奈落の底〜IFです
※ 単行本21巻までの知識で執筆しました。本誌との矛盾が多々あります。なんでも許せる方のみ観覧をお願いいたします。
破かれたストッキングの下の素足に、三途くんの指の感触を感じる。彼の中指の腹が撫でるように這っていく。足首の筋から脹脛を通って膝裏、そして太ももの後ろまで。普段は言葉も態度も辛辣な癖してこんな時ばかりは繊細に触れる。こちらの様子を伺うような視線に絡めとられまいと顔を逸らす。
「んっ」
けれど彼がひとつ膝裏のくぼみを意地悪く引っ掻いた時、強張った体は無意識に反応してしまって。思わずこぼれた声と膝を合わせるような仕草にかああっと耳まで赤くなるのを感じた。その顔を見られたくない一心で片腕で口元を覆う。
「……どうしました、お嬢」
「べ、べつに……っ、」
「何かご所望ですか?」
挑発するような視線はその奥に普段とは違う、動物的な本能を感じる。普段の彼は冷めた顔をしながらもどこか優しく私を見守ってくれていた。そこに彼自身の欲を感じたことがなかった。それが今、私の意思など意に介さず、ありのままの感情をぶつけられている、そう感じた。十年以上隣にいたけど、初めて知る彼の姿。まるで三途くんじゃないようで少し、こわい。
三途くんは意地悪な視線でそう訊ねると閉じていた膝をやわく割って、そこに腕を絡ませた。まるで片腕で抱くように体を屈めると、結われた毛先がぱらりと落ちてふくらはぎをくすぐった。
彼は少し瞼を伏せると顔を傾げてそっと私の脚に口付けた。マスク越しにほんのり熱くやわらかい唇の感触がふくらはぎに伝わって心臓が一瞬、止まったのではないかと思うくらい大きく跳ねた。何度も落とされるその口付けは辛辣な彼の言葉とは裏腹にまるで壊れ物を扱うように優しい。
何が欲しいかなんて、そんなの決まってる。でも口に出したら残酷な現実に絶望するでしょう?だから私は知らない振りをしたかった、お互いの気持ちなんて墓の下まで持っていけばいい。
それなのに彼の、あの脱色を繰り返しても傷みなんて知らないってほど指通りの良い(いいえ、良さそうな)、あの髪に触れてみたくて、小ざっぱりと結われたそれを解いてやりたくて、私の脚に顔を埋める彼の頭に手を伸ばした。
はらりと、長い金髪が落ちてくる。そっと手を延ばして撫でるように指を通せば、思った通りなんの引っ掛かりもなくさらさらと梳かれてゆく。けれど思っていたよりもふわふわとした感触だ。これも、今こうして触れることがなければ知らなかったんだなあ。
「………マスク、外したとこが見たい。私、三途くんのこと何も知らないもの」
「いいですよ」
「えっ」
暫く何度か頭を撫でてやれば案外心地良さそうに私の手のひらに身を委ねてきてまるで猫のようだと思った。そうして私の所望をぶつけてみれば、それは案外簡単に了承されてこちらが驚く。
「えっ。……いいんだ?てっきりタブーなのかと」
「別に今まで外せとも言われなかったんで外さなかっただけです」
「ええええ……」
「では、どうぞ」
「えっ」
どうぞ、と言われて不意に腕を引っ張られる。思わずつんのめった体をなんとか椅子に踏ん張った。先ほどから私は驚いてばかりだ。状況が把握できない私に淡々とした表情と声で三途くんは言う。
「お嬢が外してください」
「えっ……!?な、なんで私が」
「あなたが見たいって言ったんでしょ」
「そ、それは……そうだけど……」
「こっち、来てください」
なんだか普段と立場が逆転したよう。ワガママを言う彼に私が仕方なく付き合っているようだ。そんなシチュエーションにドキドキしてしまう。懇願するようにもう一度やわく引かれた腕にされるがままに腰を床に下ろす。琉球畳の、へりのないつるりとした目積を素足に感じる。二人床に向かい合って座ってみると思った以上に距離が近い。毎日顔を合わせているはずなのにお互い正面から見つめ合うことなんてなかった。上手く目を合わせられない私の手を、三途くんは静かにとって自分の耳元へ誘導した。
「お好きにどうぞ」
指先に触れるさらりとした金髪の向こうに、普段は隠れていて見えない彼の耳が見え隠れしていた。そっと髪を耳にかけると、顔を出す形の良い耳殻。熱のこもった指先でその形を確認するようになぞると目の前の長い睫毛が少し揺れた。
「……誘ってます?」
「……少し」
「いい度胸ですね」
「三途くんが好きにしろって言ったから」
口では強気なことを言えても心臓は今にも破裂しそうなほど大きく脈打っている。ひとつ吐き出した吐息は熱い。そうして指先にマスクの紐を引っ掛けると、静かに彼の耳から外した。向かい合った私たち、十年以上の時間をかけて初めてお互いの本音を晒したような気がする。
「どうですか?」
「ど、どうって……」
「お気に召しました?」
「………ええ、それは、もう………」
彼のマスクの下の素顔は、予想通りというか、いいえ予想よりもはるかに整った美人で。もはやどのスペックをとっても勝てる気がしない。なんだこいつ最強すぎる。
外したマスクを畳に置くと、三途くんはそっと私の両頬に手を伸ばして、そして引っ張った。マスクがあっても無くてもこいつの無表情は変わらない。冷めた美しい顔でひたすら私のほっぺをこね回して遊ぶ。え、これ喧嘩売られてる?
「ぶっ、ひょ、なに」
「お嬢は相変わらずお可愛いお顔ですね」
「絶対褒めてないよねそれ!!!!」
「褒め言葉は素直に受け取った方がいいですよ」
美人に言われるとぐうの音もでない。私はこれ以上反論することもできず敗北を認めるしかなかった。くそ……!!三途くんの性悪美人め……!!!だめだむしろ一部のマニアには願ったり叶ったりだこれ。
そんなことを考えていると一瞬、いつもの私たちに戻ったようだった。けれどあの用意周到、虎視眈眈、狙った獲物は逃がさない三途くんがそうも簡単に折れてくれるはずがない訳で。
不意に距離を詰められてシャンプーなのか、香水なのかいい香りが鼻腔をくすぐる。開いた胸元、鎖骨に彼の毛先が触れる。それにくすぐったく思う暇もないまま、耳元で内緒話をするように囁かれた言葉に私の顔はみるみる真っ赤に染まっていくのを自覚した。
「これで、邪魔なものはなくなったんで、なんでもできますね」
耳の奥にその言葉が、彼の声がこびりついたように離れない。彼の息がかかった耳が熱い。あの鉄仮面の三途くんが、ほんのり意地悪な笑みを浮かべたのを感じたけど私はその顔を見る余裕もなく視線を逸らす。
ほんとに、なんて世話係なんだこいつ。雇い主の顔が見てみたい(私の父である)。
「今やらしーこと考えただろ」
「……うっさいいっぺんしね」
「うわヒデーー」
「最後に一回でも父さんに言いつけてやる」
「上等です。やれるもんならやってみてください」
不敵な笑みを浮かべた三途くんはそう言って私の唇に噛み付いた。今までずっと知らない振りをしてきたお互いの気持ちを確かめ合うように、一度離れても何度もどちらからともなくお互いを求めた。どのくらいの時間をそうしていたのかはわからない。次に息を整えながら、探り合うように視線を絡めた時、三途くんは優しい笑顔を浮かべてずいぶん恐ろしい言葉を紡いだ。
「あんたが泣いて懇願したって、俺は離れるつもりないんで。」
ああ、私の父はなんて奴を世話係にしてしまったのか。そう思いながらも、これほど心強い奴はいないな、と私もつられるようにして笑うのだった。
無条件幸福
12012021
脚(脛)へのキスは服従
無条件降伏
軍事用語。軍隊または艦隊が兵員・武器一切を挙げて条件を付することなく敵の権力に委ねること。(Wikipediaより)