【姫と鬼3】
「兄貴!毛利の兄さんが」
「あん?」
切腹する、と言うのである。
元親は板張りの廊下を音を立てるのも構わず大股で歩いた。
(何考えてんだ、あの馬鹿)
庭の景色と瀬戸海が見える自慢の客間まで来ると、勢いよく襖を開けた。
着流しのまま腹部をくつろげ、脇差しを握っている元就の姿を見て、元親は溜息をついた。
元就は、彼のほうを物凄い剣幕で睨み付けると脇差しをその白い腹に突き付けようとしている。
「おい、ちょっと待て松寿」
「なんぞ」
「何やってんだ、あんたは」
「敵将にあのように辱められ、捕われるとは生きてはいけぬ。武士としてここで死んだほうがマシだ。介錯は不要ぞ」
武将にしてはあまりにも華奢な腹に脇差しが当てられる。
恐らく、本気だ。
元親は部屋の襖を勢いよく蹴った。外れた襖は音をたてて部屋へと倒れて行く。
元就がそれに気を取られたのを見計らって、彼の側へと滑り込む。
そして、握られた脇差しを奪い、庭へと投げ捨てた。
不機嫌そうな元就が、元親を睨んだ。
「死ぬことすら許さぬと申すか」
「別に捕えた訳じゃねえよ!ただあんたを四国に連れてきたかっただけだ、松寿」
「その名で呼ぶな。我は毛利元就。今は毛利家当主よ」
「あー、じゃあ、元就。あんた綺麗になったな」
元親の、海賊などやっているにしては白い顔が元就を覗き込んで笑った。
太陽のような笑顔、と言う表現が似合いそうな程の明るさだったが、元就にはそれが不快だった。
日輪は日ノ本にひとつあればよい。そう思ったからである。
それに、「綺麗」などと男が男に言うべき言葉では無い。
「貴様は随分と男臭くなったな、姫若子よ」
「もう、姫じゃねーよ。鬼だ、鬼!そーいやあんた、俺を嫁にするとか言って」
「黙れ、それは過去の失策だ!思い出したくも無い!」
大袈裟に頭を振りながら否定する元就を見て、元親は楽しそうに笑った。
「まあ、ガキんときの話だ。あんたも俺も変わっちまったからな、昔のように仲良く……って訳には行かねぇよな」
「…………」
「全く……肩書ってのはめんどくせぇもんだぜ……単なる海賊だったらもっと自由に生きれたのかな」
「ふん」
この男は、今でも十分自由に生きている気がするが、と元就は思った。
感情を捨て去り、非情な将とならざるを得なかった元就からして見れば、目の前の豪快な男はあまりにも純粋過ぎる。
黒いところが、ほとんどと言って無い。
(このような者が主とは、この土佐は余程お人よしが多いのだろう)
つまり、騙しやすい、馬鹿者どもの集まりと言うことだ。
(我が智略を持ってすれば、いとも簡単に落ちるやも)
「……おい、元就。あんた今嫌なこと考えてるだろ」
元親の顔が、元就に近づく。その瞳だけは昔と変わらないままの、宝石のような光を放っていた。
元親の左右の手が元就に近づく。
それでも冷静な面を崩さない元就の両目尻に、元親の指が触れ、ぐぐ、と引き上げた。
「……すげー悪そうな顔してた、狐みてぇ」
「やめよ、青二才が」
「歳はたいして変わんねーだろ」
元就の手が、元親のそれを払った。不機嫌そうに睨む元就とは正反対に、元親はけらけらと笑った。
昔の面影などほとんど無いのに、何故かその笑顔は懐かしい。
ぼおっとそれに見とれている自分に気付くと、いやに恥ずかしくなり元就は視線を下に向け溜息をついた。
「まあ、明日あたり安芸に送ってやるよ。今日は飲んでけ。あんたと一度酒を飲み交わしたかった」
「毒入りではなかろうな。我ならそうする」
「あんたと一緒にすんなよな……俺は卑怯な真似は大嫌いだ。やりあうなら正面からやる」
「……ふん、だから青二才だと言うのだ」
元就は言うと、そっぽを向いた。
元親はそれを見て苦笑いすると立ち上がる。
「来いよ、俺の土佐を見せてやる」
そう言って、元親は元就に手を差し延べた。
元就はその手を取る気にはなれず、無視して開けた衣を直すと、立ち上がる。
元親は「つれねえなあ」と呟くと、頭をかいた。
「よかろう、すぐに案内せよ」
(こやつは馬鹿か?)
敵将に国を案内するなど、元就には信じられないことであった。
敵国の侵入を絶対に許さぬ自信があってのことか、はたまた、ただ単に馬鹿なのか。
恐らくは後者だろうと元就は思った。
案内された元親の城は、驚く程質素だった。
天守閣などは無い。少し大きな物見矢倉があり、多少裕福な農民などとたいして変わらぬ館が立ち並んでいる位である。
驚く程、田舎。
それが元就の印象だった。
ただ、城を包む防壁などはしっかりしているし、製作中だと言うカラクリ兵器の類もなかなか油断ならない。
成る程、戦となればこの男も馬鹿ではないのかもしれない。
****
「おれの土佐はどうよ」
元親が、杯を月光にかざしながら言った。
見事な月夜である。
二人は縁側に座りながら酒を交わしていた。
瀬戸海が静かに凪ぐ音と、海辺独特の香りが心地良い。
「田舎だな」
「……はっ……田舎っていうヤツが一番田舎者なんだぜ?」
「くだらぬことを申すな」
元親は杯の酒を飲み干すと、また自分でなみなみと注ぐ。この鬼は酒が好きらしい。
元就は、そんな元親を呆れた様に睨むと、白磁の杯に注がれた酒を見下ろした。
酒は、そんなに好きなほうでは無い。恐らく、父の弘元が酒毒で死んだせいであろう。
「あんた酒は嫌いか?」
「好きでは無い」
「俺は、好きだ。飲み過ぎてな、よく隼人に怒られる」
「隼人とは、貴様の捨て駒か?」
元親の、酒を飲む動きが止まった。
理解出来ないものを見るように、元就を見つめる。
「捨て駒?隼人は、俺の仲間だ、捨て駒なんかじゃねえ」
「仲間だと?」
「あんた、まさか部下は全部自分の駒で死んでも構わねぇとか思ってんじゃねえだろうな」
「その通りだが何か問題があるのか」
「……あんた、変わったな。昔はもっと素直だった、何があった」
慈愛の瞳、と表現するべきか。
全てを包み込む様な元親の瞳が、元就を見据えていた。
「……ッ!?」
元親の手が、元就の頬に触れる。
優しく撫でられ、元就の肩が震えた。持っていた杯が地面に落ちる。
「なあ、元就、あんた本当はもっと」
「……黙れ!貴様にはわからぬ!」
元就は、その手を払った。
元親は、悲しそうな顔をする。
「このような地で、ぬくぬくと生きている貴様にはわからぬ……!」
「別に、あんただけが苦しい思いをしてきた訳じゃねぇ。俺だって、あんたの部下だって、きっと」
「黙れ、黙れ、黙れ!聞きたくなど無い!」
元就は、勢いよく立ち上がる。元親を振り返ることもせず、客間に向かった。
あの瞳で見つめられると、酷く居心地が悪い。
それに
(奴は、我の心をこじ開けようとする……)
閉ざしている心に、彼は無遠慮に侵入する。
そして、その心すら包みこもうとする。
(奴が生きていては我は我で無くなる)
"このまま"で無ければ駄目なのだ。
非情でなければ、冷酷でなければ、自国を守ることは出来ない。
元就は、そう思っている。
元親の様に、周りの人間を信じきり、慈愛を振り撒くことなど出来はしない。
(我は変わってはならぬ)
元就は、白い月を見上げた。
(殺さねばならぬ)
月の光は、日輪とは異なりやけに冷たく元就に降り注いだ。
続く
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隼人は、福留 隼人さんです。元親にとっては凄く怖い人で頭が上がらないと萌えます。
長曾我部軍もすきだー!