「飲む?」


街中から少し離れたこぢんまりとしたビジネスホテル、そのバルコニーに侑はいた。三階にある大浴場から続くバルコニーはいくつかの扉から出入りすることができ、風呂上りだろう浴衣を着た家族連れなどの姿もある。

そんな侑も夕食の後、さっさと風呂を済ませて珍しくもここで夕涼みのようなことをしていた。考えるのはいつだってバレーボールのこと。ただ、それは後悔ではなく、来たる次を見据えた明日への挑戦だった。



彼らの夏の全国大会は準優勝という結果で幕を閉じた。あの王者井闥山から一セットを先取しただけでなく、その後の試合も息もつかせぬ攻防を繰り広げた末の惜敗。試合中は厳しい野次を飛ばしていた客席からもスタンディングオベーションが送られ、誰もが彼らの健闘を称えたが拍手喝采の中頭を下げる金髪の男の表情は何一つ納得していなかった。未だ闘争心に満ちた目をする侑の悔しさに歪んだ表情は彼らの眼前に掲げられた思い出なんかいらん、の苛烈不退転の言葉とともにナマエの脳裏にしっかりと焼き付けられた。



「……おう、」

「はーーいいお湯やった」



プシッ、といい音を立てて開けられたのはバヤリースのオレンジ。侑のは三ツ矢サイダー。細長い250ミリサイズのスチール缶はよく冷えていて、外気に触れて汗をかく。それにお礼を言って受け取った侑の隣でナマエは早速喉を鳴らしてジュースを煽った。「あーーうまっ、」と風呂上がりのオヤジがビールを煽るように言うものだから、色気な、と侑は思う。しかし湯上がりのナマエの血色良く上気した肌やまだ水滴の残る濡れ髪にそれとなく侑の視線は奪われた。受け取った缶ジュースのように、先ほどよりもわずかに上昇した体温に侑の肌に汗が浮く。


「あ、そういえばちゃんとしまった?渡したプレゼント。まさかホテルに置いてったらあかんで」

「そんなんせんわ。人のことなんやと思てんねん」


「やって侑サーブん時何回かすごい顔で女の子睨みつけとったやん。あのうちわ持ってた子とか」


「あれはあんの喧し豚………女が俺のサーブ邪魔しよるからじゃ」


「うっわ今女の子のこと豚って言うたな!?!?それはあかん……主将案件やでこれは……」


「くっ……直接言うてへんねんからセーフじゃセーフ!!!思想の自由!!!」

「おお、侑からそんなワードが出るなんて……」


「お前段々俺に対して調子乗ってきとるな??」


まだ出会って間もなかった頃の侑の様子を伺うような怯えはすっかりなくなり、「あはは、でもファンの人には優しくしてな。応援してくれてるんやから」、と諭すナマエは少し彼らの主将の面影を感じるほどだ。それに侑は……おん……、と曖昧な返事をしてナマエと同じように缶ジュースの蓋を開けた。


「………試合、かっこよかったなーー」


「………」


「主将がバックアタック決めてワンセット先取した時泣くかと思った。やばかった」


「あの人のメンタル鬼よなーー延長戦の一点差で入った初っ端速攻やで。監督ドSか」


「それを繋いだみんなもすごいし、ほんまに実りある試合やったと思う」


「………でもそんなん、負けたら一緒やねん。俺らは勝つためにやっとんのやからその過程にある負けなんか、勝ちに手が届かんかっただけやろ」


「………」


そう言ってひとつ缶ジュースを喉を鳴らして飲む侑の横顔をナマエは見る。そう言われてナマエは侑の言うことも少しわかる気がする、と思った。どこまでも素直でシンプルな考えの侑の欲しいものはいつだってゼロか百。勝つか負けるか、その苛烈にも思える競争本能が侑のパワーの源であり、何かを愛する時の彼の姿勢なのだ。

どこまでも自分と正反対やなあ、と考えてナマエは笑った。今夜はいい夜だ。湿気は少なく、さらりとした涼風が二人の肌を撫でる。捲ったジャージの裾、足首に夏の夜を感じる。風に乗って届いたあまいシャンプーの香りは侑の頭の中から一瞬だけバレーボールを忘れさせて、見下ろした左隣にあるその無防備な肌や髪に触れてみたい、という純粋な欲が侑を掻き立てた。


「………そっか、………そうかも?」


「なんで疑問形やねん」


「いやあまあ人それぞれだよなあと思って」


「………けっ、」


「でも私は楽しかった。めっちゃ楽しかった。みんなのバレーボール観てて」

「………」


「だから、ありがとうと言いたい!」


「何宣言やねん」


「はは」


お前のそのリベラルとか中庸なとこ、はっきりせんくて腹立つ。と侑は言いたかった。けれどナマエがあまりにも楽しそうに笑うものだからついそんな言葉も引っ込んでしまう。


バルコニーの足元、全く異なるサイズのサンダルが並んで、その大きい方が半歩、小さい方へと近づいた。言わなければ気づかないような距離。バレーボール相手にはああも素直に熱烈に好きという気持ちをぶつけるくせにこの女を相手にするとどうにも調子が狂う、と負けたような気分にまた侑の眉間に皺が刻まれる。好きとは、果たしてなんだろう。そんなん性欲に直結するもんやろ、とシンプルながら下衆な考えで自問自答する。けれどこの女相手にはなぜか、そう簡単に白黒つけられる気がしなかった。何故ならナマエが楽しかった、と笑うなら、本当にあのただ負けただけの試合が意味のあるものに思える、ような気がしたから。


ああムカツク。けどこいつが笑っとるとなんやちょっと楽しい。んで、髪とか、ほっぺたとか、手とか、触りたなってくるやんけ。そんであの声で侑、て呼ばせたくなる。


「…………手」

「?て?」

「手、ちっこ。足みじか」


「!?突然のディス!?!?」


ぐい、とバルコニーの手すりに置かれていた、ナマエの右手を握り自分の方へと引き寄せた侑。そんな不意打ちにナマエはわ、とひとつ小さく声を上げて二歩、よろけて侑の方へ近づいた。また少し近づいた二人の距離。ナマエは一瞬何が起こったかわからず、とりあえず心配したのは左手に持ったバヤリースがこぼれていないかどうかで、そうしてようやく自分の手に重ねるようにして握り込む侑の熱い手のひらの温度を感じてずいぶん冷えたはずの体がまた湯上がりのように火照る。


「あ、あのっ、侑……?」


頼りげなく、眉を下げた真っ赤な顔は困っています、を体現しているようで、なんだか最近生意気になったマネージャーがまたあの頃のように不安そうに、顔色を伺うようにおずおずと見上げる様はやはり征服感というものを煽られる。それに侑は内心してやったり、と思うと同時触れた肌のやわらかさ、想像以上に小さな手にまたひとつ眉間に皺を刻む。なんやねん、ムカツク。ほんまムカツク。俺を見る目も、その声も、笑った顔もぜんぶかわいい。


「……あかんの?」

「……あかん、く、………ない、けど」


「ほな、ええやろが」


至極不機嫌そうに、けれどどこか満足そうに言って侑はまたひとつぐい、と側にナマエを引き寄せた。伝わる手のひらの温度、彼の手のざらついた感触。ナマエの一回りは大きい侑の手のひらはすっぽりとナマエのそれを覆ってしまって、その大きさの違いにも、自分より高い体温も、まるで逃さへん、と言うように込められた力も、侑が男であることを改めて感じさせてナマエは今まで自分の中で誤魔化してきた感情から目を逸らせなくなる。


触れられるのは、嫌じゃない。むしろもっと触れてほしいとさえ思ってしまう。そんな自分の思考にナマエは余計に羞恥心が高まり視線をどこへ置いて良いかもわからなくなり俯く。ずいぶん近づいた二人の距離は肌が触れそうで、侑は間近に見下ろした普段より無防備なナマエに良い香りも相まって邪な思いが膨らむ。……Tシャツの下、たぶんつけてないよな、と首にかけたタオルのせいで拝むことはできないそこに想像を駆り立ててしまうのは健全な男子高校生には仕方のないことで。
真っ赤な顔をして黙り込まれると、反応がほしくていじめたくなる。侑はそんなナマエを横目に見つつ握ったナマエの手の側面、小指側をざり、と親指でなぞり少し引っ掻いてみせた。すると面白いくらいにびくりと反応を見せるものだから侑の加虐心に火をつけてしまう。普段はなんだかんだとしてやられているが、こんな時くらいは俺の勝ちや。と侑は悪い顔で笑う。



「マネージャーさんはえらいかいらし反応すんねんなあ」



そう言って意地悪に笑ってやれば弱々しいながらも真っ赤な顔が侑をにらむ。けど、そんな顔全然こわないし。むしろお利口さんにしとかな、もっといじめたんで、と言いたくなる。しかしナマエのそんな表情が見られただけで侑は一応満足だった。


「あーー。かっぷるが手ぇつないでる」

「ほんとだーーらぶらぶだ」


そんな二人の空気に割って入ってきたのは先ほど同じようにバルコニーにいた家族連れの兄妹で、どうやら端の方で手を繋ぐナマエたちを見て興味津々と冷やかしに来たようだった。そんな兄妹に「こら!邪魔しない!行くで!」と生暖かい見守りの笑顔とともに軽く会釈をした母親が連れて行く。それになんとも言えない気恥ずかしさを感じたナマエと、いい雰囲気を壊されて「んのガキ」と唇を尖らせる侑の手はそれとなく離れた。



「……おら、そろそろ帰んぞ。早よあたま乾かせやお前」

「なっ……誰のせいやと思って……!!」

「お前がまだ帰りたくないねん……みたいな顔しとるからやろーが」


「しっ!!してないし!!!あほ!!!ほんまあほちゃう侑!!!」


「あほって言う方があほなんですー」


「くっ……(この万年小学五年生……!!!)」


ハーフパンツのポケットに手を突っ込みながらそう悪態をつく侑に、今日ばかりはいまいち突っ込みも奮わなければ言い返せないナマエ。そんな悔しそうな顔するナマエにけけけ、と悪い顔で笑った侑はまるで先ほどまでの空気とは一転して色気のないやり取りを展開する。
ほんとうはかわいい女の子からの差し入れも、応援のうちわにも少し胸が痛んだ。帰り際、いつの間にか井闥山や白鳥沢の選手と遠目に挨拶する仲であったらしいナマエの姿に嫉妬した。けれどそんな見て見ぬ振りをしてきた自分たちの中の感情が今日、ほんの少しだけ色を変えた。

部屋へ向かう帰りのエレベーターの中、二人きりの空間に少しの緊張を感じるのはその証拠。



「……明日寝坊すんなよ置いてくぞ」


「侑やろ」



いつまでもそんな憎まれ口を叩きつつ。

夏のインターハイ。結果は準優勝と侑に、いや稲荷崎にとって思わしくない結果だったが、誰がなんと言おうとやはり実りある試合だったとナマエは思う。そしてずっと曖昧だった二人の関係がほんの少しだけ、変化する切っ掛けにもなった。白とも黒ともつかない。どちらへ転ぶかもわからないこの関係。
そんな改めて自覚した自分たちの感情を手土産に、明日早朝、彼らは大分の地に別れを告げる。


27072021




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