タトゥーをいれる痛みなんて私は知らない。
ネットで調べたところ手の甲は皮が薄いから特に痛いらしい。剃刀で何度も何度も肌を削られる感覚なのだと。罪と罰だなんて、本当に罪人が罰を受けるために痛みを体に刻みつけたようだ。
半間修二は私が受け持つクラスの生徒だ。最低出席日数を下回らないためたまに学校に来ては眠そうにあくびをしていたり屋上や保健室で時間を潰していた。にもかかわらずテストをすれば簡単に学年上位に食い込み、課題もそつなくこなす。その上彼の実家は名のある名家で毎年の学校への寄付金も手厚い。特別彼に突っかからなければ他の生徒に乱暴をすることもないし、教師たちの間では半間修二に関しては目を瞑る。彼が卒業するまでの期間を静かにやり過ごすこと、それが暗黙の了解だった。
「暫く学校に来ないと思ったら、喧嘩でもしてたの?」
「はァ、まぁ、そんなとこ」
「今月は残り毎日来ないとヤバイよ」
「だりィ」
口元にアザ。まぶたもほんのり腫れている。一部金髪に染めた髪。整髪料。着崩した制服にピアス。そして両手の甲のタトゥー。道ゆく人が見て不良だとは思ってもまさか都内有数の進学校に通う高校生とは思うまい。
「……あと、バレてないと思ってるかもしれないけど、煙草、におい残ってるから」
「まじすか。気をつけまーす」
「……」
特別反抗してくることもなければ、暴力も振るわない。初めは誰の言葉もこの子には響かないのだと思っていたけど逆だった。誰もこの子に本気でぶつかろうとしないのだ。もしかすると彼の両親もそうなのかもしれない。特別な問題さえ起こさなければ好きにすればいい。必要最低限のことさえしていれば、好きに、すれば。誰も自分の世界に介入してこない。自由で、なんて退屈なんだろう。
「……もう教室閉めるから、煙草なら校外で吸いなさい」
「うはっ、センセーの言葉とは思えねーな」
「ええ。だって君も私を先生なんて思ってないでしょう」
必要最低限のことは、親に揚げ足をとられはいよう細心の注意を払い、生徒たちを何事もなく卒業させること。一学年が卒業すればまた新しい生徒たちが来る。その繰り返し。まるでベルトコンベアー上の流れ作業のようだ。いつからそう思うようになったかは忘れてしまった。けれど私は今、教師という肩書きさえあれどこの職業に誇りを感じることはなくなってしまった。
「ウケる。ダル絡みしてくんなよ。何?なんかあったワケ?落ち込んでんなら俺が慰めてやってもいーけど」
「いいからもう帰りなさい。明日もちゃんと来なさいよ。じゃあね」
「先生」
座っていた彼が立ち上がる。ひょろりと伸びた二メートル近い長身。逃げるように教室から出ようとした私の腕を掴んで、制服のポケットから煙草の箱を取り出した。そして一本抜いて私の唇にあてがう。
「あげる。センセーも一緒にしよーよ、悪いこと。」
大きな口を歪めていやらしく笑う。大きな体を少し屈めて覗き込んできた彼の目は、すでに私の心の内を見透かしているようだった。そのまま私の隣をすり抜けて教室を出て行った彼。残されたのは一本の煙草を手に、夕暮れの教室に佇む私だけだった。
「……悪いこと、」
自由で、退屈で、死にそうな世界だから、喧嘩をして、煙草を吸って、タトゥーをいれて。自分を刺激して生きてるって楽しみを感じたいのかもしれない。罪と罰は本当は、受けるものではなくて私たちが欲しているものだったのかもしれない。
この煙草の味を知ってしまったら、今度はもっと大きな刺激が欲しくなる。それでも私はその一本を捨てることができず、スーツのポケットにしまうのだった。
20200920