「こんなにたくさん、ありがとうございます!」
「いいのよ、▼ちゃんとこにはいつもお世話になってるからね。
製菓長<オーナー・シェフ>にもよろしくね。」
「はい!それじゃ、ありがとうございました。」
▼は両手に手提げを持ち、馴染みの青果店を出た。
見上げた空はいつも通りの夕暮れではなく、見るからに分厚い灰色の雲に覆われている。
どうやら店主と話し込んでいる内に雨雲が流れてきたらしい。
「降り出す前に帰らなきゃ。」
そうひとりごちて、▼は重い手提げを持ち直すと駆け足で軒先を出た。
少し経ったところで、▼の頑張りも虚しく非常にも雨が降り始めた。
しかも雨あしは強く、▼はひとまず近くの商店の軒先で雨宿りさせてもらうことにした。
「ああもう、あと少しなのに。」
一行に弱まらない雨を睨みながら、手のひらがだんだんと痛くなって来るのを感じる▼。
手提げを地面に置きたいところだが、そうすれば中身が転げ出てしまうだろう。
「困ったな…」
「何に困ったんだ?」
暗い空を見上げて溜息をついた▼に、横から声がかかる。
声の主を辿れば、長い黒髪の青年がそこに立っていた。
「ユーリ!」
「よ、▼。こんなとこで雨宿りか?」
その青年ユーリ・ローウェルは、黒い傘を片手に▼の顔から手提げに視線を移した。
「知り合いの八百屋ギルドのおばさんが、たくさんもらったからって分けてくれたの。」
▼がそう答えれば、ユーリは袋の中身を確認して、へぇ、と呟いた。
そしてさっと▼の片手から手提げを奪うと、少しだけ傘を前に出しあたかも当然のように言う。
「ほら、行くぞ。」
▼は始め何のことか分からず小首を傾げた。
しかしユーリが手提げを持ってくれたことを思い出し、慌てて首を横に振る。
「えっ、悪いよ。ユーリの傘でしょ。それに自分で持てるよ!」
「この調子だとしばらく止みそうにないぜ?
ここにいたってそのうち風邪引くぞ。」
「でも、ユーリも濡れちゃうよ。」
食い下がる▼に呆れたようなユーリが溜息をひとつ零す。
それから傘を下に置くと、あっという間に▼の片手から、もう一つの手提げも奪い取る。
「じゃ、傘頼んだ。」
「えっ!ちょっと、ユーリ!?」
そして濡れることにも構わず歩き出すユーリ。
これにはさすがの▼も、急いで傘を拾いその後を追わざるを得なかった。
すぐにユーリに追いつくと、なるべく彼がはみ出さないよう注意を払いながらその横に並ぶ。
ユーリの頭に傘が当たらないようにもせねばらなず、▼は四苦八苦していた。
「はは、フラフラしてるぞ。」
「だってユーリ、背が高いから。」
「別に少しくらい濡れたってかまわねぇよ。オレは身体鍛えてるし。」
そう言ってカラカラと笑うユーリ。
しかし▼は荷物を持ってもらっている上に傘まで借りているので申し訳なさでいっぱいであった。
そんな▼の気持ちを知ってか、少しだけ落ち着いたトーンでユーリがぼそりと零した。
「少しくらい甘えとけよ。」
雨音に混じりながらも確かに耳に届いたその言葉に、▼は素直に頷くことしかできなかった。
「このまま店に行くのか?」
ふと思い出したかのようなユーリの疑問は、▼によって否定される。
「今日はもう上がりなの。だからおばさんと長々話し込んじゃってね。」
「なるほどな。じゃあこれ明日家から持ってくのか?」
ユーリが手提げを持ち上げてみせる。
「ううん。何個かはうちでもらって、半分はジャムにしていくつもり。
お店でも生のままだと全部消費しきれないから。」
「そっか。ならお前でも持っていけるな。」
「だから、雨さえ降ってなければ二袋でも平気なんだってば。」
「へいへい。」
そんなやり取りをしている内に、二人は▼の借りている共同住宅に到着する。
「ここまで来てもらったし良かったらお茶でも飲んでいってよ。」
軒先で傘をたたみながら▼が提案すると、ユーリはそれなら邪魔になるぜと笑って返した。
「はあ、寒かったね。ごめんユーリ。」
「まあ雨だからな、仕方ねぇよ。」
やかんを火にかけながら▼は両手をこすり合わせる。
いくら気をつけていても一つの傘に二人で入っていたので肩や腕は濡れてしまった。
借りたタオルでそれを拭いながら、ユーリはダイニングの椅子についた。
「そうだ、何か甘いもの作ろうか。」
珈琲豆を挽きながら▼が提案すると、肩にタオルをかけたユーリがニヤリと笑った。
「マジか。」
「うん、マジ。今日はお世話になりっぱなしだからね。」
そう言うと、▼はユーリがここまで運んでくれた手提げの中に手を入れる。
そしてその中から真っ赤に色付いた林檎を二つ取り出すと、両手に持ってユーリに掲げて見せた。
「焼き林檎なんてどうかな?」
ユーリはつやつやと輝く林檎と微笑みを浮かべる▼の顔を交互に見る。
「そりゃ名案だ。」
そして、二人は顔を見合わせて笑い合った。
珈琲の香りが漂う部屋の中に、今度は焦がしバターと砂糖の甘い香りが広がる。
よく洗い芯をくり抜いただけの新鮮な林檎は、オーブンの中でゆっくりと焼かれていく。
その間に▼は生クリームを泡立て、ユーリは珈琲に口をつけながらその後ろ姿を眺めていた。
「▼ってさ。」
規則的なリズムで泡立て器を振る▼に、ユーリが声をかける。
「なに?」
「どうして製菓ギルドに入ったんだ?」
そこまで長い付き合いではない二人。
お互いの昔の話はあまりしたことがなかった。
▼は生クリームにツノを立て固さを確かめるとボウルを置く。
それからオーブンを覗くと、中にはちょうど良い飴色の焦げ目がついた林檎が二つ。
「昔からお菓子やケーキが好きだったの。食べるのも作るのも。」
そう答えながらオーブンから天板を取り出す。
そしてまだじゅうじゅうと音を立てている林檎を丁寧に皿へと移した▼。
「それと、大好きな人たちに美味しいって言ってもらえるのが嬉しかったから。」
溶けたバターと砂糖が絡んだ林檎の上に、ホイップしたクリームを乗せる。
その上にシナモンパウダーを振りかけ、脇にはバニラアイスを添えた。
「お待たせ致しました。焼き林檎でございます。」
熱々の林檎の上で、とろりとクリームが溶ける。
甘い香りと共にシナモンのスパイシーな香りが鼻をくすぐり、ユーリは思わず頬が緩んだ。
「めちゃくちゃうまそう。」
「うん、おいしいと思うよ。冷めない内に召し上がれ。」
「いただきます。」
まるのままの林檎にナイフを入れると、中から透明の果汁と溶けたバターが溢れ出てくる。
丁寧に切り分けながら、ユーリは夢中でそれらを口に運んでいった。
自らも同じようにナイフとフォークを動かしながら、そんなユーリを向かいの席で眺める▼。
「うまい!これはやばいな。」
時折そんな風に感想を述べるユーリに、▼は笑みを零した。
「やっぱり、製菓ギルドに入って良かったな。」
切り分けた林檎の上にバニラアイスを乗せながら、▼はそう呟く。
ユーリはもぐもぐと口を動かしながら顔を上げ、不思議そうに▼を見た。
いつもは大人びている青年の子供のようなその仕草に、▼は自然と笑みを零す。
大好きな人が、美味しいと言ってくれるから。
「ユーリ、クリームついてる。」
「げっ、どこだよ。」
こんな風になんでもない、幸せな時間を過ごすことができるから。
格好悪いところを見られまいと必死に頬を拭うユーリに、耐えられなくなった▼が声を上げて笑った。
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ベタな雨ネタからのおうちデート(?)編でした。
アップルパイも好きですが、手軽に作れる焼き林檎も良いですよね。
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