「…………おまえ、なにしとんねん」
「ほんま私なにしとんねんーーー!!!!」
目の前には握りたてのネギトロとピリ辛きゅうりのおむすびがほこほこと湯気を立てている。いただきます、と両手を合わせてほおばればちょっと口の中火傷、でもめっちゃ美味しい。カウンター越しに置かれた淹れたてのほうじ茶を含めば至福の時や。ほんま、嫌なことぜんぶ忘れられるわ。なんて訳にもいかんのやけど。
「つーかなんで俺に言うねん。俺身内同士のそんなドロドロした話聞きたないっちゅうねん」
「いや!!!!まだわからん!!!!昨日二人とも泥酔してたしあの状態でいれれるとは思えん!!!」
「アホ真っ昼間からんな話店ですんな」
思わず声のボリュームが大きくなってしまって慌てて謝る。幸い、奥の座敷には数名のお客さんがいるが、喋り声やテレビの音にかき消されて会話の内容は耳に届いていないようだった。
「……言うても二人とも服きて無かったんやろ?」
「……………たぶん」
「そらもうアウトやろ」
「……………でも一応アツムにはバレんうちに出てきたし、覚えてなければあるいは……」
「………ほんなら知らんふりして今まで通り付きおうたらええんちゃうの?」
「……………できる!?!?!?!?オサムならできる!?!?!?!?」
「うっっっさ。どっちやねん。うっざいし」
仕込みをしながら話を聞いてくれるオサム。しょぼくれた状態でもオサムの握るおむすびは美味しい。冷めないうちにと残りを味わいつつほおばっていると、ふと視線を向けた先のカウンター越しのそいつが当たり前ながら話の渦中の男と同じ顔をしているものだから米を喉に詰めた。慌ててお茶で流し込むも店主から完全に呆れた視線を送られる。辛い。
アツムのマンションを出てから私は休日診療を行っている婦人科へ行って、念の為薬を処方してもらった。
その帰り道、様々な感情が渦巻く頭でふと考えたのがおなかすいたなあ、だった。とぼとぼと電車を乗り継いで再びやって来たおにぎり宮。引き戸を開けて暖簾をくぐると炊きたてのごはんの甘い香りがしてまた涙腺にきた。あの人が丹精込めて作ったお米。私、なにやってんのやろうって。
「……そもそも、お前がグズグズしとるからやろ。北さん結婚してしもたん」
「………だって、北さん見てたら自分なんか釣り合わないって思って、もっと頑張らなきゃって………そしたら知らない内に向こうは身を固めてたみたいな」
「まあ確かにおばあさんの紹介らしいから知り合ってまだ浅いみたいやけど。でもあの人そういうことサクッと決めそうやし、決めたことは守り通す人やろしなあ」
「……………」
オサムの言う通りなのだ。グズグズしてた私が悪いのも、北さんの性格もすべて。
きっと北さんはこれからも美味しいお米を作りながら淡々と生活を紡いでゆくのだろう。そして一度契りを交わした奥さんや、これから授かるであろう子供のことは生涯をかけて心底大切にするのだろう。どれも簡単に想像できること。ただ、その隣に自分がいることは今も昔もやっぱり想像できなかったのだ。
「………サービス」
「えっ」
目の前に置かれた焼明太子のおにぎり。この店の人気商品。お客さん相手ならまだしも、プライベートになるととんと笑顔を見せないオサムがやっぱり無表情で置いてくれたおにぎりは無愛想なのにどこまでも嬉しかった。じわりと瞳の奥が熱くなる。
「ほんなに好きなら、今からでも遅ないんちゃう?」
「…………ううん、人の婚約話に水刺すようなことしたくないし、告白したところで、成功する想像なんてできないし」
「…………」
「きっと縁とかタイミングとか、そういうものがなかったんだと思う」
「…………ほんなら、うまい飯食って、ぜんぶ消化してまい。ドロドロした気持ちもぜんぶ。」
「………うん。ありがとな、オサム」
でっかいおにぎり、本日三個目とか気にしない。そんくらい美味しい。この米を作った人も、中の具を作った人も、握ってくれた店主も、みんなのエネルギーが詰まってる。栄養満点や。
友達の思わぬ優しさに触れて、そして美味しいごはんを食べてちょっと回復した気持ち。まだまだ完全に立ち直るのは難しいけど、オサムの言うようにゆっくり消化していけたらええなあ。
そう考えながらおにぎりをほおばっていると、何やら電話でも掛かってきたらしいオサムがカウンター下でスマホをチェックしている。仕事の用事だろうか、と思っていると一瞬こちらに視線を寄越したオサムは店の奥に引っ込んで、そしてすぐに出てきた。
おにぎりを食べ終わりのんびりとお茶を飲んでいると、何故かオサムは自分のスマホを私に押し付ける。呆けた顔をしながら目の前に掲げられたディスプレイに目をやると、そこには『ツム』の文字。思わず座席から立ち上がり距離を取るも、オサムは目を瞑って首を横に振る。何やそれは。逃げられへんでって意味なん?
まあ確かに、このままアツムから逃げ続けることなんかできへん。そう意を決して、ひとつ深呼吸してスマホを受け取る。もしもし、と発した第一声が上ずる。口の中はお茶飲んだとこや言うのにカラカラや。
「……おん。やっと出たわ。おっそいねん。どんだけ待たすねんお前」
「え?あ、いや……ごめん?」
「なんで疑問形やねん」
「いや、なんとなく………ていうかなんでオサムのスマホに……?」
「なんでて、なんや知らんけどお前が自分のスマホ俺の家に忘れてったんやろが」
「えっ、すっ、う、……!?!?!?!?」
案外、電話の向こうのアツムが普段通りでほっとするも、急に確信をつかれて焦って吃りまくる。電話の向こうではアツムのハ?なんて?という訝しげな声が聞こえる。思わずまた声のボリュームが上がってしまいそうなのを、こちらを監視するオサムの視線を感じてなんとか小声に押し留める。
「そそそそそそれは………あの………」
「……なんやお前今日変やで。いつも大概変やけど。二日酔いか?」
「え……あ………ウン、そやねん……そんなとこ………ほんで、なんか体に優しいごはん食べたいなあ、思たらおにぎり宮来てしもうたみたいな」
「ほおか。まあ連絡ついてよかったけど。昨日は酔うとってタクシーで帰ってきたのしか覚えてへんのやけど、そこで荷物紛れたんかもしれんなあ」
「そ………そやな、ウン、私も絶対それや思うわ。それしか無いわ」
「まあとりあえず、無事に帰っとったみたいでよかったわ。………すまんな、ちゃんと送ったれんくて」
「え……………う、ううん。ええよ、そんなこと………私も遅まで付き合わせてごめんな」
相変わらずの暴言はさておき、なんだかアツムが妙に優しくて心臓の音が次第に速まっていく。それはトキメキの類ではなく違和感を感じた時の言い知れぬ不安だ。
しかし変なところで純粋というか、鈍いアツムはどうやら昨夜の出来事に気づいていないようでひとまずほっとため息をつく。そう思っていたのも束の間、
「ほんならスマホ取りに来ぃや。」
「え"っっっっっっ!?!?!?」
「?なんやねん、無かったら困るやろスマホ」
「こ、こま、こま……………せやな…………」
「……なんやねん今日ほんまキモイでお前。酔うて頭でも打ったんか?大丈夫かいな」
「(人の気も知らんとこいつ……!!!)……ち、ちなみに持ってきてもらったりとかは………」
「はあ???なんっで俺がそこまでせなあかんねん。ええから早よ取りに来い。あ、あと来る時ポカリ二本買うてきて」
それだけ言うと電話は切れた。繰り返されるビジートーンを聞きながらぼんやりとした顔でオサムの方を向くと目を逸らされた。
「どどどどどどうしよオサム」
「どうしようも何も取りに行くしかしゃあないやん。いるやろスマホ」
「せやけど…………オサムゥゥゥゥゥ」
「泣くな」
一難去ってまた一難。先ほどまで慰めてくれていた友達は、今は手のひらを返したように“俺、これ以上巻き込まれたくありません”オーラを全面に出してくる。泣きつく私を無視して伝票を取り出したオサムは淡々とお会計金額を告げる。もう追い出す気満々やんこの店主。
「毎度おおきにー」
「そこは奢っといたるから行ってこい!とかじゃないねや……」
「甘やかさんぞ俺は」