はじまりのひとくち 



ドン!

「オイ、どこ見て歩いてんだあ?コラ!」
「すみません!」

路地に響き渡る怒声と、その後に続く謝罪の声。

前者の声の主は眉を釣り上げた大柄な男で、後者はひたすらに頭を下げる女。
女の足元には紙袋が落ちている。

「ああ?謝って済むとでも思ってんのか?」

赤い顔でそう言い募る男は、酒の臭いを辺りに振り撒いている。
身なりからして傭兵ギルドの戦士と思われるが、どうやら近くの飲み屋から出てきたばかりの様だ。

「あの、本当にすみません…」

一方でオフホワイトのコックコートにチョコレートブラウンのタイを結んだ出で立ちの女は、製菓ギルド「天使のおやつ〈グーテ・ド・アンジュ〉」のギルド員、▼・△と言う。

▼は角を曲がった瞬間、目の前に千鳥足で飛び出てきたこの男にぶつかってしまったのだった。

男は尚も▼に向け、酒臭い呼気を発しながら詰め寄る。

「ネェちゃん、オレ様は身体が資本の傭兵なワケだぞ?
今アンタに体当りされた拍子に怪我でもしてたらどうしてくれんだあ?」
「えっ、怪我?全然してないみたいですけど…」

しかし▼の呟きは男の耳には届いていないらしい。

「こりゃあ、検査してみないといけねぇなぁ。
でも、医者にかかるには金が要るんだよなぁ〜?」

▼は嫌な予感がして後ずさる。
しかし細い路地であるため、すぐ後ろはもう民家の塀だ。

相手が酔っぱらいであることから、もう少し距離をとって逃げ出そうと▼がタイミングを見計らっていると、更に男が近寄ってきた。

「早く有り金出せよぉ、そしたら許してやるから!」

あと少しで方を掴まれそうになったその時、路地の向こう側から突然疾風が放たれた。

「蒼破!」
「ぐええっ!」

それは男に脚払いをかけ、巨体は見事に崩れた。

何が起こったのか分からず▼が路地の先を茫然と眺めていると、物陰から黒い長髪をなびかせた背の高い青年が現れた。

「どう考えてもお前がその姉ちゃんにぶつかって怪我するわけ無いだろ。普通逆だぜ、逆。」

その青年はすっかり伸びてしまった傭兵ギルド員を見下ろし、ちとやりすぎたか?と苦笑した。

▼はやっと我に返ると、今度はその青年に向け頭を下げた。

「あの、ありがとうございました!」

「大丈夫か?
オレは当然のことをしたまでだ。礼を言われる筋合いもねえよ。」

黒衣の青年はそれだけ言って手にしていた刀を鞘に戻す。
どうやら鞘は腰に付けているわけではないらしく、それをそのまま手からぶら下げた。

▼はそこで、足元に落としたままだった紙袋のことを思い出す。
そして慌てて拾い上げ中身を確認し、肩を落とした。

「やっぱり潰れちゃってる…」

「何が入ってたんだ?それ。」

青年の問いに、▼は紙袋の口を広げて彼に中を見せた。

「シュークリームか。」
「はい。お世話になっているお客さんに渡すつもりだったんですけど、作り直しだなー…」

更に深く肩を落とした▼だったが、傍らの青年にハッと顔を向ける。

「そうだ、助けてもらったのにお礼をしてなかった!
すみません!」

それから財布を取り出した▼だったが、青年によって制された。

「礼なんていらねえって。たまたま通りすがっただけだし。」
「そんな、せめて少しくらいは受け取って下さい!」

しかしそれでは気が収まらない▼もすぐには引かない。

何度か押し問答していた二人だったが、ふと青年が▼が抱える紙袋に目をやった。

「じゃあ、そいつを貰ってくぜ。それが礼ってことで。」
「でもこれ、潰れちゃってるし!」

そもそも彼は菓子など好むだろうかという疑問を浮かべる▼。
しかし青年は気にせず紙袋をひょいと▼手から奪った。

「腹ン中入っちまえば同じだろ。どれ…」

そう言って彼はあっという間に中から一つ取り出し口に放り込む。

小さな一口サイズのシュークリームだったそれは、潰れてクリームがはみ出てはいたものの味は彼が言う通り変わらない。

「このカスタードクリーム、濃厚ですごいウマいな!」

もぐもぐと口を動かしながら、青年は目を輝かせる。
▼の想像を裏切って、彼はどうやら甘いもの好きらしい。

ほどよくしんなりしたシュー皮にあっさりとした生クリーム、そして卵の濃厚な味わいが売りのシュークリームは、店でも人気商品の一つだ。

更にもう一つ口へ運びながら、青年は▼の服装をまじまじと見つめて言った。

「アンタ、その格好菓子職人か何かか?」
「何かと言うか、正に菓子職人です。
向こうの通りでお店を開いてる『天使のおやつ』って言うギルドの。」

「へぇ…」

青年は三つめのシュークリームに手を付けるか少し考えたあと、後で食べるかと呟きながら袋の口を閉じる。

「オレはユーリ・ローウェル。じゃ、こいつはオレがユニオンに引っ張ってくわ。」

それだけ言うと、ユーリは未だに伸びている傭兵を引きずり出した。

「私も一緒に!」
「▼はまたシュークリーム作らないとなんだろ?こっちはオレに任せとけって。」

着いていこうと申し出る▼にそう返すと、ユーリはギルドユニオンのある方へとスタスタ歩いていってしまった。
彼の倍は体重の有りそうな大男を軽々と引きずって。

「送ってってやれないけど、もう変なのに絡まれんなよな。」

最後にそう言い振り向いたユーリの口元についた生クリームは、ユニオン本部でレイヴンに指摘されるまでそのままなのであった。



----------------------------
出会いのエピソードでした。
小さいシュークリームはお礼や心付けに使われるそうですよ。
チョコがけシューやシューアイスも美味しいですよね。



[back]
×