数週間前。私は勇気を出して想い人の影山律くんに告白をした。律くんは学年……ううん、学校でもトップクラスの成績優秀者で、スポーツもできて、生徒会にも入ってて、しっかり者でクラスの男子より大人びてて、私にはキラキラして見えた。
律くんとは小学校からの同級生で、同じクラスにはなったことはあるけれど、あまり喋ったことはない。その頃から私は彼に想いを寄せていて、給食当番とかで話すことがあっても私は恥ずかしくてすぐにうつむいて会話を切り上げてしまった。そんな私にも律くんは他のクラスの子と分け隔てなく接してくれた。そんな律くんにずっと、片思いをしていたのだ。数週間前までは。
「僕でよければ。こちらこそよろしく」
その言葉を今でもハッキリ思い出せるし、考えると恥ずかしくて嬉しくて、顔がすぐに熱くなっちゃうから一人で部屋にいるときにしか思い出さない。
今だってもう、きっと耳まで赤い。なぜだか、本当になぜだかわからないけど私の告白を受け入れてくれて付き合うことになった私と律くん。その日の夜は夢にまで見た律くんとお付き合いができるのだと天にも昇る思いで抱き枕を抱えてジタバタしてた。そして交換してまだ一度もやりとりをしていない携帯アドレスをずっと見つめていた。
けれど。付き合ってもうすぐ一ヶ月。私には気づいたことがある。律くんは意地悪だ。
「……じゃあ、今日も待ってちゃダメかな……」
「うん。いいよ。でもきちんと教室で、大人しくしててね」
そう言って教室のドアをぱたんと閉めた律くん。ゴムの廊下を歩いていく彼の上履きの音が聞こえる。
律くんはこれから生徒会の会議で、私は放課後の教室でその帰りを待っている。がらんとした教室に一人残された私は、ほんのり夕日が差すグラウンド側の窓辺にもたれかかり、練習する野球部の掛け声やボールを打つバットの音なんかをぼんやり聞いていた。
律くんはいつも私に何も言わない。生徒会の会議があるのも今日に始まったことじゃないけど、いつだって律くんは「今日も会議だから」と、それしか言わない。私に待ってて、も、先に帰ってて、もどちらも言わない。私はそれでも律くんと少しでも長くいたいし、一緒に帰りたいからお願いするんだ。「待ってるから一緒に帰ろ。」って。そんな私のお願いにも律くんはいいよ、しか言わない。ぜんぶ私に言わせて、律くんはいつだって勝ち誇った気持ちで笑うんだ。私の大好きな、爽やかな笑顔で。ずるい。やっぱり律くんは意地悪だ。
「影山。今日の会議は……」
そんなことを考えてため息をついていると、急に教室のドアがガラッと勢いよく開いた。振り向くと、そこに立っていたのは徳川副会長で、なんだかいつも威圧的な雰囲気で怖いイメージのある彼の登場に私は思わず背筋がピッ!と伸びる。
徳川副会長は律くんに用事があったようで、彼の名前を呼びながら教室に入ったはいいが無関係の私しかおらず少しバツの悪そうな顔をする。
「すまない。影山はどこに行ったかわかるか?」
「あ……ついさっき会議室に……」
「そうか。入れ違いだったみたいだな」
「……あ、あの。何かあったんですか?」
「ん?ああ……いや、今日の会議は中止だと伝えようとしただけなんだ。今から伝えてくるよ。ありがとう。」
「あ!あの、それなら、私が……」
思いの外優しい口調の副会長だったので、思わず呼び止めてしまった。見た目も中身も大人しそうだとよく言われる私だから、きっと副会長にもそう映っただろう。そんな私が急に大きな声を出すものだから副会長は少し目を見開いて驚いているようだった。そんな反応と自分自身の言動にかあ、と頬が熱くなる。
「え……えっと、その……私、
りつく……じゃなくて、影山くんと帰る予定なので……良かったら、私が……」
「……ああ。君が影山の、」
しどろもどろになりながら言う私に、副会長は合点がいったと言うように納得する。影山の、の先に続く言葉は発されることはなかったが、馬鹿な私でもわかる。まさか副会長にまで私たちの関係が知られているとは思いもしなくて、私は恥ずかしいやら嬉しいやらで誤魔化すように作った曖昧な笑顔がくしゃりと歪んだ。
「そうか。それならすまないが宜しく頼む」
「は、はい!わかりました!」
「……君も大変だな。」
「……えっ?」
副会長から託された任務をしっかり遂行すべく、ハッキリ返事をする。そのまま会議室に向かうべく私も教室を出て、副会長の隣に並んだ。するとそこで思わぬことを言われたのだ。少し哀れむような、けれど興味深げな視線が私に向けられる。背の高い徳川副会長の涼やかで切れ長の目をぼんやりと見上げていると、ふいに廊下の向こう側に人影が落ちるのを目の端で捉えた。振り向くとそこには夕日に照らされた律くんが立っていて、ハッとしたような顔でこちらを見ている。
「律くん……あのね、今日の会議は中止だって副会長さんが、」
「徳川副会長。わざわざありがとうございます。帰るよ、ミョウジさん」
「えっ?ちょっと、律くん……??」
そのままズカズカ歩いてきたと思ったら私の手を取ってさっさと副会長に挨拶をして踵を返す律くんに慌てて声をかける。これじゃあまりにも先輩に失礼だし、それに折角伝えに来てくれたのに……と思いつつも、私は繋がれた手の方に意識がいってしまいドキドキと心臓がうるさく音を立てる。そんな間にも律くんは私の手を引いてどんどん歩いて行ってしまう。せめて私だけでも挨拶しよう、と振り向いて副会長に声をかけた。副会長は律くんの言動に特に怒りもせず呆れもせず、やっぱり少し面白そうな表情をして私たちを見送っていた。
「ありがとうございました徳川副会長!さようなら!」
ああ、と小さく返された返事が夕暮れの廊下に響いた。
☆
「り、律くん……副会長に失礼だよ、せっかく来てくれたのに、」
未だ繋がれたままの手に、手のひらが熱くなり汗でもかいてしまわないかと心配になる。でもそれ以上にドキドキしているし、離したくないとも思ってしまう。そんな気持ちが彼に伝わり、そして意地悪をするように、律くんは繋いでいた手をスッと離した。空気に触れた手のひらは、それが当たり前だというのに律くんの体温を感じないことに違和感を覚えてしまう。名残惜しげに空になった手のひらがきゅ、と空気を掴むようにやわく握られた。
「徳川副会長に何か言われた?」
「え?」
私の言葉に答えることなく、そんな質問をしてくる律くんにきょとんとしてしまう。何の変哲もない通学路。住宅街の、電信柱の真ん前で立ち止まり、律くんは言った。一見するとただの放課後の男子と女子中学生だが、律くんの目は何かただならぬ雰囲気を醸し出していた。こくり、と喉がなる。私は何か、律くんを怒らせるようなことをしたかな。
「な、なにも……ただ、今日は会議が中止だから律くんに伝えなきゃ、って……」
「……ほんとにそれだけ?」
「うん……あ、あと、なぜだかわからないけど、」
「……なに」
「君も大変だな、って言われた」
「……」
思い返すと、ほんとにどういう意味だったんだろうと思う。私が副会長に言われたことをそのまま伝えると、律くんは黙ったまま立ち止まっていた足をくるりと踵を返して歩いていってしまう。そんな彼に焦った。律くんは意地悪だけど、今まで私の言うことを否定したことはないし、むしろ受け入れてくれた。会議終わるの待ってていい?っていうのも、一緒に帰ろ、っていうのも。今まで一度だって、放って帰られたことなんてないのに。
「り、律くん……!ごめん、私なにか気にさわること、」
「……」
慌てて追いかけてその手を取って足止める。正面に回って謝罪の言葉を述べようとしたけど、それは途中で途切れる。なぜなら、律くんが、照れたようにほんのりと頬を染めて、それを隠そうとばかりに顔を手のひらで遮って視線を逸らしていたから。私は初めて見る律くんの表情に、ぽかんと間抜けにも口を開けてしまう。そんな私に律くんはいつもの爽やかな表情とは正反対の、ムッとしたような、中学生男子らしい子供っぽさを湛えた表情をした。私は彼の落ち着いた大人っぽさに憧れたけど、今のような表情もかわいい……とキュンとしてしまう。
「……ど、どうした、の……律くん……?」
「……」
これ以上刺激してはいけないと恐る恐る訊ねると、暫く黙っていた律くんだったけど、やがて観念したように静かに呟いた。その口調はあくまで冷静さを装っていたけど、恥ずかしさは拭いきれないのかけして視線は合わさず言葉だけで伝えられる。
「……君があんまりかわいいから、つい意地悪してしまう、って副会長に言ったんだ」
「えっ……」
「ほんの一度、その場のノリで言っただけなのに、覚えてたみたいだね……」
「……」
そう、ことの詳細を最後まで言ってくれた律くんは、言い終わって余計に羞恥に見舞われたのか、かあ、と頬を赤くする。そんな律くんの様子につられて私まで赤くなる。まさか律くんが、そんなことを思ってくれていたなんて、知りもしなかった。それどころか意地悪だし、少し冷たいとさえ思っていた。けれど、今のこの言葉を聞いてから今までのことを考えると、全ての出来事が嬉しく、そしてかわいらしく思えてくる。私は自分の中に芽生えた新たな感情にドキドキしながら握っていた律くんの手のひらを離す。このタイミングで離したから余計に、律くんは少し不安そうな顔でこちらを見た。その表情に更にドキドキは加速する。
「……律くん。ちゃんと言って?私と今、何したい?」
手のひらを差し出してそう問えば、ごくりと彼は唾を飲み込んだ。その困った顔がかわいいなんて、意地悪をする律くんの気持ちが今わかったよ。