ぺたんこのランドセルの鍵はいっつも開いてた。いつか道端に落ちてた芸術的な形の石を拾うために屈んで中身をぶちまけてたのを見た。入ってたのは給食の余ったパンとみかんと牛乳。教科書どこいった。


寝癖頭にジャージ姿。授業中目をやれば決まって大きなあくび。でも休み時間になると一目散にグラウンドに飛び出してた。走って跳んで、私より小さな体が軽々と辺りを駆け回る。
聞いた話によればどこぞの暴走族をのしただとか、中学生と喧嘩して勝っただとか、彼の運動神経というか、身体能力は凄まじかった。体育の時間や運動会で発揮されるそれはキラキラ輝いていたし、それなのにとぼけたようなマイペースぶりで誰彼構わず話しかける親しみやすさは幼い私に恋心を抱かせるには十分だった。


そんなマイキーくんこと佐野万次郎くんに憧れていた小学五年生の私の人生史上最大のチャンスが訪れた。それが、


「えっミョウジってミナミの帝王のDVD全巻もってんの?貸してよ」



知る人ぞ知る関西弁訛りの金貸しが主人公の、某Vシネシリーズである。

何故か当時そのシリーズにハマっていたマイキーくんと(お兄さんの部屋で見つけたらしい)、何故かそのシリーズのファンだったお父さん(関西出身である)、そして竹内力が引き合わせてくれた私の恋路史上最大のチャンスだった。これを切っ掛けにマイキーくんと仲良くなれるかもしれない!

そんな気持ちがクラスでも目立たない地味な私の口を動かしたのだ。


「えーーでもマイキーくんいっつも返すの忘れんじゃん」

「んだよんなことねーだろ」

「そしたらミョウジさんがお父さんに怒られちゃうよ」


「ちゃんと返すって!」


「あ!じゃあ“シャクヨウショ”書けばいいんじゃない?」

「なにそれ?」


「ちゃんと返しますって書いてハンコを押すんだよ」


「オレハンコとか持ってねーけど」


「私知ってる。そういう時は親指をハンコにするんだよ」



「ふーーーーん」


じゃあその“シャクヨウショ”ってやつ書くから、貸してよミョウジ。

目の前で展開されていく会話に口を挟むこともできず、勝手に決定された事項に私はただコクコクと必死に首を縦に振るだけだった。


そうして私はマイキーくんの“シャクヨウショ”を手に入れた。赤い絵具で押された母印付きの紙切れ。そんなものを四年経った中学生三年生の今もこっそり財布に忍ばせているなんて滑稽だ。


下手な字で書かれたなんの効力もない“シャクヨウショ”。そして案の定、クラスメイトが言った通り、何日、何週間、数ヶ月、何年経ってもミナミの帝王のDVDボックス四本目は返ってくることがなかった。そのボックスは今も父親の書斎の本棚の片隅で微妙な隙間を残して横たわっている。




中学生三年生、夏。そんな甘酸っぱい思い出の借用書を財布へ戻して、カバンから取り出したのは“進路調査表”。


もうすぐ義務教育も終わる。あのぺたんこのランドセルを背負ってた小さな男の子は、やはり他(というか隣に並ぶ飛び抜けて背の高い彼)と比べると大きくはないけれど、それでもいつの間にか私の身長を優に抜かしていて、廊下ですれ違うたび揺れる肩まで伸びた髪は触れてみたくなるほど魅力的だった。


この借用書は、私とマイキーくんを繋ぐ唯一のもの。でも、それももうすぐ終わりを迎えようとしている。中学三年間、ついぞ口を聞くこともなかった彼はきっと私に借りたDVDのことも、もはや私の名前すらも忘れてしまっているだろう。


窓の外で鳴くミンミン蝉の声が真夏の訪れを急かすようで手の中のプリント用紙にくしゃりと皺をつくった。









塾の帰り道。たまたま出来心で石を投げたらヤクザに当たった。そのくらいの確率。いや私石なんて投げないし自分で言うのもなんだけどそれなりに真面目に生きてきた。だから空腹を紛らわせるため立ち寄ったコンビニで、肉まんを齧りながら外に出たならば、ヤンキーと目が合って絡まれてしまった、なんて、そんな不幸に巻き込まれるのは理不尽なんだ。



「なんだこの肉まん食ってる女」

「この制服アイツんとこのだろ?リボンの色三年じゃん、丁度いいだろ」


「無敵のマイキーもドーキューセーに手ェ出す言われりゃ大人しくなンだろ」

「まじいっぺん頭下げさせねーと腹の虫治んねーよなァ」


「…………」



コンビニの前で、目つきの悪い坊主の男と目があって、びくりと固まったのちあれよあれよと言うままに隣の路地に引きずり込まれてしまった。周囲の通行人は助けてくれない。私も怖かったけれど奴らは特に乱暴をしてくる気配はなかったのでとりあえず大人しくしていた。
先ほどからの会話を聞いていると突然マイキーくんの名前が出て心臓が跳ねた。どうやら男たちは彼に復讐がしたいようだが、連れてきた私を放置しているあたりとりあえずひとつ頭を下げさせて溜飲を下ろせれば満足、くらいの考えのようだ。だから私もビクビクしながらとりあえず肉まんを食べる。



「この女緊張感無さすぎだろ」

「つーかマイキーはホントに来んのかよ?」

「さっき下っ端トーマンの奴んとこ走らせて連れてくるよう言付けしたけど」


「……そもそも自分の女でもねーやつ人質に取られても助けに来なくね?フツー。俺なら行かねー」

「え"っ。お前、冷たい奴だな………俺は行くけど」


「まあ、助けに来てこの女だったらカッタリーーことすんじゃなかったーーーとは思うだろーな」


「お前が一番サイテーだな」


「………(お前ら全員最低だよ)」



目の前で展開される会話は理不尽に連れてこられたというのに失礼極まりない。それでも私は何か反論をしてボコられるのだけは勘弁なので黙るしかない。それに、こいつらの言う通りきっとマイキーくんは来ないだろう。

彼の眼中に私や、極々一般的とされる事象は映されて零コンマ数秒で通り過ぎてゆく。べつに彼を冷たい人だとか、反対に優しいだとかは思わないけれど、とにかく興味の対象にないのだ、私やその他大勢の諸々は。
それは初めて出会った小学生時代から今までずっと変わっていないはず。そう、思っていたのだけれど。



「まーー来なかったら多少この女ボコって連れてきゃいんじゃね?さすがに殴られてる女見たら黙ってね………」




最低発言を繰り返す男の頭が、ひと蹴りで地面に沈んだ。倒れた男の後ろから現れたのは周囲の誰よりも小柄な男の子。それでもその存在感は圧倒的で、きろりと黒い目をこちらに向ける彼に男たちが小さく震え上がる。



「俺、肉まんよりあんまん派。」


「俺角煮まん。」



最後の一口を口に含んだ私にマイキーくんが指差して言う。背後から聞こえた低い声はいつも彼と一緒にいる龍宮寺くんだ。マイキーくんの後ろからぬるっと出てきたその大きな体にさらに男たちは悲鳴を上げる。こいつら、こんな調子でよく復讐とか考えたなあ。



「女盾にとって脅すとかクソだせえな。テメーらそれでも不良かよ?」



ひとつにこりと浮かべられた笑顔の後、するりと動いた体は路地の壁に張り付いていた男の前に移動していて。次の瞬間には固く握られた拳が鈍い音とともに男の顔面にめり込んでいた。たぶん、殴られた男には何が起きたか把握できなかっただろう。
じりじりとそんな二人を牽制していた男たちはあっという間に蹴られ、殴られ、胃液を吐き出して薄汚れた路地裏の地面に沈んだ。残るは、仲間を見捨てて逃げることもできずかと言って単身立ち向かうこともできず、苦肉の策で私の首に腕を引っ掛けてまんま人質のようにじりじりと交渉に臨む背後の男だけだった。



「っ、テメエら!!!それ以上近づいたらこの女ぶん殴るぞ!!!黙ってその場で土下座しやがれ!!!」


「ケンチン、俺8時からのドラマ見たいんだよね。間に合うかな?」


「今7時半だから走れば間に合うんじゃね?」


「そっか。じゃ、早く終わらせよう」



マイキーくん、8時からのドラマ見るんだ、と新たなマイキーくん情報を知ってドキドキしている私をよそに背後の男は焦りからか私の首に巻いた腕をきつく締める。ちょ、それは駄目だよ………息が苦しい。

勘弁して欲しい、そう思いながら表情を歪めていると真正面、まるで男ではなく私に向かい合っているようなマイキーくんに心臓が跳ねる。小柄だと思っていたけれどこうして目の前に立つと当然私なんかよりずっと背は高い。暗がりの中、雑居ビルのくすんだ窓から入る室内灯に照らされて振りかぶった拳が一直線にこちらに向かって抜かれた。


「っ、………!?」


思わず次に訪れる痛みを予期してかたく目を瞑ると、衝撃は頬ではなく体の背後からかけられて。首に巻きついていた太い腕がずるりと力を抜いて私の体ごと後ろに引っ張る。そのままバランスを崩して倒れかけた私の腕を、誰かの手が掴んだ。それを合図にようやく目を開いた私の前にはにこりとした笑顔を浮かべたマイキーくんが、その案外大きな手で私の体を支えてくれていた。



「びっくりした?」



彼のお陰で倒れることなくその場に留まった私に悪戯っぽく彼は問う。たしかに、殴られるかと思った。いや、マイキーくんがそんなことをする筈ないのはわかってるけど、咄嗟のシチュエーションでは誰もが身構えてしまう。でもそれより何よりドキドキと煩いこの胸の高鳴りは、およそ数年ぶりに面と向かって話す想い人が、まさか自分をヤンキーから助けてくれて(彼もまたヤンキーであるのだが)またあの掴み所のない笑顔を見せてくれているということにある。


「巻き込んでごめんね。家近い?一人で帰れる?」


「ケガとかしてねーか?」


心臓の音が煩い。きっとマイキーくんは私が小学生の頃からの同級生であることなんて忘れているだろう。そんな彼はあの頃の面影は存分に残しつつ、それでも異性に対してこんな風に優しく話すようになったのかと衝撃とともに過ぎた時間の長さを実感する。
隣の龍宮寺くんもその大きな体を屈めてマイキーくんの背後から覗き込んでくる。かけてくれる言葉は優しいのにものすごい威圧感。


私は、そんな二人の言葉に家遠いだとか、怖いから一緒に帰って欲しいだとか、本来これはチャンスだというのに言うべき言葉は真っ白の頭には浮かばず、ただただ壊れた人形のように首を縦に振るしかできなかった。


「そっか。それじゃ、まっすぐ家に帰るんだよ。寄り道しちゃダメ。」


「オイマイキードラマ見てえんだろ。そろそろ帰んねーと間に合わねーぞ」


「まじか」


龍宮寺くんのその言葉にそれじゃ、また学校でね、とこの場を立ち去ろうとする二人。また学校でね、なんてそんなの無いに決まってる。廊下ですれ違っても私は相変わらず極々一般的な事象の、その他大勢の諸々であるに変わりない。私の隣をすり抜けて、マイキーくんは歩いてゆく。彼の視界に入って、零コンマ数秒私たちは流れてゆく。そこになんの興味も関心も持たれることなく。


義務教育は終わる。カバンの中には皺になった進路調査票。そして、財布の中には。




「DVD!!!!!!」





小学生のきみが、下手くそな字と稚拙な絵の具の母印を押したなんの効力もない“シャクヨウショ”。


を、慌てて取り出して眼前に突きつけた。



「昔貸したミナミの帝王のDVD4巻め!!!!!返して!!!!!」



今まで一言も発さなかった女が突然訳のわからないことを言って目の前にボロボロの紙切れを突きつけてきたものだからマイキーくんは面食らったように目を丸くする。隣の龍宮寺くんも「ミナミの帝王……?」と復唱して完全に頭がヤバイ奴を見る目だ。


「〇〇年〇月×日……つったら小5とかの時のンか?お前の字じゃんこれ」


「……………………え、なにこれ全然覚えてない」


「お前何年借りパクしてんだよサイテーだな」



借用書を受け取ってまじまじ見る二人に、私は顔を真っ赤にして必死だ。これはたぶん最後のチャンス。私がこの恋を甘酸っぱい思い出にしたくないのなら、今動かなきゃきっとこの恋は終わる。その気持ちだけが私の口を動かした。



「もう5年もDVDボックス未完成なんです!!!」


「え」


「私、3巻から先見れなくてずっと困ってるんです」


「ちょ」



「責任とってください!!!!!」



「ちょ、ごめん俺が悪かったから落ち着いて」



肩で息をしながら全力を振り絞って言うと意外にもあのマイキーくんがちょっと慌てている。その横では大きな体が肩を震わせて笑っている気配がする。



「えーーと、ごめん名前………あーー、ナマエチャン?」


「(ナマエチャン………!?!?!?)」


「ごめん俺すっかり忘れててさあ、てか、きみとそんな古い知り合いだったことも忘れてたんだけど」



「………そ、そうだよね……」



マイキーくんが私の、しかも下の名前を呼んでくれたことに感動する間もないまま、当然の現実を突きつけられる。そりゃ、そうだよね……。やっぱり覚えてないよね私のことなんて……。そう、さっきまで熱くやる気に満ちていた感情が少しずつ冷めて萎れていくような気がした。視線を落とした先、汚い路地裏の地面が広がっている。



「だからさ、今度一緒に続き見ようよ。お詫びするし」




頭上から降ってきた予想外の言葉に俯いていた顔を勢いよく上げる。そこにはにこにことまたあの掴み所のない笑顔を浮かべるマイキーくん。一気に表情を明るくした私が言質を取るようにホント!?と一歩体を乗り出して確認すると、地面に転がっていた男の手を踏んでこっちが悲鳴を上げるハメになる。その光景を傍目で見る龍宮寺くんは堪え切れず大きく吹き出した。


「肉まん好き?」

「!!ピザまんの方が好きです!!」


「んじゃお詫びに山ほど買ったげる」


「俺は角煮まんな」


「なんでケンチンも来ようとしてんの」


「ミナミの帝王俺も見てーし。つーかホントにDVD残ってんのか?」


「さあ、わかんない」

「えっ」


「んとにサイテーだなマイキー」



とりあえず家に帰ったら、ミナミの帝王の予習をしなくちゃ。




21022021

♪ はやく返してDVD/ヤバイTシャツ屋さん


なんだこれ



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