C3-02  [ 44/72 ]



エルが眠りに落ちたのを確認し子守唄の最後のフレーズを口ずさみ終えると、セレナは静かに立ち上がった。
その気配を感じたルドガーは、我に返ると慌ててソファまで移動する。
ルルは既に丸くなってクッションの上で眠っていた。

セレナはエルのブランケットを肩まで掛け直し、起こさないよう気を付けながら部屋を出た。

部屋のドアを静かに閉めれば、テレビを付けるでもなくただソファに座っていたルドガーが視線を投げかけてくる。

「エル、寝たよ」
「……ありがとう」

セレナはルドガーの言葉にゆっくりと首を横に振った。

「悪い、遅くなっちゃったな」

ルドガーは壁掛け時計に目をやる。
既に時刻は22時を回っていた。

「仕事の日も結構遅くなったりするし、平気だよ」

セレナはそう言って、GHSを取り出す。
特に家からも連絡は来ていない。

成人前とは言えさすがに社会人だ。仕事で日付をまたぐことも多々ある。
養父も忙しい身であるし、心配性の執事頭にも、自分はこれでもエージェントだからと普段から言い聞かせてあった。

「泊まってけよ」

ルドガーは座ったままセレナを見つめながら、少し間を置いてそう言った。
セレナは少し戸惑ったが、今夜はルドガーもエルも放っておかない方が良いかと考え、やがて遠慮がちに頷いた。

「バスルーム、好きに使っていいから」

そう言うとルドガーはソファから立ち上がり、一度バスルームへ向かう。
そしてふわふわの白いバスタオルを持って戻ってくると、セレナにそれを手渡した。

「着替え、用意しておくよ」

セレナがタオルを受け取ると、ルドガーは恥ずかし気に視線を逸らしてそう呟いた。

「ありがとう。じゃ、借りるね……?」

セレナは相変わらず遠慮がちに、しかしその申し出に甘えることにしてバスルームへ向かった。

ルドガーはバスルームの扉が閉まる音を聞き届けた後、盛大な溜息を吐いて再び熱くなり始める顔を手で覆った。

(こんな時に余計なこと考えるなよ、俺……)

ルドガーは頭を激しく横に振ってから、静かに自室のドアを開けた。
エルが穏やかに規則正しい寝息をたてていることを確認して、クローゼットをゆっくりと開く。
中からセレナに貸せそうな着替えを探し出し、また静かに部屋を出た。

頭の中ではずっとセレナとエルの話がリフレインしている。

自分のことが好きだと言っていたセレナ。
しかし、その気持ちを自分に話すつもりは無いらしい。

どうもセレナはミラのことを気にしているようだったが、ルドガーにはどうしてそうなるのか、それらが結びつかないでいた。


セレナはシャワーを浴びながら、ここ数日で起こったことを思い返していた。
特に思い出されるのはカン・バルクの夜景と、4人で囲んだ一家団欒のように楽しかった食卓、それからペリューンでの事。

ルドガーへの恋慕とミラへの羨望や贖罪。
考えても答えの出ることの無いそれを、熱いシャワーで流してしまいたかった。

「着替え、ここに置いとくよ」

ふと脱衣所に気配を感じればルドガーに声をかけられる。
ありがとうと返事をすれば、またその気配は遠のいた。

ルドガーへの気持ちは、エルに話したあの日から余計に大きくなっていくように感じている。

「はぁ……私、どうしたいんだろう」

こんな時ミラがいてくれたら……などと、彼女に話しても余計困らせただろうに、つい的確な答えをくれそうな彼女の顔を思い浮かべてしまうのだった。


セレナはルドガーが用意してくれたTシャツとハーフパンツに着替えると、ドライヤーを拝借して髪を乾かした。
ルドガーはそこまで背も高くなく細身の方だが、さすがに男女の体格差なので、Tシャツはぶかぶかでハーフパンツは折らないとウエストが合わなかった。

それからセレナは、今まで宿に一緒に泊まったことはあれど部屋は別だったので、そう言えばすっぴん晒すのは初めてだな、などと考え恥ずかしくなっていた。
だが、泊まらせてもらうのに顔を隠しているわけにもいかないと腹を括る。

「……シャワー、ありがとうございました」

そう言いながら恥ずかしげにリビングに出る。
ルドガーはソファでGHSを弄っていた。

「服、そんなんしかなくてごめん」
「ううん、大丈夫。ちょっと大きかったけど」

ルドガーはセレナの格好をまじまじと見てしまっている自分に気付き、慌てて話題を逸らす。
好いた女子が自分の服を着ている姿は、どうにも心臓に悪かった。

「化粧してないの初めて見た」
「……あんまり見ないでね」
「俺はどっちのセレナも良いと思うけどな」
「……ありがと」

セレナはそう言ってはにかむと、ルドガーが用意してくれたグラスに口を付けた。
水を飲み終え深く息を吸った瞬間、着ているTシャツの柔軟剤の香りが鼻をくすぐった。

(そう言えばこれ、ルドガーの匂いだ……)

何度か間近で嗅いだ事のある香りに、セレナは突如顔を赤くした。
それをなんとか頭の隅へ追いやると、セレナはソファで寛いでいるルドガーに目をやった。

「そう言えば、ルドガーはどこで寝てるの?」
「俺?ここだよ」

そう言ってルドガーは今まさに座っているソファを指して苦笑した。

「えっ、ソファで!?」
「あ、セレナはエルと一緒にベッドで寝ても良いんじゃないか?女同士だし」
「そうかな?」
「兄さんの部屋が使えれば良かったんだけど、鍵が開けられなくてさ……悪い」

ルドガーは、自室の隣の部屋のドアを悲し気に見た。
セレナはそれを聞いてふるふると首を振った。

「ユリウスさんのベッドなんて余計に申し訳なくて使えないよ。もしそうするなら私がソファで寝てルドガーにベッド使ってもらう。なんなら私床でもいいし!」
「……将来結婚するかもしれないし、良いんじゃないか?」
「な、何言ってるの!?あれは分史世界でのことだし……!」

セレナがあまりに恥ずかしそうに否定するのでルドガーは少し気を悪くし、意地悪く言った。
するとセレナは顔を赤くし、さらに大きく首を振る。

(俺、セレナの気持ち盗み聞きしたのに、まだ勝手に兄さんに嫉妬してるのかよ)

ルドガーは視線を逸らし、自嘲気味に口の端を上げて笑った。
あの分史世界での一件は、ルドガーの心に色々な意味で大きな影を落としたままなのだ。

しかしルドガーの表情の変化に気付いたセレナが恐る恐る様子を伺っていることに気付き、すぐにセレナに視線を戻した。

「とりあえず、座れよ」

そう言って自分の隣をぽんぽんと叩けば、セレナは何か考えたそぶりを見せた後、ゆっくりと隣に腰を下ろした。

2人の間にはルル一匹入るくらいのスペースが空いていて、ルドガーはセレナの遠慮がちなその態度に苦笑した。

どうもセレナの本心を知ってしまったことで少し強気になってしまっているらしい。
それなのに分史世界での事やペリューンでの事が、2人の間の物理的なスペース以上に溝を作っているように感じた。

「ルドガー……は、大丈夫……?」

先に口を開いたのはセレナだった。
しかし歯切れ悪くそう言うだけで、目線は足元に下ろしていた。

「大丈夫なわけ……ないよね……ごめん」

そう言って、セレナはまた口を噤んでしまった。

しばしの間ルドガーも何も返さず、沈黙の時間が流れる。

「正直に言うと大丈夫じゃない」

ルドガーはやがて重い口を開いた。
このところ色々ありすぎた。それら全てがルドガーの心に重くのしかかっていて、ふとした瞬間思い出すのだ。

「セレナ、覚えてるか?」
「……何を?」

ルドガーはゆるりとセレナに向き直る。

「前にセレナが、俺が辛くなったら言ってって言ってくれたこと」

それは、ミラと出会った日のこと。
セレナは顔をルドガーに向けないまま、こくりと頷いた。

「俺、今すごく……つらい」

ルドガーが小さく呟けば、セレナはゆっくりと顔を上げた。
悲し気に眉を寄せ、ルドガーの瞳を覗き込む。

「でも、セレナがいてくれるって分かってるから、なんとかなってる」

2人の視線が重なると、ルドガーは少し表情を緩めて見せた。

セレナはそれをぼうっと見つめている。
自分が言い出したことをルドガーがちゃんと覚えていてくれたこと、そしてそれが彼の役に立っているらしいことは嬉しかった。

しかし何か言いたいのに、口を開こうとすると“彼女”の顔が頭をよぎるのだ。

言葉が返ってこないことは気にせず、ルドガーは僅かに腰を上げセレナとの距離を詰めた。
そしてそのままセレナをゆるりと抱き締めると、自分のものと同じシャンプーの香りが鼻をくすぐった。

「好きだ、セレナ」

一度言葉に出してしまえば、その先は簡単に流れ出してくる。
抱き締めた彼女の香りと自分から香るそれが同じなことも、気持ちに拍車をかけた。

「そばにいてくれ……俺にはセレナが必要なんだよ」

セレナは突然の抱擁と言葉に思考が停止してしまう。
なんとかルドガーの言葉を頭の中で反芻し、理解する。

「ルドガーが、私を……?」

ルドガーは肯定する代わりに、抱き締めた両腕に力を込めた。

それを受けたセレナがまた何か言いかけてはやめるのを何度か繰り返しているうちに、ルドガーは腕を緩め、少し身体を離した。

それから伏し目がちなセレナを見下ろし、片手をその後頭部に這わせると、顔を少し傾けながら近付ける。

そして、戸惑うその唇に小さな音を立てて口付けた。

「……これでも信じないか?」

ゆっくりと唇を離しながら、ルドガーは低く囁く。
セレナの目はふわふわとルドガーの胸の辺りを彷徨ったままで、明らかに動揺していることが伝わってきた。

「……どうして?」

セレナがやっとのことで告げた言葉に、ルドガーは苦笑した。
すぐ認めてくれるとは思っていなかったが、少し気持ちに余裕が生まれていた為、優しく微笑みながらセレナの目を見た。

「ミラに、ちゃんとしろって言われたんだ」
「……ミラに?」
「ミラが最後に……セレナにちゃんと気持ちを伝えないと許さないって」

ルドガーの気持ちとは反対に、ミラの名前とその言葉にセレナはさらに動揺した。

向けられた気持ちは純粋に嬉しかった。
突然の口付けには驚いたが、好きだと言ってくれた言葉が胸の中を満たしていく。

しかしその名前を聞けば、やはりミラのルドガーを見る表情や2人のやり取りが目の前に浮かび、この気持ちを手放しで受け取ってしまって良いものかとたじろいだ。

「ミラが……最後に……」

セレナは彼女の名を呟くと、ルドガーの胸を片手で緩く押し返した。

――それは、彼女が自分はいなくなるから言った言葉なのではないか。

「ごめん、私……」
「セレナ?」
「ミラの代わりには、なれないよ……」

その態度に呆気に取られたルドガーの腕をすり抜け立ち上がると、セレナは1度だけ振り返ってから、エルの眠るルドガーの自室に逃げ込むように入っていった。

「ごめんルドガー……おやすみなさい」

後に残されたルドガーは、セレナの予想外の言葉に、しばらく全身が痺れたように動けないでいた。

(いつだってルドガーの背中を押してあげられるのはミラなんだ)

一方で部屋の扉を閉めたセレナは、そのままずるずると扉に持たれかかって座り込んでしまう。
涙が目から溢れ出そうになるが、ぐっと堪えた。

せっかくルドガーが告げてくれた気持ちを台無しにしたのだ。

彼が昔ノヴァに告白したが振られてしまった話を苦笑しながら話してくれたのを思い出す。
いくらミラに言われたことであれ、それはとても勇気のいることだっただろう。

でも、もし彼女が消えなければ?
彼女のその言葉が無かったら?

セレナは自分の気持ちの整理がつかないせいで、ルドガーの好意を無下にしてしまった。

「ごめん、ルドガー……ごめん……」

堪えきれなかったものが、堰を切った川のようにセレナの頬に筋を作る。

(支えられないどころか、傷つけてしまった……こんな私じゃ、ルドガーの気持ちに応える資格なんて無いよ)

セレナは嗚咽がリビングに聴こえないように袖で口元を覆う。
抱き締められたときと同じ香りが、また胸いっぱいに広がった。



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告白する時に他の女の子の名前出しちゃダメ、絶対!
というわけで、ルドガーも夢主もまだ青いなぁという展開に……



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