C3-03  [ 45/72 ]



セレナはふと目を覚ました。

どうやら泣き疲れて寝てしまったらしい。
気付けばドアにもたれて座ったままの体勢のままだった。

辺りはまだ薄暗いが、カーテンの隙間からはほんのりと白い光が差し込んでいる。
見渡すとルドガーのデスクの上に時計を見つけた。

「朝……」

自分で感じていた以上に身体は疲れていたらしい。

思ったより寝てしまったと思いながら、セレナはゆっくりと立ち上がる。
変な体勢で寝てしまったので身体がぽきぽきと音を立てた。
しかし沢山泣いたからなのか、気持ちは眠りにつく前よりは軽くなっていた。

(顔を洗いたいな)

気持ちは軽くなっていたが、おそらく顔は酷いことになっているだろう。
ベッドに目をやれば、エルはまだぐっすりと眠っていた。

音を立てないよう細心の注意を払って、セレナはゆっくりとドアを開けた。

リビングに出れば、幸いにもルドガーが起きる様子は無かった。
置いてあった自分の荷物からポーチを抜き取ると、そっとソファの前を通る。
ルドガーはブランケットも掛けずソファの上で仰向けになっており、腕を顔に乗せているため表情は見えなかった。

セレナは苦い顔でその姿を見たが、振り払うように頭を振ると、静かにバスルームに入った。

「やっぱり酷い顔……」

洗面台に立つと、鏡に映った自分の顔を見てそう零す。
泣き腫らした目は赤い上、たくさん寝たはずなのに隈ができていた。

セレナはまず冷たい水で顔を洗った。
昨日借りたバスタオルが洗濯かごに入っていたのでそれを取り出して顔を拭く。
それから持っていたハンカチを濡らして瞼に当てた。

しばらくしてから手をどかせば、少しは腫れは引いたようだった。
それからポーチに手をかけ、メイク道具を取り出した。

(これで少しはマシになったかな)

顔色の悪さや隈も少しは隠れた。
真っ赤だった目には徹夜時御用達の目薬を点した。

(今度化粧品部門に、徹夜向きの商品の開発を提案しようかな)

そんなことを考えながら、鏡に顔を近づけて確認する。

そこまできてセレナは、自分がまだ借りた寝巻きのままだったことを思い出した。
昨日着ていた私服は脱衣所に畳んで置いてあったので、慌ててその場で着替えることにした。

Tシャツを脱ぐとき、まだ少し残っていた柔軟剤の香りが漂ったが、セレナはそれに気付かないフリをした。

着替え終わって最後に髪を整え、もう一度鏡を見れば、若干やつれ気味だがいつもの自分がそこにいる。

「……よし、大丈夫」

自分に言い聞かせるようにそう呟いて、セレナはリビングに戻った。

リビングに顔を出すと、なるべく静かにしていたつもりだったが物音に気付いたのか、ルドガーがのそのそと起き上がっているところだった。

起き抜けで視線の定まり切っていないルドガーと目が合う。

「お、おはよう」

正直なところかなり気まずかったが、セレナは平静を装って声をかける。
ルドガーはセレナの姿を捉え、ゆっくりと口を開いた。

「……おはよう」

「あの、私帰るね?エル、ぐっすり寝てるから大丈夫だと思う」

セレナはそのままルドガーの横を突っ切り、荷物を取ろうと足を進めた。
しかしそれは叶わず、立ち上がったルドガーに腕を取られてしまう。

「……そばに居てくれるんじゃなかったのか?」

セレナは振り返ることができなかった。
昨日あんな風に拒絶し中途半端に話を終わらせてしまった手前、これ以上逃げようなんて都合が良すぎるとも分かって居たのだが。

「服、着替えたいし……まだアポまでには時間あるから……」

セレナの煮え切らない態度に、ルドガーはやがてその手にこめた力を緩めた。

「……そうかよ」

セレナはゆっくりとルドガーの手から離れる。
ルドガーはセレナの温もりがまだ残る掌を無意識に目の前に持ってきて見つめた。

セレナはその姿にハッと息を飲む。
ルドガーはミラの手が離れてしまったことを思い出しているのだとすぐに気付いた。

「ルドガー、ごめんね……」

ーー思い出させてしまった。
しかも、彼にとっておそらく一番辛いことを……

セレナは狼狽えながら呟くと、荷物を持って逃げるように玄関から出ていってしまった。

ドアが音を立てて閉まる。
しかしルドガーは掌を見つめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「ルドガー、セレナは……?」

それから小一時間経ったあと、エルがルドガーの部屋から顔を覗かせた。
エルはてっきりセレナはリビングに居るものと思っていたのに、その気配がどこにもないことを感じていた。

「朝早くに起きて、帰った」

ルドガーは朝食の準備をしながら、エルに振り返らずそう答えた。
その無機質な声色に、エルは直感的に2人の間に何か良くないことがあったのだと感じ取った。

「朝飯出来てるけど、食べれるか?」
「うん」

しかしそのあとルドガーはいつも通りの声でエルに振り向いた。
表情も特にいつもと変わらない。

エルは若干の引っ掛かりを感じながらも、昨夜あまり食べなかった為に腹の音が鳴りそうになっていることに気付き、小走りでダイニングテーブルに向かった。

「ねぇルドガー……セレナと何かあった?」

トーストをちぎりながら、エルが恐る恐るルドガーに問いかける。
ルドガーは既に食事を終え、コーヒーを飲んでいるところだった。

「……別に、何も」

ルドガーはエルに目を合わせずそう言った。
その態度に、エルは少しムッとした。

「何も無かったらそんな風に怒ったりしないよ」
「別に怒ってない」
「怒ってる!エルはルドガーのアイボーなんだし、ちゃんと話してよ!」

ルドガーがついイラつきながら答えると、エルはさらにムッとして言い返した。
その言葉に、ルドガーは持っていたマグをテーブルに置くとわざとらしく溜息をついてみせた。

「子どもに話すような話じゃない」

エルは目を見開き、悔しそうに顔を歪めた。

「セレナはエルが子どもだけどなんでも話してくれたし」

ルドガーは少し間を開けて、残っていたコーヒーを飲み干すと立ち上がった。

「あいつは俺には何も話してくれなかったけどな」
「ルドガー……」

「エルごめん。
……でも、聞くならセレナに聞いてくれ」

それだけ言うと、ルドガーはマグを流しに置き、バスルームへ入って行った。

食べかけのトーストを持ったまま、エルは悲しげに手元に視線を落とした。


セレナが屋敷に戻ると、ビズリーが朝食を摂っているところだった。

「お父様……おはようございます」

セレナはダイニングに顔を出さないつもりだったが、執事頭が挨拶くらいはするようにと促した為、仕方なく養父の前に立ち寄った。

「おはよう。酷い顔だな」

ビズリーはナイフとフォークを一度置き、セレナの顔をまじまじと眺めた。
その鋭い視線に心の中まで見透かされているような心地がして、セレナは視線を泳がせた。

しかし意を決して、ひとつ気になっていたことを問いかける。

「お父様、リドウさんのことは……」
「後から聞いた。あいつは功を焦り過ぎだ」

ビズリーは顔色一つ変えずにそう返す。

「では、あれは……」
「私は時空の狭間にある“障害”を取り除け、と命じただけだ」
「……そう、でしたか」
「無事に取り除かれたようだな?」

その言葉にセレナは静かに拳を握り締めた。

「……友人が、犠牲になりました」

ビズリーは少しだけセレナの言葉に目を細めたが、事も無さ気に告げる。

「“アレ”はイレギュラーな存在だ。いずれ取り除かなければならなかった」
「ですが、彼女だって一人の人間です」
「我々はどんな犠牲を払ってでも辿り着かなくてはならない。彼の地へ、な」

それだけ話すと、ビズリーは再び食事に手をつけた。
セレナはきつく口を結び、深くお辞儀をするとダイニングを後にした。

自室に戻ると服を脱ぎ、クローゼットからクランスピア社のエージェント服を選ぶ。
それに袖を通し時計を確認すれば、養父がルドガーと面会する時間まではまだ数時間あった。

しかしこのまま家に居るのも気が進まず、ビズリーよりも先にクランスピア社へ赴くことにした。

出掛けに若いメイドが寄ってきて、サンドイッチを持たせてくれた。
疲れた顔をして戻ってきた令嬢を心配して、部屋でも食べられるものをとシェフに頼んでくれていたらしい。
セレナはそれを受け取ると丁寧に礼を言う。

「ありがとう。会社で食べるね」
「お嬢様……どうか、頑張りすぎないでくださいね」

このメイドは年の近いセレナとよく話す方なので、その性格をよく知っているつもりだった。

はじめ、セレナは受け取ったサンドイッチをしまって何も無かったように出かけるつもりだったが、見つめてくるメイドがあまりに悲し気な顔をしていることに気付き、自分はここでも心配をかけているのだと気持ちを改めた。

「私、大切な人を傷つけちゃったの」
「そうだったのですか……」
「でも、その分その人の為に頑張る」

セレナは誓いを立てるように胸に手を置いた。
その胸元には、クランスピア社の社章が輝いている。

「私は私のやり方で」

最後の言葉は自分にしか聞こえないくらいの小ささだったが。

それでもセレナの言いたいことをなんとなく感じ取ったメイドは、すっと玄関のドアを開け、深く礼をした。

「いってらっしゃいませ」

セレナはそれを見て、今一度気合を入れ直して大きく頷くと、メイドの横を通り過ぎて外へ出た。

(私に出来ることは、クラン社の手からみんなを守ること)

養父の言ったことは彼の本心であろう。
ミラはカナンの地へ至る為に必要だった犠牲。

そしてセレナは気付いていた。
ルドガーにだけでなく、ビズリーがエルを見る目もそれと同じだと。

そもそも“クルスニクの鍵”はルドガーだというが、それは本当だろうか?
分史世界での経験から、ルドガーはエルと離れているときは骸殻化出来ないという仮説が成り立つ。

その意味するところは?

セレナにはまだ明確な答えは出せそうにない。

しかしルドガーは言った。
“そばにいてくれないのか”と。
セレナもそう誓ったはずだ。

ならばルドガーとエルを守る為にも、一人のエージェントとして、彼らの側にいようと決めた。

余計な感情は足枷になる。
事実、既にセレナの心の迷いがルドガーを傷付けたのだから。

セレナはふとポケットに手を入れる。
手に当たった硬い感触が心を落ち着けてくれた。

「最後の道標、必ず見つけに行こう」

2人の願いを叶える為に。



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最後には、ちゃんとルドガー落ちになりますので……
次回、遂に例の分史世界に突入です。



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