ピンポーン、



今朝後にしたばかりのマンション。意を決してエントランスのインターホンを押すと、私の覚悟とは裏腹にへーーい、とか気の抜けた返事が返ってくる。名前を言うとすぐにドアは解錠され、考えが纏まらないまま体はエレベーターに乗り込んで目的階のボタンを押す。

こんな時ばかりは一度も捕まることなくスムーズに昇ったエレベーターは最上階で私を吐き出すとそそくさと口を閉じた。少し歩くとすぐにヤツの部屋の前に着く。私はひとつ深呼吸をしてもう一度、恐る恐るインターホンに指を伸ばした。



「…………おす」


「おう。なんや早かったな」



休日のラフな部屋着姿で出てきたアツム。少し前までベッドにいたのか、些か緊張する私をよそに大きなあくびを噛み殺したそいつの頭には寝癖までついている。そのあまりの緊張感の無さに、こいつが鈍感でよかったと思う一方、こちらばかりが気を揉んでバカみたいだ、と少しやるせない気持ちになる。


「ポカリ買ってきてくれた?」

「ん」

「おおきにー」

「スマホは?」

「なんやねん、せかせかした奴っちゃな」



言われた通りに来る途中コンビニで買ってきたポカリを袋ごと渡す。とりあえず今の私の最終目標はスマホを受け取ってなるたけ早くこの場を去ることだ。そんな急く気持ちを悟られたようでアツムが苦笑いする。


「わざわざ電車乗って来たんやろ?上がってけばええやん」


「えっっっ」


そう言って扉が大きく開かれる。

私たちは確かに飲み友達だけど、飲む時は必ずどこかの店か、稲荷崎やMSBYのメンバーなど第三者がいて、決してどちらかの部屋で二人きりになったことはない。アツムとしては特に深い意味はないのだろうが、私はやはり今朝のことがあるので入るのを渋ってしまう。



「い、いや、アツムも昨日散々私に付き合って疲れたやろし、今日はゆっくり休んどきや」


「?なにを変な気ィつこてんねん。サブいで。」


「は、はあああ!?」


「ジュースくらい出したるがな」


「じ、ジュースて…………」



人の気も知らず能天気なアツムにため息が出る。しかしここまで言われて断るのは逆に変に思われるかも。しれっと入ってしれっとジュース飲んで、さっさと帰ったらそれでミッションコンプリートや。

そう自分に言い聞かせて、一向にスマホを返してくれる気配のないアツムに渋々肯定の返事を返す。


「…………わかったよ、ほんならちょっとだけ、お邪魔します………」


「はいはいどうぞいらっしゃい〜〜〜」


「……………」


胡散臭い笑顔を浮かべるアツムに促されるままに玄関に足を踏み入れる。ほんまはここに来るのは三度目やて、アツムに言うたらどんな顔するやろか。そんな私の考えを隣の男は知る由もない。













「ほい。ポカリ」


「………ほんまにジュースなんや……」


「は?なんやとおもたん?」


「いや………」


「お前二日酔いや言うてたやん。水分とっとかなあかんで」


「……………ありがとう」


「いやーーアツムくんってほんまに優しいなあ。イケメンやし性格もええし、惚れてまうよなあ」


「アツムも頭痛いんやったら飲んどきや」

「誰の頭が痛いねんボケ」


グラスに入れて出されたポカリはどうやら私を気遣ってのものだったらしい。いや、買ってきたの私やけど。
突っ込まな死んでまう関西人の性を発揮したところで、隣でブツブツ言っているアツムを見遣る。こいつがほんまに性根の優しい人間かはさておき、昨日も今日も、こうして私に付き合うてくれたんやもんなあ。その優しさには心から感謝したい。


落としたスマホもアツムが持ってきてくれて、私は出されたポカリをちびちびと飲んでいた。なんだか色々あったけれど、全てのことが丸く収まったようで(いや、そんなことは全くないんだけど)、私はのんびりとこの部屋を見渡していた。


今朝は動揺していてほとんど記憶にないけれど、引越し当初より少し物が増えていた。特に視線を引いたのがサイドボードの上に新たに飾られた数枚の写真立て。思わず席を立って覗きに行く。



「あ、これ北さんが卒業の時の」


「おん。結婚の………あーーーこないだの話聞いて思い出してん」


「ふふ、ええよ。気ィつかわんでも。辛いのは変わらんけど北さんの幸せは祝福したいから大丈夫やで」


「…………」



やはり私に気を使っているらしいアツムは珍しく言葉を濁して気まずそうにする。写真の中の彼はやっぱり素敵で、また胸がチクリと痛んだけれど、今朝の騒動や、アツムやオサムの優しさに触れて気づけば以前より穏やかな気持ちで北さんが結婚するという現実に向き合える気がした。


懐かしさも相まって、少しの間屈んで写真を覗いていると、いつもはお喋りなアツムがなんだか静かだなと思い出し振り返る。するといつの間にか体が触れ合う距離に佇んでいたアツムに驚いて息が詰まった。え、なに、至近距離の190センチ近い男めっちゃ怖い。



「っ、び、っくりした……な、なに。どしたん」


「………いや、辛いんやったら泣いたらええやろが。俺おるし。俺んとこ来たらええやん」


「………………えっ……………?」


「お前そのほんまに理解できへんみたいな顔やめろ腹立つ」


「…………ええと、」


「ほんましばくぞお前」



急に何かよくわからないことを言い出したアツムに私は彼の言う通りずいぶん間抜けな顔をしていたのだろう。

普段は口を開けば暴言ばかり吐くアツムが、ここ数日なんだか優しい。それも泣きたいなら俺を頼れと、まるでイケメンのような台詞を言うものだからやはり理解が追いつかない。え、だってそんなん、アツムが私のこと好きみたいやんか。


いまいち理解していない私を、アツムは焦れた表情でがばりと抱き締めた。私の体をすっぽり覆ってしまうような、筋肉質で大きい体。代謝がいいのか緊張からか、体、熱いな。と感じる。ちょうど耳元に近い彼の胸からは少し早い心臓の音が聞こえてくる。
そんなアツムの体に触れた瞬間、忘れていたはずの感触がフラッシュバックのように襲ってきた。粗暴な口調に反して繊細な指先が肌に沈んだこと、夢中で私の肌に何度も赤い痕を残したこと。ふつふつと湧き上がる記憶と同時にみるみる顔が真っ赤に染まってゆく。



「い、いや、アツムちょっ………」


「…………なんやねん、ええやろがハグくらい。俺のことそんな嫌いか?」


「ま、まっ………ぁっ、」



大きな体が縋るように私を抱き竦む。
甘えるように首筋に頬を寄せられて、そっと口づけを落とされるとひとつ身震い。触れられた箇所からじわじわと熱が伝達してゆくみたい。思わず漏れた情けない声に耳が赤くなる。



「………なに、今の」


「ち、ちがっ……!!!」


「……えらいかわいい声出すやん、煽ってんの」


「あ、つむ、」



止まって、と辛うじて絞り出した声は情け無く小さく窄まって消えた。
私の反応がアツムの加虐心に火をつけてしまったようで、体を押し返す私に体重をかけてじりじりと後退ればついにこつん、と肩甲骨が壁にぶつかる感触がした。


アツムは戯れる大型犬のように私の首元に顔を埋めて離れない。鼻先で髪をくすぐってみたり、耳たぶを甘噛みしたり、首筋に沿って唇を這わせたり
どれも控えめでやさしい、けれどこの意地悪を止める気はありませんよ、と無邪気な残酷さが伝わってくる。


「ええにおいするわ」


「へ、変態やん……」


「あれ、知らんかったん?」


耳たぶの後ろのくぼみ、口付けられるとリップ音がよく響く。

そのたびに体が震える。アツムの熱を帯びた息遣いも、蘇る彼と触れ合った昨夜の肌の感触も相まって思考がどろどろにとろけそうだ。すっかり抵抗する気力を無くした私にアツムはこんな時ばかり落ち着いた声色で耳元に語りかける。普段とは違うその低音が否が応でも鼓膜に響く。



「………俺、どーでもええ女と酒付き合わんし、失恋話聞いても慰めたろとか思わんし」


「…………」



「泣いてんのみて抱き締めたい思うんもお前だけやぞ」



そう言うアツムの耳は真っ赤で、言われた私もまだこれ以上赤くなるかと言うくらい二人茹で蛸になる。でも、この190センチ近い大男が、顔を真っ赤にして必死にそう告げる姿を思わずかわいい、と思ってしまった私はまんまと奴の手中かも知れない。



「……………アツム…………ごめん私の方が恥ずかしい…………!!!!!」

「うっさいわ男はみんなロマンチストやねん!!!!ええから黙って慰められとけ!!!!」


「慰めるってかほぼセクハラだったけど…………」


「そんなん好きな女抱いとったら手ぇも出したなるやろが。そんくらい許せや」


「アツム………そういうとこやで………アツムがいつも女の子にクズや言われるんは…………」


「っっっやねん人が素直に告っとんのにほんまかわいくない女やな!!!!」



「……………ありがとなアツム……」



アツムが本心から言ってくれてるのだということはわかる。だから、私も素直にお礼を言った。見上げると、視線が合って、アツムはまたひとつ抱き締める腕に力を込めた。そして私はデジャブを感じるこの腕の中が、案外心地いいものだと再認識する。



「………今はまだわからんけど、アツムのことも、アツムに触られるのも嫌ではないってわかった」


「!!!ほんまか!!!」


「ちょ、………うん、でも、まだちょっと考える時間欲しいから……この肩に置いた手は離して………」


「は?なんやねん、美人局かいな」


「オイテメエ」



「ハイハイわーりました、もう散々高校ん時から待ったんやから、今更まだ待て言われても喜んで待たせて頂きますわ」


「………(高校の時から……)」


「俺こう見えてほんまに欲しいもんには一途やで。お利口さんに待っとるから、かわいがったってやあ」


「………なんかその言い方えろい」


「やろ?誘っとんねん」


「破廉恥や………」




こうして私の失恋により、私とアツムの腐れ縁はすこし形を変えました。そんな私たちが正式にお付き合いを始めることになり、例の一夜の過ちを知ったアツムが頭を抱えるのはもう少し先の話。




由々しき春のうた

11042021

titel by かたち 様



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