工房のようなところへ案内されるとそこは部屋中が様々な動物の剥製で埋め尽くされていた。シカやクマ、様々な種類の鳥は天井から吊るされ、ふと隣を見るとサイまでいてびくりと体を揺らした。



「第七師団の迎賓館に飾る剥製を探しに来たのですが…いやしかし噂通り素晴らしい出来栄えで目移りしますな」


「いかに生前の姿を活き活きと再現できるか、剥製屋の腕の見せ所ですね」



例えば日本にいない白クマは皮だけ輸入して芯に被せ、鳥を逆さにする理由は重力で毛や羽がふっくらと仕上がるように、という様々な動物への様々な職人技術を江渡貝弥作は惜しげもなく語ってくれた。彼が剥製について話す姿はとても活き活きしており、彼が墓泥棒かはともかく自分の仕事が本当に好きで誇りを持っていることはよく伝わってきた。


「失礼ですがここで商売をやるほど夕張に剥製の需要が?」


「いえ、主に海外へ向けての注文が多いです。アメリカやヨーロッパ…あっちの金持ちは日本にしかいない動物の剥製も欲しがるんです」


「……」


「自分は元々奈良で生まれたんですが、やはり向こうは気温も高いし梅雨がある。良い剥製作りを追い求めた結果、気温が低く乾燥している北海道へ引っ越してきました」


剥製の技術はヨーロッパから伝わったものだろうし、向こうの気候に比べて日本は高温多湿で剥製作りに向かない環境であることは頷けた。それにこの郊外の広い土地は他人が異臭に気づくリスクを下げることができるだろう。そして鶴見中尉の見立て通りであれば、炭鉱事故で死んだ流れ者の遺体を入手できてこの男にとって願ったり叶ったりの場所だ。
美しくも動かない動物たちの中で一匹、白地に黒の鉢割れの猫がクワッ、とあくびをしたものだから本気でビビった。すかさず「ん猫ちゃん猫ちゃん!!」と鶴見中尉の突っ込みが入ったがそれは一旦無視するとして、意外というかなんというか、猫は剥製にしないんだなとくしくしと顔を擦る猫を見下ろして考える。



「……夕張へはおひとりで?」


「いえ、母がいます。あいにく腰を悪くして奥へ引き篭ってまして……」


「あっ……こらダメだよ…!!」


「ああ、いいですよ放って置いてください。いつものことなので……」



作業台の上で顔を拭っていた猫が突然その後ろ足を蹴り上げて身軽に床へと飛び降りた。しかしその口元には仕事に使うものだろうか、布切れのようなものを咥えていて。慌てて取り上げようと近づくも猫は俊敏に私から逃げ、扉の隙間から外へ出るとひとつあまり可愛げのない声でこちらを見据えて鳴く。私の背後で江渡貝さんがそう苦笑いして放おっておいて、と言ったけれど、私は薄暗い廊下の奥で光る猫の黄金色の瞳に何か呼ばれたような気がしてそのままドアノブに手をかけた。すると先ほどとは打って変わって江渡貝さんが少し怒ったような、慌てたような声色で私を制止する。しかしそんな彼の肩口に手を置き、その動きを止めたのは鶴見中尉だった。



「江渡貝くぅん。キミの落とした手袋を届けに来たよぉ」










照明の点っていない薄暗い廊下を猫の後を追って歩いていた。猫は時折こちらを振り返りまるで私が着いてきているかを確認しているようだった。そうして猫があるひとつの扉の前で立ち止まり、その届かないドアノブを開けたい、と懇願するかのようにその木製の扉をカリカリと何度も爪を立てて引っ掻く。よく見ると扉にはすでに複数の傷跡があり日常から猫はこうして出入りしているのだろうことが窺えた。


「なんでもないよ!!剥製を落としただけだ!!」



そして意を決してドアノブを回そうかと手をかけた時、廊下の奥からそう江渡貝弥作の怒鳴り声が響いた。先ほどまでの穏やかな口調とは全く違う怒声。加えて鶴見中尉でも、私に言っているのでもない第三者へ向けたような言葉だったが、彼の言葉に返事をする者はいなかった。先ほどちらと話に出ていた奥へ引き篭っているという彼の母親へ向けた言葉だろうか。ともかくそんな突然の怒声に動揺した私は握っていたドアノブを思わず勢いよく回してしまい、つんのめった先、僅かに開いた扉の向こうへ猫がするりとその体を滑り込ませる。



「………」



ナア、と扉の向こうで鳴く猫の声につられて、恐る恐る扉を開いた先には暗がりの中に、ぼんやりと浮かぶ人間のシルエットがあった。私は思わず「アッ」と声を上げ、この部屋が江渡貝くんの言っていた母親が引き篭っているという場所だったのかと慌てる。


「す、すみません。猫を追っていたら入り込んでしまって……少し剥製を見にお邪魔しただけなんですが……」


慌てて述べた弁解の言葉は、否定されることもなく肯定されることもなく暗闇の中へ消えた。私は疑問に思い、同時に妙な違和感に着物の襦袢の中で薄らと嫌な汗が流れる。少しして暗闇に慣れた頃、その室内にあるシルエットは一人だけのものでないと気づいた。そうして私が目の当たりにした真実は、その真っ暗な部屋の中で、凡そ十人以上の人間ーー否、“人間だったものたち”が、奇妙なお茶会を開いている光景だった。
私は思わず口からこぼれかけた悲鳴を手のひらで押さえてぐっと飲み込み、恐る恐る部屋の中へ入って扉を閉めた。私がこの部屋に入ったことがあの男に知れたら殺されることは想像に難くなかった。改めて落ち着くために息を深く吸い込むと、先ほどは気づかなかったどことなく生臭い匂いが鼻孔をくすぐる。人間の剥製。まさか人間の体の一部を作品にしているかもとは予想していたが、まるごと剥製を作っていたなんて。先ほど彼が鳥の剥製にしていたようにすぐ隣では人間の頭部がいくつかぶら下がっていて、その内の一人とおでこをぶつけて泣きたくなった。


「……どうしたの、猫…」



そんな中で、私をこの部屋へ案内した猫が再び身軽にテーブルの上へと飛び乗り、一人の剥製の着物を脱がすようにくいくいと引っ張った。私がなんだろう、と暗闇に目を凝らして見ると、その剥製の着物の下にはうっすらとあのもはや見慣れた奇妙な刺青があり、そこで私はやはりあの鰊番屋の泥棒の話、そして墓泥棒は江渡貝弥作なのだと確信する。
以前までの私ならば刺青人皮があったからどうした、と考えていたかもしれないが、今、鶴見中尉に着いていくと決めたからにはやはりこの人皮は引っ剥がして手に入れなければ。お手柄の猫に感謝しつつ、私は多少躊躇したが背に腹は代えられん、と思い切ってその人間剥製の着物に手を掛けて中の刺青人皮を抜き取ることに成功した。


そんな一仕事終えたぞ…!!と達成感に満ち刺青人皮を掲げる私の耳に少し慌てたようなスキップでもするような風情の足音が届いた。途端に私の心臓は寿命が縮んだんじゃと心配になるほど大きく跳ね、手に入れた刺青人皮と、未だテーブルの上で大人しく座る猫を引っ掴んでものすごい速さでテーブルの下へ隠れた。死角になっていて気づかなかったが、何故かテーブルの下にも仰向けの男の剥製がありここはさながらお化け屋敷か、と悲鳴を押し殺して突っ込みたくなった。



「うん!ちょっとね」

「……」

「僕の仕事をあんなに理解してくれるひとは初めてかもしれない。とても嬉しいよ」


「………」


「ちょっと!!やめてよみんな!!」



……いや怖い怖い。誰と話してんの?
勢いよく扉を開けて入ってきたのはやはり江渡貝弥作で、見つかるのではないか、というこちらの心配をよそに彼はどこか高揚していて周囲に気を配る余裕など無さそうだった。剥製しかいない部屋であたかも誰かと会話をしているように振る舞う江渡貝さんは誰がどう見ても異常で、先ほど聞こえた怒声もまたこの部屋の誰かと会話をしていたのだろうと予想できた。彼の頭の中に生きているこの部屋の剥製たちと。


「……わかってるよ、母さん。女性はみんな悪魔の手先だって言うんだろ。気をつけるから……」


「……」


「ちょっと!!だからってそんな汚い言葉を使わないでくれ!!母さん以外は……母さん以外の女性はみんな……」



彼がどんな会話を頭の中で展開しているのかはわからないが、女性、という内容からおそらく私のことについてだろう。初めて会った時のあの優しくもどこか冷たい目を思い出して身震いをした。思わず胸元の猫を抱きしめる腕に力が入り、そのせいか否かナア、とひとつ猫がハッキリと鳴き声を上げた。その瞬間の沈黙を私は永遠にも思える時間のように体感した。全身からどっと汗が吹き出し、心臓がうるさいほど音を立てる。先ほどまで軽快に誰かと会話をしていた江渡貝くんの言葉はぴたりと止まり、その暗闇の中次に何が起こるかわからない恐怖に身を縮こまらせる。



「……ーーあ、」

「こんなところで、何をしているんですか?」



暗闇の中、テーブルの下を覗き込んだその男はーーその顔面に複数の手のひらと、耳とが合わさった悪趣味なフルフェイスのマスクを被っていてーー私はその様相に恐怖のあまり頭の血が一瞬にして下がっていくのを他人事のように感じていた。



12062023



prev | index | next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -