デスクに置いたデジタル時計の日付が、音もなく変わる。
その瞬間を見てしまって、意味もなく溜息が出た。
「とりあえず、あと2分」
そんなタイミングで時計を見てしまった理由でもある手元の容器に視線を落としてから、横に置いたビニール袋からフォークを漁る。
他にチョコレートと飴の袋も入っていて、誰もいないオフィスにガサガサと音が響いた。
「静かだなあ…」
街灯黒匣のお陰で真っ暗とまではいかないけれど、それでも暗い窓の外の空を見る。
このオフィスも日によってはこんな時間でも何人か残っていることもあるのに、今日は私しかいないらしい。
せめてもと部屋は明るくしてあるのに、全然明るい気持ちになれない。
私は分史対策エージェントだから任務の内容も内容だし、こんな時間にオフィスに一人ぼっちなのもその原因だ。
「あーあ、良いことないかな…あと1分」
デジタル時計の下一桁が変わる。
1分って意外に長いなあなんて思いながら、することもなくそれを眺めることにした。
…はずだったのに。
「先客がいたのか」
オフィスのドアが音を立てる。
そして顔を覗かせたその人に、私は驚きのあまりフォークを落としそうになった。
「ユリウス室長!?」
「任務帰りか?遅くまでご苦労様」
それがこの分史対策室のトップで、この会社のエージェント達のトップに立つユリウス室長その人だったから。
それだけじゃなくて、私がずっと片想いしてる、憧れの人だから。
「夜食か?」
ユリウス室長は私がカップ麺やらお菓子の入ったビニール袋やらを広げているデスクの横を通り過ぎながらクスリと笑った。
…は、恥ずかしい。
これがリドウ副室長以下他のメンバー相手なら全然気にせず堂々とできるのに、室長の前で夜食、しかもカップ麺なんて。
あ、そう言えば時間、もう1分過ぎちゃった!
「気にしないでください。それより室長こそ遅くまでお疲れ様です」
そう返しながら蓋を剥がす。
体に悪そうな、けど空腹にはちょっと刺激の強い食欲を誘う香りが広がってきた。
すみません室長、誰もこないと思ったからこんな匂いのする食べ物を選びました。
「ありがとう。だが、もっと体に良いものだってあるだろうに」
自分のデスクに座った室長が、相変わらず私の手元を見ながら苦笑いしている。
もう、そこは気にしないで欲しいのに!
「良いじゃないですか、別に」
なんとか気をそらして欲しくて、ついぶっきらぼうな物言いになってしまう。
尊敬する上司だし、何よりずっと大好きな人相手なのに。
私の素直じゃなさには自分で呆れてくる…
「室長だって、お昼とか全然召し上がらないらしいじゃないですか」
話題を変えようと、噂に聞いた話を振ってみる。
悲しいかな、私は室長とお昼を一緒にするなんて機会あった試しがないけど。
すると室長は、そうだが…と呟いてから今度は柔らかく笑った。
あ、この顔初めて見た。
「俺は、家に帰れば豪華な飯が食えるからいいんだよ」
…え?
今の優しい表情と言いその台詞と言い、どういうことですか?
もしかしてと浮かんだ予想に、胸がぎゅっと締め付けられた。
でも、それを顔に出したらダメ。
私は室長にとって、頼れる部下で充分なんだから。
自惚れじゃないけど、その地位は得られていると思ってる。
今日の任務だって室長直々に、私に頼むって指示があったくらいだし。
だから、そんな頼れる部下のポジションだけでも守り抜きたい私は、室長に失望されたくないし嫌われたくないからこの気持ちは隠し続けるの。
「ふーん…彼女さんですか。いいですねぇ」
うん、頑張ったよ私。
呆れた表情を作って、声のトーンも変えないで。
ちゃんと、いつも通りの私ができてた。
少しだけ手が震えて、カップ麺のスープに波紋が広がっているのには見えないフリをする。
「自慢するなら、私よりリドウ副室長にしたらどうです?悔しがりますよ」
「アイツはそんな奴じゃないだろ。
それに、残念ながらそう言うのじゃないさ。家族だよ」
本当に?
その言葉に、さっきまで苦しかったはずの気持ちが和らいでいく。
家族、かあ。
そう言えば室長って家族のこととか全然話さないから知らないけど、ご家族と一緒に暮らしてるんだ。
知らなかった彼のことを一つだけでも知ることができて、こんな些細なことでも嬉しい。
これが恋をするってことなんだよね。
私、本当に室長のことが好きなんだな。
安心したことも顔に出さないよう気を付けていた私に、次の瞬間耳を疑うような台詞が飛び込んでくる。
「まあ、恋人にしたい娘はいるけど、その娘は手料理なんて作ってくれる暇がなさそうだしな」
「え…」
室長、好きな人いるんだ…
しかもその声がすごく優しくて、今度は室長の顔を見なくてもさっきみたいな柔らかい表情を浮かべているって分かる。
ダメだよ、さっき頼れる部下でいようって決めたじゃないの。
泣きそうになるのを堪えて、目の奥がツンと痛くなった。
せめて室長が帰るまで…
私の気持ちなんて知りもしない室長は、帰り支度を終えたらしくて書類をデスクにしまった。
最後に引き出しの鍵を閉めて、立ち上がった室長がまた私の横を通り過ぎようとする。
その時。
ぽん、と頭の上に重みを感じて、それが室長の手のひらだって分かるのに数秒かかった。
「しつちょ…」
「そもそも、こんな時間に体に悪そうなもの食べてるような娘だしな」
それだけ言うと、室長はオフィスから出ていった。
勿論、頭の上に置かれた手のひらの重みも無くなっていて。
「それって、まさか…」
私は知らない。
ドアの向こう、分史対策室のプレートが掲げられた柱の影で、座り込んだ室長が頭を抱えていることも。
彼の顔が、耳までトマトみたいに真っ赤に染まっていることも。
手元の、すっかり汁気のなくなってしまったカップ麺が、この後まだ伸び続ける事になると言うことも。
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フリーワンライ投稿作品で、お題はタイトルの「ラーメンはまだ伸びる」でした。
何気に初兄さんです。
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