【闇子】



 


「蝶々さん、聞いて。あのね、わたしに赤ちゃんができたのよ」

そう言って、吉継の背中に甘えるようにすり寄ってきたのは市だった。
この娘は、われのことを親か何かだと勘違いしているのかもしれないと思うと、吉継の口からは自然とため息が漏れた。
どうも、自分は誰かの世話を焼かずにはいられない人間らしい。

「さようか……それは、めでたきな」

どうせ、また妄想にとりつかれて訳のわからぬことを言い出したのだろう。
そう、思い振り向いた吉継の瞳に飛び込んできたのは、確かに、赤子であった。
しかし、見てすぐにそれは異形の者であると気付く。
その赤子は、全身が影のようにまっ黒だった。本来目や口があるべきところには、ぽっかりと深く開いた小さな穴が三つあるだけである。
それが、まるで人間の赤子のように、小さな手足をばたばたと動かしているのだった。
その異形を、市は愛おしそうに布に包んで抱えている。

「……第六天魔王よ、これを産んだのか」

「産んではいないわ。朝、起きたら隣に寝ていたのよ…ふふ……きっと、わたしと   様の赤ちゃんなんだわ」

「浅井長政のことか」

かつての夫の名前のことを、彼女は忘れてしまっている。そのことだけを、ぽっかりと忘れてしまっているのだ。
市はその名前を聞いた瞬間、不思議そうに首をかしげた。

「なあに、蝶々さん……聞こえ…ないわ……」

「浅井長政よ」

「……ごめんなさい、やっぱり、聞こえないわ」

「さようか」

思い出したくないのなら、思い出させることもあるまい。
愛しい者を忘れてしまった彼女を可哀想と言うべきか、それともある意味では幸せだったというべきかは吉継にはわからなかった。
ただ彼女は、三成のように復讐にとりつかれること無く、不幸を腹に溜め続け、まるで怨霊のように生き続けていた。三成に言わせれば「愚か」なのだと言う。
その少女が、腕の中の赤子を見てまた、笑った。

「見て、蝶々さん。この子、笑ったわ。     様にそっくりね」

「笑って…いるようには見えんが」

「ほら、この人が蝶々さんよ、とても、優しいの。ごあいさつしなさい」

市が赤子を抱え上げ、吉継の顔に、その小さくまっ黒な顔を近付けた。
ぽっかりとあいた両眼の代わりにある穴は何の感情も映してはいない。ただ、虚ろである。
酷く不気味なそれから、目をそらすと「ああ可愛らしい赤子だ」と返事をした。
市が、満足そうに微笑む。

「闇色さんは、赤ちゃん好きかしら。こんなに可愛いんだもの、闇色さんにも見せてあげたいわ」

「三成に……」

吉継は、なんとなくその禍々しい赤子を、三成に合わせてはならぬと思った。
この異形の者は、三成を更に不幸にするのではないか。そう、思ったからである。
三成の精神は、実は市と同じくらいに弱々しいものだと吉継は理解している。その弱い心に溜めこまれた憤怒と憎悪と悲しみは異形の者にとって格好の餌食であろう。

「それだけはやめよ、第六天魔王」

「どうして?」

「三成は赤子の泣き声が嫌いなのだ。その赤子が泣きだせば、斬られてしまうやもしれぬ。よいか、第六天魔王。その赤子を三成に近付けてはならぬ、絶対にだ」

「まあ……こわいわ……。わたしと    様の赤ちゃんが斬られてしまったら……わかったわ、闇色さんには絶対に近付けないわ。約束する。市はいい子だもの」

「さよう、ぬしはよき子だ。絶対に近付けてはならぬ」

「……はい」

市は深刻な顔で、その赤子を強く抱いた。
赤子が、腕の中でもそりもそりと蠢く。
そのもみじのように小さな手を動かすと、子が母にするように、市の頬を触った。

(一体、これはなんであろうな…この娘が根の国から呼び出した何か…であろうか)

ふと、気付くと、市の周りに部屋の中の全ての影が集まってきていた。吉継の影も、それに吸い込まれていくようにして消える。
やがて、少女の周りを無数の闇の手が囲んでいた。
まるで、少女を祝うように、それらはゆっくりと回りだす。中には拍手をしているような手すらあった。

「…ぬしの不幸は底なしよな…われの不幸まで喰らうとは」

その中で、市は幸せそうに微笑むのだ。
やがて、影の闇の中からひときわ大きな手が這い出て来る。それが、市に絡みつくと、ふわふわと、その長い黒髪を撫でた。

「     様。見てわたしたちのこどもなの」

市が、その大きな手に触れ、軽い接吻をした。
手は市の髪から離れ、今度は赤子の背中を撫でる。

(まさか、あれは)

吉継は、息をのみ込んだ。市の隣に、うっすらと何かが見える。

(浅井 長政?)

まっ黒い髪の、精悍な男の透き通った姿が、市に寄り添っていた。
吉継は長政と会ったことすらなかったが、恐らくそれは、長政なのであろう。
長政らしき男が、市の頬に触れようとした。しかしその手は市の身体をすり抜ける、長政は、ひどく悲しそうな顔をした。代わりに闇の中から這い出た大きな手が、愛おしそうに市を撫でた。

「     様、何処に居るの。わたしたちのこどもなのよ」

ここにいる、長政の口の動きが、そう言っていた。
しかし市は気付かない。ただ、赤子を抱いて悲しそうに微笑んでいる。

「     様」

きさまとともにある、長政がそこから消え失せる瞬間、その口は、確かにそう言っていた。






END


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電波長市。大河見たら…たぎった…
あの手に長政さま混ざってたらいいなって妄想
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