「……オイ家永、この肉……大丈夫なやつだろうな……?」


器に取り分けた肉を箸で持ち上げ、訝しげに問うのは白石。それに家永さんが「馬の腸だ」と説明するとキロランケが今しがた口に入れたものを吹き出した。
なんこ鍋。馬の腸を下茹し、玉ねぎや味噌と煮込んだシンプルな鍋料理。家永さん曰く重労働で栄養失調に陥りがちだった炭鉱夫のために提供された郷土料理なのだという。数人で配膳を終え、みんなそれぞれよそったお椀を手にしているのを確認すると私も杉元の隣の席に着いた。

あたたかい内に食べようと早速口にすれば少し臭みは強いが食べごたえがあって精力のつきそうな味だった。なんだかこの時代に来て食べ物に対するハードルがずいぶん下がった気がする。


「…………。あんたら、その顔ぶれでよく手が組めてるな」


「……」


「特にそこの鶴見中尉の手下だった男…。一度寝返った奴はまた寝返るぜ」


「杉元…。お前には殺されかけたが俺は根に持つ性格じゃねぇ。でも今のは傷ついたよ」


「……私は今でも根に持ってるけどな」


「…だとよ」

「テメーのことだろ」

「お前らどっちもだよ」


軍服の上と諸肌を脱いだ杉元が長いテーブルを見渡してそう疑問を呈した。引き合いに出された尾形はそれに応じるように皮肉を言う。しかしこの場で本当に文句を言うべきは私だろ……とその言葉通り恨み言を言うと二人は責任を押し付け合ったのでそう突っ込んだ。


「……」

「食事中にケンカすんなよ」


「………ごめん」


いつだったか聞いたが、普段の面々の中では最年長らしい白石。血気盛んな若者たちを宥める役割はやはり彼が適任だしこんな時ばかりは頼もしく見えた。そう嗜める白石に素直に謝った私だったが件の二人は自分に非はない、と言いたげにそっぽを向いてしまった。どうやら二人の相性は水と油のようである。


「…いずれにせよ、坑内に月島軍曹の死体がないか確認するまではここから動けんが、死体がなければ絶対に判別方法を見つけなければならなくなる」


「……」

「……そこのところ、どうかな?鶴見中尉の寵児のお嬢さん」


「は、………ちょう、じ」


「……お気に入りって意味だよ」


有象無象が一列にテーブルで食事をする光景は珍妙にして滑稽だが、その人が口を開くとしんと水を打ったように静まり返るのがやはり威厳を感じさせる。おもむろにそう問いかけた男ーー土方歳三に名指しをされ、加えて意図のわからない私が吃っていると白石が助け舟を出してくれた。しかも鶴見中尉の寵児、だなんて間違った認識も甚だしいが、訂正したい気持ちはこちらへ向けられた彼のやさしい目尻に反して鋭い眼差しがそれをさせなかった。


「…判別方法、ですか」

「何か聞いていないか、手掛かりでもいい。この場で第七師団の人間はあなただけだからな」


「……」

「それとも忠誠心があれば口を割るのは難しいか」


穏やかな口調ながらこの男が私に言いたいのは“この場で四面楚歌なのはお前”、“口を割らない場合、お前は鶴見中尉の忠実な下僕だ”ということである。前者はわかっていたことだが、後者は私が鶴見中尉に無理やり従わされていると踏んでの言葉ならけっこう意地悪だ。黙る私を急かすように家永さんが新しい器に鍋の中身をよそって持ってきた。あたたかい湯気とともに味噌の香りが鼻をかすめて食欲を煽るが、この状況下ではそれも煩わしいだけだった。


「……私が見た偽の刺青人皮は六枚。ただ、彼ーー江渡貝くんは二枚の本物の刺青人皮を持っていたからあれがどちらかはわかりません」

「六枚以上はないのか?」

「それもなんとも」

「……なんだよ、じゃ、判別方法も知らねーってシラ切んのかよ」


「いえ、それは手掛かりがあります」


「!!まじかよ、どんな」


「その前に私も聞きたいです。皆さんが持つのっぺらぼうの情報」


いよいよ食事の雰囲気でなくなってきたテーブルに沈黙が落ちる。みんながそれぞれ探り合うように目を合わせていた、のっぺらぼうについての情報を共有すべきか、この女の言うことは信用できるのか、と。そんな沈黙を破ったのはやはり土方歳三だった。


「のっぺらぼうはおそらく、アイヌに成りすました極東ロシアのパルチザンだ」


「……パルチザン…?」


「パルチザンは外国の侵略に抵抗する過激派の民兵組織だ。暴力を伴わないものはレジスタンスと呼ばれ区別される」


「……」

「のっぺらぼうは金塊を奪うと樺太を経由して国外へ持ち出そうとした。その逃走経路や物証から立てた仮説に過ぎないが……満足いただけたかな」


土方歳三が私に与えた情報は、私が期待していたものとは異なっていた。しかしこの場にいる他の誰かが彼の話を訂正するでも、情報を付け加えるわけでもなく、無言で聞いているからにはそれなりに共通の認識なのだろう。もっとも、異なる派閥が入り交じるこの場で口に出せる情報などそう多くはないのかもしれないが。


「…そんじゃ、聞くもん聞いたら喋るもん喋ってくれよミョウジナマエ」


「……」


「今さらしらばっくれるのはなしだぜ」

「わかってるよ……。……江渡貝くんは、墨の色の出方にこだわってた。真皮に沈着した墨の色が透けて見える風味が出せないって。それはおそらく彼が“墨”を使ってたからだと思う」


「………」

「……墨使うのは当たり前なんじゃないのォ?“入れ墨”なんだからさァ」


「うん。刺青に使う墨は顔料だから水に溶けない。でも、肌に透ける色が出したいなら彼は水に溶ける染料を使ったはず。顔料が表面に膜を張って発色するのに対して染料は皮に染み込む。もしその刺青人皮が偽物なら、切った断面に色が染み込んでいるはず」


「!!」

「お、おい!誰か切ってみろよ!」


そう呼びかけたのは白石で、それに反応した牛山さんと家永さんが先ほど見つけた真偽不明の刺青人皮を一部切り取る。そんな事の成り行きを見つめていた私を静観する土方歳三。視線だけをそちらへ動かすと僅かに目を細めて笑いかけられた。なんてイケオジなんだ。


その実、鉢割れの猫が見つけた刺青人皮は偽物だ。二週間もの間、彼の隣で作業を見てきたのだ、本物の刺青人皮の柄は覚えてしまった。顔料と染料による贋作の見分け方は即興で考えたハッタリだが、それも江渡貝くんの話してくれた作品へのこだわりの一つだ。そしてもう一つがキブシの実を使ったタンニン鞣しという製法。私が以前卓上にお茶をこぼした時、急須に触れたサンプルだけが黒く変色していた。後に考えるとあれは鉄染みだ、と思い当たった。キブシの身から抽出されるタンニンが急須ーー南部鉄器と反応したもの。そのどちらかが偽物の判別方法だと思っていた。つまり、この切った刺青人皮の断面に色が染み込んでいなければーー贋作の見分け方は水と鉄になるだろう。


「……染み込んで、ないな。本物ってことか?」


「……」


「誰の刺青か心当たりあるか?牛山」

「………いや……」


「なるほど。これで贋作問題は万事解決ってわけだ。ずいぶん太っ腹な情報提供者だな。感謝するぜ、お嬢さん」


「……」



そう言っていつもの髪を撫で上げる仕草をした尾形が態とらしくそう嘯いた。あまりに迅速な解決とあっさり口を割った私への懐疑心を煽る物言いはこの一件の信憑性を欠く。しかしこちらもまさかようやく手に入れた手掛かりをみすみす披露するわけにもいかない。私も今は一応第七師団の陣営にいるのだから。


「 時にきみは、何故のっぺらぼうを追っている?」

「……私の恩人の、息子がのっぺらぼうだという噂を聞いて、真偽をたしかめたくて。伊藤正一という軍人をご存知ですか」

「……」

「…その情報は誰から?」


「……鶴見中尉です」



私の言葉を聞いた土方歳三と白い髭の老人ーー永倉新八が横目で視線を合わせる。



「イフジセイイチ」


「はい。伊賀の伊に藤棚の藤でイフジと読みます。少し変わった読み方ですが……」


「……戊辰戦争を共に戦った隊士の中に伊藤登という男がいた。歳は二十ほど下だが素直で忠義心の強い男だった。私と同じ多摩の生まれだ」



「……!」


「箱館へ辿り着き、総攻撃の前に私は私の写真と刀を持たせそいつを逃した。絵の才能のある男だったから、それを食い扶持にすればいいと言い聞かせて」


「……そのひとは、」


「西南戦争で死んだ。……そうだな?永倉」



土方の問いかけに永倉は無言で首を縦に振った。その後に「土方さんと再会し、あなたが未だ武士としての誇りを失っていないことを知り武器やかつての同士を探している最中に知りました。西南戦争へ出向くまでは小樽の七ツ屋でしがない暮らしをしていたらしい」、そう付け加えた。
私は彼らの話を聞いて、一気に肩の力が抜けるような無力感を覚えた。女将はあまり自分の話をしなかった。それに対して私もあまり戦争が生んだ心の傷に触れられたくないのだろうとそれ以上言及することはなかった。故に、日清戦争で旦那が死んだ、という白石の話を丸ごと信じてしまっていたのだ。良く考えれば質屋の旦那が軍人とは、おかしな話じゃないか。


「……俺もてっきり日露戦争に次いででかい戦争といえば日清戦争、と思い込んでたけど……そうか、内乱か」


「……でも、平穏に暮らしていたのに……なぜ急に戦争へ……?」


「……ナマエさん、伊藤の倅は今年幾つになる」


「えっ……ええと、……たしか……二十八歳……かな……生きていれば、」


「そうか。西南戦争が起ったのもまた、凡そ二十九年前だ」


「……」


それだけ言うと土方歳三は静かに湯呑みの茶を啜った。私は白石とようやく点と点が繋がった、と顔を見合わせていたのに、土方の言葉は私にとって納得できるものではなかった。加えてこの場にいるほとんどの人間が同じ顔をしていて、ただ土方歳三や永倉新八、そしてキロランケだけがまるで私たちの知り得ないことを理解しているような風情だった。

まさか、子供が生まれるから戦争へ行ったとでも言うのだろうか。これから生まれる子供と、妻を残して。その結果命を落とすことが武士道というのなら私はそれを理解することはできないし、したいとも思わない。



「……奴に倅がいたとは、いい話が聞けたよ。ナマエさん」



低い声で私の名前を紡ぐ、お嬢さん、ではなく私の名前を。そんな男は恐らく、不服と顔に書いてあるだろう表情をする私をどこか穏やかな眼差しで見ていた。そうして食卓は私を残して美術品の贋作師の話へと移行する。西南戦争へ参加していた女将の旦那。そして網走監獄に収監されているというのっぺらぼうはーー、土方の言う通り極東ロシアのパルチザンなのか、それともアイヌなのか。それともーー……。複雑に絡む思惑に炭鉱での頭痛と吐き気を思い出すようだった。そんな私の様子を両頬に傷のある狙撃手が横目で見ていたことなど知る由もなかった。


09072023



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