おいしいは、うれしい
「珍しい匂いがするなあ」
出掛けにキッチンを覗いた兄さんが言う。
男二人の暮らしなんてしてると、ホイップクリームの乗ったパンケーキなんてなかなか食べることないもんな。
「たまにはこう言うのも練習しようと思って。なかなか厚みが上手く出せないんだ」
「お前は本当に、凝り性と言うかなんと言うか」
兄さんは俺が皿に移したばかりの焼き立てパンケーキの厚みを横から確かめて、もう十分じゃないか?と呟いた。
確かにそれは成功したやつだからな。初めて。
「兄さんも食べる?」
「ああ、たまには良いな。遅くなるから、冷蔵庫に入れておいてくれ。
おっと、クリームはいらないぞ」
「分かった。ベーコンとチーズを乗せて食事用にするよ」
トマトも添えてくれ、と一言残して兄さんは出掛けていった。
スープもつければ良い夜食になるだろう。
さて、なんとなくコツも掴めたからもう良いか。
何枚か重なっているいまいち膨らみきらなかったパンケーキは……しばらく俺の朝ごはんにするとしよう。
料理には妥協したくない。
もはや俺のこれは、意地なのかもしれないけど。
インターホンが鳴る。
ドアを開けると、少し下がった位置でセレナが立っていた。
彼女は俺の顔を見て表情を緩める。
「合ってて良かった!お邪魔します」
「いらっしゃい」
家の場所が分かれば大丈夫と言うセレナと、迎えに行くと言う俺で何度か押し問答があった。
いつも通りお互い変なところが律儀と言うか頑固なので、今回は俺が折れることにした。
その代わり、帰りは送っていくと約束して。
セレナは俺の後について家に上がる。
女子が来ることなんてまず無い(ノヴァが突撃してきた事があったくらい)無機質な部屋が、浮足立っているように感じた。
まあそれは、俺の心持ち次第なんだろうけど。
「ナァ?」
俺の足元でルルが鳴く。
「猫ちゃんがいる! 可愛いですね」
「ルルって言うんだ。ルル、こっちはセレナ」
「よろしく、ルルくん」
しゃがんでルルを覗き込んだセレナ。
ルルはしばらく真ん丸な目でセレナを見上げてから、外へ出ていった。
「よくオスってわかったな」
名前からはどちらか分からないと思ったけど、セレナはさも当たり前のようにルルくん、と呼んだ。
セレナはそう言えば、と首を傾げる。
てっきり猫に詳しいのかと思ったけど。
「なんででしょう。自然に……そう思ったんです」
「そっか。まああいつ貫禄あるしな」
貫禄というか、存在感というか。
「そう、まさしく猫の王様!って感じがしました」
セレナはどこか納得した様子で、ルルの出ていった玄関を見ていた。
俺はそこでようやくセレナを席につかせる。
お客さんを立たせっぱなしじゃ良くない。
「さて、早速だけど作ろうか」
エプロンを着けると、セレナには飲み物を出して待っていてもらうことにする。
セレナは初めの内、俺の後ろ姿をぼんやりと見ていたようだ。
「いい匂いがしてきました!」
生地をフライパンに落とすと、セレナが言った。
振り向いて見ると、その目に浮かんでいるのは、期待の二文字。
これは失敗できないな。
「焼けたら、冷ましてトッピングするよ。クリームと果物でいいか?」
「すごい、そんなに豪華なんですか?」
またキラキラと目を輝かせて、セレナが言った。
せっかくお客さんに振る舞うんだ。しかもお礼に。
チョコソースもキャラメルソースも用意してある。
飲み物をラテにして、そっちに入れてもいいしな。
そうこうしていると生地がふんわりと膨らみ始める。
「あの、見てもいいですか?」
遠巻きに俺の手元を覗いていたらしいセレナが言う。
断る理由もないから、俺は首を縦に振った。
「わ、綺麗なパンケーキ!」
なんでも作るよと言った後、セレナはパンケーキが食べたいと言った。
なんでも自分ではなかなかお店のようには焼けないから、コツを教えて欲しい、と。
それがあったから、練習したってのもあるんだけど。
「生地の作り方もそうなんだけど、焼き方もポイントがあるんだ」
レシピ本を何冊か読んだ中で、俺なりに綺麗な焼き方を考えた。
それが喜ばれているのでなんだか誇らしい。
よ、っとひっくり返すと綺麗なキツネ色。
「これ、もうこのままちぎって食べたいくらいです!」
「トッピング色々用意してるけど?」
はやるセレナに向け笑って俺が言うと、彼女はあ、と声を漏らした。
「そうですよね。せっかく用意してくれたのに、すみません」
「いや、そういう訳じゃないんだ。面白かったから、つい」
焼いてるそばから食べたいだなんて、作ってる俺からしたら嬉しい言葉だ。
「なんか私、食いしん坊みたいですね」
そう言ってセレナも笑う。
俺は薄々、そう思ってたけどな。
ショックを受けそうだし、これ言わないでおこう。
焼きあがったパンケーキを冷ましている間、セレナに食べたいトッピングを決めてもらう。
ついでに俺の分も焼いて、全部が出来上がった頃にはちょうどおやつ時だった。
「わあ、お店のよりすごい……」
セレナが感嘆して、俺は得意気に答える。
「どういたしまして。さあ、食べよう」
「いただきます!」
セレナは一口食べては美味しいと顔をほころばせて、あっという間に平らげてしまった。
俺は彼女の幸せそう顔を見て、良かったなと思う。
「はあ、幸せでした……」
まだうっとりとした表情のセレナ。
そこまで言われると自分の才能が怖くなる……なんてな。
セレナを家の近くまで送るため、俺達は並んで歩く。
陽は少しずつ傾き始めていた。
「作り方のコツも教えていただいたし、これじゃあお礼のループになっちゃいます」
そう言ってセレナは楽しそうに笑う。
満足してもらえたようで何よりだ。
「美味しいって言って喜んでくれれば十分だよ。
それに、人間関係なんてそんなもんじゃないか?助け合って、補い合ってさ」
我ながらいい事を言ったぞ。
セレナは頷きながら、真面目な顔で俺の言葉を反芻しているようだった。少し恥ずかしい。
「じゃあもしルドガーさんに何か困ったことがあったら、私にお手伝いさせてください」
セレナはそう言ってふわりと笑った。
困ったこと、か。
自慢じゃないけどあんまり運が良い方とは言えない俺も、最近はあまり困った目に遭っていないな。
ただ、目下ひとつあるとすれば……
「そうだな、もし就活が行き詰まったら話でも聞いてくれよ」
「縁起でもない!きっと大丈夫ですよ」
ついにもうすぐ始まるんだ。
手始めに何社か受けたりする奴もいるけど、俺は初めに絶対クラン社を受けたくて。
と言うか、本命だからその後は考えてない。
落ちることを考えたくないから……なのが本音だけど。
「試験で空を飛ぶ魔物とかが出たとして、私の銃が役に立ったら嬉しいです」
「それはもう、間違いなく役に立つだろうな」
そしたらセレナだって、夢に一歩近付けるわけだし。
「その為にも、残りの時間でもっと強くならないと」
「応援してます。けど絶対に無理はしないで下さいね」
セレナは身内にエージェントがいるからなのか、畑は違えど自分も目指しているからなのか、とても真剣な顔で言う。
「ルドガーさんは今の実力が出せれば、きっと受かりますから」
俺は勿論だと頷いてみせる。
その為にずっと頑張ってきたんだから。
「ここで大丈夫です。私の家、そこなので」
角を曲がったところでセレナが言う。
少し距離があると聞いていたけど、話していたらあっという間だった。
「今日は本当にありがとうございました。美味しかったです」
セレナが丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。
応援してくれるって言ってくれたことも、嬉しかった」
言いながら、少し照れくさくて俺は頭を掻いた。
セレナは別れ際、もう一度俺を勇気付けたいのか元気一杯に言う。
「狭き門だけど、毎年必ずなれる人はいますからね!」
「たしかに、その『なれる人』になれば良いだけだもんな」
「そうです。だから絶対になれます!」
すごいポジティブな考え方だけど、今の俺にはちょうどいいかも?
勢い良く言い切った後、あまりにおかしくて俺達は大笑いした。
楽しいな、セレナといると。
屈託なく笑う彼女に心が温かくなる。
それと同時に胸の奥がまた、なぜか微かにざわついた。
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