11-06
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マクスバードからトリグラフまでの列車内では、誰も言葉を発しなかった。
セレナも、1人でペリューンに乗り込んでからリドウとの戦闘までをこなしたことで身体がくたくただった。
さらにミラの件で精神的にも疲れ果てており、GHSで上司への報告メールを作成しているも中々進まなかった。
ルドガーとエルはそれ以上で、2人ともただ流れる景色を見つめているだけだった。
トリグラフ中央駅に到着すると、3人は無言のままルドガーのマンションへ向かった。
マンションのエントランスに着くと、ようやくセレナが口を開いた。
「部屋、寄って行ってもいいかな……?」
「ああ」
ルドガーが短く返事を返す。
エルは相変わらず心ここにあらずといった風で、先を歩いていく。
部屋に着けば、エルはそのままソファに座ると、膝に乗って心配そうに鳴くルルを抱きしめ顔を埋めた。
ルドガーはセレナに椅子を勧め、自らはキッチンに立ち湯を沸かし始めた。
「コーヒーでいいか?」
「ありがとう。ルドガーと同じのでいいよ」
「エル、ココア飲むか?」
「……うん」
エルは少しだけ顔を上げると小さく頷き、またルルの柔らかい毛に顔を埋めた。
しばらくして、ルドガーがテーブルに湯気の立ち昇るエル用のマグカップを置き、冷めたら飲むよう言った。
そのあと自分とセレナの分のマグをテーブルに置く。
セレナは芳ばしい薫りの漂うそのカップを手に取り、ミルクの作り出す渦を見つめた。
「……飯、食って行けよ」
不意にルドガーがセレナに向けて言う。
セレナは少し考えたが、2人を置いて帰ることは考えられず、やがてルドガーの目を見返して頷いた。
それからまたしばらく3人はそれぞれ無言のまま、何か考え事をしては溜息をつくのを繰り返していた。
やがてルドガーは空になった自分のマグを手に立ち上がると、そのままキッチンで夕食の準備をし始めた。
セレナは手伝おうか迷ったが、結局ココアにも口を付けずソファで変わらない体勢のままのエルが気になり、ゆっくり立ち上がるとソファへ移動する。
エルの隣に腰をおろせば、ルルだけが一瞬顔を上げた。
「……王様がね」
エルはセレナが座ったことは分かっていたようで、ぽつぽつとか細い声で話し始めた。
「失ったかなしみを、守られたホコリに変えればいい……って言ってた」
「……うん」
セレナはエルの小さな背中に軽く手を起きながら相槌を打つ。
「守ってくれた命に意味があったって、エルの生き方でショウメイしてみせろ、って……」
「そっか……」
ガイアス王らしいな、とセレナは思った。
どんなに辛いことでも、忘れるのではなくそれを背負って前を向くこと。
なくなってしまった命すら、明日を生きる糧にすること。
それは、幼い頃に両親と妹を亡くしたセレナの心にも大きく響いた。
「エルだって、がんばろうと思うよ。でも……むずかしくてわかんないよ……」
エルの声は段々と小さく弱くなっていく。
それから少し間を置いて、くぐもった嗚咽が聞こえてきた。
セレナはエルの背中をゆっくりと撫でた。
ルルも苦しい体勢だったろうが、気にせずエルの涙を受け止めていた。
ルドガーはポトフの入った鍋を無言でかき混ぜている。
その表情は固く、口を真一文字に結んでいた。
しばらくの間、外から微かに聞こえる雑音と時折レードルが鍋の縁に当たる音以外は、少女の啜り泣く音だけが部屋に響いていた。
食事の支度が終わりルドガーがコンロの火を止めた。
エルの泣く声は少し前に止んでいて、部屋は静寂に包まれている。
夕食の準備が出来たと告げれば、セレナがソファに座ったまま人差し指を唇に当てて見せた。
「……寝ちゃったのか」
「うん。疲れてただろうからね」
ルドガーがソファの前まで歩み寄り覗き込むと、エルはセレナにもたれ掛かって眠ってしまっていた。
ルルがエルを起こさないよう静かにその膝から退くと、ルドガーはエルの背中と膝の裏に腕を入れ、ゆっくりと抱き上げた。
ルドガーはセレナに頼んで自分の部屋のドアを開けさせ、エルをベッドの上に静かに降ろした。
少女の目尻にはまだ涙の痕が残っており、その表情は消して安らかとは言えない。
セレナは親指でその痕を優しく拭ってやると、起こさないようにとリビングに戻って行った。
ルドガーももう一度だけ少女の顔に目を落としてから、ミラがこの世で最後に触れたものであろう自分の右手に目線を移し、静かに部屋から出た。
「エルには起きたら食べさせるよ」
そう言って、ルドガーはセレナに夕食を食べるよう勧めた。
セレナはそうだねと小さく呟いて、いただきますと手を合わせた。
「そう言えば、どうしてセレナはあの場に居たんだ?」
付け合わせのマッシュポテトを口に運びながら、ルドガーがふとセレナに問いかけた。
セレナはチキンのチーズ焼きをフォークに取り、視線を落とす。
「みんなに会う前に仕事で積荷をお願いしてた商船に頼んで、海からボートで渡ったの」
「ボートで!?」
「そう。偶然リドウさんがアルクノアとやり取りしているのを聞いてしまって、ペリューンが狙われてるって分かったから」
ルドガーは驚いてセレナの顔を見た。
しかしセレナは相変わらず目を下に向けたままだ。
「リドウさんのかけてた電話の内容から聞き取れたところだけ繋ぎ合わせて考えたら、マクスウェルを召喚しようとしてるんじゃないかって思ったの」
「なんで連絡してくれなかったんだよ」
「ごめん……ミラを連れてきたら駄目だって、思ったから……」
歯切れの悪いその言葉に、ルドガーはハッと気付かされた。
ミラがトリグラフ港で自暴自棄に放った言葉。
セレナもそれを聞いていたのを思い出したのだ。
「クラン社にマクスウェル召喚の術式があることはお父様から聞いてたの。でも、まさかあんなやり方をするものだなんて……」
生贄。
しかもそれに、“障害”となっているミラ本人を捧げたこと。
ルドガーはそれを思い出し苦い顔をした。
「ただ、リドウさんがみんなを誘き寄せてミラを消そうとしていることは予想できてたの。多分私たちの話を聞いてたんじゃないかと思って」
セレナは、リドウを見かけた場所を説明し、おそらくミラとのやり取りを聞いてのあの行動だと話した。
「じゃあ、それを話してくれればよかったんじゃないか?」
「話したらみんな絶対来ると思ったから……ミラだけ置いてきてなんて、彼女が納得しないと思ったの。ルドガーに置いていかれたらミラ、傷つくよ……」
セレナはフォークを皿に置き、視線を彷徨わせた。
それを見たルドガーは、あの時のミラの表情、声、態度を次々と思い浮かべる。
「……ごめん、そうだな。事情を説明しても、多分ついてきてたと思う」
実際、ペリューンに乗船してからのミラは自棄になっていた。
自分が死ねば正史世界のミラは戻って来れる、そう考えていたからだ。
そんな彼女に召喚のことを話せば、どうなっていたことか。
しかし結局はリドウの目論見通り、ミラ=マクスウェルはこの世界に召喚されることとなったのだが。
「でも、ちゃんと話して、ミラに何言われてもいいから止めればよかった……私……」
「セレナ、もういい」
「私、いつも大切な人を守れないよね……」
「もういいって!」
泣き出しそうに顔を歪めたセレナをルドガーが制す。
声を荒げてしまったことに罰が悪そうに視線を下げたルドガーに、セレナはごめんねと消え入りそうな声で呟いただけだった。
そのあと2人は無言で食事を続けた。
数日前のあの楽しかった4人での食卓は、もう2度とやってこない。
そのまま食事を終え全ての食器を片付け終えた頃、エルが赤い目をこすりながらルドガーの部屋から出てきたのだった。
「エル、飯くえるか?」
「……ちょっとだけ……」
「じゃ、用意するよ」
エルがゆっくりと歩いてきてテーブルにつく。
ルドガーがその前にエルの分の夕食を温め直して並べて行く。
ルルがセレナの足元に寄り添ってきて、セレナはルドガーに断りを入れるとルルの餌を皿に入れてやった。
セレナがルルの食事を眺めている間にエルは少しだけの夕食を終え、椅子から降りると未だに赤いままの瞼をこすっていた。
「エル、シャワー浴びてこいよ」
ルドガーがエルの食器を洗いながらそう言った。
セレナも立ち上がってエルの前に屈み、顔を覗き込んだ。
「あんまり目をこすったら腫れちゃうよ。シャワー浴びて、さっぱりしておいで」
「……うん」
エルは力無さげに頷くと、言われるままにタオルを手にしてバスルームへ向かった。
セレナは、エルがいない間に帰るのは良くないと思い、そのままソファに腰掛けた。
隣に飛び乗ったルルが寄り添ってくる。
ルドガーはテーブルをクロスで拭き終え、新しいコーヒーを入れたマグを2人分持ってソファまでやってきた。
そしてマグを一つセレナに手渡すと、ルルとは反対側の隣に腰を降ろした。
ルドガーはリモコンを手に取りテレビの電源を入れる。
するとセレナも見慣れたニュース番組をやっていて、野菜の値段がまた上がっただとか、明日の天気はどうだとかありきたりなトピックスをキャスターが次々と読み上げて行く。
『次のニュースは、エレンピオス首相とリーゼ・マクシア国王による和平条約調印に関する……』
テレビから流れてきた音声に、セレナの肩がピクリと跳ねたことにルドガーは気付いた。
横に目をやれば、彼女は俯いて膝の上で拳を握りしめている。
セレナはルドガーの視線を感じ、小さな声で話し始めた。
「マルシア首相が言ってたよね。ミラのおかげで調印ができた、って……」
「そうだったな」
ルドガーはマグを口に付けながら答えた。
「結局、ミラがいないと何もできなかった……」
セレナの拳は力が入り過ぎて小刻みに震えていた。
「あの場を先に私がどうにか出来ていれば……!」
「……セレナ」
「エルのこと、助けられていれば!」
「セレナ!」
ルドガーがセレナに向き直る。
セレナも釣られてその顔を見た。
「……俺が手を離さなければ良かったんだよ」
「ルドガー……ごめん……」
ルドガーが静かに低い声でそう言えば、セレナはトーンダウンして眉を下げた。
(ルドガーが1番辛いんだ、本当は……)
最後までミラの手を離そうとせず、励まし続けていたルドガー。
その気持ちをようやく考えることができたセレナは、自分のことばかりで辛い気持ちになっていたことを恥じた。
セレナはふと見つめてくるルドガーのエメラルドの瞳を見つめ返す。
しばらく目と目が合ったまま意識が引き寄せられるのを感じると、その瞳に幼い少女のエメラルドの瞳が被って見えた気がした。
(そう言えば、この目……)
「どうした……?」
ルドガーはあまりにまじまじと見つめられたことで少々たじろいで問いかける。
しかしセレナは目を見開いたまま答えない。
(エルと同じ色)
その時脱衣所のドアが開いて、パジャマ姿のエルがタオルを手に出てきた。
2人は反射的に瞳を逸らす。
視線を移せば、エルの降ろされた長い髪はお世辞にも拭き切れているとはいえず、パジャマの肩の部分は所々色を変えていた。
「エル、風邪引いちゃうよ」
すぐに気付いたセレナが駆け寄りエルの手から半ば奪うようにしてタオルを取ると、濡れた髪を丁寧に拭いていく。
エルは心ここにあらずで、されるがままにその場に留まっていた。
シャワーを浴びている間に色々思い出してしまったのだろう、結局目は赤いままだった。
セレナはエルの髪を拭き終わると、今度はパジャマのボタンが掛け違えられていることに気付いた。
さすがに子どもとは言えルドガーのいる前でボタンを外すのは気が引けたので、そのままエルの肩を優しく押して、ルドガーの部屋に促した。
「……はい、これで大丈夫」
エルをベッドに座らせパジャマを正しく着させると、セレナは最後にエルの頭を一撫でして微笑んで見せた。
部屋の外から様子を伺っていたルドガーが水の入ったグラスを持ってきてエルの前に差し出した。
エルはそれを受け取ると、少しだけ飲んでグラスをルドガーに返した。
「エル、眠くなるまで話そうか」
今のエルを放っておくことができず、セレナはエルの目を見ながらそう提案した。
エルはしばらく返事をせずルドガーとセレナの顔を交互に見ていたが、やがて小さな声で、いいけど……と呟いた。
セレナがルドガーに顔を向け軽く頷くと、ルドガーも頷き返して、シャワーを浴びてくると言い部屋から出て行った。
「エル、聞いてくれる?」
「なに……?」
セレナはエルをベッドに寝かせると、自分はエルの足元あたりに腰掛けた。
エルはセレナの顔を見ないで横を向いている。
「私ね、ミラのこと……絶対忘れないよ」
その言葉に、エルは弾かれたようにセレナの顔を見た。
「そんなの、エルもだしっ!」
エルに視線を合わせ、セレナは優しく微笑んだ。
「うん。私達の心の中に、ずっとミラはいる」
そして静かに目を閉じると、片手を胸に当てた。
「私のお父さんも、お母さんも、妹も、ずっとここにいるの」
「セレナのパパたちも……?」
「そう」
セレナは目を開けると、胸に当てていた手を今度はエルの胸の辺りにそっと置いた。
「私達が忘れない限り、ずっとここにいてくれるの」
「エルが忘れるわけない!」
エルは思わず声を上げたが、セレナの悲しげだが意志の宿った瞳と目が合うとはっと息を飲んだ。
「忘れないよ、私も。ミラは大切な友達で、私の憧れだったから」
「ともだち……あこがれ……」
「前に言ったでしょ?ミラは強くて、料理が上手で、綺麗で、本当は優しくて、すごく女の子っぽい……私の憧れなんだ、って」
「……うん。そう言ってた」
セレナはエルの胸に当てていた手を持ち上げ、ベッドに流れる亜麻色の髪を梳くように撫でた。
「初めて会った時もさ、いきなりおなか鳴らしたルルに優しく声かけてくれて……」
そう言ってセレナは懐かしそうに目を細めながら、ミラとの思い出を語り始めた。
エルもいくらか表情を柔らかくし、自らの思い出も付け加えていく。
2人はしばらくの間ミラとの短いながらも楽しかった時間を語り合い、自らの胸の中に彼女がいることを確認し合うのだった。
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Chapter12に行く前にオリジナルが入ります。
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