【守人】



彼の庵は人里離れたところにあった。
誰も訪れそうには無い竹林の中を進むと、小さな庵が見えてくる。
そこは、日が当たらない為かとても涼しい。病床にふしている彼にとってはこのくらいの涼しさが丁度良いのかもしれない。
主、秀吉から渡された菓子の包みを持ち直すと、三成は庵の戸を軽く叩いた。
すぐに「はい」と女中の声がして戸は開いた。

「…………」

三成は何も言わず、ただ黙って年若い女中の顔を見つめた。こういう時、彼は何と言えばいいのかわからない。
戦以外のことにはとんと疎い三成の性格を知っているのか、彼女はさして驚いた顔もせず「どうぞ」と呟き端に寄った。
庵に入った途端、米を炊く香りが充満していて恐らくは昼餉を作っていた最中だったのだろうと三成は思った。
草履を脱ぎ、板張りの廊下をそろりと歩く。いつもは足音など気にはしないが、もしかしたらこの庵の主―――半兵衛は寝ているかもしれない。
そんな彼を起こさないようにと言う三成なりの配慮だった。
半兵衛の寝床の襖は開き、真っ白な夜着を掛け、横たわる半兵衛の姿が見えた。開けっ放しの雨戸からは外の涼しい風がそよそよと流れて来ていた。
静かな脚取りで半兵衛の横まで来ると、三成はその場に正座した。半兵衛はすっかり寝ているようで起きる気配は無い。血色が悪く青白い、しかしそれでも尚美しい顔は穏やかだ。
しかしその顔の穏やかさと青白さ、また彼自身が好む真っ白な着物と夜着に包まれて眠る様子が、三成にはまるで死人の様に見えた。
或は彼はもう死んだのかもしれない。少なくとも「軍師、竹中半兵衛」はもう死んだ。
ここで寝ているのは病状の悪化により戦場から身を引いた半兵衛だ。
秀吉と戦場を駆け回り、兵をひたすら強化し続けた半兵衛はもう何処にも居ない。
それは、武人にとっては死んだも同然かもしれなかった。

「ん……」

その、整った唇から声が漏れる。半兵衛の目がうっすらと開き、何回か瞬きをする。

「三成……君?」

「はい、半兵衛様。お久しぶりです」

三成は、頭を深々と下げた。戦場から身を引いたのだとしても、彼は貴ぶべき武人だった。

「……来たのなら起こしてくれれば良かったのに」

「勝手に入り、申し訳ございません。半兵衛様のお体に障ると思いまして起こすことが出来ませんでした」

「君は馬鹿丁寧だな……いいんだよ、もう少し気軽で。僕はもう軍師では無いんだから」

そう言い、半兵衛は半身を起こそうとした。しかし、それすら出来ないようで彼の美しい顔が苦痛に歪む。

「御無理をなさらないでください半兵衛様!お体に障ります!」

「後輩が来たのにこのまま話すのは失礼だろう。僕にだってまだ武士としての誇りくらい残っているよ」

「申し訳ありません」

三成は慌てて半兵衛の背中に手を滑り込ませると、半身を起こしてやった。

「秀吉は元気なのかい?」

「はい、ただ今朝鮮出兵に向け準備を推し進めていらっしゃいます。秀吉様は半兵衛様の病状を気にかけておいででした。本来ならば秀吉様自身が来たがっておりましたがなかなか時間が取れず、私めが来た次第です」

これを、と三成は持参した菓子をさしだした。
それはわざわざ秀吉が半兵衛の為に買ってきたものだ。
半兵衛は何回か瞬きをすると、微かに微笑んだ。

「秀吉……僕なんかを気にしなくてもいいのに」

「時間を割いてでも行く……とおっしゃっていましたが今回は……」

「いいよ、その気持ちだけで嬉しいと、伝えてくれ。僕などのことより、彼は彼の目的を大切にして欲しい。日の本だけでは無い、世界を、手中に……」

半兵衛の瞳が、遠くをみているようなそれに変わった。
彼の瞳は、今を見ていない。ただ、過去を見て懐かしんでいる様だった。

「半兵衛様……」

「僕は、秀吉と共にあった」

彼は、軍師竹中半兵衛は、病弱の身でありながら秀吉の天下統一の為、戦い続けた。
秀吉にたしなめられても尚、戦い続けたそうだ。
その話をしている時の、秀吉も今の半兵衛のような、過去を懐かしむ瞳をしていたのを思い出す。

「幸福だった。彼の天下をこの目で見れた……本当に、幸福だったよ。そして彼は世界を掴もうとしている。僕もそれを、近くで見つめたかった。彼の夢を、守りたかった」

「半兵衛様、生きていれば、見ることも叶いましょう」

「僕は、それまで生きていられるのかな」

そう言って、半兵衛が儚く微笑んだ時。
「昼餉を持って参りました」と女中の声がした。三成が振り向くと、二人分の食事を持った女中が一礼をし、素早く用意をすませるとまたすぐにその場から去った。
真っ白な米と、根菜のみそ汁、川魚と漬物が並んでいる。

「昼餉まで……申し訳ございません」

「気にしないでいいよ、僕もあの女中もたまに人が来てくれると嬉しくてね。あまり、人が来ないところだから」

礼をして、昼餉を食べた。
三成はあまり食には興味が無かったが、半兵衛と食べる昼餉はおいしいと感じた。
ふと、半兵衛を見る。
その、肉がほとんど無い骨張ってしまった右手が箸を掴もうとする。
しかしその手は小刻みに震え、箸は真っ白な夜着に落ちた。

「情けないだろう」

半兵衛は自嘲気味に笑った。

「箸すら満足に持てないんだ」

「…………」

かつては日ノ本一と称された天才軍師は、もうそこには居ないのだと、三成は思った。

「僕はもう秀吉と同じ夢を見ることは出来ない」

半兵衛の瞳が、三成を見据えた。

「だから、君が秀吉の夢を守ってくれ三成。僕の代わりに、彼を、彼の天下を、守ってくれ」

「私が……秀吉様の……天下を」

「ああ。君だから、頼んでるんだ。僕はもう、秀吉と共に戦えないから。ああ、戻りたいなあ……秀吉の為に身を粉にして働いたあの頃に」

半兵衛の瞳は、まだ過去を見ている。
かつての天才軍師竹中半兵衛を、秀吉と共に戦った頃の自分を、見つめているのだと三成は思った。

「半兵衛様、ご安心ください。秀吉様は、私が何があっても守ります。秀吉様の天下を、守り続けます。半兵衛様はご安心して療養を続けてください。そして共に見ましょう、秀吉様が、世界を掌握するその日を」

「そうだね、僕は……それまで生きていなくてはね」

「はい」

恐らくは半兵衛が長くは無いことを、三成もわかっていた。
しかし、見たいと思った。
願わくば、生きた半兵衛と一緒に、秀吉の世界の掌握を見守りたいと。

「見れるかな」

「見れます」

三成は、半兵衛の目を見据えながらはっきりと、強い口調で言った。
「ありがとう」と半兵衛は呟き、首を傾げ笑った。
彼は昔とは違い、やせ細っていたけれど、その瞳だけは光り輝き、昔の天才軍師竹中半兵衛に戻っていた気がした。





END
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