“いつまでも一緒に” 




「スレイ!ミクリオ!」

イズチの杜の石門を抜けた2人の少年達の元へ、1人の少女が白いワンピースを翻し駆け寄ってくる。

「おかえりなさい!」
「ただいま!」

勢い良く飛びついて来た少女を抱きとめながら、少年の内の1人、スレイは明るい声をあげる。

「転んだりしなかった?ケガはしてない?」

少女はぺたぺたとスレイの頬や肩、腕などを触って確かめる。
その隣で、もう1人の少年ミクリオが、呆れたようにため息をついた。

「▼、いつも言ってるけど僕らはもう何度もあそこへ行ってるんだぞ?危ないことなんて…」
「“あるわけないだろ!”でしょ?」

ミクリオが最後まで言い終わる前に、少女▼は彼に人差し指を向けて片手を腰に当てた。
ビシッと音が聞こえて来そうなその仕草に、ようやく解放されたスレイがくすくすと笑い声を漏らした。

「ジイジが言ってたもん。あの遺跡にはまだ私達みたいな子供が入っちゃダメなところも沢山あるって。」

▼はスレイの笑い声を気に留めず、ミクリオに詰め寄る。
ミクリオの方は、ジイジの名前を出されればうっと言葉を詰まらせ、不機嫌そうに眉を寄せた。

「まあまあ。今日もオレ達そんなに奥までは行ってないし、見ての通り転んでもなければケガもしてないからさ。」

見かねたスレイがよくやく笑うのをやめて間に入る。

これのやり取りが、3人の幼馴染達の毎日の日課だった。

3人はこのイズチの杜で赤子の頃から一緒に育ち、人間と天族との違いなどまるで無いように成長してきた。

この里唯一の人間であるスレイはミクリオや▼をはじめとする天族達の姿を感知し特に不自由も無い。
周りの天族達も皆、彼を自分達と同じように扱ってきた。

スレイやミクリオより1つ年下の▼は、歩き出すようになる前からいつも2人の後をついて回り、人間と天族の違いだけで無く、男女の違いも感じさせない程3人は何をするにも一緒だった。

ただ一つ、いつからかスレイとミクリオがのめり込むようになった遺跡探索を除いては。

▼は一通りミクリオの頬や肩、腕などをスレイにしたのと同じようにぺたぺたと確認してから、笑顔で2人の前を歩き始めた。

「今日はね、おばあさまにお歌を教わったの。」
「歌?」

くるりと振り返った▼の言葉に、スレイが首を傾げた。
少年達が遺跡探索をしている間、いつも彼女は里の大人達から学問や芸術、伝承に至るまで様々な教育を受けていたのだった。

「そう。さまよえる魂たちを安らかにお空へ送ってあげる歌なんだって。」

そう言って太陽のような笑顔を浮かべながら、▼は習ったばかりの鎮魂歌のフレーズを口ずさむ。
スレイとミクリオは、その澄んだ歌声に静かに耳を傾けていた。

▼は一族の中でも稀有な“光”の属性を持つ天族としてこの世に生を受けた。
他の天族とは違い浄化の力を持ち、その代わり数倍穢れに弱い。それが▼だった。

大人達は皆▼をイズチの外に連れ出すことを固く禁じた。
それは彼女の命に関わることだからだ。
▼もそれを理解していて、いつも笑顔で2人を送り出していた。

そして少年達を待つ間、その稀有で強大な力を扱うことの出来る様に、大人達から教育を受けているのだった。

『本当は▼も一緒に来たいんだろうけど。』

今日の遺跡探索中、ミクリオがぽつりとそう呟いた。

同じ天族としてこの里で育ったのに、生まれ持った属性の違いだけで自由が制限されてしまう▼の事を、ミクリオは少なからず不憫に思っていた。

スレイも▼の本心はおそらくミクリオの言う通りだと思っている。
しかし彼女はそれを表に出さない。

だから2人も無理に誘うこともなければ、変に気を使って遺跡探索をやめることもしなかった。

▼の歌声がだんだんとテンポを落とし、最後のフレーズを口ずさみ終える。

一瞬3人の間に静寂が訪れた後、▼が2人の顔を順番に見ながらはにかんだ。

「良い歌だ。」

柔らかい声でそう言い、スレイが▼に微笑む。
ミクリオも頷いてそれを肯定した。
2人の反応に、▼が嬉しそうに顔を綻ばせた。

ふとミクリオが何かを思い出したように手をぽんと打った。

「僕、この後ジイジの家で夕食の準備を手伝う約束があるんだった!」
「え?それならオレも手伝うよ。」
「私も!」

スレイと▼が当たり前だと言うように続ける。

「1人で十分だよ。スレイは▼に今日の話でも聞いてもらってたら?じゃあ僕は行くよ!」

しかしミクリオは早口でそうまくし立てるとあっという間に村の奥にあるジイジの家まで走って行ってしまった。

「行っちゃった。」
「変なミクリオ。」

後に残されたのは、呆気に取られたスレイとミクリオの後ろ姿を不審な目で見つめる▼だった。

しかし気持ちの切り替えが早かったスレイが▼に右手を差し出す。
▼はその掌を一度見てから、ゆっくりと自分の手を重ねた。

スレイ達はいつも遺跡から戻ると、その日の出来事を▼に話すのも日課のひとつだった。

報告会の場所は決まっていて、いつもはミクリオを含めた3人で里の外れにある草むらまで駆けっこするのだが、今日はスレイが▼の手を引いてその場所までやってきた。

いつもは3人で円になって行う報告会は、今日は2人が肩を並べて行われることとなった。

「今日はどうだったの?」

報告会は▼が問いかける、毎回お決まりの文句で始まる。

「今日は昨日行ったところから少し進んだ場所まで行ったよ。」

スレイが身振り手振りを交えて今日遺跡で得た体験を話し始める。

いつもはまとめ上手のミクリオが、擬音と主観ばかりで伝わりにくいスレイの熱弁をフォローしてくれていたのだが、今日はそのミクリオがいない為スレイはいつも以上に一生懸命話す。

▼はいつも通り、目を輝かせながら聞き入っていた。

「それで、その時ミクリオがさ…」

だんだんと遠くの山々の向こうに夕日が沈んで行くのを眺めながら話に夢中になっていたスレイがふと▼に向き直ると、彼女は微笑みながら頷いていたが、その目には涙が浮かんでいた。

「…▼?」

潤んだ瞳に気付いたスレイが、心配そうに▼の顔を覗き込む。
すると▼はパッと顔を手で覆い、横に振った。

「ごめんスレイ、なんでもないよ。」
「なんでもないわけ無いだろ?」

スレイはそっと▼の腕を掴み、顔から手をどかす。

▼は始め抵抗しようと力を込めたが、日々鍛えている男の、しかも人間のスレイと、里から出たことも無く身体を鍛えているわけでも無い天族の▼では力の強さは雲泥の差だった。

▼の頬には溜まっていた涙が溢れて一本の筋を作っていた。

「▼、泣いてるのか…?」

スレイは動揺した。

▼の涙など、ここ数年見た記憶が無かったからだ。
▼はスレイに握られている方とは別の腕で目元を拭った。
そして少しくぐもった声で小さく呟いた。

「本当は、私もスレイ達と一緒に行きたい。」

スレイはハッと息を飲んだ。
▼は顔を上げないままぽつぽつと話し始めた。

「私が里の外に出ちゃいけないのはわかってる。
でも、本当は…ずっと羨ましかったの。」
「ごめん。オレ…」

「小さい頃、よく一緒に天遺見聞録読んだでしょ?」

俯いてしまったスレイに、▼は少しだけ顔を上げて問いかける。

「ずっと、スレイと一緒にあの本の中の世界を見に行きたいって思ってた。」
「オレと、一緒に…?」

「『古代の歴史には、人と天族が幸せに暮らす知識が眠ってるって信じてるから』。」

▼の言葉にスレイが顔を上げ彼女の瞳を見た。
その言葉は、もう何度も自分がミクリオや▼に対して熱っぽく語ってきたもので。

「人と天族が幸せに暮らせる世界、イズチ以外にも広がると良いな…って。」

▼もゆるゆると顔を真っ直ぐ上げてスレイを見つめ返した。

スレイの翡翠の瞳に自分の泣き腫らした顔が映っていて、▼は少しだけ笑みをこぼした。

人間と天族では流れる時間があまりに違いすぎる。
生まれてから今日までのそれはほとんど変わりのないものだったが、彼等が大人になってしまえばそれは劇的に変わるだろう。

その、▼にとってほんの短い時間を少しでもスレイと共に過ごしたいと言う願いは、彼女自身の生まれ持った特性からなかなか叶えることは難しそうだと言うのが▼の考えだった。

「スレイはきっといつか、イズチから世界に旅立って行くと思うから。」

『いつか、世界中の遺跡を見て回りたい。』
それがスレイの口癖だった。

今はジイジを筆頭に里の大人達が反対しているが、スレイがもっと大人になって彼等にその願いを認めさせる日が来るかもしれない。
誰よりもスレイを見てきた▼は、そう予想していた。

「だから、本当は私も一緒に外に出てみたかった。」

▼の独白を聞きながら、スレイは今まで自分達は彼女にとってなんと残酷な仕打ちをしてきたのだろうと後悔した。
そして、▼が聞き分けの良い娘だったから、きっと大丈夫なのだろうとどこか心の中で結論付けていた自分を恥じた。

「ごめん、▼!オレずっと▼の気持ち考えてなかった…」

スレイは勢い良く立ち上がったかと思うと、思い切り深々と頭を下げた。
▼は驚きに目を丸くする。

「スレイ…」
「▼がいつも笑顔で送り出してくれるから、ずっと平気なんだと思ってて…」
「ううん、良いの。」

▼はスレイを見上げながら、ふわりと微笑んだ。
その目尻には少しだけ涙が残っていたが、もう新しく流れ出てくることは無かった。

「いつも沢山話してくれたから。私も一緒に冒険してる気分になれたよ。」
「▼…」
「さっきは泣いちゃったけど、それは本当なの。ただ少し、今日のお稽古のせいもあって…」
「今日の稽古って、さっきの歌のことか?」
「うん。」

▼は自分の両掌に視線を落とし、悲しそうに眉を下げた。

「私は、たくさんの魂を悲しみや迷い、この世への未練から解放してあげられるんだって。天族だけじゃなくて、人間の魂も。」
「人間の、魂…」

スレイは頭を上げ、▼の告げたその単語を復唱する。

「私は天族だから、これから何百年も生きていく。
その中で、スレイの魂を見送ることもあるんだなって思って…」

▼はそこから先は口を噤んでしまった。
しかしスレイには、彼女の言わんとすることが十分に伝わっていた。

スレイは▼よりも先にこの世から旅立ってしまうだろう。
その時、▼はスレイの魂が迷わないように、安心してこの世界から旅立てるように見送るのだ。
あの、透き通るような歌声で。

スレイは持っていた荷物の中から愛読書を取りだす。
そしてちょうど真ん中のページを開くと、そこには折り畳まれた紙が挟まれていた。

突然スレイが天遺見聞録を取り出したことにその様子を伺っていた▼は、スレイが広げた紙から出てきたものに驚く。

「お花…?」

スレイの手の中には広げられた紙と、そこに挟まれていたらしく薄く乾燥した一輪の花が乗っていた。

「そう。この前、遺跡で見つけたんだ。」

その花はイズチに咲いているどれとも違い、▼にとっては初めて見るものだった。

「遺跡にお花が咲いているの?」
「オレも初めて見つけたんだ。たまたま上から光が差し込んでいるところがあって、ぽつんと咲いてたから持って帰ってきちゃった。」

暗い遺跡の奥で、隙間から射し込む光を浴びて寂しそうに咲いていた花。

それはまるで、里から出ることを許されず長い時の中で死者の魂の安寧を願い続ける運命にある、目の前にいる少女のようで。
スレイはそう思い、そっとその花を手折ったのだ。

「ミクリオが、栞にすればずっと持っていられるって教えてくれたんだ。」

そう言ってはにかんだスレイは、花を挟んだ紙を▼に手渡した。

「私にくれるの?」

▼はそれを受け取って、スレイを見上げながら首を傾げた。
スレイは大きく頷く。

「▼にあげたかったんだ。いつもオレ達の帰りを待っててくれる、▼に。」

そう言ってスレイは再び▼の隣に腰を下ろす。
すると▼が隣に寄り添ってきて、身体の右側に彼女の体温が伝わってきた。

「ありがとう、スレイ。」

▼は押し花の栞を大事そうに両手で包み込んだ。

「▼こそ、いつもありがとう。」

本当は一緒に冒険したいのに、笑顔で送り出して、また笑顔で迎えてくれる▼。
スレイの理想を自分の理想のように感じてくれて、そしていつか来る別れの時を思って、涙を流してくれる幼馴染。

スレイは▼に、伝えきれないほどの感謝の気持ちを抱いていた。

「もし▼がいつかオレの魂を見送ってくれる時が来ても、その栞はずっと▼と一緒だから。」

ふと▼がスレイの顔を覗き込む。
嬉しそうに笑いながらどこか照れたような彼女の顔に、何故か胸が高鳴るのを感じた。

次の瞬間、スレイは頬に温かいものを感じ、耳元に小さく届いたリップ音。

それに目を身開けば、隣にいたはずの▼は立ち上がり駆け出していた。

スレイは頬に手を当て、今だに固まっている。

「そろそろ晩御飯だよ!ジイジの家、行こう!」

背中の向こうからかけられた鈴の鳴るような声に弾かれるように立ち上がると、スレイは困ったように笑いながら、いつものように▼の背中を追いかけた。


笑い声を上げながら駆けて行く▼の手には、彼女が長い生涯肌身離さず持ち歩くことになる、シザンサスの栞が握られていた。



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ミク坊は夢主の淡い想いに気付いていて、多分空気を読みました(笑)。

シザンサス(和名:胡蝶草)
花言葉「いつまでも一緒に」「あなたと一緒に」「よきパートナー」など



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