死、というのはきっと心地が良いものだと思っていた。
しかしいざ死んでみれば、そんなにいいものではない。ただ暗い闇の中に閉ざされ身動きできないでいる。これでは、生きていた時と変わらないではないか。
漆黒に塗られた闇の中を、吉継は浮遊していた。ただ、ゆらゆらと流されていた。
肢体は動かず、足掻くことすら出来ない。
これでは、疎まれ、貶され、嫌われたあの時と、何ら変わらない。

(いや・・・・生きていた時のほうがまだましであったな)

暗闇の中で、吉継はヒヒと笑った。

(三成が、いた)

あの純粋な男は、吉継を信じ、疑うことなどなく常に共に居た。
あれは、暗闇の中の光だった。しかし今は、その光すら無い。全く死んでも不幸とは自身の運の無さに恐れ入る。
吉継は、三成を利用していた「つもり」であった。あの男は、純粋故に一度信頼をよせれば絶対に疑うことは無い。盲目的に信じ、ついて来る。
そんな三成を利用して、世界を不幸におとしめようとした。吉継が、三成を助けようとさえしなければ、全てはうまく行っていたはずだ。
・・・・・・だが、

(われは、三成を見殺しに出来なかった)

あの時、三成を救おうと、身体は勝手に動いた。

(何故、生きている時に気付かなかった・・・・われは、三成を・・・・・)

愛していたのだ、きっと。
何故心を閉ざしたのか、何故あの真っ直ぐな男の想いを素直に受け入れられなかったのか、吉継は悔いた。それこそが、自分の不幸だったかもしれない。

(最後に三成は言った、それ以上傷つくことは無いと)

もしかしたら、三成は吉継以上に吉継のことをわかっていたのかもしれない。
もしかしたら、自分が利用されていることすらもわかっていて吉継に付いてきたのかもしれないとすら思った。
なんという純粋で、美しい男。

(まあよいわ、三成が生きているなら、それでよい)

全く、自分らしく無い。
全ての不幸が、自身の望みではなかったのか。他人の幸せを望むとは、なんとも滑稽な。
吉継は自分自身を鼻で笑った。非情に、なろうとした。
結果、この様だ。
自身を不幸にしていたのは、結局は自分自身だった。それに、最期に気付いただけでも良しとするか。しかし、もっと早くに気づいていれば、また別の道もあったのやもしれぬ。
そう考えて吉継は大きく首を振った。
全ては終わったのだ。もう、三成に詫びを請うことも、会うことすら叶わぬ。
吉継は、瞳を閉じた。
これ以上もがくのは、止めにしよう。このまま身をゆだねて、消えてしまえばいい。
しかし、全てをあきらめた吉継の閉じた瞼に浮かんできたのは、走馬灯であった。

(はて、われは死んだのでは?死んだというに走馬灯とは・・・まことおかしいオカシイ)

若き日の、景色が広がる。
秀吉の小姓であり、まだ紀之介と呼ばれていた時分の吉継は、縁側に座りながら包帯に巻かれた自身の腕を見てため息をついていた。
病さえ無ければ、このように辛い思いをすることはなかっただろう。この姿を見て、どのくらいの人間が吉継から離れて行ったか、最早思い出せない。
今まで自分を慕っていた者たちが掌を返したように離れて行くことが、若い彼にとっては、酷く苦痛だった。

『紀之介』

おや、あれは。
確か12歳の三成・・・・まだ彼が佐吉と呼ばれていたころの幼子の頃だ。
小姓の中でも彼だけは、吉継が病を得ても以前と変わらず接してくれていたものだ。
幼い三成は、どすどすと足音を立て縁側に上ってきた。この男子特有の、なんとも偉そうな表情で、ふん、と鼻を鳴らす。
このころの三成は、あまり背も大きくなく、痩せていた。それでもこんなに偉そうなものだから、あまり周囲によく思われてはいなかっただろう。

『何を泣いている』

『佐吉、われは泣いてなどおらぬ』

この男子は何を言い出すのかと、吉継は苦笑いをした後、目を逸らした。
それでも三成は、吉継の瞳をじっと覗きこんでくる。

『嘘を吐け。貴様はいつも泣いているではないか』

『泣いてなどおらぬと・・・やれ、目もこの通り乾いておるわ』

『・・・・・・・・・・・』

幼い三成は何も言わず、吉継の隣に座した。彼の着物の裾をぎゅっと握って、真っ直ぐに吉継を見つめた。その瞳の、なんと清らかなことか。

『わたしのまえで無理をする必要はない』

はっとして、吉継は三成を見た。
その瞳は相変わらず、真摯に吉継を見つめている。何もかもを、見透かされているようだと思った。
走馬灯の中の幼い三成の手が、吉継の頬を包んだ。子供らしい、柔らかく暖かい手だった。

(三成、ぬしは)

吉継の瞳から、涙が零れた。

(昔から、われ以上にわれを理解していたのだな)

自分にこんなにも熱いものが宿っていたのか。そう驚くくらい、溢れる涙は熱を帯びていた。
走馬灯は繰り返す。三成と共にあった記憶を。
それを「幸せだった」と言うつもりは無い。しかし、吉継が思うほど「不幸」でも無かった気がする。

(三成がいたおかげ、ということよ)

ふと、頬を伝う涙を拭われた気がした。
静かに目を開く。目の前に、清らかな銀が在った。

「三成」

「吉継、また泣いているのか」

三成が、伏せる吉継の傍に座していた。
細く白い指が、涙を拭いながら吉継の頬を撫でた。
三成の顔は、相も変わらず高慢そうであったが、どことなく優しげな色を宿していた。

「三成、ぬしは・・・・われがずっと泣いておったことを知っていたのだな」

「・・・・・知らん」

「われですら、気付かなかったことを、ぬしは」

少し照れたように、三成は一瞬だけ目を背けた。
しかしすぐに、じっと吉継を見つめる。

「帰ろう」

三成が、吉継の腕を掴んだ。

「帰る?われは死んだのだ。待て、そもそも何故ぬしがここに居るのだ」

「貴様は死んでなどいない。私は貴様が死ぬことを許可していない。貴様は死なない」

「・・・・・?しかし、われの四肢は、もう動かぬのだ。もうぬしの背を負うことも出来ぬ」

「構わない。私が貴様を連れて行く」

三成は、そう言うなり吉継の身体を軽々と持ち上げた。
このやせ細った男の、何処にそんな力があるだろうか。吉継は大きく目を見開き、三成の顔を見つめた。
何処となく満足そうに笑っている彼の顔がある。

「やれ、もしやこれは夢か」

「そのようなものだろう、気にするな」

どうやら自分は、まだ死ねないらしい。夢の中で吉継はおかしそうにヒヒと声を上げて笑った。
三成は、どことなく嬉しそうに吉継を見ると、真っ直ぐに歩きだした。
暗闇の中に、いつの間にか光が射し込んできていた。




※※※※※※※※





吉継が覚醒しないまま三日目が過ぎようとしていた。
三成はその三日間を、吉継の傍で過ごした。食べることも、横になることすらしない。
「飯を食べろ、死ぬぞ」と、家康は何度も声をかけ、握り飯を横に置いた。
しかし、それに手を付けた痕跡も無く、三成はただ吉継の乾ききった手を握っていた。

「吉継、吉継、吉継・・・・起きろ、吉継」

透き通った声で、三成は吉継の名前を呼んだ。
まるで自身の体温を分け与えるように、幾度か自分の手と吉継の手を擦り合わせる。
家康は、そんな三成からまた目を背けた。
あの後、三成は逃げ出そうとした医者を無理やり引っ張りだし、「刑部を助けてくれ」と今度は懇願するように言った。
しかし、やはり医者は「覚醒しない限りは、生きていたとしても手の施しようがない」と怯えたように言った。

『どうすれば、覚醒する』

『わかりませぬ。貴方が彼を本当に助けたいと言うのなら、何度も名前を呼んでみてください。奇跡的な例ではありますが、それで覚醒した者もおりました。それで彼が覚醒するかはわかりませぬ。ただ、私にはそれしか思い浮かびません』

その、医者の言葉を、三成は忠実に守っている。
この三日の間、声が枯れそうになっても、三成は吉継の名前を呼び続けた。それでもやはり吉継は、目を覚まさなかった。

「三成、いい加減飯を」

また、家康はたまりかねて三成に声をかける。
・・・・返事は無い。
その細い肩に手を置くと、がくりと三成の頭が落ちた。

(寝ている?)

どうやら、座りながら寝ていたらしい。
三成は、落ちた頭を上げると瞳を開いた。その動きに合わせて、長い睫毛がさわりと動く。
ぼんやりとした表情で、三成は家康を見た。

「吉継が・・・・刑部が起きる」

「何?」

「刑部が起きる夢を見た」

寝ぼけている。
その程度にしか、家康は思わなかった。
だから、吉継の閉じられていた瞳がゆっくりと開いたときには、思わず叫び声を上げ、床に尻もちをついてしまっていた。

「な、なな・・・・?刑部が・・・起きた?・・・・おい、刑部が起きた!医者を呼べ、はやく!!!」

家康は慌てたようにバタバタと部屋を出て行く。
三成は、開いた吉継の目をじっと見ていた。
吉継も、焦点の合わない瞳で三成を見た。顔がよく見えない。ただ、三成の美しい銀の髪だけは鮮明に見て取れた。

「・・・・・遅い」

ぼそりと、三成は言った。
吉継の手を握る彼の手に力がこもる。声は、微かに震えていた。

「やれ、今戻ったわ」

吉継の手に、ぽたぽたと落ちる涙は、恐らく三成のものだろう。暖かかった。

「貴様の死など、許可していない。戻ってくるのは当り前だ」

「ヒヒ・・・・しかしなあ、戻ってきたところでもうわれの四肢は動かぬわ。感覚すら無いのだ。もう、ぬしの背を負うことは出来ないのだ、三成よ」

唯一まともに動いていた腕でさえも、もう吉継には動かすことが出来なかった。
生きてはいる。
しかし、もうかつてのように三成と共に戦場を駆けることなど出来ないだろう。

「それでも、良いのか」

「関係ない。言ったはずだ。私が貴様を背負っていく。貴様は私になれ、私は貴様になる。・・・・・・それだけだ」

三成が、吉継の身体を抱き締めた。
ふわりと三成の香りがする。すんすん、と鼻を鳴らす三成があまりにも愛おしくて、その背中に腕を回そうとするも、ぴくりとも動かないそれが歯がゆかった。

「三成、われは・・・・ぬしの背中をさすることすらできぬなあ」

「構わない、それでも・・・それでも貴様は」

――― ここに居るではないか。
恐らくはそう言ったのだろうが、嗚咽が混じった三成の声は、なかなか聞き取れなかった。
小一時間、三成は吉継を抱きながら泣いていた。
家康が医者を連れてきても、それに構うことなく、吉継の暖かい身体を抱きしめながらひたすら、泣いていた。

「信じられませぬ・・・奇跡、と言ったところですかな。結局、私は何の役にも立ちませんでしたなあ」

医者は、それを見て苦笑いした。

「全く・・・・それほどに、この二人の絆は強い、ということだな」

家康もふっと肩をすくめた。
どうやら、この二人の仲は切っても切れぬものらしい。恐らく、自分が入り込む余地などないだろう。
それに切なさを感じながらも、家康は笑った。

『真の絆とは奇跡』

関ヶ原の戦いの直前に、三成が言ったその言葉が、家康の頭の中で何度も響き渡っていた。















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