第一印象は『かわいくねー女』だった。それは今も変わっていない。







「…………オイ、オッサン!!」



呼びかけた俺の声は思いの外周囲によく響いた。

満員電車。まさにすし詰め状態と呼ぶにふさわしい乗車率。にも関わらず、電車の揺れと車輪がレールを走る音だけが響く空間に、突如として若い男の声が弾けた。それも汚い言葉。当然周囲の視線はこちらに集まる。

気まぐれに学校帰りに隣町で買い物でもしようかと電車に乗ってみたらこのザマだ。俺の斜め前には小柄な女が満員電車に揉まれ、さらに小さくなって揺れる人波に耐えていた。その少し後ろ、つまり俺のまた斜め前にはスーツ姿の中年男。そして俺が声を張り上げた理由はというと、このオッサンが目の前の女ーー見たところ中高生だろうか、に痴漢行為をしていたからだ。

俺は声を上げると同時に男の腕を捻りあげようと手を伸ばした。しかし、まだ俺が触れていないにも関わらず、男は情けない悲鳴を上げてその場に蹲ったのだ。

ポカンとする俺にタイミングよく電車は停車駅に滑り込む。少しの揺れを体で感じつつ、降りる乗客、ことの成り行きを傍観する奴ら、そして人混みが少し捌けて男が悲鳴をあげた理由が明らかとなった。



「静かにしてください。折れた訳じゃあるまいし。この駅で降りてもらいますよ」



女だ。さっきの小柄な女が男の小指をこれでもかとあらぬ方向へ曲げている。その絵面は滑稽でありつつ、見ているこちらが痛みを催す容赦の無さだった。女は男の小指を捻りあげながら淡々とそう言って電車から引きずり下ろした。そして駅のホームに降りた時、くるりとこちらを向いた。



「すみませんが、状況証人として付いてきてもらえますか」



そこで俺は初めて女の顔を見た。
なんとも普通な、ともすれば地味で、小柄で、大人しそうな女だった。割りと俺の好みに近い、とも思った。


「…………お、おう」


今の今まで痴漢にあっていたにも関わらず、あまりにも淡々と言うものだから、一瞬誰に言ってるのかわからなくて思わず、俺?と自分を指さした。女は閉まりかけた電車のドアに豪快にローファーの片足を突っ込んで再びドアを開けた。その隙に俺もホームへ降りる。


その後、一切抵抗する気のないオッサンを駅員室へ連れていき、状況を説明して警察へ引き渡した。そこでも女は大人しそうな見た目とは裏腹にハキハキと淡々と事の顛末を述べ、まるで事務作業のように騒ぎは終了した。


ここで俺の頭の中は疑問符でいっぱいだ。あれ?痴漢って、怯えてる女を男が助けて、その後涙ながらにお礼を言われるパターンじゃなかったっけ??

そもそも、俺声はあげたけどオッサンをのしたのはこの女の方だし、こいつ、泣きもしないし俺は目撃者として横で頷いてただけだし……。

あれ??こんな感じだったっけ、痴漢って。



「証言してくださってありがとうございました」

「え、あ、はァ」



ぺこりと頭を下げるその女は本当に、ぱっと見は(こう言っちゃなんだが)痴漢されそうな抵抗もできない大人しそうな女だ。なのになんだこの逞しさは。人生何周目だこいつ。


「私一人じゃ確証が持てなかったので中々確保することができなかったんですが」

「は、はァ(万引Gメンのセリフかよ)」

「あなたのお陰で痴漢冤罪を招く事なく解決できました」


「あー、まあ、そんな礼言われることしてねえけどよ。アンタも大変だったな」

「でも、」


「……??」


見た目のギャップとも相まって女の強さに若干引きつつ、まあ丁寧に礼を言ってくる律儀さはいい奴だな、と思い女を気遣う声をかけた。しかし、次に女が放った言葉もまた、俺の予想を大きく超えてきて。



「でも、あそこで大声をあげるのはあり得ないと思います。もし痴漢が捨て鉢になって刃物や武器を振り回したらどうしたんですか?しかも声をかけられた瞬間、手を引っ込めて痴漢冤罪になることもあり得た。」


「…………ハ???」



相変わらずの澄まし顔で女はまたも淡々と、そしてベラベラと喋り始めた。そしてその言葉はあまりにも、あまりにも正論すぎて俺は間の抜けた返事を返すことしかできなかった。そんな俺を見ても女は顔色ひとつ変える事なく言葉を続ける。



「助けて頂いた勇気と状況説明に協力してくださったことは感謝します。でももし次同じシチュエーションに遭遇した時は静かに確実に犯人の小指を曲がらない方向に曲げましょう。それでは」



ぽかんと口を開けたアホ面を晒す俺を置き去りにして言いたいことだけ言って踵を返した女。


………え、何だ??何が起こった??

俺、痴漢にあってる女を助けたんじゃなかったのか。何で俺が説教されたみたいになってんだ??それに、なんだ、この、助けてやったのに見返りが返ってこなかったような虚無感は。いや、人を助けるのに見返りなんて求めるのはダセエことはわかってるが、もっとこう……涙ながらに可愛く礼を言うだとか、怖かったと不安そうな顔を見せるだとか………




「……ーーーかわいくねえ女ァァァァ!!!!!」




普段は利用しない全く見知らぬ駅で雄叫びをあげた。それが俺とアイツとの初めての出会いだった。



20200731



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