1万hitお礼企画作品 | ナノ

TRUST


ドアボーイが、いかにも重たそうなドアを丁寧に開けてくれる。
扉の向こうは、天井から吊るされたシャンデリアがキラキラしていて少し眩しい、広い宴会場。

ドアボーイにお礼を言ってチップを渡した後、すぐに見知った顔をいくつか見つけた。

「おや、ミス・バクー。こんばんは。」
「こんばんは、社長。お久しぶりです。」

取引先の社長に声をかけられ、挨拶を交わす。
他にも何人か集まっていて、どの人も皆トリグラフにある企業の偉い人たちばかり。

そう言う私も、このパーティーに招待されてるから一応はその仲間なんだけど…

今夜はトリグラフでも有数のとある商社の創立記念パーティー。

クランスピア社からは、ルドガー社長と専務である私が招待を受けたのだけど…
生憎ルドガーは夕方別の取引先と商談があって欠席。
それで、私だけが参加することとなった。

会う人会う人取引先の重役ばっかりで、何度も同じ文句の挨拶をやりとりして。
笑顔が顔に張り付いてきた気がしてくるけど、これが今の私の仕事だからと気が抜けないよう気をつける。

その内に主催の挨拶や乾杯の音頭が行われて、盛大なパーティーが始まった。

グラスを片手に挨拶周りを続けていると、ふと後ろから声をかけられる。

「あの、もしかしてなまえ専務でいらっしゃいますか?」

何の気無しに振り返った私の目に映ったそのヒトに、思わず息を飲んでしまう。

「もしかして人違いでしたか!?すみません…」

私の表情を見てか、その女性は慌てて頭を下げた。
高い位置に束ねられた亜麻色の髪がはらりと垂れる。

いけない…あまりの驚きで固まってしまって、彼女に勘違いをさせてしまったみたい。
すぐに誤解を解かないとと、私も頭を下げた。

「いえ、私がなまえです。
ごめんなさい、ちょっとぼうっとしていたようで。」
「そうでしたか、すみません突然お声をかけてしまって。」

顔を上げた彼女の菫色の瞳に安堵の色が見て取れた。

ああ、やっぱりこのヒトが…

「はじめまして。リューゲン商会のラル・メル・マータと申します。」

やっぱり。

あの写真に写っていた"彼女"そのままだったからすぐ気付いた。
それにそのファミリーネーム。

エルのママで、ヴィクトルさんの奥さんだったヒト。

…正確には、"あの分史世界での"だけど。

「以前雑誌のインタビュー記事でお顔を拝見していまして、もしかしてと思ったんです。」

そう言ってニコニコと笑うラルさん。
実物は、写真で見た以上に可愛らしい人だなと言う印象だな。

彼女の言う記事は、前に働く女性の特集をしたいってレイアがインタビューしてくれたデイリートリグラフ社のビジネス雑誌のものだったっけ。

「はじめまして、なまえ・ロザ・バクーです。
新しくお取り引きいただくことになったとは伺っていましたが、あなたが代表だったんですね。」

交換してもらった名刺の肩書を見て驚く。

確かにリューゲン商会の名前は最近秘書から聞いた。
けれど私の管轄する部門とは関わらないから詳しいことまでは聞いていなくって。

ラルさんは私の渡した名刺を丁寧にしまいながら答えてくれる。

「はい。けど少し前に祖父から社を引き継いだのでまだまだ新米なんですよ。」
「それなら弊社の社長と似たようなものですね。
さぞ苦労されていると思います。」

特に何も考えないでそう答えたら、何故か胸がチクっとした。

ラルさんは思い出すように目を細めてから、また一段と明るい笑顔になる。

「ルドガー社長ですね!ちょうど今朝ご挨拶に伺いまして。」

えっ、そうだったんだ…知らなかった。

まあ私だっていつもルドガーと一緒にいるわけじゃないし、当たり前だけど彼のスケジュールの細かいところまで把握してない。
今日は朝から外出してたしね。

「とても感じの良い方で、気さくに話して下さって。
今とても大変な立場でしょうに、それを感じさせない素敵な方ですよね。」

考え事をしてたら、ラルさんが目を輝かせながらそう言った。

それを聞いて、また胸がチクチク痛む。

「そうでしたか。社長が聞いたら喜びますよ。」

平静を装ってなんとか答えたけど、ちゃんと笑えてるのかな、私。

今目の前にいる彼女の笑顔が、あの写真立ての彼女のものと瓜二つだったから。

頭の中で、ラルさんの横に並んだ黒髪の"彼"が、私の一番大好きなひとの姿にオーバーラップする。

…嫌だな、ラルさんと"彼女"は別の人だし、言うまでもなくルドガーと"彼"だって別人なのに。

頭ではそう分かっているつもり。
けど、どうしてか胸の痛みが収まってくれない。

ラルさんの表情を見てる限り、深い意味で言ってる訳でもないのだと思う。
純粋にルドガーのことを良い人だと褒めてくれているんだろうけど…

「あ、すみません。ちょっとご挨拶したい方が見えたので、失礼します。」

ラルさんの声で、またしても意識を呼び戻される。
いけない、今は感傷に浸ってる場合じゃないのに。

「いえ、気になさらないで。
また社にいらした時はぜひお声がけ下さい。」
「ありがとうございます!
では、ルドガー社長にもよろしくお伝え下さい。」

そう言うと、ラルさんは最後まで愛らしい笑みを浮かべたまま私の元から去っていった。

ヴィクトルさんが好きになるの、わかるな。


…はあ、この気持ちはどうしたらいいのかな。

残った私は、本当なら別のお客さんのところにでも挨拶に行くべきなんだろうけど。

どうしても今はそんな気分になれない。
上手く笑顔を作れてるのかも分からない。

ルドガーの気持ちが彼女に移ってしまうなんてことは心配してない。
彼は誰よりも、分史世界がこの世界とは違うものだって分かってるはずだから。

分かっているはずなのに気持ちが落ち着かなくて、私は一人ロビーに出た。


「ルドガー、今忙しいかな…そりゃ、忙しいよね。」

ひと気のないロビーの隅で、とりあえずソファに座ってみる。
GHSの時計は、まだ彼が仕事をしていそうな時間を示していた。

足を引っ張りたくないし、我儘言って失望されたくない。

ずっとそう考えて、勤務時間中にプライベートな内容で連絡を取ったことがない私。

今のこの立場があるのは、私達の選択の結果だから。
その責任を果たすためには、我儘なんて言っていられない。

それにルドガーの負担を軽くしてあげたくて頑張っていくと決めたのに、そんなことしたら逆だから。

でも、どうしよう。
…どうしても声が聞きたいよ。

しばらく手元のディスプレイを見つめるけど、何も変わらない。

けどこのまま居ても会場に戻れる気がしなくて、電話のアプリケーションを開く。

ごめん、ルドガー。
怒ってくれてもいいよ。

勝手にもやもやして、迷惑かける私を。

『もしもし。なまえか?どうした?』

もしかしたら出ないかもしれないと思ってた。
それなのに、意外にもすぐにルドガーの声が聞こえてくる。

…これだけで心が軽くなるなんて。

「仕事中にごめんね、もう商談は終わったと思うけど、忙しいよね?」
『いや、大丈夫だよ。
もう先方は帰って、今はメールチェックしてただけだから。』

穏やかな声色が、その言葉が本当なんだろうと思わせてくれる。
少しだけ罪悪感が薄らいで、思っているより私って我儘なんだなと気付かされた。

『で、どうしたんだ?珍しいよな、この時間に電話なんて。』
「…あ、うん。そうだね。」
『そういえば今日はパーティーだっけ?もう終わったのか?』
「ううん、今まだ会場なの。
ロビーにいるんだけどね…ちょっと抜け出してきちゃった。」

再び訪れる罪悪感。
社の代表として来ているのにこの有様じゃ、失望されても仕方ない。

けど、返ってきたのは心配そうな声色で。

『何かあったのか?なまえらしくないけど。』

ルドガーは、私のことを真面目な人間と思ってくれてるのかな。
実際は、ルドガーの為に頑張ってるだけなんだよ。

「…ううん、ちょっと声が聞きたくなっちゃったの。
変だよね、ごめん。」

なんとかこれ以上心配させないような言葉を探すのに、上手い言葉が見つからない。
こんなこと言っても、優しいルドガーは余計気にするかもしれないのに。

…けど、少しだけ。
少しだけそうだったらいいのになって思っちゃった。

『なまえ…?』
「うん、本当にそれだけなんだ!声が聞けたからもう大丈夫。
じゃあ会場に戻るね。邪魔してごめんなさい。」

まだ何か言いたげなルドガーを遮って電話を切ってしまった。

これ以上話していたら、会いたくなっちゃう。
疲れているはずの彼に、それはさすがに言えない。

真面目で聞き分けの良い私になりたくて努力してきたつもりなのに。
こんな我儘な私を知ったら、ルドガーは私を嫌いになっちゃうかな。

そんな考えを断ち切るように立ち上がって、私は会場に戻ることにした。
せめて、今やるべき事をちゃんとやらないと。


小一時間ほどして、パーティーはお開きになった。

ロビーで得意先の方々に別れの挨拶をしてから、会場のあったホテルを出る。
目の前はトリグラフ港で、夜の冷たい潮風が気持ちいい。

…少し、頭を冷やしてから帰ろうかな。

このまま帰ったら、マンションフレールに寄りたくなっちゃいそうだから。

そう思って船着場が見渡せるベンチに座ろうと歩き出す。

明日から休日ならともかく、普通に仕事があるからルドガーには少しでも早く帰って早く寝てもらいたい。

…それなのに。

「なまえ!お疲れ。」

ホテルのエントランスから少し離れたところで、GHS片手にこっちに手を振る人影。
街灯に照らされた銀色の髪が揺れている。

「ルドガー…?」
「電話しようと思ってたら、ちょうど出てきたな。」

なんで、彼がここに?

私の脳が作り出した、都合の良い幻覚?

「もしかして、幻覚か何かだと思ってるか?」

苦笑いを浮かべながら私の前までやってきた彼は、なんで私の考えていることが分かったんだろう。

「顔にそう書いてあるよ。」

またしても心の中を読まれた。
…一体私はどんな顔をしているのか自分で分からない。

「どうして、ここに?」
「どうして、って…なまえに会いたくなったから?」

多分今は私、間の抜けた顔をしていると思う。

ルドガーはそんな私にはお構いなしに、さっき私が座ろうかと狙っていたベンチに向かって歩き始める。

「少し話そうか。」

そう言って座るルドガーの隣へ急ぐ。
並んで座ると、肩と肩が触れ合って心がまた落ち着いた。

「寒くないか?」
「うん、中が暑かったからむしろ気持ちいいよ。」
「そっか。」

ルドガーは夜空を見上げた。
私もそれに倣う。

「…今朝、エルの母親に会ったよ。あの分史世界の、だけど。」

しばらくしてからルドガーがぽつりぽつりと話し始めた。

「名前と、見た目ですぐ分かった。
明るくてハキハキしてて、エルが大人になるとこんな風になるんだなって思ったよ。」

そう続けるルドガーの声色は優しくて。
また胸の奥が痛くなる。

その痛みに顔を歪めた瞬間、ルドガーが私に視線を移した。

見慣れているはずなのに、緊張してしまうのはなんでだろう。

ルドガーはいつもの優しい表情で、けど少しだけ困ったように見える。

「今夜のパーティーには出ないんですかって聞かれて、もしかしてなまえと会うかなって思ってたんだ。
実際クラン社からはなまえが出ますって言ったらぜひ挨拶したいって言ってたし。」

そうだったんだ。
じゃあルドガーは私がラルさんに会ってきたこと、分かってたんだ…

「もしかして、私が電話した理由…気付いてた?」

「…自惚れじゃなければ、だけど。」

私の問いかけに、ルドガーが歯切れ悪くそう答えた。

自惚れって、どういう意味だろう。

「なまえって普段あんまり甘えてくれないから、俺の勘違いかもしれないんだけどさ。」

私の頭にルドガーの手が乗せられる。
そのまま優しく撫でられて、なんだかくすぐったいけど心地良い。

「前にも言ったけど、 俺は俺で、なまえはなまえだ。
ここは分史世界じゃないし、もう分史世界は存在しない。」

それは、あの審判を終えて戻ってきた夜にルドガーがくれた言葉。
忘れるわけない、大切な大切な言葉。

そう、ルドガーはヴィクトルさんじゃない。
ルドガーには、たった一人の"ルドガーにとってのエル"がいる。

ヴィクトルさんから預かった、彼と"彼の愛した人"の最愛の娘であるエルが。
彼女こそ、このたった一つしかない世界のエルなのだから。

「だから、なまえが心配する必要なんてないよ。」

ルドガーは全部分かってたんだ。
分かってて、私の不安を取り除くために来てくれたんだ…

「ごめんね。」

いろんな感情が込み上げてきて、ルドガーの胸に顔を埋める。

「違うだろ?」

すぐに私の背中にルドガーが腕を回してくれる。
そして頭の上から、ルドガーが笑った声が聞こえてきた。

本当にこの人は、なんて優しいんだろう。

「…ありがとう、ルドガー。」

「俺の方こそ、ありがとう。」

そうしたら返ってきたのは意外な言葉。

「なまえは我儘言ってるって思ってるかもしれないけど、俺は嬉しかったから。」

背中に回された腕が少しだけきつくなる。

「必要とされてるって実感できたし、会いに来る口実も出来たし。」

はは、と笑ったルドガーが、私の髪に頬を寄せたのが分かる。

「何も心配いらないよ。俺が愛してるのはなまえだけだから。」

嬉しくて、気付いたら涙が溢れていた。
けどルドガーに抱き締められているから、彼には見えてないはず。

それなのに、きっとこれもお見通しなんだろうね。

背中を優しく撫でてくれるルドガーの手のひら。
もう懐中時計を握ることも、槍を振るうことも無いそれ。

沢山の世界を消して、沢山あった可能性を消し去った手。
沢山の辛い思いの果てに…

その手が掴んでくれたこの結末だから、私は信じることができる。

もう、胸の奥の痛みは感じないよ。


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甘い話で、ラルとルドガーが会ったことを知った長編夢主は…?のリクエストで書かせていただきました。

たまには(?)夢主が我儘言ってもいいのかなーと思い、心の中ダダ漏れな夢主視点にしてみました。
ラルって、エルが大人になって少し落ち着いた感じというイメージなのですが、リューゲン商会の代表の孫娘だし何かの小説でユリウスのことお義兄様って呼んでたしもう少しおしとやかなんでしょうかね?(エルも一応は社長令嬢でしたが…)
口調が不明でイメージ違ってたらすみません…

リクエストありがとうございました!

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