【姫と鬼】




※松寿丸:元就の幼名
※千翁丸:元親の幼名


歌が聞こえた。
か細い声が、屋敷の外から微かに聞こえてくるのを不審に思い、松寿丸は飛び出すように庭へと降りた。
テンテン……と鞠をつく音と一緒に紡がれる手鞠歌はここ安芸では聞いたことが無い。
そもそも手鞠歌を歌うような少女がここに侵入するのがおかしい。
子供にしては鋭く切れ長な瞳を右に走らせると、紫色の着物を着て、銀色のふわふわした髪の毛に花の髪飾りをつけている少女の後ろ姿が見えた。

「貴様、何者だ!」

松寿丸が声を張り上げると、びくりとその細い肩を震わす少女。
おずおずと振り向く彼女は、女のわりに背は高かったが美しい顔をしていた。

「あの、ごめんなさい」

「俺は領主毛利弘元が嫡男松寿丸だ!女が何用だ去れ!」

「あの、僕、女の子じゃない……よ?」

「嘘をつくな!明らかに女の恰好をしてるじゃないか!」

目の前の少女は手鞠をギュと握ると、おどおどした様子で瞳を潤ませる。
少女と戯れたことなど一度も無い松寿丸は一瞬、困ったように目を瞬いたが、ここで情けない姿を曝す訳にも行かず尚も強気に詰め寄った。
近付くにつれ少女の長い睫毛が、桃色の唇が、紫色の大きな瞳が、はっきりと目に映る。
赤くなった顔を背けたい気持ちを抑え、松寿丸は少女を見据えた。

「僕、男だよ。四国の長曾我部国親の嫡男の千翁丸だよ。父上が毛利殿とお話してるから遊んでなさいって言われたんだ」

「女が自分の主の嫡男を騙るのか!?」

「だから、僕は男だよ。ほら」

千翁丸と名乗ったその少女の様な少年は、急に松寿丸の右手を取った。
振り払う間もなく、松寿丸の右手は少年の左胸に触れた。
松寿丸は顔を真っ赤にしながら息を飲んだ。しかし予期していた柔らかさなどは無く、そこには自分と同じような平たい胸があるだけだった。

「胸なんて無いでしょ」

「ばっ、馬鹿かおまえは!領主の息子が女の恰好をするなど!」

松寿丸は狼狽した。
女の恰好をしているくせに妙に豪快な、こんな男は見たことが無い。
慌てて千翁丸から距離を取る。千翁丸はそんな松寿丸を見て笑った。

「笑うなっ!」

「ごめん、僕、土佐では姫若子って呼ばれてるんだ。女の子みたいな男の子って意味」

「当たり前だ!そんな恰好をして!」

「これ?ああ、女の子の恰好をすれば、戦に行かなくてすむでしょ」

「戦?戦が嫌いなのか?」

「嫌いだよ」

そう言って俯いた千翁丸の様子を、松寿丸は見つめた。
あまりにも馬鹿馬鹿しいことだと、松寿丸は思った。
戦に行きたくないから女の恰好をするなど。

「武将として生まれたなら喜々として戦に向かうのが当たり前だ。戦で武勲を上げるのが俺達だ」

「でも、そのための犠牲は大きい」

「そんなものは仕方ない。主の為に生き、主の為に死ぬ。それが武士だ、犠牲無くては戦には勝てぬ。俺はそう教えられた」

「…………」

松寿丸の言葉に納得出来ない様子で、千翁丸は俯いた。
持っていた手鞠が細い手から滑り落ち、弱々しく地を転がって行った。

「僕はやっぱり女の子に生まれればよかったな……そんな武将にはなりたくない」

「……お前はつくづく武将では無いな。嫡男というのが信じられない」

「皆、そう言うよ。ああ、そうだいいことを思い付いた」

千翁丸はパッと顔を上げる。今まで悲しそうに俯いていた様子は何処へやら。
松寿丸の両手を取るとぐいと詰め寄った。
松寿丸は咄嗟のことに逃げようとしたが、女の恰好をしているくせにこの千翁丸とか言う少年、案外力強い。
手を振り払うことすら出来ず、松寿丸は顔を赤らめた。

「松寿、僕をお嫁さんにしてよ。そうすれば、僕は戦に行かなくていいもの」

「ばっ……馬鹿かお前は!男のくせに嫁になると言うのか!」

「松寿は僕のこと、嫌い?」

「…………わからぬ」

正直、松寿丸は今まで見た少女の中では、この千翁丸が一番好みであった。(もっとも、"彼"は少年だが)
銀色の髪と紫色の瞳など見たことも無いが、かえってそれが神秘的な魅力になっているのだろう。
もし彼が女であったなら、さぞかし美しい天女になるのかもしれないと松寿丸は子供ながらに思った。

「……よし、お前が大人になってもその容貌を保っていたのなら我が正室にしてやらなくも無い」

「わーホント!?松寿大好き!」

「よ、寄るな!」

松寿丸は、自分よりもだいぶ背の高い千翁丸に抱き着かれ甲高い叫び声を上げてしまっていた。
千翁丸からは微かに花の香りが漂ってきているような気がした。

「約束だよ、松寿」

耳元で、千翁丸の声がした。硬直したままの頬に柔らかくて温かい何かがあたり、それが千翁丸の唇だと気づくのに幾分か時間がかかった。
松寿丸は瞬きをしながら、頬から唇を離した千翁丸の愛らしい笑顔を見た。
呆然としたままの松寿丸の唇を、千翁丸のそれが塞いだ。触れるか触れないか、それくらいの感触が心地良かった。
それが大人達の言う接吻だとわかったのは、千翁丸が土佐に帰ってしばらくたってからだ。
松寿丸は、あの時の感触と千翁丸の笑顔を忘れることが出来なかった。
成人し、夜伽のための侍女を与えられても尚

(あの者の美しさには敵わぬ)

遠い記憶の中の千翁丸はいつまでも美しく、姫若子であり、それと比較してしまえば他の女が色あせて見えた。




松寿丸が毛利元就となり、20代も半ばにさしかかった頃であった。
四国には鬼が居る……そんな噂が、瀬戸内に広がった。
鬼若子、長曾我部元親。

(かつての姫若子が、今や鬼若子か)

元就は薄い唇を歪ませて笑った。
聞けば、四国を平定する勢いで領土を広げていると言うのである。

(となれば、いつかは戦となる)

元親が四国を平定すれば、当然欲が出てくる。他の領土も欲しくなり、ついには天下統一にも乗り出す。

(武将とは、そういうものだ)

元就は、そう考えていた。

(いつかは戦わねばならぬ)

正室にしてやろう、など無知な子供の戯れ事であった。しかし、あの時の自分は半ば本気だったと元就は思った。
正室にも側女にも出来ないが、彼がずっと姫若子であったならば、土佐を支配下に置き、庇護してやろうと思っていた。

(しかし貴様は"鬼"になってしまった。鬼は退治せねばならぬ)

元就は、屋敷からふらりと外に出た。
しばらく歩くと、瀬戸内の海が広がる海岸に出る。ここ安芸から瀬戸内海を挟んで、鬼の住む土佐がある。
元就はその方向をじっと見つめた。

「何故、鬼になった、千翁よ」

その言葉に返事する者は無く、ただ冷たい海風が今は穏やかな瀬戸内海を駆け抜けて行った。




END
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