たくさんの宝物
誰かが俺を呼んでいる。
「…にい…ん…」
違う。
誰かが、誰かを呼んでるんだ。
「おに…ちゃ…」
子供の声か?
「おにいちゃん!」
ああ、兄さんを呼んてるんだ。
「まってよ、おにいちゃん!」
俺もよく、兄さんの後ろを付いて回ったっけ。
霧が濃くてよく見えないけど、向こうで2つの小さい影が動いている。
どうやら、手を繋いだきょうだいみたいだ。
「ほら、こっちだよ。」
少しだけ大きい方の影が、そう言ってどこかを指差す。
どこか聞き覚えのある声色だ。
お兄ちゃんと呼ばれた彼は、男女どちらか分からない、高い声の小さい方の影の手を引く。
案外、子供の頃の俺と兄さんなのかも知れない、なんて思ったりして。
子供たちの顔を確かめようと、視界を阻む濃い霧を払おうと腕を振ってみる。
その時心地よい風が吹いてきて、霧が晴れた。
開けた視界の向こうで、少年に手を惹かれた小さな子供がこっちに振り返ろうとしたその時。
もう一度、今度はさっきよりも強い風が吹いて、思わず俺は目を強く瞑った。
「…夢か。」
次に目を開けたら、目に映ったのは見知らぬ子供達ではなくて、見慣れた天井だった。
どうやら夢を見ていたらしい。
ふと隣に目をやると、そこはもぬけの殻で。
まだ温もりの残るシーツを、開かれた出窓から射し込んだ朝日が照らしていた。
さっきの風は、窓が開いてたからか。
夢を見るのは、眠りが浅い間だって言うしな。
まだ覚醒しきってない頭でそんな事を考えながら壁掛け時計を確認すると、起きるのにちょうど良い時間だった。
寝間着から着替えて、窓を閉める。
夢の中とは違って、よく晴れた気持ちの良い天気だ。
「おはようルドガー、早かったね。」
「おはようなまえ。風が気持ちよくて、目が覚めたんだよ。」
リビングに入ると、なまえがルルに餌をあげているところだった。
「ごめん、換気しようと思ったんだけど起こしちゃったんだね。」
「いいよ。すっきり目覚められたから。」
そう言って笑って見せれば、なまえもふわりと笑い返してくれる。
毎朝この笑顔が見られるってだけでも、結婚して良かったなあなんて思ったりして。
それから、お決まりのおはようのキス。
相変わらず毎朝少しだけ照れるなまえに、毎朝ときめいてる俺。
結婚して何年も経つんだけど、これは変わらない。
ふと、視界の端に懐かしい物が映る。
「アルバムか?」
ソファに置かれた分厚い冊子は、俺達の結婚式の写真が入ったアルバムだったと記憶している。
「そう。昨日久しぶりに見たの。」
正解だったらしい。
昨日の夜は遅く帰ってきてすぐ寝たから、あんなところに置かれていたのには気付かなかった。
なまえはアルバムを拾い上げると、立ったまま数ページめくる。
「エルがぼうやに話したみたいで、絶対見たいって言うから。」
そう言って、アルバムに視線を落としたまま楽しそうに笑うなまえ。
当然だけど息子のぼうやが生まれる前のことだし、機会もなかったからそう言えば見せてなかったか。
「パパかっこいい!って目を輝かせてたよ。」
「ヘアメイクさんのおかげだな。」
あの日は朝から大変だったな。
まあ、俺よりもなまえの方が100倍くらい大変そうだったけど。
けどそんななまえのウエディングドレス姿は、今でもハッキリ覚えてる。
あまりに綺麗で、何も言えなくなったんだっけ。
あの日から俺達は、エルも一緒に家族になったんだよな。
「パパ、ママ、おはよう。」
「ぼうや、おはよう。偉い、一人で起きれたんだね。」
「うん。おなかすいちゃったんだ。」
「あら、じゃあすぐごはんにするね。」
それから、しばらくして新しい家族が増えた。
ぼうやはみんなには俺そっくりって言われるけど、中身はしっかりしててどっちかと言うとなまえに似てると思う。
「じゃあぼく、エルおねえちゃん起こしてくるね。」
「ありがとう。朝ごはんはフレンチトーストとトマトスープだよって言えばすぐ起きてくると思うから。」
「はあい。」
妻と息子のそんな会話を聞きながら、猫缶を食べ終えて寛いていたルルを撫でる。
「平和だなあ、ルル。」
「ナア〜。」
何年経っても忘れることのない辛い経験。
それは確かにこの胸の内に今でもあるけど。
けどそれを思い返すたびにいつも浮かんでくるのは、あの時の兄さんの言葉だ。
ーーお前の世界を作るんだ。
俺の作った俺の世界には、これ以上失うことは絶対にしないと誓った大切な人たちがいて。
世界なんて言って、俺の手が届く範囲の小さな世界だけど。
それでも兄さんはきっと、これでいいんだって笑ってくれてる気がする。
「ふわぁ…おはよーみんな。」
「おはようエル。お寝坊さんだね。」
「昨日、遅くまで本読みすぎちゃった。」
だいぶ背が伸びてきたエルが、あくびをしながらリビングに入ってくる。
これでやっと、俺の世界のメインキャストが揃ったな。
「あ、まだアルバムあったんだ。」
エルが、なまえがソファのサイドテーブルに置いたさっきのアルバムを見つけて言った。
「パパといっしょに見たいって思ってかたづけなかったんだ。」
エルを起こすと言う任務を成し遂げた、ぼうやの顔は得意気だ。
「あさごはん食べたら見ようね、パパ。ママすっごくきれいなんだよ!」
「ああ、そうだなぼうや。」
「そうそう。ルドガーが一番よく知ってるんだよ、ぼうや。」
いつの間にかテーブルについて準備万端のエルがニヤニヤしながらそう言う。
その表情は、ぼうやには真似しないで欲しいぞ…
そこへなまえが朝ごはんを運んできてくれた。
どうせみんなおかわりするから、スープは鍋ごと持ってくるのが我が家流だ。
「なまえ、それはエルが運ぶよ。」
「ありがとうエル。手伝ってくれるのね。」
コンロの火を消したなまえを見て、エルが立ち上がる。
「ママ、ぼくもお手伝いする!」
それを見たぼうやもキッチンへ向かった。
うん、そういうところはどんどん真似してくれ。
俺も遅れを取りつつキッチンへ向かう。
スープの鍋は俺が運ぶ事にして、エル達には他の配膳を頼んだ。
みんなでやれば、あっという間にテーブルセッティングは終わる。
出来立ての朝ごはんを囲んで、家族みんなでいただきますと手を合わせた。
「そういえばなまえ、先週は風邪っぽいって言ってたけど大丈夫なのか?」
今朝いつも通りだったから抜けてたけど、なまえは先週の頭から風邪ひいたかもとか言ってて。
また最近仕事が忙しくなってきたらそのせいかもと言ってたけれど、俺も忙しくてなかなか気にかけてやれなかった。
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね。」
「いや、平気なら良かった。」
「ママがお熱でたらぼくがカンビョウしてあげるからね!」
微笑むなまえの横で、ぼうやが胸を叩く。
「ぼうやにうつったらこまるから、ママの看病はパパに任せろ。」
「やだ、ぼくがママのカンビョウするんだよ〜!」
「ルドガー、いつかぼうやになまえを取られちゃう日がくるかもね。」
それを見て、俺の隣でエルがまたニヤニヤしだした。
おいおい、ぼうやは可愛い息子だけど、それは困るぞ。
「ぼく、オトナになったらママとケッコンシキするんだ!」
俺がどう返そうか悩んでいると、スプーンを握りしめたままぼうやが力説した。
と言うか、結婚"式"って…
ああ、アルバム見たからそんなこと言ってるのか。
しかしぼうやも、だんだん出会った頃のエルみたいにマセてきたのかもしれないな。
お前も何か言ってやってくれと、向かいの席でニコニコしているなまえに目を向ける。
すると俺の視線にすぐ気付いたなまえが、ぼうやの頭を撫でながら言った。
「嬉しいよ、ぼうや。
けどね、ママはもうパパと結婚式しちゃってるからこれ以上できないんだよね。」
「え〜!?パパずるい!」
なまえに諭されたぼうやが険しい表情で俺を見る。
けど可愛い息子のふくれっ面もまた可愛くて、俺はエルの影に隠れてこっそり噴き出した。
「でもさ、ぼくはみんながうらやましいんだ。」
ふくれっ面をやめたかと思うと、今度は神妙な面持ちになったぼうやが言う。
「エルおねえちゃんもパパとママのケッコンシキに出てたし、ぼくが生まれる前のこともいっぱい知ってるでしょ?」
ああそう言うことか。
ぼうやはアルバムを見て、自分以外の家族がみんなそこに写ってたからそう思ったんだな。
「ぼくだけが知らないこと、たくさんあるんだなあと思って。」
仕方ない事とは言え、その気持ちはなんとなく分かった。
俺だって兄さんとは同じ家で生まれていないとは言え、兄さんだけが知ってて俺が知らなかったり覚えていなかったりする親の事とかもあったから。
けど上手く言葉にできなくて考え込んでいたら、なまえの優しい声がした。
「今までの出来事は、確かにぼうやの言う通りだよね。
けど、その分これからはぼうやといっぱい楽しい思い出を作りたいってママもパパも、エルも思ってるよ。」
その言葉に、俯きかけていたぼうやが顔を上げる。
順々に顔を見られて、俺もエルも彼と目を合わせて頷き返した。
俺の世界にやってきてくれた宝物、ぼうや。
「ああ。同じ気持ちだよ。」
「エルもだよ、ぼうや。」
そう言うと、ぱあっと花が咲いたような笑顔になるぼうや。
やっぱり、なまえに似てると思う。
幸せだなあなんて思いながらそれを眺めていたら、なまえがまた口を開いた。
「それに来年ぼうやはお兄ちゃんになるから、今度はぼうやが弟か妹にこれまでのことを色々教えてあげてね。」
「えっ!?」
これには、きょとんとしているぼうやよりも俺の方が驚いて声を上げてしまった。
ぼうやが、お兄ちゃんになる…?
てことは、つまり。
「ルドガー、知らなかったの?」
「うん。最近遅かったし、今日あたり話そうと思って。」
エルとなまえが何やら話している。
けど、あんまり頭に入ってこなかった。
「ぼく、おにいちゃんになるの?」
「そーだよ!エルとぼうやで、色々教えてあげなくちゃね!」
「ふふ、教えるのは良い事だけにしてよね。」
そんな会話を聞いていたら、少しずつ現実味を帯びてきて。
俺、今まで以上にしっかりしないと。
大切なものが増えるって、何度あっても嬉しいことなんだな。
子供たちを見つめながら柔らかく笑うなまえが愛おしくて、胸がいっぱいになった。
俺の世界が、また少し広がる。
またひとつ、宝物が増えるんだ。
みんなのおかげで作り出すことができた、大切な俺の世界。
必ずこの手で守り続けるよ、兄さん。
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長編夢主で結婚数年後、子供のでてくるお話のリクエストで書かせていただけました。
子供がいるとなかなか甘い展開にできず…(と言う言い訳です)、物足りなかったらすみません。
番外編の方では、妹が生まれたことになっております。
なんとなく、きょうだいと言うものを前にすると無意識にでも兄さんのことが浮かぶルドガーであってほしいという私の願望でした(笑)
カスミ様、リクエストありがとうございました!