長編2 | ナノ
きっかけは突然に



電話を切ってからセレナが走ってくるまで、どのくらいあっただろうか。
俺はずっと駅前のベンチに座って、何を考えるでもなく行き交う人々を眺めていた。
誰も行き詰まって立ち止まるような人はいなくて、まるで一人だけ世界から取り残されたような気持ちになる。

そんな風に沈み込んだ俺の上に影が落ち、見上げるとそこにセレナが立っていた。

「ルドガーさん」

相当急いで来てくれたんだろう。セレナは息が整いきっていない。

「あの……」

彼女は何を思ったのか俺の両手を掴む。
一体どうしたのかと俺が目を丸くしていると、セレナは至って真面目に言う。

「美味しいもの食べに行きましょう!」

そう言われるとは予想していなかったから、つい反応が遅れてしまった。
セレナはそれを、俺が困っていると捉えたのか慌てて両手を離す。

「ごめんなさい、もしかしてお腹空いてないですか……?」

問題はそこなのかというツッコミが浮かび上がり、笑ってしまった。

「いや、飯はまだだよ」

時刻はいつの間にか夕食時を過ぎていた。兄さん、自分で何か食べてくれてるといいんだけど……
GHSを開いてみても兄さんから連絡は入っていない。相当疲れてたから、寝てるのかも。
俺は一言、外で食べてくるから兄さんもちゃんと夕飯を食べるようにとだけメールを送り、立ち上がる。

「どこか良いところ、あるか?」

俺が乗り気だと分かったらしいセレナは、嬉しそうに大きく頷いた。

「はい!それはもう」



セレナがよく友達と来るという学生街の定食屋は、定食屋と言う割に小洒落ていて落ち着いた雰囲気だった。
メニューも豊富だし、どれも凝っていて目移りする。

「こんな店があったなんて知らなかった」
「穴場でしょう?今でも結構人気なんで、これ以上混んじゃうと嫌だから秘密にしてて」

メニューに目を通しながらセレナが悪戯っぽく笑う。
俺に教えてくれるのは良かったのか?
それを聞こうか迷っていると店員が注文を聞きに来て、タイミングを失ってしまった。

「旨いな」

出された料理を口に運ぶと、自然に声が出る。
俺には出せない、まさにプロの味ってやつだな。

しっかり聞いていたらしいセレナは嬉しそうだ。

「良かった!料理上手な人って舌が肥えてるから、張り切ってお連れしたのにそれ程でもないって思われたらどうしようかと」

店員に聞かれないよう、最後の方は小声で言うセレナ。
別に俺、高級料理とか食べ慣れてるわけじゃないんだけどな。

「元気が出ないときは、まず美味しいものをお腹いっぱい食べるのが一番。
お腹が空いている時って悪い方向に考えてしまいがちですから」

そう言って飯を頬張るセレナの姿には妙な説得力があって、つい笑ってしまう。

「そうだな。その通りかも知れない」

現に、今の俺はさっきより随分気持ちが楽になっている。
目の前に、一緒に笑って同じ時間を過ごしてくれるセレナがいるからかな。

食事が終わって最後に出されたコーヒーを楽しんでいると、ふとセレナが呟く。

「けど、これじゃ根本的な解決にはならないですよね……」

コーヒーに渦を巻くミルクに視線を落とし、セレナはぽつりぽつりと話し始めた。

彼女も両親から、今年のエージェント採用が一部見送りになった事を聞いたようだ。
その中には俺の志望する戦闘部門だけではなく、セレナの志望している兵器関係の部門も含まれているらしい。

「来年のことも分からないと聞きました。
これだけ大きな出来事ですから、数年は落ち着かないだろうし覚悟するように、と」

俺は兄さんとそこまで話す間もなく飛び出してきてしまったから、その言葉には余計な衝撃を受けた。
俺だけでなく、セレナまでも……。

「リーゼ・マクシアにあったはずの壁……断界殻〈シェル〉って名前らしいんですけど、その壁を崩す発端になった兵器って、クラン社が軍に提供したものらしいんですよ」
「なるほど、それを知られればリーゼ・マクシア側も警戒するかもしれないな」
「既にお互いの国にスパイが潜入しているって話もあるみたいです。隠し通すことは難しいでしょうね。
軍もしばらくは表立って活動出来ないみたいですし……正直この先、どうなることやら」

セレナはそこまで言って、溜息をついた。

「それで……そんな話を聞いてルドガーさんは知ってるのかな、大丈夫かなって思っていたところに電話を貰ったんです」

そうだったのか。
もしかして自分の心配より先に俺のこと、心配してくれたのか?

「俺、どうしたらいいのか分からなくなっちゃってさ……突然電話かけたりしてごめんな」
「行き詰まったら相談してくれるって約束したから、ちゃんと覚えててくれて嬉しかったです」

セレナは首を横に振って、何故かはにかんだように笑った。
飛び出してきた手前兄さんには相談できないのは当たり前としても、別に同じように就活に苦労してる友達に相談したって良かったんだろう。
けど真っ先に浮かんだのはセレナだった。

どうしてか、愚痴りたいとか慰めてほしいとかいう気持ちは浮かんでこなくて、ただひたすら、彼女に会いたいって気持ちだけが俺を動かしたんだ。

「エージェント採用は、色々落ち着いたら何年後かに受けられても良いと思います。
その内、必ず人手が必要になる仕事ですから」

セレナの言う通りだろう。
事実、あの得体の知れない世界に、いつまでも気を使い続けるだけでは駄目だろうという世間の声も小さくない。

「そうだな。けどまずは目先の事を考えないといけない」
「私も同じです。きっと世界はこの先どんどん変わっていくはずだから」
「俺ももう少し視野を広げないといけないな。色々、他の仕事も探してみるよ」

ずいぶん長いこと話し込んでしまったらしい。店の中は仕事帰りのOL達でだいぶ混み始めてきた。
空になったコーヒーカップをテーブルに置いて、俺達は店を出ることにする。
外はもう、夜風が気持ちいい時間帯だ。

「あの、もし嫌じゃなかったら聞かせてもらいたいんですけど」

宛もなくとりあえず大通りを並んで歩いていると、セレナが言う。

「どうしてルドガーさんはエージェントを目指したいって思ったんですか?」

そう言えば、散々志望していることは話してきたけど理由を話したことはない。
セレナの方は、黒匣が好きだからって最初に会ったとき言ってた気がするけど。

「そうだな。セレナになら聞いてもらいたい」

そう言って、俺はセレナを伴って駅前のベンチに座る。
偶然にも、セレナが迎えに来てくれた時に俺が一人で座ってた場所だ。

「俺には兄さんが一人いて……それが唯一の家族なんだけど。その兄さんがエージェントなんだ」
「お兄さんって、確かルドガーさんがエージェントになるのを反対しているっていう?」
「兄さんは本当に強いし頭も良いし、エージェントの中でもみんなに頼られてる。
そんな兄さんから見たら俺なんてまだまだだから、言いたいことも分かるんだ」

話してると段々自分に自信が無くなってくるな……。
でも、だからこそ俺は自分に自信を持ちたかったんだ。

「憧れの人に認められたいって気持ち、とっても分かります」
「エージェントになれば認めてもらえるって、思ったんだ。
それにデスクワークより身体を動かす方が好きだし、強くなりたい。だから俺は戦闘部門のエージェントを目指してる」

強くなりたい。
これは最近になってますますそう願うようになった。
勿論兄さんの背中に追いつきたいのもあるけど、それだけじゃなく。
それこそ、どんな魔物にだって怯まないような強い男になりたいって。

俺にそう思わせるのは……

「例え同じ道を歩まなくても、きっとその思いはお兄さんに通じますよ。
私から見たルドガーさんは、十分強くて……かっこいいですし」

思わず自分の世界に入り込みそうになったとき、突然セレナがそんなこと言うものだから照れくさくてお礼もできなかった。
セレナもセレナで、自分で言っておいて恥ずかしそうにしだすものだからしばらく沈黙が流れた。

そんな空気を変えたくて、俺はまた口を開いた。

「あんまり深く考えてこなかったから、俺にはこれしかない!ってずっと思ってたんだ。
けどもう少し視野を広めないとな……良い機会だと思って」

ここで腐っているだけじゃ、絶対に兄さんに認められるようになる訳がない。

「セレナのお陰でそのことに気付けたよ。ありがとう」

今度は自然に感謝の気持ちを伝えることができた。
と思う。

隣を見ると、セレナはふわりと柔らかく微笑んでいた。

好きだなぁ。

……ん?

今の、俺口に出してないよな!?

「どうしました?」

まじまじ見つめてしまっていたらしい。
セレナの反応を見るに、口走ってはいないみたいだ。

というか俺、今初めてセレナのこと好きだなって思ったよな?
すごい自然じゃなかったか。

恋に落ちるっていうより、落ちてたことに今更気が付いた……みたいな。

「ごめん、何でもないよ。ただ、セレナに感謝してた」
「ルドガーさんが自分で答えを見つけたんですよ。私は美味しいお店を紹介しただけです」

そう言ってセレナは笑った。
上手く誤魔化せたのだろうか。

気持ちに気が付いてしまうとあっという間で、むしろなんで今まで気付かなかったのかとさえ思う。

好きだから、一緒にいて欲しい。
好きだから、もっと強くなりたい。

合点がいくことばかりじゃないか。

それに、好きだから……このまま抱き締めたくなる。

いけないいけない……と頭を振って、俺はセレナを送って帰るために立ち上がった。
ここで突然抱き締めなんかしたら犯罪者じゃないか!
逮捕?収監?罰金?借金生活!?
そんなのごめんだ。

不思議そうに見上げてくるセレナが愛おしくて、このまま俺達だけ世界から取り残されたって良いのにと思ってしまう。
俺だけ世界から取り残されていると感じていたことなんて、すっかり昔のことのようだ。

いつか本当に、君を抱き締めることができたら良いなと思う。


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