※相変わらず蘭が酷いです。暴力や倫理的に問題のある描写があります。また設定の捏造あり。観覧は自己責任でお願いいたします。





















たった十六年ぽっちの人生で、多くのことを諦めてきた。


平凡な学校生活、友達を作ること、恋愛をすること。家族団欒、旅行に行ったり、毎晩食卓を囲むこと。

ホームドラマで見るような光景が、私には何よりの理想だった。けれど、現実はそうもいかない。


「お帰りなさい、お嬢」

「ただいま」


目の下に、鮮烈な傷痕が残っている眼前の老人。それは顔に刻まれた多くの皺でも覆い隠すことのできない存在を主張している。彼曰く、かつて抗争で私の父を庇った際にできた傷だという。もう一センチズレていれば失明は免れなかっただろう。それ以来父は彼への信頼を厚くし、今なお側近としてこうして側に仕えている。


都内某所。高層ビルが立ち並ぶ都心の一角に悠々と横たわる純日本家屋。その門構えは入るものを怯ませ、ひとたび中へ入れば当主のお眼鏡に敵わなければ二度と出ては来られないだろう。指定暴力団。いわゆるヤクザ。そこが私の実家だった。


当然、そんな私が平凡な生活を送れるはずがなく、小さい頃はまだよかったものの、物心がつくと、気づくと周囲の人間は私から離れていった。またはあからさまに媚を売るか。私がマトモな人生が送れないな、と悟ったのは、小学生の頃、好きだった男の子が私にちょっかいを出して私が少し擦り傷を負った時のことだ。それを聞いたクラスの担任はすぐ様双方の親に連絡し、駆けつけた相手の親が子供の見ている前で私に向かって土下座したことだ。


この瞬間、ああ、私の人生に“フツウ”は存在しないのだと知った。まさか小学生にして好きな男の子の親に土下座をさせるとは思いもしなかった。自分の母親がクラスメイトに頭を下げる姿を、彼はどんな思いで見つめていたのだろう。今となっては知る由もない。


父の側近が軽く頭を下げる横を通って縁側へ出る。家主に反して美しく整備された日本庭園は厳かな空気を纏っている。その突き当たりに私の部屋はある。スラリと障子を開くと、家の雰囲気に似つかわしくない洋風な部屋が広がっていた。そこが唯一、私の落ち着ける場所。


カバンを置いて、制服のネクタイを解く。ジャケットをハンガーに掛けて、ワイシャツのボタンを三つほど外す。ふと姿見に目をやると開いた襟の奥に赤黒い痣が咲いているのが見えた。そして首に下げられた細いネックレス。それを見て目を細めて、ペンダントトップをぎゅっと握る。







『………痛い、やめて、やめてよお兄ちゃん、』


私には兄が二人いた。一つ年上の竜胆と、二つ年上の蘭。竜胆はことあるごとに兄、蘭の背中を追うように真似をしたがり、蘭もそんな竜胆をけして邪険にはせず、気づけば二人はいつも一緒に行動していた。けれど二人は妹の私のことは眼中になかった。竜胆には存在を無視され、たまに口を開いたと思えば邪魔、地味、ブスなど短い暴言を浴びせられ、兄の蘭はというと事あるごとに無意味な暴力を振るってきた。


初めはほっぺをつねるくらいから始まり、髪の毛を引っ掴まれ、軽く平手打ちされ、突き飛ばされ、噛みつかれ、殴られた。私の体は年中痣だらけだった。それも一度で大泣きするような致命傷を与えることはせず、何度も何度も鈍い痛みを繰り返し、私の表情が徐々に歪み、ついに耐えきれず涙を流すと兄はまるで天使のように優しい笑顔を浮かべてゆっくり私の頭を撫でてくれるのだ。

まるでよくがんばったねと妹を褒めるように。


そんな兄たちは二年前家を出て行った。それは彼らが約五年前起こした、傷害致死事件について少年院での刑期を終えたのと同時期だった。幼少期から実の妹に対してそのような残虐性を見せていた兄たちなので、深夜に街に出ては喧嘩三昧、気づけば一人の人間を二人がかりで殴り殺すという鬼畜外道ぶりを発揮しても何ら不思議ではなかった。

ただ、ヤクザの息子とはいえ彼らの残虐性は常軌を逸していた。本来第一、第二子共に男児であれば跡取りとして適任な訳だが、適齢期である十八歳という年齢になってもなお父が彼らを自由にさせているのは父でさえ奴らを御し切れないと悟っているからだろう。その実、組内部でも彼らの跡継ぎを反対する派閥もあったくらいだ。

その結果、第三子、長女である私が他の組の跡取り息子と婚約することにより組を統合、組員の数も倍以上に膨れ上がり父も安泰と言うわけだ。このネックレスはその息子からの贈り物。特別彼が好きだとか嫌いだとかいう感情はない。ただ、私は、この十六年ぽっちの人生でただの一度も自分の意思で物心が進むことも、望むものを手に入れることもなかった。利用されて、搾取されて、弄ばれて、蔑まれて。


ヤクザの娘と呼ばれ、人殺しの妹と呼ばれ、今度はヤクザの妻と呼ばれる。平凡な生活も私には夢のまた夢。私がこの十六年間で覚えた術は、全て受け入れる振りをして諦めて、ほんのり笑顔を浮かべて日々をやり過ごすことだけだった。いつか私をヤクザの娘と知らず付き合った男の子がいた。彼は私に言った、君のその優しい笑顔が素敵だね、と。その笑顔は計らずしも私を虐め抜いた兄のものとそっくりだった。




「ーーナマエ、兄ちゃんが帰ったら玄関まで迎えに来て“お帰りなさいお兄ちゃん”だろ?」




ギシリ、大きく重たい一歩が縁側から部屋の中へ侵入してくる音がする。同時に、耳にこびりついて離れない低音が鼓膜をくすぐった。振り向くとちょうど長男、蘭が私の部屋の敷居をくぐるところだった。背の高い彼には少し窮屈そうに見える。私は思い起こしていた過去の記憶と、突然現れた現実に処理し切れない脳味噌がバグを起こしてぼんやり彼がこちらへ近づいてくるのを見守ってしまう。


「………兄、さん。帰ってたの」

「返事は?」

「……は、い。お帰りなさい、お兄ちゃん」

「迎えに来なかった罰」


手のひらが頬を打つ、乾いた音が部屋に響いた。さすがに加減はされている、けれど打たれた箇所は熱を持ったようにジンジンする。頬を押さえて顔を上げるとさらに兄はにっこり笑って近づいてきた。思春期の妹の部屋だとか、久しぶりに会ったのにこの暴挙だとかの常識は兄には通用しない。穏やかな笑みを目じりと口元に浮かべて目の前に立ちはだかる兄は、ネックレスに視線を落とすとそのチェーンを思い切り引っ張った。チェーンが切れるほどの力ではないためまるで体を持ち上げられるように前のめりになる。張ったチェーンがうなじに食い込んで痛い。



「なんだこのダセェ首輪。」



冷たく言い放った言葉とともに引き千切られたネックレスチェーン。別段気に入っても大切にしてもいなかったけれど、こんな形で終わりを迎えるとは思っていなかった。兄の手の中に落ちたそれは無残に放られ、その代わりに彼の手は私の前髪を掴む。そのまま壁際に追いやられた。


「どこぞの組の跡継ぎと婚約するんだって?馬鹿じゃねえの」

「い、っ、」

「お前さァ、自分の意見とかない訳?」


壁に抑えつけられて前髪を引っ掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。先ほどまでの笑みは消え、冷たい表情でこちらを見下ろす兄にまた穏やかな絶望を感じる。

自分の意見だなんて、そんなものはとっくに千切って丸めてゴミ箱に捨てた。この家に生まれたことも、人殺しの兄たちのために望まぬ結婚をさせられることも、そうでなくとも私に自由と幸福は訪れないことも、ずっと、ずっと、物心ついた頃から知っている。

私を覆う兄の影の中、ぼんやりと彼の目を見上げて少し微笑んだ。それを見た兄は表情を変えることなく私の開かれたワイシャツの襟のその内側へ手を伸ばした。そしてその奥に眠る赤黒い未だ消えぬ痣をなぞった。








『………痛い、やめて、やめてよお兄ちゃん、』



ある日の夜だった。ナマエあーそぼっ、上機嫌の兄が私の名前を呼んで部屋に入ってきたらそれの始まり。幼い私は何度も体に教えられた痛みを思い出して強張るも、この頃にはもう逃げ道はないのだと理解していた。

しかし、その日の兄は普段と違っていた。スラリと開いた私の部屋の襖の先で、相変わらず穏やかな笑みを浮かべる兄はそのハイトーンに染めた髪や白のスウェットを鮮血に染めていた。日夜喧嘩三昧だった彼らなので返り血を浴びた姿を見たことがない訳ではなかったが、その日の兄は雰囲気が違っていた。絶望に似た諦めの中に、ほんの少しの警戒心がわく。



兄は鼻歌を歌いながら部屋で読書をしていた私の両手をとって、導くように椅子から立ち上がらせると思い切りフローリングの床に叩きつけた。普段は軽く頬を叩いたり、つねったりとスキンシップから始まるのだが、その日は唐突な暴力に驚いて理解が遅れた。手で支えてなんとか顔は守ったけれど床に面した剥き出しの肘や関節が痛い。這いつくばるような形で倒れた私が大勢を立て直す暇も与えず蹴りが降ってくる。何度も完治しかけては同じ箇所を攻撃され、鬱血し紫色になった痣に鈍い痛みが走る。


『っ、……』

『おーーよしよし。いい子だなァ。従順で偉いねェ。』

『…っ、い……』


『でもつまんねえ』


髪を引っ掴まれて体をひっくり返される。はだけたカーディガンの下のキャミソールから覗く肌は至るところに痣と赤黒い噛み跡が残されていた。何度も、何度も同じ場所をえぐる。兄の暴力が、上書きされて永遠に消えず私の肌に残るように。


『…………』


無表情で私を見下ろした兄は返り血も相まってか何か別人のように見えた。そして私の頭の中では諦めの中にまだほんの微塵ほど残っている自己防衛本能が、小さく警笛を鳴らしている。ふいに手を伸ばした兄がぐり、とピンポイントで噛み跡をえぐってきた。薄く張った瘡蓋がまたも壊されて血が滲み出る。痣も、何箇所も。同じように全て。無表情で淡々と繰り返される行為は作業的で自分のマーキングを確認しているようだった。



『………っ、痛い、やめて、やめてよお兄ちゃん、』



絶え間なく襲ってくる痛みのあまり、ついに言葉と涙が決壊した。私の言葉を聞いた兄はぴくりとその動きを止め、私に顔を近づけると舌先で目じりを舐められた。涙を舐めとったのだと理解はしたが、まるで眼球をえぐられるかのような恐怖を感じた。そして兄は再びあの、天使のような優しい笑みを浮かべて私に悪魔のような言葉を吐くのだ。



『じゃあ、痛いのはやめて、兄ちゃんときもちいことする?』









あの時の痣がまだ、消えずにいくつか残っている。兄と関係を持ったのはあの夜が最初で最後だった。その後知ったのはあの夜、兄たちは殺人を犯した後だったと言うこと。私はその鬱屈とした興奮のはけ口にされたのだということ。あの時のように、兄は自分のつけたマークを確かめるように私の肌をえぐる。さすがにもう血は出ないが、ピリリとした鮮烈な痛みが走る。

兄の目を見据える。お互いの眼球に、お互いの姿が映る。息がかかるほど近い。彼のうっすらと開いた形の良い薄い唇が、私のそれに噛みつきそうな距離で兄は言葉を紡いだ。




「お前の、その顔がさ、なんも望まねー咎めねーカミサマみたいでぶっ壊したくなる」




目の奥を覗き込むように言った兄の表情を、ぼんやりと私そっくりだと思った。

痛くて、怖くて、けれど空っぽな私の中に鈴が転がるように、私はカラカラとした乾いた笑みしかこぼせないのだ。それが、私が選んだ生きていく術だった。それは間違いだったのか、もっと泣いて喚いて、彼を幻滅させられれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。


何度目かの人生が狂う音がする。兄が再び古傷に歯を立てる中、フローリングに落ちた千切れたネックレスをぼんやり見つめていた。





カミサマはぼくのもの


23102020



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