この人、あ、苦手な人だって初対面の時思った。

目があった時、すべてを見透かしてしまうような視線を感じて、自分の中の情け無さや誤魔化している部分を白日の元に晒されてしまった気がして。けれどそれを咎めもせず、ああ、そういうこともあるよねって優しいフリした冷たい笑顔を返してくるところとか、すっごい怖くて勝手に傷つけられた気分になった。


そりゃ私はあなたたちのように泥臭く打ち込める夢も続けられる根気もないけれど、だからってまるで悪者を見つけたように責めなくたっていいじゃあないか。あ、責めてこないから余計質が悪いんだ。こっちが傷ついた顔を見せるとえ?なんで勝手に落ち込んでんの?って知らん振りを決め込むから。私は今まで目を逸らしてきた自分自身の罪をまざまざと見せつけられる。自覚させられる。誰も悪くないからよっぽど恐ろしい。



だから私が高校の三年間片思いをしていた夜久くんについに想いを告げられなかった時も、黒尾はただじっとこちらを見透かしたような目で見てた。誰もが誰も声を上げられる訳じゃない。想いを告げることが正義じゃない。だからそんな目で見ないでよ。振られてすらいないのに泣きそうになるから。


シューズのグリップ音、ボールがぶつかった時の見た目よりずっと激しい音や、仲間を叱咤激励する声。体育館の入り口の隅っこから、体は小さいけれど決して折れないその背中をずっと見ていた。気が強くって、見た目よりずっと男らしくて、自分の欲しいものをその手で取りに行ける強さが眩しくて。呼吸を忘れるほどその姿に胸を締め付けられた。


卒業式の後の体育館裏。もうあの背中を見ることはないというのに、私の足はいつもの定位置に向かっていた。時にゴミ捨て場に向かう振りをして、時に黄色い声を上げる女の子たちに紛れて。自分は見つからないようにさして興味のない振りをして、それでも目を瞑れば瞼の裏に反芻できるほど何度も繰り返し見つめた姿。


スタートラインにすら立てなかった私が、泣く理由なんてないのに。何かが終わった気がして涙を止めることができなかった。



「卒業式の日までゴミ捨て当番?」



今この瞬間、一番聞きたくなかった声が背後から降ってきた。私は振り返らずブレザーの袖で流れた涙を拭う。なんでこいつは普段は人のこと馬鹿にするように冷めた視線を送る癖して、こんな日に一人で泣かせてもくれないの。ほんとに意地の悪い奴。そんなに私のことが嫌いか。なんで卒業式にまでこんな気持ちにならないといけないの。


「………黒尾くんこそ、もう部活は終わったよ」


「あーーーね。でもいっつもゴミ捨てのフリして部活覗きに来る子がいるなーーと思って勘違いしちゃった」


「………黒尾くんってホントいい性格してるよね」


「それはお褒めに預かり」



ひとつ爽やかな風が吹く。冷たい冬が終わって、春のにおいのするやわらかい風が。その爽やかさが余計にもう彼に対して抱く胸の高鳴りも告げられない堂々巡りの感情もすべて終わりだよと軽やかに残酷に私の背中を押した気がして我慢していたはずの涙がまたぽろりとこぼれ落ちた。



「いいの、なんも言わなくて」



初めっからこの人は私が夜久くんに向ける視線の意味を知っていた。平凡で何の取り柄もない私が彼を振り向かせられないことも、想いを告げる勇気もないって臆病な気持ちも、すべて見透かしてああ、そうですかと高みの見物を決め込んでいたことを。
揶揄うことも、背中を押すこともしなかったのに、最後の最後に残酷な現実を確認してそれを私に飲み込ませようとしてくる。まだ、消化するには随分時間がかかる。それとも、挑むことすら出来なかった戦いの記憶はこれからずっと私の足枷になるだろうか。

そんなこと本当は全部自分が一番よくわかってる。きみに言われるまでもなく。


「言えないの、わかってる癖に」


「…………」


「みんながみんな、真正面から誰かとぶつかったり、欲しいものを取りに行ける勇気を持ってる訳じゃないの」


「…………」


「……そんな自分が、誰より情け無くて不甲斐なくて、悔しいってことも、わかってるんだよ………」


言葉にできなかった本音が、なんの滞りもなくぽろぽろ唇からこぼれ落ちる。たぶん、一番さらけ出したくなかった相手の前で。また何か遠回しな嫌味や、止めのナイフを刺しにくるかと覚悟していたけれど、黒尾は情け無く震える私の言葉を黙って聞いていた。

振り向くことはできない。また、あのすべてを見透かすような目でこちらを見ていたら私はまた傷ついて、今度こそ自分の殻から出られなくなってしまう気がして。怖くて、そして私の想い人と肩を並べて戦える彼が羨ましくて、ずっとずっと苦手だった。嫌いだった。その強さに憧れた。



「わかるよ」


「…………」


「俺も言えなかった。んでムカついた。泣いてんの見てザマアミロって思った。けど俺とアンタが違うのは、アンタが視界の端っこにいない明日を俺は想像できなかったってことだけ」



淡々と紡がれる言葉は私の中に縺れた糸のような違和感をもたらして、それを自力でほどくことはできなくて訝しい顔で振り返る。スタートラインの向こうじゃない。ずっとずっと近い距離で、そして夜久くんじゃなく、この随分大柄で、威圧感があって、意地悪に笑うこの人に焦点を合わせて目を見たのは初めてだった。

見上げた表情は思い描いていたよりもずっと完璧じゃなくて、悩んで、迷って、相手の気持ちを思い描いて、縺れて絡まってそれでも放り出せなかった気持ちをストレートにぶつけてきた。そんな感じ。数秒考えて、思い至った可能性にみるみる耳が熱くなる感覚がする。いや、そんなまさかバカな。あの黒尾に限ってそんな訳がない。



「………それは………どういう………」


「まじかハッキリ言わせるとか中々ドSですねオネーーサン」


「えっ。いや、あの、そういう訳じゃ」


「んじゃーーーハッキリ言うけどアンタが夜久のことずっと見てんのも知ってたしそんなアンタをずっと見てたのは俺だし告白しねーーってんなら玉砕覚悟で俺とオトモダチからどうですか?っていう」


「…………………ハ……………」


「………お誘い?…………つーか勝負」



もう真っ赤になった顔を隠すことなんかできない。俯いた先には大きく伸びる彼の影が私の体を覆っていた。
私は夜久くんの背中をずっと見てきた。小柄だけれど、強さと自信に満ちていて、大きな背中を。この人は一体私の何を見ていたというの?同じ学年でも、何度も目があっても、大して話をしたこともなければもっと言うとお互い嫌い合っているとさえ思っていたのに。


顔を上げる。もう一度。目の前の大きな男は、私と目が合うと今度はニィッと意地悪そうな笑みを返してきた。なんだろこの人。なんでやっぱり私が逃げるように目を逸らさないといけないんだろう。私の視線の先を知っていながら、立ち向かう先が足が竦むような困難と知っていながら、まるで逆境を楽しむように、この人たちは。



「……………な、なんで私………とか、ごめん、聞くの失礼だけどほとんど喋ったこともないし………」


「えーー?ミョウジさんだって夜久と喋ったことあんの?」


「……………17回あるよ」


「うわあしょっぱい数字だねえ高校三年間で」



ちょっと待ってなんでやっぱり私が追い詰められてるの。この人と目が合うとなんだか責められてる気分になるのはやっぱり気のせいじゃなかった。この人わかってやってる。確信犯。やっぱり苦手なことに変わりない、黒尾鉄朗。



「でもミョウジさんの世界を俺が知らないように、俺の見えてる景色も知らないでしょ?」



でも、以前よりほんの少しだけ、この人の目にも世界がとんでもなく大きく恐ろしく映ったり、それに恐れ慄いてしまうことも、誰かの気持ちを想像してそっと見守ることもあるのだと知った。私の見えていた世界は私だけのもので、もし、彼の、黒尾鉄朗の中に私の知らない私が、彼が踏み出してくれなければ知ることのなかった景色が存在するのなら、怖くても、欲張りでも、ほんの少しだけ勇気を出して明日の自分を変えてみたいと思ってしまった。


「まーーまーー難しく考えず仲良くしましょーーや」



そう言って差し出された大きな手は無遠慮に触れてくることもこちらを怖がらせることもしない。浮かべられた笑顔はやっぱりすこし胡散臭いけど、正面向かって開示される感情は案外優しくて実直だ。

気づけば涙は引っ込んでいた。心に刺さった刺はまだずいぶん取れそうにない。春風はそんな傷心が癒えるのを待ってはくれず、急かすように背中を押してくる。恐る恐る、目の前の大きな手に触れた。軽く握ると同じような力加減で返してくる。目を見るとまたニッと笑った。あ、でもさっきよりちょっと嬉しそう。子供みたいな笑顔



「………ありがとう、黒尾くん」


「ドーーイタシマシテーー」


「…………」


「ミョウジさんってチョロいって言われない?」


「えっっ」



いや、わからん。やっぱり性悪なのかも、この人。そんな一抹の不安を残しつつ、私の、そしてみんなの新しい春が始まろうとしている。何かの終わりは何かの始まりへ続いている。寂しさよりも今年はほんの少しだけ期待が勝るのはこの目の前の意地悪な笑みを浮かべる男のお陰かもしれない。大きな体と、大きな手と、そして大きな力を持っているにも関わらず同じ目線で、そして同じ力で向き合ってくれようとする案外思慮深いこの男の。


「そんじゃま、これからもよろしくな」

「……こ、こちらこそ?」


「なんで疑問形?」


「いやなんとなく………」



明日はもう少し、自分を好きになれるように。今一歩踏み出してみよう。






きみの足あとに花は咲く


31012021



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