【姫と鬼・2】




最近、瀬戸海に海賊が出ると言う。
別に彼等は何か悪さをするようでも無いが、安芸を支配する毛利元就にとっては忌むべき存在であった。
瀬戸海に、海賊などという下賎の者が居るべきでは無いというのが彼の考えである。

「海賊どもを残らず滅せよ」

元就はそう指示すると、ある程度腕のたつものを数人、その配下数百人を乗せた船を瀬戸海に放った。
海賊ごとき、自身が出るまでも無いと思ったのである。
しかし予想は大きく外れた。三日後に帰還した船は半壊しており、死者は出ていなかったが、重傷者多数。毛利元就は美しく、しかし表情の全く無い顔で家来の伝令に耳を傾けていた。

「何があったのだ。何故、賊ごとき落とせぬのか。貴様らそれでも毛利の兵か」

「恐れながら、」

明かに怒りの色が含まれる元就の声に、家来は平伏する。

「殿。あれは海賊ではございませぬ。船の帆に、長曾我部の家門が見え申した。あれは土佐の長曾我部元親に違いございません」

「長曾我部だと?」

元就は表情は変えずに眉間にしわを寄せた。
かつては姫若子と言われた彼であったが、今では鬼と呼ばれ破竹の勢いで領土を広げていると聞く。

「まさか、この安芸を侵略する気ではあるまいな」

(海賊を装い、こちらを油断させる気なのか?)

だとしたら、厄介である。

「我が采配を振るう。船の手配をせよ」

元就はそれだけを言うと立ち上がった。
家来が深々と礼をし部屋を去って行くのを見届け、小さくため息をつく。
かつて会った(と言っても幼少の頃だが)長曾我部元親は「姫若子」と呼ばれる程、大人しく、戦いを嫌っていた。

(いつまでも"姫"では生きていけなかったのであろうな)

戦国の世とはそういうものだ、と元就は思った。
自分とて、変わらざるを得なかった。自身を捨て、冷酷にならなければ毛利はここまで大きくならなかっただろう。

(真、生き難い世だ)

幼少の頃の元親を元就は知っていたが、鬼となるには彼はあまりにも優しく臆病過ぎていた。
しかし、このような戦乱の世。
長曾我部元親もまた、鬼とならなければ生きてはいけなかったのかもしれない。
なんにせよ、自国を侵略する恐れがある者とは戦わねばならない。
それがかつて「愛しい」と思った者であっても。



***


毛利軍は、瀬戸海の広々とした湾に陣を取った。
毛利元就の乗る巨船を中小の船が取り囲む。

「囮となり、長曾我部元親をおびき出せ」

元就がそう命じると、家来は一瞬動揺したような顔を浮かべたが、すぐ諦めたように低く返事をした。
囮となった二槽の船が、ゆるゆると元就の乗る巨大な船から離れて行く。
元就は、変わらずの無表情でそれを見つめた。
家来達は何も言わず、ごくりと喉を鳴らす。
元就が「囮となれ」と言えばそれに従わなければならない。
逆らえば、それよりも酷い仕打ちが待っていることを彼等は知っているのである。
"冷酷な策士"
それが毛利元就だった。

「囮が湾に長曾我部の船を誘い込む。島陰に隠れた伏船が背後から長曾我部の船を襲う。我らも大砲の準備をせよ」

「は!」

船内が慌ただしくなる。
四方から大砲を浴びせればいとも簡単に長曾我部の船は沈むだろう。
それで終いだ。
元就は静かに凪ぐ海をじっと見つめた。
長曾我部元親がそろそろ現れる頃合いだろう。どのような航路を辿って移動しているか、それすらも予め調べておいた。
しかも、この奇襲。

(勝つ)

心中でそう呟いた時、海が、大きく揺れた。
鈍く、重い音が前方より鳴り響く。大砲の音である。

「長曾我部か」

「は!そのようにございます。囮船に大砲を撃った様子」

「引き付けよ」

「し、しかし囮船は全滅寸前である様子」

「かまわぬ。もとより捨て駒としか考えておらぬわ」

「……は」

また、大砲が鳴り響く。
しばしして、毛利の旗が掲げられたぼろぼろの船がゆらゆらと現れた。かろうじて、まだ動いているような状態である。

(来た)

その後ろを追い掛けるようにして現れたのは、巨大な船であった。
日ノ本であのような船を見たことは無く、元就ですらも一瞬絶句した程だ。
もはや船というよりはひとつの巨大な要塞と言ってしまっていい。

「怯むな」

自分に言い聞かせるように元就は叫んだ。

「放て!一斉射撃を浴びせよ!」

元就が采配を振るう。
それに応え、耳をつんざくような大砲の音が四方から発せられた。
砲弾が雨の様に、長曾我部の要塞に降り注いだ。
波が一気に強くなり、毛利軍の船に波飛沫がかかる。
まるで地震のような揺れに船が大きく傾き、悲鳴が上がった。何人かの部下は海に落ちただろう。
元就は、柱にしがみつきながら前方を見据える。
波飛沫のせいで霧が発生し、視界は悪い。しかし、あの状況ではいかに要塞とてただではすまないだろう。

「どうなった」

元就は物見台に立つ部下を見上げると叫んだ。

「霧が強く……あ、要塞が……!ほとんど無事です!とんでもない装甲にございまする」

「ちっ……大砲、第二弾を用意!直ぐに放、」

「殿!何かが、こちらに向かってきております!」

「何!」

霧の中に、炎が見えた。
あまりに鮮やかな赤である。大砲?いや、違う。何か、もっと強い光のような。
日輪の光にも似た赤だと、感じた。

「……!」

霧が、晴れる。
その瞬間、元就が見たのは碇のような槍に乗った男だった。
ほとんど上半身裸の、粗野ないで立ちの男である。
それが、真っすぐ元就目掛けて飛んでくる。
あのような空飛ぶ武器などは見たことが無い。

「殿ッ……!男が飛んできて」

「見ればわかるわ!それよりあの男を」

取り押さえよ、そう叫ぼうとして、ふいに身体が浮いた。
空を飛んでいる?
下から「殿!」と部下達が叫んでいる声がする。下に視線を向けると、船中が混乱し、もはや陣形が乱れていた。
ゆるりと、上を向くと精悍な男の顔があった。銀髪の、眼帯をした男である。
元就は、抱えられていた。

「な、貴様……何者ぞ!我を誰と思って」

「毛利、元就だろ?」

からかうような声で、男は言った。
悪戯っぽく、にやりと笑う。

(こやつ、まさか)

いや、幼少の頃とは、あまりにも違う。
しかし、どこと無く面影がある。その、微笑みが。

「長曾我部……?」

「久しぶりだな、松寿」

元就は、あろうことか敵将に捕らえられていた。






続く
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