!モブ中学3年生設定です。また、軽いですが性的表現がありますので、苦手な方、イメージを崩されたくない方は観覧をお控えください





















雪が溶けると、桜が咲いて、春が来る。

ほんの数週間前まではひやりと頬を撫でていた空気も、ずいぶんあったかい。

今年も立派に花を咲かせた近所の桜の木が、風に吹かれてひらひらと花を散らす様を見て、今年も春がやってきたと思う。


春は、出会いと別れの季節だというけど、その通りだと思う。なぜなら、



「あ。シゲくんおはよう」



桜の木が見える家の角を曲がろうとしたところ、右手の方から近所の高校の制服を着た女の子が歩いてきた。彼女は僕の姿を見つけるとふわりと笑って挨拶をしてくれた。



「おはようございます。ナマエさん」



僕も挨拶を交わすと、どちらともなく歩幅を合わせて歩き出す。

ナマエさんは、僕の幼馴染みのみっつ年上のお姉さんだ。


「今日から3年生だね。私もだけど」

「はい。……今年で、卒業ですね」

「ふふ、始業式なのにもう卒業の話?」


僕の言葉におかしそうに笑うナマエさん。その笑顔をぼんやりと見つめた。


春は出会いと別れの季節だ。誰かがそう言った言葉に納得したのは、この人がいたからだ。

小学生の頃は律と一緒に本当によく遊んでもらった。ナマエさんは意外とおてんばだったから、鬼ごっこでも、ボール遊びでも、僕たちの方が着いていくのに必死だった気もする。


それは、今も一緒か。


中学に入った途端、急にナマエさんとの距離を感じた。それは、心の距離かもしれないし、物理的な距離かもしれない。

僕がやっと中学に入学した時、ナマエさんは卒業してしまった。そして今年、ようやく中学を卒業する僕と、大学に入学してしまうナマエさん。

もしかすると、卒業と同時に就職してしまうのかもしれない。そうなれば、本当に僕はもう、彼女に追いつけなくなってしまう。


追いつきたいのか、何のために、昔みたいにもう一度遊ぶために?中学生にもなって、鬼ごっことかするのか。そんなわけない。


「それじゃあ、私はこっちだから」

「はい。いってらっしゃい」

「うん。シゲくんも、いってらっしゃい」


シゲくん。そう呼ばれるたびにモヤモヤする。

ううん、ナマエさんを見ると、いつもかもしれない。


シゲくん。いつまでたっても昔のままの呼び名。僕は、中学に上がると同時にあなたをお姉ちゃんとは呼ばなくなったというのに。


「……」


ふと立ち止まって、高校へ歩いていくナマエさんの背中を見つめた。

すると後ろから小走りで彼女に駆け寄り、声をかけた男子は友達だろうか。笑顔でそれに答えるナマエさん。


高校での彼女を僕は知らない。きっとこれからも、知ることはない。


春は出会いと別れの季節だ。ザアッ、と一瞬吹き荒れた風は、春のにおいがした。













「……師匠。二股って、悪いことですよね…」


「っは!?」


そう一人ごちるように言うと、師匠は飲んでいたお茶を吹き出しそうになっていた。慌てて近くにあったお盆でガードしたけど、なんとか飲み込んだようだ。気をつけてほしい。


「っな、おま、……二股してんのか」

「違いますよ。……いや、そうでもないのかな」

「……まじかよ」


あんぐりと口を開く霊幻師匠に、余計に悪いことをしている気分になる。

うぐ、と言葉をつまらせた僕だったけど、やっぱり相談できる人はこの人しかいないし、一応人生の先輩と思っているし、話を続ける。


「……僕、好きな子がいるんです。初恋の子です。同級生の、女の子」


「お、おお…。まあ、うっすら聞いたことあるようなないような。んで?他にも好きな子がいるってのか?」


「……それが、よくわかんないんですけど」


そう、よくわからない。

ツボミちゃんのことは好きだと思うし、笑顔もそうじゃない顔もとてもかわいいと思う。

けれど、桜が舞うとき、春の風が吹くとき、高校のブレザーを見たとき、思い出すのはナマエさんだった。

もちろんナマエさんのこともとてもかわいいと思うし、キレイだとも思う。笑顔も素敵だ。けれど、



「……彼女を見ると、……少し、腹立たしくなるんです。僕のことをずっと小さい頃の呼び名で呼んだり、知らない男子と話をしているのを見ると、」




その目の奥に映るものが、僕だけであればいいと思う。




「……僕って、嫌なやつですね」




「……」


そう考えて、自己嫌悪する。

ナマエさんはあんなに素敵な人なのに。優しくて、僕にも律にもよくしてくれるお姉さんなのに。


そう言ってうつむいた僕に、黙って話を聞いていた霊幻師匠は口を開いた。


「大丈夫だ、モブ。それは二股じゃねーよ」

「えっ」


思わぬ悩みの解決に目を見開いた。

そのまま師匠の話の続きを待つ。


「モブ、お前は嫉妬してんだよ。その、……誰かわからんが、彼女に話しかけた男に。」

「……嫉妬、ですか。」

「そうだ。そんでその子に子供扱いされるのを嫌ってる。つまり男としての自分を見て欲しいってことだ。」


「……」


「わかるか?つまり、お前は彼女が好きなんだよ。それも、ちゃんと下心込みでの好きだ。初恋は初恋。それ以上でも以下でもない。お前が好きなのは後者の彼女だ。」


「ち、ちょっと待ってください」


まるで僕がツボミちゃんを好きでないような言い方に、慌てて口を挟む。

たしかに、師匠が言うように僕は今朝見た男子生徒に嫉妬していたのかもしれない。けれど、それは幼馴染みのお姉さんを取られたような気分で、恋とかそんなんじゃあない。

子供扱いされたくないのも、僕だってもう中学3年生だからだ。いつまでもシゲくん。なんて幼い呼び方で呼ばれるのが嫌だっただけだろう。



「僕はツボミちゃんが好きです。初恋をしたときからずっと。笑顔もすごくかわいいと思うし、いつか手を繋いで帰るのが夢なんです」


「まあ、カワイイ子を見れば誰だってそう思うだろ。初恋の子なら尚更な。じゃあ聞くが、そのツボミちゃんとやらが他の男とキスしてたらどうだ?嫌か?」


「えっ……き、……い、いや、とかそんなんじゃあないけど……見ちゃいけない感じはするかな……」


「じゃあもう一人の彼女が、さっき言ってた男とキスしてたらどうする」


「……」


「ほらな。お前は彼女が好きなんだよ。二股じゃねえ」



以上。

押し黙った僕にそう言って、師匠は席を立った。

何も言い返せない自分に困惑する。

それと同時に今朝見た男子がナマエさんに迫る想像をすると、無意識にきゅ、と拳を握ってしまう。

僕は認めたくなかっただけかもしれない。そして、怖かったんだ。

いつまでたっても追いつけやしない、憧れのナマエさんにフラれるのが。そして、遠くへ行ってしまうのが。


「……」



僕はナマエさんが好き。

心の中でこの言葉を噛み締めた。














その日は雨が降っていた。


こんな日は家に帰ったら漫画でも読んで過ごそう、そう思って学校帰りに大通りの本屋に寄ることにした。


傘を指して通りを歩くと、いつもは広い道が一気に狭く感じる。

桜、散ってしまうかもなあ。そんなことを考えて少し寂しく思いながら本屋の前に着くと、丁度出てきたのは高校生のカップル。

店に入ろうとしたけど、彼らが出てからにしよう、と少し離れた場所でそれを待っていると、バサリ。と開かれた赤い傘に見覚えがあった。



「……(え……)」



一本の傘をさして、その中に並んで入る二人。その片方の女の子に、僕は呆然として立ち尽くしてしまう。


傘をさした通行人がひしめき合う狭い大歩道。その傘のスペースを最大限に使うように、同じ傘の下ならんで帰っていくのは、ナマエさんと、今朝見た男子。


「……」


僕は虚しさとムカムカとこみ上げる気持ちを飲み込んで、本屋に背を向けて歩き出した。

今日は漫画を読んで過ごそうなんて思わなければよかった。いつもと同じ道で帰ればよかった。僕が中学生じゃなければよかった。


ナマエさんと、同じ年に生まれていれば。


そう考えて嫌気がさして、唇を噛み締めて元来た道を走った。













帰宅して、制服も脱がないままソファーよろしく丸められた布団に寄りかかる。


「……」


何を見ても、聞いても、思い浮かぶのはさっきの光景。

ナマエさんの肩と男子生徒の肩が触れそうな距離で、相手はナマエさんよりずっと背も高くて、体格も良くて。


隣に並んだナマエさんが、優しいお姉さん、じゃなく、一人の女性に見えた。


「……(……ダメだよ、ダメだ。こんなこと、)」



頭の中で何度も静止する自分の声が聞こえる。

けれど、僕の右手は静かに制服のズボンへと伸ばされ、その指先はジッパーを下ろしてしまう。


僕だってもう中学3年生だ。15歳の男子だ。当然、こういう気分の時に何をするか、なんて知っているし、したことだってある。

クラスメイトや周りと比べるとそういうことに興味を持つのは遅かったかもしれないけど、本当は今までだって何度もあるんだ。

例えば、小さい頃、元気にジャングルジムを登るナマエさんの短いズボンから伸びた、太ももを見たとき。中学のセーラー服に透ける淡いブルーの下着を見たとき。他の男子の前で、女性の顔をする彼女を見たとき。


それでもナマエさんをいわゆるオカズにしなかったのは、罪悪感からか、何かを守りたかったからか。それも、今日で、終わりか。


彼女を想って触れると、いつも以上に快感がこみ上げてくる。

こんなこといけない、ダメだとわかっているのに手は止まらない。何かを求めるようにさ迷うように薄く開いた唇からは掠れた声で彼女の名前がこぼれ落ちた。



「……っ、ナマエ、さん……」




つぶやいた名前は誰に聞かれることもない。この行為も、誰も知らない。


それなのにこみ上げる罪悪感と、それに伴う背徳感。


彼女のあの疑いを知らないような目を、僕をシゲくん。と呼ぶ唇を、その笑顔を。

欺いてやりたい。そして本当の僕を知って欲しい。


泣きたくなるような想いと、それに反する劣情とがないまぜになったまま、僕は射精した。


この日、僕は初めてナマエさんを想像して自慰行為をした。終わったあと、えも言われぬ虚無感が襲ってきて、ひどく後悔すると同時に、僕はある決意をしたのだった。













「……あれっ、シゲくん。どうしたの?……もしかして、私を待ってた?」


次の日の放課後。

高校の正門前に立つ僕を下校する人たちは物珍しそうに見ていった。それに少し居心地が悪くなるけど、僕はひたすら待った。彼女がやってくるのを。



「そうです。久々に、一緒に帰りたいなって思って」



僕がそう言うと、とても嬉しそうにナマエさんは笑った。その笑顔に、とくり、と胸が鳴る。

じゃあ帰ろっか。そう言って歩き出したナマエさんに並ぶ僕。昨日の雨の日の男子のように、いつもより距離をつめて彼女のそばに寄る。

霊幻師匠の言っていた、嫉妬している、という言葉を思い出して少し気恥ずかしくなったけど、それでも離れる気はない。


「……今日は一緒じゃないんですね」

「え?」

「昨日、ナマエさんが男子と本屋から出てくるのを見ました」

「えっ!?そ、そう……見てたのシゲくん」

「……彼氏ですか?」


そうハッキリとした声で訊ねると、ナマエさんは一瞬きょとんとした顔をして、しかし次の瞬間にはぶんぶんと手を左右に振って慌てて否定する。


「ち、違うよ!!あいつはそんなんじゃなくて、……ほら、これから私もシゲくんも受験でしょ?それで、気が早いけど参考書を見に行ったのよ」



少し気が早いけど、そう付け足してナマエさんの反論は終わった。

しかし尚も僕はじとりとした視線を向ける。

参考書?そんなのは口実に決まってる。きっとあの人はナマエさんのことが好きだ。じゃないと相合傘なんてしない。


「相合傘してましたよね」

「それは……あいつが傘忘れたって言うから仕方なく……」

「……」


ほら。あんな朝から雨が降っていた日に、傘を忘れるはずがない。

それなのにそんなこともわからずにまんまと相合傘をさせてしまうナマエさんにイライラしてしまう。それに、


「……さっきから、あいつ、って。すごく仲がいいみたいですね」

「え?いや、別に……普通だよ。どうしたの?今日のシゲくんなんか変だよ」

「変じゃありません。」



そう、変なんかじゃない。これが本当の僕だ。

今までナマエさんが見てきた小さい頃のシゲくんとはもう違うんだ。

今の僕を見て欲しい。


サアッ、と風に乗って散り残りの桜の花びらが舞う。

春が溶けて、桜が咲いて、春がやってくる。

それに続きがあるなら。

桜が散ったらやって来るのは夏。夏が終わると秋が来るし、秋が終わると冬が来る。そしてまた、雪解けの春。

そうして季節は変わり、僕とナマエさんの距離も変わらないのかもしれない。けれど、



「ナマエさん。もうシゲくんなんて小さい頃の呼び名で呼ぶのはやめてください。僕はもう、あの頃の僕じゃありません」


「え……」


「ずっとずっと、ナマエさんの隣に並びたいと思ってきた。小さな頃から、ずっと。」



そう告げる僕にナマエさんは面食らったような顔をする。その表情に、少しだけしてやったりな気分になる。

そうやって、僕の言動に驚いて、泣いて、怒って、笑って欲しい。もう、幼馴染みの優しいお姉さんなんてやめてください。一人の女性として僕を見て欲しい。



「好きです。ナマエさん。3年後はきっと、同じ大学でナマエさんの隣に並んでみせます」




そう。春は何度も巡るけど、僕のこの一言で何かが変えられるなら。

年齢差も、物理的な距離も変えられないかもしれない。あなたは僕に背を向けて、僕はその背中を追うばかり。なら、振り向いてください。僕の言葉で。


きっと追いついて見せます。だから、待っていて欲しい。





「………えっ!?!?!?」





そう大きな声で絶叫して、耳まで真っ赤になったナマエさんに、つられて僕も赤くなる。そして急に僕と距離を取りよそよそしくなったナマエさんに、何故か心の距離は縮まったような気がした。


「かっ!からかわないでよ!!シゲくん!!」

「からかってませんよ。あと、僕の名前ちゃんとよんでください。シゲくんって言ったら返事しませんよ」

「えっ……」


「……」


「……し、茂夫、くん……」


「……はい。ナマエさん」


そう、少し照れながら言ってくれたナマエさんに心臓がドキドキとうるさく音を立てる。


春は出会いと別れの季節だっていうけど、僕は誰かと出会ってもけしてナマエさんと別れることはないだろうと思う。

なぜなら、何度もすれ違っても、離れても、また巡り来る春のようにきっとずっと、ナマエさんを想い続けるだろうから。



「……ね、手、繋ぎませんか?」


「はっ!?え、シゲ、……茂夫……くん!?!?!?」



それに、ナマエさんに追いつける日が来るのも、そう遠くないかもしれません。



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