【相違】








「佐吉、ぬしは何故そのような態度しか取れぬ」

今日も佐吉は稽古中、小姓の一人に「貴様は馬鹿だ」とか「私の前から消えろ」だのと罵詈雑言を言い放った。その者が悔しさからか震え、泣きだしたのを冷酷に見つめながら佐吉はさっさと稽古場を後にする。
彼は、周囲と比べてもあまりにも聡く、強い。
しかしまた、彼はあまりにも正直すぎる、と将来を案じ声をかけたのは紀之介である。
癖であるのか、佐吉は形の良い鼻をふん、と鳴らした。

「あれが、あまりにも弱かった。それだけだ」

「そのような態度では今に孤立する。われはぬしを心配しているのだ」

紀之介が、黒く大きな瞳を佐吉に向けた。
最近の紀之介は、何かの病気にかかったらしく、皮膚が荒れていた。その部分を包帯で覆い隠した彼の顔を、佐吉はきょとんと見つめた。
その表情は、いつもの柔和な彼にしては珍しく厳しい。

「孤立?別に、それでよいではないか。私は弱い者と群れたいとは思わない」

「将として、それではいかん」

「なら、貴様のように八方美人に振るまえと言うのか。好きでも無い奴にヘラヘラして生きろと言うのか。私には出来ない」

「そういうことを言っているのではない。何故わからぬ」

「わからんものはわからん」

佐吉は、不機嫌そうに紀之介から瞳をそらした。
紀之介は、誰にでもいい顔をしようとする。本意がどうであれ、彼は誰にでも笑顔で接した。それが、佐吉にはわからない。
嫌いなら嫌い、それでいいではないか。

「もうすこし、人を思いやれ。ぬしは一人で生きているわけではないということを理解しろ」

「ッ……」

佐吉は、美しい顔を歪めた。
尚も説教を続けようとする紀之介の身体を突き飛ばす。尻もちをついた紀之介を冷酷な瞳で見下ろしながら

「貴様のことも嫌いになった」

佐吉はそう言い放った。





*********





(紀之介は私のことをなんでも理解してくれると思っていた)

自室で兵法を学びながら、佐吉はぼんやりと考える。
紀之介はいつも傍に居てくれた。紀之介だけは、信頼できた。紀之介だけが、私の全てを理解してくれた。
……しかし

(奴は私を否定した)

苛々して、持っていた筆を床に投げ捨てた。
墨が散らばる。片づけなければいけない。しかし、どうでもいいと思った。
紀之介が自分を否定するなどとは考えたことも無く、そうされたことが悔しかった。
彼が佐吉を否定した瞬間、彼がはるか遠くに居るように感じて悲しいとも思った。

(何故、わかってくれない。貴様はただいつものように私を肯定してくれればいい)

それが、紀之介だと思っていた佐吉の理想が打ち砕かれたのだ。
どうしようもなく悔しく、悲しい。
ふてくされて、畳に仰向けに寝転がった佐吉の瞳に飛び込んできたのは、いつに間に来ていたのか豊臣軍の軍師竹中半兵衛であった。
部屋の前の廊下で、にこやかに微笑んでいる彼を見た瞬間、佐吉は飛び起きた。
慌てて脚を直し、おじぎをする。
さぼっていると、思われただろうか。
半兵衛は佐吉の前に正座で座ると、美しい笑顔を彼に向けた。

「佐吉君、聞いたよ。君、紀之介君と喧嘩したんだって?」

軍師の言葉に、佐吉は眼を丸くした。

「どこで聞いたのですか」

「紀之介君が深刻な顔で来たんだよ。佐吉に嫌われたと泣きそうになってね」

「紀之介が……」

意外だと思った。

「佐吉君、人間の心は人それぞれだ。親友だからと言って、必ず気持ちが一緒とは限らない。紀之介君が、いつも君の都合のよい様に考える訳ではない」

「しかし、半兵衛様。半兵衛様と秀吉様の心はいつも一つではないですか。心の相違などあるようには見えません」

「付き合いの長さが違う。僕と秀吉だって昔は喧嘩くらいしたさ」

半兵衛が照れたように顔を赤らめた。紫の瞳が、微かに揺れる。過去のことを、思いだしているのだろうか。
この、いつも仲睦まじい二人が喧嘩したことがあるとは信じられず、佐吉は「え」と驚きの声を上げた。

「それで、仲直りしたのですか。どうやって?」

「互いの相違を認め合い、補い合えばいいと思ったんだよ」

「どういうことです」

「例えば、君は良くも悪くも正直で、自分の意見を絶対に曲げない。反対に紀之介君は人に気を遣いすぎて自分をないがしろにする。正反対だ。だけど、そんな二人が合わされば丁度よいだろう」

「……確かに」

「君は聡い子だから、わかるはずだよ。人は一人では生きていけないんだ佐吉君」

半兵衛の女性のような手が、佐吉の銀色の髪を優しく撫でた。
佐吉も、もう子供という歳では無いのだが、半兵衛にとってはまだまだ幼く見えるらしい。
佐吉は照れた様に顔を赤らめると「はい」と言った。

「いい子だね」

半兵衛は、それだけ言うとゆっくりと立ち上がり佐吉の部屋から出て行った。
その後姿をぼんやりと眺めながら、紀之介のことを考えた。
よくよく考えれば、紀之介は自分のことを考えてあのような言葉をかけたのだ。勝手に腹が立って「嫌いだ」と言ってしまったのは自分だ。
紀之介は今どのような気持ちでいるのかと思い、いてもたってもいられなくなった。
立ち上がり、佐吉は部屋を出た。
廊下を駆けて、紀之介の部屋の襖をがらりと開ける。途端にびっくりしたように瞳を丸くする紀之介の傍へ滑り込むと、包帯の巻かれた手を取った。

「佐吉……?」

「すまん、紀之介!私が悪かった。私は貴様のことを嫌いになってはいない。ただ、驚いただけだ!すまなかった!」

「あ、ああ………、さようか」

その後、佐吉は紀之介に思いっきり抱き着いて「痛い」という紀之介の悲鳴が聞こえるまで離さなかった。






**********






「…紀之介………」

ふと目が覚めると、もう夕刻だった。
机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。

「幼名とはまた懐かしい呼び名だな三成よ」

「刑部……いつから居た」

「つい、先程よ」

起き上がると、掛けられた衣が床にさらりと落ちた。三成の、紫色の羽織だった。
おおかた吉継が掛けてくれたのだろう。それを握りながら、三成は振り向いた。
吉継がにやにやしながら三成を見ている。

「昔の夢を見た」

「さようか」

「貴様と喧嘩した時の夢だ」

「ぬしと喧嘩したのはあの時一回限りよな」

「半兵衛様の言ったことがやっとわかった……」

「何?」

「いや、こちらの話だ」

―――互いの相違を認め合い、補い合えばいいと思ったんだよ
今の自分と吉継がそう言う関係なのだと、三成はかつて軍師に言われた言葉を反芻する。

「刑部。貴様はもう私の横柄な態度をいさめないのだな」

「ヒヒ………また、嫌われたら困るのでなあ」

「そうか」

三成は微かに笑う。吉継もいつものしゃがれ声でおかしそうに笑った。

「私は貴様が居るからこそ、この横柄な態度を遠慮なく取れる」

「そのせいでわれの胃は、やれ、いたいイタイ」

「それはすまなかった」

きっと、横柄者と周囲から言われるこの性格は直らないだろう。直す気も無い。
この友も、相変わらず真意を隠して人を欺いてばかりいる。
そんな、性格の相違。
しかしそんな相違があり、二人で補ってきたからこそここまで来れたのだろうな、と三成は心中で呟く。

(私もかつての秀吉様と半兵衛様のようになれたのだろうか)

今は亡き二人を思って、三成は赤く染まった空を見上げた。






END
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