべての人間の"尊厳"のようなものがこの世界で、狭い壁の中で、認められているわけじゃないと、知っているだろう。
でも、君はまさか自分の"尊厳"は守られると、そう信じきっているんだよ。
しかも、自分で戦いもせずにね。
自分で自分の人間としての尊厳を守ろうとしている人たちが、そう信じるのとは、まるで話が違うんだよ。
君は、巨人を見たことがないだろう。
どうやって、巨人が人間を食うか知っているかい?
どうやって、我々人類が、巨人の恐怖に晒された人間たちが、生きようとしているか、知っているかい?
君は、自分が罪を犯しているなんて、自覚していないんだろうね。
ウォール・シーナの外の人たちは、巨人たちの脅威に晒されても尚、一生懸命生きているのよ。私たちは運がよかっただけなの、だから私たちは威張ったりせず、謙虚に感謝の心を忘れずに生きていきましょうね、って?
結構なことだよ、貴族だからって威張ってるやつらよりはましだね。
でもさ、君たちは私たちを別の世界の人間とでも考えていなかったかい?
世界には巨人と戦う勇気ある人たちもいるの、飢えてしかたなく兵士になる子もいるの、世界にはたくさん不幸な人たちがいるのよって心を痛めるふりをして、まさか自分がその"不幸な人"になる日がくるなんて、夢にも思っていないんだよ。
世界にはたくさん大変な思いをしている人がいると言いながら、自分の今の生活が崩れるなんてまるで思っていないんだ。
それでも別にいいよ、さっき言ったみたいに、地位を振りかざして威張るようなやつらよりは、勘違いもはだはだしい優しさとか道徳心を持って黙っていてくれる方が、よっぽどいい。
それに、世界のために何かをできる人間は、…本当の意味で、人類に心臓を捧げることのできる人間は、本当に少数だと思うから。
でも、私が腹がたつのは、人類のためを思って、心臓を捧げ続ける私たちの死の上に立って、戦いもせずに生きているくせに、その与えられた生が当たり前だと思っているやつらがいることだよ。
君は、今自分は違うと思っているだろう。
それこそ間違いなんだよ、君は生きるための努力なんてしたことないだろう。
生きるために戦ったことなんてないんだろう。
それは、そんな君の代わりに、人一倍生きる努力をして、それなのに死んでいった誰かの犠牲の上に成り立った生なんだよ。
君が自分で掴んだわけじゃない、たまたま与えられて、持っていただけだ。
だったら、それがいきなりなくなったって、文句は言えないはずだよ。
自分の人間として生きるという、そのことに対して、君はしがみつくことをしなかった。
それでも、しがみつきもせず最後まで楽して生きるやつらもいる。
かわいそうだね、なまえだけ奪われて。
でも、それは戦うことを今までしなかった君が悪いよ、自分も奪われずに済むと思っていた君が悪い。
なにも兵士になれと言ってるわけじゃない、もっと他の戦い方もあるさ。
ある力を持つ子が、あるときこんなことを言ったんだ。
生きるために戦うのが怖いなら、力を貸せってね。
それも一種の手段かもしれないな。
それでも戦いを避けるなら、君は人間としての"転落"を覚悟しなくてはならなかったんだよ。
わかるかい、君は転落したんだ。
運悪く、なまえは私みたいな変人に惚れられてしまったせいでね。
今まで話してきた内容のせいで、私がなまえを嫌っているように君は思うかもしれないけど、とんでもない。
私はなまえを愛しているんだよ、かわいくて、馬鹿で、幸せも、人生も、何もかも与えられて満足していた君を、ぐちゃぐちゃになるまで堕としてやりたいと思っている。
君から何もかも奪って、世界がいかに残酷なのか、思い知らせてやりたいんだよ。
わかるかい?
かわいそうにね、もうなまえを守ってくれる人は誰もいないんだよ。
私だけ、私しかいないんだ。
君はここで、一生私のモノとして暮らすんだ。
大丈夫、いい子にしてればちゃんとできる限り人間扱いするし、君のお願いも聞く。
でも、私がだめだと言ったことをしたり、悪いことしたりしたら、どうなるかは想像つくね?
……じゃあ、まず一つめのやっちゃいけないことを、教えよう。
逃げること、だよ。
わかったね、なまえ」
「ひっ…ぁ、は、はい…」
「うん、いいこだね。
さて、じゃあさすがに立ち上がろう」
ハンジさんが私の上から立ち上がって、そのまま私を抱き起こしてくれた。
「ところで、首輪とか、何か要望はある?」
「…く、鎖が絡みやすいので、その……」
「うん、了解。もうちょっと動きやすいのを調達するよ。
他は?首輪重くない?」
「ちょっと、重いです…」
「ああ、だよねえ。
今軽量化をがんばってるから、ちょっと待っててよ」
「…はい……」
「ああ、それとしゃべりすぎて喉乾いたから、何か飲み物を持ってこようと思うんだけど、なまえは何がいい?」
「あ、えっと……じゃあ、紅茶…」
「了解、じゃあ持ってくるから、いい子で待っててね」
ハンジさんが部屋を出ていった。
私はそのまま、その場に座り込んでしまった。
ハンジさんの言っていたことは、正直よくわからない。
早口で、ちゃんと聞き取れなかったし、支離滅裂だし、私は泣いていた。
けれど、…私は胸がずきずきと痛むのを感じた。
どうして、私は幸せな毎日を当たり前だと思っていたのだろう。