!霊幻25歳の頃のお話です






「いらっしゃいませー」





ドン、とカウンターに置かれた買い物カゴ。私はそれを引き寄せて一点一点スキャンしていく。
お惣菜はタッチパネル。個数をきちんと数えるのも忘れずに。そうして無事に数え終わった商品は、手前のカゴへ移されて、お会計だ。


「2480円になります」


2500円を出されたので、20円のお釣り。
近頃はレジ袋にすらお金を払わないといけないので、主婦はみんなエコバッグ持参だ。

ありがとう、とお礼を言ってカゴを持ち上げた主婦らしきおばさんに、笑顔で頭を下げる。



「ありがとうございました。またお越しくださいませ」




私はしがないレジのアルバイトだ。

大学に通いつつ、週5日か6日はこうしてスーパーのレジ打ちをしている。以前は飲食店のホールとかもやってたけど、ドンくさくてコップやら皿やらを割りまくっていたので、私にはこのくらいが丁度いいと思う。

そうこうしている内に新しいお客さんが来た。先ほどのお客さんからもらったお金をしまい、笑顔でくるりと振り返る。



「いらっしゃいま…せー」




あ。博多の塩男。

私の挨拶が途切れたのも特に気にせず、グレースーツにピンクのネクタイを締めた金髪のお兄さんは、ドサリ、とカウンターにカゴを置いた。

そのカゴの中には大量の博多の塩と、牛乳や冷凍食品などが入れられている。数週間前からうちのスーパーに出没する、博多の塩大量買いサラリーマン(仮)だ。

そんなことを考えつつも、顔には出さずまずは冷凍お好み焼きや、たこ焼きなど少量のものをスキャンしていく。それから塩の数を数える。

……と言っても、いつも決まって10袋。それはわかっているのだけど、もしも今日は一袋多く買っていたら?と思うとついつい数えてしまう。



「こちら、10点ですね」



しかし、今日もやっぱり10袋だった。毎回数える度、損したような気分。
よいしょ、と博多の塩を隣のカゴに移して、それから……



「あと、タバコ一箱。ケントね」

「かしこまりました」



お、今日はタバコの日だった。

このお兄さん、最後にタバコをプラスする時としない時がある。でも、銘柄はいつもケントだ。

毎日同じような単純作業ばかり繰り返していると、見知った客、その客の買い物内容なんかも覚えてしまう。

私は慣れた手つきでボックスからタバコを一箱取り出すと、スキャンしてカゴの中に入れた。


「年齢確認お願いしますー」


お兄さんが確認ボタンを押す。それから、お会計だ。


「3868円ちょうだい致します」


カゴを前に出してそう言うと、お兄さんは五千円札をだした。入力し、お釣りを出して渡す。


「1152円のお返しです」


先にお札を渡し、後に細かいお金とレシートを手渡す。お兄さんがそれを受け取ったのを見届けて、挨拶を言おうとした、すると。



「ありがと。…お姉さん、博多の塩はいつも10袋だから、数えなくていーよ」



少し悪戯っぽくそう言って笑ったお兄さんに、私は自分の変に真面目な性格や、融通のきかないところを見破られたようで、一気に恥ずかしくなる。


「あっ……も、申し訳ありません…!」

「いや、褒めてんのよ。お姉さん、いっつも真面目にがんばってるから」

「えっ……」

「そんじゃ、ありがとな。」


そう言ってカゴを持って行ってしまったお兄さん。私は予想外のことを言われて、ポカンとしてしまう。そこで挨拶もお礼も言っていないことを思い出して、ハッとする。



「あ!ありがとうございました…!」



すっかり持参したエコバッグ(意外だ)に荷物を詰めたお兄さんは、私の声に気づくと軽く笑って手を上げてくれた。

正体不明の謎の博多の塩大量買いサラリーマン(仮)。
今までは単に変わった人、ってことで気になってたけど、この日を境に別の意味でこの人が来るのを気にしてしまうことになった。















ピッ、ピッ、

子気味いい音とともに商品がスキャンされていく。今日は特売の日ということで店は混んでいた。レジも全てフル稼働だ。

慌ただしくお会計をしていると、ふと視界の端に重そうな買い物袋を持ち、よたついているおばさんを発見する。どうやら手押し車に荷物を乗せたいらしい。

すぐに手伝いに行きたいけど、レジは長蛇の列。手が離せる従業員さんもいないし……と焦っていると、ふとおばあさんの隣に現れたのは見知った金髪。

お兄さんはおばあさんの荷物を軽々と持ち上げ、手押し車の中にしっかりしまい、おばあさんに手渡した。
おばあさんは何度も何度もお礼を言っている。それにお兄さんは「いいよいいよ、」と言った風に軽くおばあさんを店から送り出した。


その後ろ姿を見送って、ふいにこちらを振り向いたお兄さんと目が合う。


咄嗟に私は「ありがとうございます、」と口パクで伝えてぺこりと会釈をすると、お兄さんも軽く笑って会釈をしてくれた。そのまま買い物カゴを持って店内へ入るお兄さん。

彼は、今日も私のレジに並んでくれるだろうか。店の喧騒の中、あの一瞬だけお兄さんと気持ちが通じたような気がした。














「…さっきは、ありがとうございます」


お兄さんは、やっぱり私のレジに来てくれた。今まで何とも思わなかったのに、意識した途端急に面と向かって話すのが恥ずかしくなる。

少しうつむきながら商品をスキャンする私に、答えるお兄さん。



「ああ、いや、全然。店混んでて大変そうでしたね」



今日は特売日ですから、と返したついでにちらりとお兄さんを見る。

さっきも思ったけれど、今日は私服だ。黒のゆるいVネックのトップスに、ジーンズという軽装。それなのにずいぶんかっこよく見えてしまうのはスーツとのギャップなのか。


スキャンし終えた商品をカゴに移し、お会計に移る。

今日買ったのもやっぱり博多の塩10袋と、冷凍食品や、牛乳や卵などの消耗品。
前々から疑問だっけど、この人は飲食店でも経営してるのだろうか。だいたい2週間置きくらいに塩を買いに来る。それにしても塩だけこんなに大量消耗するだろうか?他の食材をまとめ買いしてる気配もないし……

それに、料理をする人にしては、冷凍食品買いすぎ。おせっかいだろうけど、お兄さんの健康状態が心配だ。


「あ、あとタバコね。いつもの」

「…かしこまりました」


しかもタバコも吸うんだよなあ。なんて思っても、まさか口に出すことはできない。私とお兄さんはスーパーのレジバイトとお客以外の何者でもないんだから。

でも、この大量の塩の用途くらいは聞いてもいいかもしれない。幸い、客足もすっかり引いて今は暇なくらいだし。


「こちら17点で4020円ちょうだいいたします」

「4020円ね……えっとたしか、小銭あったような…」

「…あの、前から気になってたんですけど、」

「えっ」


ごそごそとジーパンのポケットを漁るお兄さんにそう切り込むと、思った以上に驚いた顔をされた。
そんな反応に、何かまずいことを言ってしまったかと少し尻込む。けれど、今さら言った言葉を引っ込めるわけにもいかない。


「お、俺も…その、」

「あの博多の塩、何に使われるんですか?」

「えっ?」

「えっ…?すみません、今何か」

「い、いや!何もない!何も言ってないから!!」

「は、はあ」


少し言いづらそうにごにょごにょと何か言われた気がしたけど、聞き返すとものすごい勢いで訂正されたのでそれ以上聞けなかった。

何故かその後少し落胆したような表情で答えてくれるお兄さん。


「ああ、塩ね……まあ、仕事に使うんだけど…」

「やっぱり、飲食店とか経営されてるんですか?」

「いや。何て言うのかなー、カウンセリング?一応接客業ではあるんだけど」

「そ、そうなんですか…(カウンセリングで塩?)」


結局よくわからなかったけど、飲食店ではないらしい。その後無事にポケットから20円を取り出したお兄さんは、いつものようにお礼を言って店を出て行った。次は、いつ会えるかな。


その後ろ姿を見送りながら、レジに立っていると、次のお客さん。振り向くと、思わず笑顔が歪んでしまう嫌なお客さんだった。


「いらっしゃいませ…」


何かとクレームをつけてくるし、お会計の時にお金をトレイに投げつけてくるし、お釣りを渡す時の手を執拗に触ってくる嫌なおじさんだ。

せっかく今日はお兄さんに会えたのに。一気にブルーになりながら商品をスキャンし始めた。














「いらっしゃいませ!」



また2週間後。お兄さんはやってきた。
今日は黒のスーツにブルーのネクタイだ。思わず声がウキウキしてしまい、慌ててゆるんだ口をつぐむ。

いつものように商品をスキャンする。博多の塩10袋と、冷凍食品と、……タバコ?

そう考えていると、にゅっ、とカウンターの下から手が伸びる。小さな手はお菓子を掴んでいて、カウンターの上に置いてパッと離す。それは馴染みのある黄色いくちばしのペリカンのようなキャラクターが描かれた、チョコレートのお菓子だった。


「あっ!こら!モブ!」


その存在を見つけて、慌てて言ったのはお兄さん。その声に、にゅ、とカウンターの向かいから顔を出したのは小学校低学年?くらいの男の子だった。


「…バレた」

「バレた、じゃねーよ!ソフトクリーム買ってやったから、そこのベンチで大人しく座ってなさいって言ったよな!?」

「……でも、銀のルシファーあと一枚で揃うんです…」

「知らねーよ!まったく、このガキ……」


ハタから見ると微笑ましい言い合いをしていたお兄さんと男の子だったけど、困惑している私に気づいて、お兄さんはハッとしたような表情になり、それからため息をついて男の子からお菓子を受け取った。


「…ったく、わかったよ。今回だけだからな!」

「ありがとうございますししょお!」

「(師匠?)」

「これも、お願いな」

「かしこまりました」


仕方ないと言いつつもお兄さんの男の子を見る目は優しかった。私はお兄さんからお菓子を受け取り、スキャンする。今日はタバコ追加で、って、言われなかった。


「お会計3766円ちょうだいいたします」


そのままお会計をして、お兄さんからお金を受け取る。そしてお釣りを返して、いつものようにさよならだ。

そこでふと気づいた。



「あ。ちょっと待って」



お兄さんと男の子をそう呼び止めて、私は店の中で一番小さい袋を取り出した。そしてカゴの中からお菓子を取り出し、その袋の中に入れる。



「はい。君のお買い物袋だよ。ありがとね」



そう言って手渡すと、男の子はぽかんとした表情でこちらを見上げてきた。

……あれ、おかしいな。小さな子はこれでいつも喜んでくれるんだけど…。ちょっと、年齢が高かったのかな…幼稚園の子まで?

呼び止めておいて微妙な反応をされれば、かなり申し訳ない気持ちになる。いまいち反応のない男の子に、少し焦っていると、ふいに男の子がパッ!と表情をほころばせた。



「お姉さん、ありがとう…!!」



そう言って足早に駆けていく男の子に、お兄さんは「オイ、転ぶぞ!ちょっと待て!」と言っていた。そんな姿にも素敵な人だな、なんて思ってしまう。



「ありがとな、ミョウジさん」



急に、名前を呼ばれてびっくりして目を丸くする。お兄さんは優しい笑顔で笑って、男の子の後を追って行った。

名前、覚えてくれたんだ。

自分の胸についた名字だけ書かれたネームプレートを見て、くすぐったいような、あったかい気持ちになる。けれど、


「……(子供、いたんだなあ)」



あんなにかわいい男の子。

名前を覚えてもらえたことは嬉しいけれど、それ以上に胸にチクリとトゲが刺さったような気持ちになった。私、思ってたよりお兄さんのこと、好きになってたのかもしれない。













「いらっしゃいま……あれ!君は」


よいしょ、とカウンターに一本の牛乳を置いた男の子は、きょとんとした顔で私を見上げている。お兄さんの子供さんだ。ほんのつい、1週間ほど前に来た。


「今日はおつかい?」


ピ、と牛乳をスキャンして訊ねると、男の子はふるふると首を横に振る。


「ぼくが牛乳たくさんのんだから買ってきなさいって。お母さんに言われました」

「あはは、そうなんだ。牛乳が好きなんだねー」


いいことだ。きっとメキメキ背が伸びるよ。

そう思いながらお会計に移る。男の子はお母さんに持たされたのか、エコバッグも一緒にカウンターの上に置いていた。エライ。


「じゃあね、お会計は198円。100円玉2枚あるかな?」

「うん。あるよ」


そう言って2枚の百円玉をカウンターの上に置いた男の子に、それを受け取って2円のおつりを返す。


「はい。お釣りね。お財布にしまえる?」

「うん。ありがと」

「じゃあ、この袋…ちょっと重いけど…」

「あのっ、おねえさん」


財布にお金をしまったのを見届けてから、袋を手渡そうとした時。ふいに男の子に呼び止められる。何かな?と男の子を見つめると、彼は少し照れたような顔をしたあと、ポケットから何かを取り出した。


「これ、河原でみつけたんだ。お姉さんにあげる。」

「え…わ、私に…?」


カウンターに置かれたのは一枚の四つ葉のクローバー。ポケットに入れていたせいか、少しくしゃりと萎れているけど、立派な葉がきちんとよっつついていた。


「ありがとう…!!ほんとにもらっていいの?」

「うん…!お姉さん、優しくしてくれたから、おれいだよ」


私が笑顔になると、男の子もとても嬉しそうに笑った。押し花にして、きっとずっと大切にしよう。そう思った。


「じゃあ、またね」


そう言って男の子は牛乳の入った袋を持ってタタタッ!と去っていった。重いかと思ったけど、やっぱり男の子だなあ。

そう思ってもう一度もらったクローバーを見つめて、くすりと笑った。













今日は雨が降っていた。どうやら、台風が近づいているようで、店の扉や窓も締め切っていて風に吹かれてはミシミシ言っている。おかげで客足もまばらだ。


お兄さんにはあれから3週間ほど会っていない。何かあったのか、単にうちのスーパーに通うのをやめたのか、引っ越しでもしたのか。

そんなことを考えても私にはどうすることもできない。なんたって、私はただのしがないレジのアルバイトだから。

それに、結婚していてあんな大きな子供もいる男の人を、いつまでも未練がましく想うのもよくない。

これは忘れるいい機会だと自分に言い聞かせてレジ業務に集中した。ところで、丁度来たお客さん。



「いらっしゃい!ま、せ…」



ドガッ!とカウンターに乱暴にカゴを置いたのは、例の嫌なおじさんだった。肩で風を着るように歩く姿が彼の傲慢さを表しているようだった。


「何ぼーっと突っ立ってんだよ、姉ちゃん。さっさと会計しろよ!」

「あっ、すみません…」


言われて、慌ててスキャンを始める。

ピッ、ピッ、と細心の注意を払って打っていく。このお客さんはちょっとしたことでもクレームをつけるから、怒られないようにしなきゃ…。いつもお酒が入ってるようだし、怒鳴り散らされては怖い。


「以上6点で、1640円ちょうだいいたします」


当然、エコバッグなんて持ってないのでレジ袋を入れる。袋代の2円をプラスした合計金額だ。


「オイ、姉ちゃん。俺は見てたぞ。さっき1638円だったのに今2円足したな…?どういうことだよこれはよぉ!!この店はこんなセコイ詐欺やってんのか!?」

「ち、違います…!!これはレジ袋の料金です…!お客さまは袋をもってらっしゃらないので、その分の料金を足させて頂いたんです」

「レジ袋の料金だあ!?袋にカネとんのかよこの店はよー!!お前んとこ、この前寿司買った時も逆さにひっくり返して入れたぞ!!しかも箸一膳しか入ってなかったぞ!!俺は二膳欲しいのによお!!」

「……(知らないよ、そんな話…!今言うことじゃないでしょ…!?)」


大声で捲し立てるおじさんに、言われのないクレームまで受けてじわりと涙が滲む。しかし、この客の話に根拠がないように、こちらにも嘘だという根拠がない。とすれば、謝るしかない……ムカつくけれど。


「……大変、申し訳ありませんでした…」

「……フン、まあいい。ほら、2000円。今回はしゃあねえから払ってやるよ」


ポイッ、と投げられたくしゃくしゃの1000円札が2枚。トレイに乗る前に、カウンターに落ちてしまったのを静かに拾う。謝ることもそうだけど、これも大変な屈辱だった。

くしゃくしゃのお札を伸ばして、レジのクリップに挟む。そして金額を入力し、お釣りを出した。


「360円のお返しでございます」

「その代わり、」


お釣りを差し出した手を、むんずと掴まれた。思わずヒッ!と声を上げてしまう。それに構わずおじさんは続けた。


「今から一杯俺に付き合えよぉ〜。バイト終わるの待っててやるからさあ〜〜。あんたんとこ今まで散々俺に迷惑かけてきただろ?それ全部チャラにしてやるよ。いいだろ??なあ??」


「っや、やめてください…!!店長……」


私の手をがっしりと掴んで撫で回すおじさん。それにゾワゾワと嫌な鳥肌が立つのがハッキリわかった。手を振り払いたいけど、力では適わない。

もう私一人では対応できない…!!と思い、涙目で店長を呼ぼうとした。その時、


カシャッッ!!





「…お〜〜い、オッサン。後ろつかえてんだけど。つーか、それセクハラだよな」





唐突にカメラのシャッター音が聞こえたと思ったら、そこには携帯を構えたお兄さんがいた。

急に写真を取られたと理解したおじさんは私の手を離して大声で激高する。



「っな!!なんだお前は!!勝手に人のこと写真に撮りやがって!!訴えてやる!!その携帯を貸せ!!」



怒鳴ったおじさんはドスドスとお兄さんの方に迫っていくと、バッとその携帯を取り上げようとした。けれど、あっさりお兄さんに交わされてしまう。


「訴える?訴えられるのはアンタの方ですよ。これ、この携帯の中にバッチリセクハラしてる写真が映ってるし、店の不利益を免除して欲しかったら言うこと聞けとか強迫罪だし、そもそも、ありもしないクレームつけまくって業務執行妨害だし」

「……っ、証拠は!!証拠はあるのか!!」

「だから、この携帯に入ってるっつってんだろ。話聞いてる?」

「……〜〜〜〜ッッ!!!もう知らん!!二度とこんな店来てやらないからな!!あとで吠えづらかいても知らんぞ!!」


「どっちがだよ」


大声でそう言い残したおじさんは、買い物袋をひったくるように掴んでさっさと店を出ていってしまった。

私は何が何やらぽかんとしたまま、目の前でやれやれ、といった風情のお兄さんに視線を移す。



「……大丈夫か?」



心配したような、少し怒っているような表情で、私の様子を伺うお兄さん。

私は、怖かったやらここ数週間姿を見なかったことや、もう会えないのかと思っていたことなど、色んな感情がこみ上げて、それが涙となって眼球を覆う。



「え、ちょっ…!ミョウジさん…!?」



私の潤んだ目と、赤くなってるだろう鼻の頭を見て、相当焦ったようにわたわたするお兄さん。これ以上お兄さんを困らせてはいけない、と涙をぐっと堪えて彼に向き直った。



「すみません……ありがとうございました。何だかお兄さんには、助けてもらってばかりですね」



涙を堪えて、なんとか笑顔でお礼を言えた。
実質、助けてもらったのはおばあさんの時と、今回だけかもしれない。けれど私は、いつもお兄さんが来ることを楽しみにこのレジに立ってた。数少ない会話や、ありがとう、って言うお兄さんの笑顔に何度も何度も助けられた。



「ありがとうございます。ほんとに」




もう一度笑顔でお礼を言うと、お兄さんは少し小さな声で、ぼそりと何かを言った。


「助けられてたのは、俺の方だよ」

「……え?」


いまいち聞き取れず、聞き返すとお兄さんは少しうつむいていた顔を上げて、ニカッと笑った。少し悪戯っぽい笑顔。初めて会話した時と同じ。


「お兄さん、じゃなくて霊幻。」

「えっ?」

「俺の名前。霊幻新隆。」

「……れ、霊幻、さん…」

「そ。」


何故か急に自己紹介されて、訳が分からず戸惑ってしまう。けれど、霊幻、新隆さん…って言うんだ…。

やっと知れた名前を噛み締めるように反芻すると、お兄さん…もとい霊幻さんは満足したようにまた笑った。私は霊幻さんのこの悪戯っぽい子供のような笑顔がとても好きだと思う。


「ミョウジさん、真面目そーだし騙されやすそーだし、押しに弱そうだし」

「えっ。あ、あの」

「また今回みたいなことがあると心配だから、名刺渡しとくわ。」

「……あ、え……??」


目の前でトントン拍子に進んでいく展開に、頭が追いつかない。

スーツの内ポケットに手を突っ込み、そこから取り出した名刺ケースから一枚を私に手渡す。けれど、



「あっ。ちょい待ち」



受け取ろうとすると、何かを思い出したようにまたポケットからボールペンを取り出して、名刺の裏に何やら書き込む。その行程を見つめていてわかった。携帯番号と、メールアドレスだ。


「ほい。困った時は……いや、困らない時でも!いつでもかけてきていいから。」


そう言ってもう一度手渡された名刺。表を見ると、会社名らしき名前が書かれていた。



「……“霊とか相談所”…?」



そういえば以前、カウンセリング業的なことを言っていたのを思い出す。そうか、相談所のお仕事だったんだ。相変わらず何故博多の塩がいるのかは謎だけれど。


「そう。霊とか、〜〜まあ、今回みたいなセクハラとか、強迫とかも〜〜受け付けてなくはない!!から」

「は、はあ…」

「まっ、俺もこれからもまた来るだろうし、ミョウジさんも遊びに来てよ」

「……はい、ぜひ」


あとからこのことを大学の友達に言うと、「それ、完全なナンパじゃん!」とドン引きされたけど、この時点での私は気づいてなかった。なので、霊幻さんの言ってた騙されやすい、っていうのは結構当たっているかもしれない。

それでも。


「じゃ、今日はいつものタバコも追加で頼むわ」

「!はい、かしこまりました。……でも、お子さんがいるんですから、副流煙には気をつけてください」

「っは!?!?お、お子さん……!?!?…って、モブのことか…」

「…え?違うんですか?」

「違う違う!!あいつはうちの従業員だから」

「じ、従業員!?!?」


お子さんのために止めたのかな、と思っていたタバコ。それがまさかのあの男の子は子供じゃなくて従業員だという事実が判明。従業員って…あの子まだ小学生でしょう。

そう考えるとさっき言ってた相談所とかいう仕事も一気に胡散臭く感じてくる。……それでも。


「お会計3568円ちょうだいいたします」


商品をすべて打ち終わり、お会計に移る。霊幻さんは財布から5000円を出し、トレイに置く。私はそれを受け取って金額を入力する。お釣りを渡す。いつもの光景。それでも。



「あ、そうだ。ミョウジさんの名前も教えてよ。もちろん、下の名前な」



カゴを持って行こうとしたところを、振り返って訊ねられる。私はまたくすぐったいような、あったかいような気持ちを感じつつ、静かに笑って名前を告げた。


「ナマエです。ミョウジナマエ。」

「ナマエさんな。んじゃ、また来るわナマエさん」


それでも。霊幻さんの名前を知れて、私の名前を知ってもらって、いつもと同じようだった景色が、ずいぶん違って見える。

もしかすると私と霊幻さんは、ただのしがないレジのアルバイトとお客さん……という関係以上になっているのかもしれない。まだ、わかんないけど。


荷物をまとめて店を出る時、扉の前でふいにこちらを振り返った霊幻さんが、軽く手を上げる。私も手を振ろうかと思ったけどさすがにできず、軽く会釈をした。



「ありがとうございましたー!」



気づけばあんなに荒れていた天気は回復し、雨も上がっていた。私は手の中にあるもらった名刺と、ネームプレートの裏に入れてある四つ葉のクローバーの押し花をみて、小さく笑った。














「モブくぅ〜〜ん聞いてくれよ、俺ついにレジのお姉さんに名刺渡しちゃったぜ!お姉さんの名前聞きたいか?お姉さんはな、ナマエっていうかわいい名前……」


「ナマエさんですよね」

「え」

「ぼく、この前河原で四つ葉のクローバーを見つけたからナマエさんにあげました」

「え…」

「ナマエさん、とっても喜んでました」

「え……?」

「ぼく、ナマエさんとケッコンします
!」

「え、ええええええ!?!?」


彼女が後日お礼もかねて霊とか相談所を訪れ、モブと霊幻の間で一悶着があるのは、また別のお話。



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