※ 蘭が酷いです。少し暴力描写、オリキャラ注意。苦手な方は観覧をお控えください。
























『やばくね?』



その一言と一緒に送られてきたのは子犬の動画。ポメラニアンが無邪気に遊んでいる。それを見て思わず笑いがこぼれた。その動画にも、それを見て私に送ってくれた彼にも。心がほっこりする。けれど、今の私はその動画よりも向き合わなきゃいけないことがある。




「絶対ロクなヤツじゃないって、その男。やめときな。」




一体あれから何度その台詞を聞いただろう。黙ってその言葉を右から左に聞き流していたら期間限定の美味しいコーヒーは無くなってしまった。プラスチックカップの中で氷の底に沈む飲み残しをガシガシとストローでかき混ぜたなら思いの外大きな音が鳴った。まるで私の心を表しているみたい。



「………でも、リカちゃんはまだ会ってもいないじゃん。想像だけで悪い人って決めつけるのは良くないと思う。それに、こないだは差し入れって人気店の数量限定のマカロン差し入れてくれたんだよ!!すごく優しくて穏やかな人なの。ねえ、友達だからこそわかってほしい。彼はいい人なんだよ」


「………そんな、モデルみたいなイケメンが初対面の平凡な古着屋の店員を誘う?それに、まだどんな奴かもハッキリしてないんでしょう?そんな奴の誘いにホイホイ着いてくのが心配だって言ってんの!!」


「…………だから、どんな人か確かめに行くんじゃない、………蘭さんを」




服飾学校の放課後。私は友人と某コーヒーチェーン店を訪れていた。注文したのは夏の期間限定フレーバー。ブルーハワイ。それももうすっかり溶けて氷と混ざって汚い泥水みたいになっている。その間話していたのは一貫して同じテーマ。私が約一ヶ月前にバイト先で知り合った灰谷蘭さんについてだ。


あれから数回店を訪れた蘭さんはいつも彼に似合う、センスの良い古着を数点買って行って、そして時には私へ差し入れと称してお洒落なお菓子を持ってきてくれた。大学生。弟と二人暮らし。メールでは何度もたわいも無いやり取りをした。二人で食事をしたり、古着屋巡りをしたこともあった。特別すぐに体の関係を迫られることも、ましてやお金をせびられることもなかった。彼は極々普通の、いいえ、とても素敵な優しい人だ。

そしてつい先日、そんな蘭さんから今度家においでよ、とお誘いを頂いた。私は散々悩んだ挙句勇気を出して肯定の返事を出そうとした。その経緯を知る友人、リカがストップをかけるまでは。それをリカは理解してくれない。理由を聞いても勘だとか根拠のないことを言う。時間だけが無駄に流れてゆく。


「…………ナマエ。私はナマエが心配なの。アンタは簡単に他人を信用しすぎ。世の中には、いい人ぶった悪人なんか山ほどいるんだよ?」


「…………心配してくれてありがとう。でも、私、蘭さんのこと、好きだから………」


「………ナマエ」


友人、リカは時々言う。私は世間知らずだと。たしかに数ヶ月前までの私はド田舎の狭いコミュニティで育ち、狭い世界しか知らなかった。東京に来たばかりの時は土地や野菜の値段に驚いたし、キャッチのお兄さんは全員ヤクザに見えた。

でも蘭さんはどうだろう。蘭さんは素敵だ。にも関わらず驕らないし、いつも穏やかで優しい。それに私と同郷であり、好きなものも同じという共通点もある。まだ出会って日は短いけれど、彼女、リカと初めて会った時のようにこの人は信用できる人だ、と感じるのだ。そしてそれ以上に私が彼に惹かれていた。彼は悪人じゃない。そして私ももうただの田舎娘じゃないんだ。



「私、やっぱり蘭さんを信じてみる」


「…………わかった、勝手にしなよ」



私は最後の望みをかけてリカにキッパリと自分の気持ちを伝えた。どうか、大切な友人に私の気持ちを理解してほしい。けれどその願いは受け入れられることはなかった。

リカは眉間に皺を寄せ、私の目を見ようともせず自分の分のお会計をテーブルに置いて席を立った。私は追いかけることはしなかった。何故なら、私はまだこの時、自分の考え、そして行動に何一つ間違いはないと信じて疑わなかったから。


一人残されたテーブルの上では、汚く溶けたブルーハワイのコーヒーが、そのカップの底に不快な水溜りを作っていた。それを見ながら私は蘭さんへ肯定の返信を送るのだった。














「………お邪魔、します……」

「どうぞ〜〜。今弟出かけてるから寛いでいいよ」


六本木、駅から徒歩10分圏内の高層マンション。その最上階。エントランスからもう雰囲気が違った。蘭さんのあっけらかんとしたウェルカムの言葉とともに案内されたのは白を基調とした広々としたお部屋。否、どうやらこのフロア丸々彼らの住居らしいので部屋と言うよりもはや一軒家に等しい。

きちんと用意されたスリッパをはいて、やわらかい照明の通路を抜けると大きく開けたリビングダイニングへ出た。このスペースだけで30平米はあろうかという広さ。加えてモダンな家具や観葉植物がお洒落。掃除もキレイに行き届いている。


「なんか飲む?」

「ええと……お構いなく……」

「何だそれ。んじゃーミネラルウォーターでいい?コーヒーとか淹れんのめんどくさいし」

「はい!はい!何でも!」


私の返事に軽く笑って蘭さんはキッチンで飲み物の用意をしてくれる。少しの間一人になった私は失礼かなとも思いつつチラチラと辺りを見回す。まるでモデルルームのような部屋だ。お洒落で整頓されていて生活感がない。蘭さんも弟さんも大学生と聞いていたけど、もしかしなくてもきっとご家庭はとても裕福なのだろう。さっきのコーヒー淹れるの面倒くさい発言からすると家政婦さんでも雇っているのかも。



「なに。じろじろ見て。」

「わっ!?す、すみません……!!すごく立派なお部屋なので……その、掃除とか大変そうだなと思って」


「ああ。親の持ち物だよ。掃除はハウスキーパーがやってる」

「はあああ………」


「つーかハイ。水。」


「あっ。ありがとうございます!」



高級そうなグラス(ガラスが薄い……!!)を手渡されて慌てて両手で掴む。その中身はシュワシュワと音を立てていて、てっきり水道水的な水を想像していた私はこれはお洒落な水……!!とミネラルウォーターにすら感動してしまった。

そのまま蘭さんは自分のグラスを持って流れるようにソファーへ腰掛けた。私はグラスを両手で掴んだままどう立ち回ればいいかわからずその場で立ち尽くしてしまう。ややあってソファー越しに蘭さんがこちらに視線を寄越す。その優しく垂れた目じりにどきりとした。



「なにしてんの。早く座れば?」



どっ、と心臓が大きく脈打つ音が聞こえた。私は返事もできずにとにかく小さく頷いて彼の元へ向かう。ガラスのローテーブルにグラスを置いて、ゆっくりと彼の隣へ腰掛けた。皮の冷たい感触がそろりと膝裏を撫でる。


「なんでそんな離れてんの。ソーシャルディスタンス?」

「い、いえ、そんなつもりは」

「いいからこっち来なよ」



人一人が座れるほどのスペースを開けて座った私に、蘭さんは冷たい視線を投げかけてきた。そして下手な釈明をする私を意に介さず蘭さんは私の腕を掴んでぐっと引き寄せた。途端にゼロになる距離。薄々思っていたけれど、外で会っていた時の蘭さんと今日の蘭さんは少し違うみたいだ。その優しい目元や口元は変わらないのに、少し強引で意地悪な色を呈している。


「もしてして緊張してる?」

「………いや、………その………はい………」


どストレートに投げられた質問は私の顔を耳まで真っ赤にして。相変わらず蘭さんに掴まれたままの腕はまるで自由を奪われたように逃してくれないし、俯く私の顔を面白そうに覗き込んでくる彼の表情はいつにもなく意地悪で愉しげだ。そしてようやく蚊の鳴くような声で絞り出した答えに蘭さんは喉の奥で笑った。



「その割にはお洒落してきてんね」



蘭さんの長い指が、そろりと私の耳殻を撫でた。それに大袈裟なほど肩を揺らしてしまう。蘭さんはまたくつくつと笑う。彼の指は私の耳の形を確かめるようになぞり、こちらに来て開けたばかりの、ピアスの穴をくすぐるようにしてからお気に入りのそれを軽く揺らした。

彼の視線が、念入りにブローしてゆるりと巻いた髪に、ビューラーとマスカラで大袈裟に盛った睫毛に、彼が以前店に訪れた時、似合いそうだと言ってくれたワンピースに、這うようにまとわりつく。まるで恥ずかしいと拒みながら、その実期待して来たのを見透かされているようで羞恥心で泣きたくなった。



「はは、かわい」



たったその一言が、どくりと私の心臓をざわつかせる。余裕の笑みを浮かべた蘭さんは有無を言わさず私の目を覗き込むように距離を詰め、私がそのことに察してぎゅっと目を瞑った瞬間には彼の薄く形の良い唇が私の唇を奪っていて。噛み付くようなキスから気づけば舌をねじ込まれていて、上手く息のできない苦しさと、初めて感じる他人の舌の生々しい感触にすがるように彼の洋服の肩口をぎゅっと握っていた。



「ガッチガチじゃん。うける」



ややあって唇が離れた途端、肩で息をする私に蘭さんは笑う。それは、そうだよ。なんたってファーストキスだし。けれどそんな意地悪な笑みにきゅんとしてしまうからもう相当蘭さんが好きなのだと思う。そんな私を面白そうに観察する蘭さんはあんなキスの後だと言うのに何もする気配がない。まるでさあ続きを望むならどうぞと言わんばかりの雰囲気。相変わらずほんのり浮かべた優しい笑み。


本音を言うと、すごく怖い。すごく怖いけど、でも、この人になら身も心も許したいと思ってしまう。私の動向を探るような視線を向ける蘭さんに、意を決して自分から触れよう、と手を伸ばした時。



「ーーーうわ、サイアクのタイミング。」



テーブルに置いていた、彼の携帯が鳴った。どうやら着信らしい。特に表情を変えず淡々と言った蘭さんだったけれど、それなりにイライラしていたらしく舌打ちをしながら通話ボタンを押した。そして相手と話しながらリビングダイニングを後にする。


残された私は強張っていた肩の力を抜いて一気にリラックスした。深呼吸をする。まだ心臓はバクバクとうるさい。そして不意に唇をなぞって、彼の唇の感触を思い出した。そして羞恥で死にたくなる。



「〜〜〜〜〜!!!!」



声にならない叫び声を出して、私はソファーのクッションに顔を埋めた。自分の家じゃない、蘭さんの家のにおいがする。そして先ほど香った蘭さんの髪の、シャンプーのにおいや香水のにおいが混じったものが、彼のにおいとして記憶されて思い出すたびにクラクラする。そして幸福がこみ上げる。


こんなに素敵な人と、自分の好きな人と触れ合えるのはなんて幸せなんだろう。そして蘭さんとの関係が古着屋の客と店員から恋人同士に変わった時、きちんと友人に報告し、認めてもらいたい。そう改めて思った。そこで、不意に自分の携帯もメールを受信した時のライトが点滅しているのに気づいた。しかしよく見ると何度も不在着信。その相手は全て友人、リカからのものだった。



『ナマエへ。“灰谷”って名前を聞いて引っかかったから調べてみたんだけど、某インターネット掲示板で噂されてる六本木の灰谷兄弟じゃないかと思ったんだ。未成年だったから実名は伏せられてるけど、五年前傷害致死で少年院送りになってる。ナマエ!!このメール見たらすぐに折り返し電話して!!灰谷蘭は、人殺し』





「なに見てんの?」





しゅるりと、首筋に落ちてきた三つ編みが私の肌をくすぐって粟立てた。見上げるといつの間にか背後に立っていた蘭さんがこちらを覗き込むように私の上に影を落としていた。彼の目は、今までと同じように優しい笑みを湛えていて。それなのに私の体は硬直したようにぴくりとも動かなくて、辛うじて機能した喉だけがやっとの思いで唾を飲み込んだ。



「あーーあ。案外バレんの早かったな。アンタ、トロそうだからその手の情報遅ェと思ってたのによーー」



相変わらずほんのりと浮かべた優しそうな笑みは崩れない。けれど彼の言葉はまるでこのメールの内容を肯定するかのようで。信じられない、そして信じたくない気持ちが言葉にできなくて喉の奥でこんがらがって吐き出すことも飲み込むこともできない。

ただ、ただ、彼を見上げる私の目を覗き込んで、蘭さんは一段と優しく目を細めてこう言った。




「いいね。その目。初めて信じてた人間に裏切られた気分はどう?」




目の前が、くらりと暗転したようだった。魅力的だと感じていた彼の長身が、優しい目が、穏やかな微笑みが、全て恐怖に変わる。私が身も心も許したいと信じたこの人は、人殺しで、そしてそれについて罪の意識を感じることもなく、そして私を裏切ったと、彼ははっきりとそう言ったのだ。



「…………」



思考停止した私の脳だったが、不意にこちらへ伸ばした蘭さんの手を、条件反射のように払い落としてしまった。そこで初めて見た、彼の冷たい、冷たい視線にぞくりと背筋が凍ると同時に身の危険を理解した本能が私の体を出口の扉へと誘導させる。けれどそんな私の動きを見切っていたかのように彼は私の髪の毛を掴んで無理矢理ソファーへと引き倒した。あまりの痛みと衝撃に私は涙を浮かべながらソファーに沈むしかない。

見上げると、冷めた表情を浮かべてこちらを見下ろす蘭さんの影がゆっくりと落ちてきた。彼の手には先ほどの衝撃で抜けたであろう私の髪の毛が握られていて、それらは塵芥を捨てるが如く綺麗に掃除された白いフカフカの絨毯の上に捨てられた。



「っ、な……………なんで、こんな、……なに、何が、目的、ですか」


「目的?特にないけど。強いて言うならアンタのその、ぬくぬくと育って人を疑うことも知らねーような目がさ、ゆっくりと濁って絶望に染まるのを見るのがゾクゾクするよなって話だよ」


「…………???、………は………なに……意味、わかんない」



引っ張られた頭皮がジンジン熱を持つように痛い。蘭さんの影が、三つ編みが、私の上に落ちてくる。その光景は心のどこかで待ち望んでいた筈なのに、今はただただ恐怖でしか感じない。

彼の紡いだ言葉は一ミリ足りとも理解できなかった。特に目的もなく、息をするように嘘をついて、他人を騙して、暴力を振るって、優しい笑顔で他人の破滅を望む人間がいるだなんて、今まで二十年近く生きてきてそんなこと思いもしなかった。今はただ、あの時友人の忠告に耳を貸さなかった自分の浅はかさと、好きだった人に裏切られた絶望と、この、目の前の状況に対する恐怖とかないまぜになって思考が上手く機能しない。




「大丈夫。こんなの序の口ってくらい地獄に落としてやっから。安心して」




そう、優しい笑顔で悪魔のような言葉を吐く、灰谷蘭という人間を初めて少し理解したところで、私の体は真っ逆さまに地獄へ落ちていくのだろう。浮かべた涙は喉の奥の笑い声とともにそっと、優しく彼の指で拭われた。





はじめて触れる悪意

15102020



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