※ 単行本7巻のネタバレを含みます。


家族が寝静まった頃、そっと玄関の扉を開けて夜の街へ出る。耳当てのついたニット帽。裏地のしっかりしたカーキのコート、長くて太い水玉のマフラーをぐるぐる巻いて、歩くたびに踵を鳴らすエンジニアブーツを履いた。

わざとらしく息を吐き出せば外がどれほど寒いのか教えてくれた。背中を丸めてポケットに手を突っ込んで、口元をマフラーに埋める。晒された頬が冷たい。時々、その痛みを感じたくなる。冬の夜風にさらわれて、遠くに浮かぶ街灯やガソリンスタンドの明かりをぼんやり目指してみたくなる。


近くに架かる高速道路では今でも長距離トラックなどがそれなりに走っているのだろう。見上げた夜空は何の代わり映えもなくまばらな星が控えめにその存在を主張しているだけだった。

近所のガソリンスタンドにある、自動販売機。そこが自宅から一番近い。買うのは決まってボスのカフェオレ。もはやコーヒーの味もミルクの味も忘れてひたすら甘いなあ、と思えるそれが冷えた体に染みる。


白い息を吐いて背中を丸めながら目指す深夜のガソスタの自販機。何の意味もない。カフェオレを買って飲み干せば私は眠りについてまた新しい朝が来る。それなのに時折、この夜に逃げ込みたくなってしまうのは何故なんだろう。何から逃げたいのか、答えがなんなのかなんてもうずっとわからない。


ただ、この身を寒空の下に晒して、一心不乱に毒のようなコーヒーを飲み干すことが、私にとってとても重要なことなのだ。


二十四時間営業のガソリンスタンドは奥に店員がいるとはいえ、昼間とはうって変わって閑散としている。頭上のライトや、事務所、自動販売機の青白い明かり。店員は私が来たことに気づかずスマホゲームにでも興じているようだった。

時折まばらに側の国道を車が走り抜けてゆく。みんなどこへ向かうのだろう。私はそれを横目で見ながらいつもの自販機のボタンを押した。カフェオレが転がり落ちてくる音がする。私が取り出し口の蓋を開け、手を突っ込んだ頃に、一台のバイクが滑り込むように給油スペースに入ってきた。頭上のライトに照らされたバイクは艶やかに光り輝いていた。とても丁寧に手入れされているようだ。美しい黒。


缶を取り出した私は手のひらで一、二回キャッチボールをするように転がした。停車したバイクから降り、ヘルメットを外したのはずいぶん若い男の子だった。高校生……ひょっとすると、中学生かもしれない。バイクのことはよくわからないけれど、お父さんが通勤で使うそれとは全く違うものだ。


不意に目が合う。白のセーターにカーキのMA-1を着込んで、しっかりマフラーを巻いている。股上の深いパンツに、ごついブーツ。刈り上げた金髪。青い目。どうやら大人しいタイプではなさそう。



軽くお辞儀をすると男の子も返してくれた。そして彼はブーツの踵を鳴らしながらこちらに近づいてくる。きっと彼も飲み物を買いに来たのだろう。そう思い私は自販機の隣にある長椅子に移動した。小気味良い音とともにプルトップが開く。一口飲んで、息を吐き出せばさらに白む。隣では迷うことなくボタンを押した気配と、缶が落ちてくる音。果たして何を買ったのだろう、と視線をよこせばコーンポタージュだった。もう一度彼と目が合う。



「隣、いいすか」

「どうぞ」



背後にある事務所の奥からはYouTubeか何かの音楽が聞こえてくる。どうやら店員は本格的に仕事をする気がないようだ。それと時折通る車の排気音をBGMにして私たちは静かにそれぞれの飲み物を飲んだ。二酸化炭素だけが、吐き出されて空に昇っていく。


彼はコーンポタージュの、缶にへばりついた最後の粒をどうやって食べるのだろう。スカしたフリしてそのままゴミ箱に捨てるのかな。それとも何回も天を仰いで缶の底を叩いて意地でも食べるのかな。私は、ゆっくりと静かに嚥下して最後の一口を飲み干した。この男の子は何だって深夜に、こんな辺鄙なガソリンスタンドでコーンポタージュを飲んでいるのだろう。私も、なんでわざわざ厚着して徒歩でボスのカフェオレを買いに来て飲んでるんだろう。


理由も名前も知らない私たちは、明日、どんな朝を迎えるのだろう。




「コーンポタージュ、飲み口の下を少し潰すとキレイに最後まで飲み切れるみたいですよ」



ベンチから立ち上がり、ゴミ箱に空き缶を捨てると中でぶつかる鈍い音がした。そう言ってみると男の子は少し驚いた顔をして、それから意外と意地悪そうな顔で笑って言った。



「それは邪道っすわ」



私もちょっと笑って歩き出した。徒歩で。寒空の下。時折夜道に怯えるように。それでもぼんやりとどこかを目指して。毒のような砂糖とコーヒーと、ミルクで満たされた胃はぽかぽかと内側から体をじんわりと温めて、あの男の子もそうであればいいなと思った。


エンジニアブーツの踵を鳴らす。少し大袈裟に。夜に逃げず、明日に向かっていることを主張するように。どうか、私たちに朝の訪れを優しいものだと思える日が来ますように。そして願わくば彼が、コーンポタージュの粒を下手くそに食べて誰かと笑っていますように。



03102020

ばらばらのストップウォッチをもう一度組み立て直したら虹になる


場地さん亡き後、形見のゴキで千冬がツーリングした話。イメージは穂村弘さんの短歌より。



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