歴史は嫌いだった。だって過去のことなんてどうでもいいし。後悔なんてするだけ無駄だと思っている。


わざわざ遠い過去や修正できない歴史の失敗に思いを馳せずとも、目の前には楽しいことも辛いこともやらなきゃならないことも山ほどある。そう、例えば明日提出の課題だとか。
そんな風に、良くも悪くも量産型の大学生として生きてきた自分が、まさか百余年前の明治末期の、それも未開の地北海道へタイムスリップすることになるなんて、きっとお天道様でも思うまい。






「よ〜〜景気はどうだい嬢ちゃん」


「あれ、こんにちは。今月は早いですね」



すみれ色の暖簾をぺらりと捲り、差し込んだ外の光とともに現れたのは一人の中年男性だった。中年、というより初老という形容のほうが近いかもしれない。男性はいつも鼻先や頬をほんのり赤く染めていて、話せばアルコールのにおいがした。大の博打好きで、過去に借金を踏み倒してヤクザに追われているだとか、人を殺めたことがあるだとか、根も葉もない噂が独り歩きしていたがなんだか憎めないオッサンだった。
というのもこのおじさんは毎月月末になると、純金製の指輪を担保に生活費を借りに来る。控え目な芍薬の花が彫刻されたその指輪は、昔おじさんが奥さんへ贈ったものだと聞かされたが真意は定かではない。けれど、素朴なデザインながらよく手入れされ鈍く輝くその指輪を見ていると、なんだかその話を信じてもいいような気になってくるのだ。何故ならおじさんはこの指輪を必ず次の月には取りに来る。何で稼いだかわからない金で、この可憐な指輪を質受けに来るのだ。


「いつもの指輪ですか?二円五十銭で預かりますよ」


「いや、今日はもっとすげえもんがある」


いつものように台帳に書き込む準備を始めた私の手をおじさんの言葉が止める。もっとすげえもんとは、果たしてなんだろう。また何か悪さをしでかしたのかもしれないと思いつつ、怖いもの見たさで男がちらと背後に視線をやりつつ懐から取り出したそれを目で追った。それは思いの外暈があり、ボロ布で包まれている。開けていいのか、とおじさんに目をやると肯定の頷きが返ってきたので包に手をかけた。


「……動物皮か何かですか?」


「聞いて驚け、ここには埋蔵金の在り処が描かれてる」


包から顔を出したのは動物の皮を鞣したような一枚の地図のようなものだった。触ると少しゴムのようは弾力があり色味はペールオレンジといった具合だ。そこに錆びた青色で奇妙な模様が描かれている。


「………また変なもの掴まされたたんじゃないですか」

「嬢ちゃん、津山三十三人殺しの犯人って知ってるかい」


「なんですか、藪から棒に」


「ソイツは網走監獄に収監されていた。北の果ての難攻不落の刑務所にだ。そこで四年前集団脱獄が起きた。その中にその“津山”もいたんだよ」


「………それがこの質草となんの関係が?」


「それはその津山睦雄から剥いだ皮だよ。刺青の入った、本物の人間の皮だ。それにどういう訳か財宝の在り処が記されてる」


人間の皮。その言葉に思わず掴んでいたそれを放り出した。そして少し冷静になってお客さんの質物だということを思い出してすみません、と一言謝る。
だって、かつて生きていた人間の皮である。牛や豚のそれとは全く違う。

そうしておじさんが語り聞かせたのはにわかには信じ難い重犯罪者の集団脱獄と、その囚人たちの人皮を集めて繋ぎ合わせると隠された金塊にたどり着くというどこのプリズンブレイクかグロいドラゴンボールかと言うような眉唾物の話だった。
しかし目の前にあるこの皮……もとい刺青人皮はたしかに禍々しさというか、単なる動物の皮とは違った質感や様相を呈していた。金塊の話の真意はともかく、この質草が曰く付きだろうことは感覚的に理解したのだった。


「……これを質入れしたい、と」

「金が必要なんだ」

「だったらこの人皮を使って埋蔵金を探したほうがいいのでは」

「何言ってんだよ嬢ちゃん、俺には時間も若さもない」


わかるだろ、と言われて何も言えなかった。この男がどんな人生を歩んできたか知る由もないが、もし自分がこの男の立場なら夢を見ることはできなかっただろう。これは私の昔からの悪い癖で、お人好しというかなんだかんだと情の湧いた人間を信じてしまうのだ。むしろ、騙されていてもいいと思ってしまう。
だから後日質物台帳を見た女将さんにまた得体の知れない物を預かって!!と大目玉を食らうことと知りながら、算盤を弾いて普段の五倍の元金をおじさんへ提示した。そんな私の同情などつゆ知らず、厚かましく「もう一声!」と引き下がってきたおじさんに乾いた笑い声が漏れる。結局さらに一円上乗せした十四円五十銭で刺青人皮は質入れされた。



「ありがとな、嬢ちゃん。また来るわ」



そう言って暖簾をくぐり出るおじさんの姿を見たのはその日が最後だった。後日風の噂でおじさんがヤクザに殺されただとか、今度は樺太本島へ逃げただとか、そんな当たり障りのない話だけを聞いた。おじさんがあの日また来ると言ったのは別れ際の単なる挨拶だったのかもしれないし、本当に来るはずだったのが来られなくなったのかもしれない。真相は闇の中だ。

ただ私の手元に残ったのは(案の定女将さんからのお叱りを代償にした)刺青人皮だけで、私は夢物語のような金塊の在り処よりもあの可憐な指輪が今もおじさんとともにあるかの方が気になった。


果たしてこれが令和四年の東京からタイムスリップした女子大生の現在である。提出予定だった真っ白のレポートだとか、講義の出席日数だとか、ハンターハンターの続きや鍋に残ったカレーが傷まないかなどたくさん心配事はありますが一応元気でやってます、お母さん。


31072021



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