07-10  [ 13/72 ]



――夢を見た。

幼い少女の叫び声、銃声、女の断末魔。

「たすけて!おねえちゃん!」

必死に手を伸ばすけれど、どんなに足を動かしても、いつまでも届かない。

ーーああ。どうして私はいつも何もできない、こんなに無力な人間なのだろう……


セレナが目を覚ますと、そこは見知った自室のベッドの上だった。

「みんな!?」

意識が無くなる前の光景を思い出し、思い切り上体を起こすと頭痛が走った。
頭を押さえながら周りを見回すが、やはりそこはいつもの自室で、セレナ1人がベッドの上で座っているだけだった。

何か夢を見ていた気がするが、頭痛が酷くなるだけで思い出せなかった。

ガンガンと響く頭痛が収まるのを待って、セレナはベッドから抜け出すと部屋を出た。
廊下を曲がり一階にある広間に出たところで、執事頭の男性が心配そうな表情を浮かべて寄ってきた。

「セレナお嬢様、目を覚まされましたか!どこか具合の悪いところはございませんか!?」
「ありがとう、大丈夫。えっと……私はどうやってここに?」

心から心配してくれている様子にセレナはひとまず礼を言うと、状況の整理をしようと執事頭に尋ねた。

「任務先で魔物の襲撃に遭い気を失われたとのことです。
リドウ様が、こちらまで送って下さったのですよ」
「……そう」

どうやらリドウがここまでセレナを連れてきたらしかった。
いくら手荒な真似をしたとは言えリドウにとってセレナは社長の娘であることに変わりはないので、これ以上事を荒げるつもりは無いらしい。

養父がどこまで知っていて、彼の命令はどこまでだったのか。
セレナには知る術も無ければ聞く勇気も無かった。

「お父様は?」
「旦那様は今夜はお仕事で戻らないということでございます。お嬢様のことにつきましてはリドウ様からご連絡して下さるとのことでした」
「分かりました……心配かけてごめんなさい。ありがとう」

セレナはひとまずすぐに家で養父に会う事が無いと分かり、ほっと胸を撫で下ろした。

昔、ある事件で自分を助けてくれて養子に迎えてくれた偉大なる養父。

しかしセレナは、どこか彼の発するオーラが苦手だった。
他人に厳しく自分に厳しい、合理的で強かな男。
それがビズリーという男だった。

彼がセレナを養子にしたのにはそれなりの理由があったが、彼女は今だにそのことで負い目を感じていた。
養父は養父で、彼女に辛く当たることは無かったものの甘くすることも決して無かった為、2人はあまり家で話すことも無い。

ただセレナは今日まで不自由なく暮らしてくることのできた養父への恩は忘れておらず、ビズリーが決して勧めなかったクランスピア社への就職も、少しでもの恩返しのつもりだった。

執事頭が仕事に戻るのを見届けた後、セレナはふとポケットからGHSを出す。
音量を切っていた為すぐ気付かなかったが、着信を知らせるランプが点灯していた。

確認して見れば数件の着信とルドガーからのメールが届いている。

そこにはセレナの体調を気遣う言葉と、あの後彼等はリドウに連れられてクラン社に戻り次の任務まで待機を命じられたこと、ユリウスは捕らえられてしまったことなどが綴られていた。
そして目覚めたら連絡が欲しい旨と、もし電話が通じない時はと、自宅マンションの住所も載せてくれている。

セレナは居ても立ってもいられなくなり、メイドの1人を捕まえて少し出掛けてくるとだけ言い残すと、上着を羽織って外へ出た。

起きてから状況把握に必死だった為気付かなかったが、辺りは既に暗くなっていた。

バクー邸のある高級住宅街を抜け、大通りに出る。
黒匣によって今日まで栄えてきたこの街は、夜になっても黒匣による街灯の灯りで明るかった。

メールに載っていた住所を辿れば、ルドガーのマンションはすぐに見つかった。
ルドガーはここにユリウスと共に住んでいたのだと、セレナはマンションを見上げる。

(そう言えばユリウスさんは、弟がいることも、どこに住んでいるかも、私生活のことは全然話してくれなかったな)

今になって思えば、ユリウスのルドガーへの態度と言い入社試験のことと言い、もしかするとユリウスはビズリーの娘であるセレナに弟のことを教えたくなかったのかもしれない。
何か理由があって、ルドガーをクラン社に入れたく無かったのではないか……セレナはそう結論付けた。

しかしその理由は全くもって見当がつかなかった。

考え事をしている内に、セレナはルドガーのマンションの下まで辿り着く。

すると目の前にある小さな公園のブランコに、見知った二つの大きさの違う影を見つけた。

「やくそく!」
「……ああ」

それは、エルとルドガーだった。
2人は”指切り”をしているところで、何か約束事をしたようだ。

声を掛けるかセレナが迷っていると、中へ戻ろうと振り向いたエルと目が合った。

「セレナ!」

セレナの姿を確認したエルが駆け寄ってくる。
その後ろには驚きの表情を浮かべたルドガーがいて、セレナは眉を下げて少しだけ笑って見せた。

「だいじょうぶだった?いたくない!?」
「大丈夫だよ、エル。心配かけてごめんね。みんなも大変だったでしょう?」
「メガネのおじさん、つかまっちゃった……」

セレナはエルと目線を合わせると、ぺたぺたと身体を触って確認してくるエルの頭を撫でた。
エルはセレナの無事を確認して嬉しそうに笑ったが、これまでにあった様々なことを思い出して悲しそうな顔を浮かべた。

「本当にもういいのか?」
「うん、力になれなくてごめんね」

後から歩み寄って来たルドガーが今だに心配そうな表情で言う。
セレナはそれを見て、再び己の無力さに肩を落とした。

「みんなは?」
「ルドガーの家じゃ入り切らないから、宿に泊まるんだって。
あっ、ルドガー!エル、ルルおいてきちゃったから先にもどるね!セレナまたね!」

エルは慌ただしくそう言ってセレナの手を掴んで握手をすると、マンションのエントランスへと走って行ってしまった。
ルルは1匹でも気にしなそうなものだが、エルのそういうところが子供らしくてセレナは自然と笑みをこぼす。

「とにかく無事で良かった」
「本当にごめんね」
「いや、セレナのせいじゃないよ」

セレナが再び眉を下げたのを見たルドガーは頭を横に振った。

そして少し歩き出すと近くにあったベンチを指差し、セレナに座るよう促す。

ベンチで並んだまましばらく無言でいた2人だったが、セレナの呟きによって静寂が破られた。

「ユリウスさん、何もされてないといいけど……」
「兄さんなら……大丈夫だ」

しかしそう言ったルドガーの表情は険しい。

おそらく養父に会ったのだろう。セレナは聞かずともそう察した。
もしかしたらビズリーが今夜家に帰らないのは、ユリウスのことがあってなのかもしれない。

「兄さんは俺に何を隠してるんだろう……」

ルドガーは膝の上で拳を握り締めた。
それが視界の端に映ったセレナも、自らの立場とそれでも何も知らされていないことについて同じような気持ちを持っている為に、ルドガーの辛さがよく分かった。

「私もね、何も知らないの。ごめん、ルドガー……」

セレナも拳を握り締めていた。

「ユリウスさんのこと、何か理由があるんじゃないかって思う。
私が何を言ってもお父様がユリウスさんを解放してくれるとも思えないけど……」

それでもセレナは、次に養父に会った時にはその話をしようと思っている。
その結果、ビズリーに見放されることがあろうとも……

「ビズリーは、俺がカナンの道標を持ち帰ることができる”クルスニクの鍵”だって言ってた」
「クルスニクの……鍵……」

セレナはどこかで聞き覚えのあるその単語を復唱する。
ルドガーはそれに頷くと、話を続ける。

「全部で五つあるカナンの道標を持ち帰って、無の大精霊オリジンの審判を受ける……
そこで、全ての分史世界の消滅を願う、それがビズリーの目的らしい」
「全ての分史世界の、消滅……?」

骸殻能力のあるクルスニクの一族が分史世界を壊す理由だけは、セレナも知っていた。
枝分かれし増え続ける分史世界は、本来正史世界にのみ存在する魂を拡散させてしまう。
それは、幼い頃に彼女の”本当の”両親が聞かせてくれた話。

ただ分史対策エージェント達はひたすらに分史世界を破壊しその数を減らす為のものと思っていたセレナは、”オリジンの審判”についてルドガーがビズリーから聞いてきた話を黙って聞いていた。

「そうだったんだね」
「セレナも、本当に何も知らなかったんだな」
「あ、うん。そう……だね……」

全て聞き終えたセレナが呟くと、ルドガーが彼女の顔を見てそう言った。
セレナは改めて自分の無力さを感じ、消え入りそうな声で答える。

それに気付いたルドガーは、慌ててセレナの前でぶんぶんと頭を横に振った。

「いや、ごめん。そういう意味じゃないんだ。
俺も何も知らなかったから……兄さんがずっとあんなことをしてたのとか、一族の宿命だとか。
だから、自分だけ取り残されてたんだって思ってちょっと辛かった」

ルドガーはどう話せば上手く伝えられるか分からず、困ったように苦笑した。

要は、少しでも同じ気持ちを分かち合えるセレナがいて気持ちが軽くなったと言うところだろうか。

ルドガーの言いたいことがなんとなく分かったセレナは、自分も同じ気持ちでルドガーに共感できることで気持ちが軽くなっていたことに気付いた。

「ユリウスさん、話してくれるよ。きっとそのうち」

気休めかもしれない言葉だったが、何故か彼女にとって、今は本心からそう思えた。
そう話せばルドガーも表情を緩め、そうだな、と呟いた。

「そう言えばハンカチ借りっぱなしだったな。洗って返すよ」

ルドガーが思い出したようにぽんと手を打った。
セレナはそんなルドガーの言葉に彼の性格を垣間見たようで、くすりと笑った。

「いいよ。沢山持ってるし、わざわざ返してくれなくても」
「でも悪いよ。俺が使ったのが嫌なら新しいのでも」

ハンカチの1枚くらい気にしない、セレナはそう答えたが、ルドガーは真面目なのか食い下がらなかった。

ビズリーに目をつけられてしまった彼に、ゆっくり洗濯をしている暇などあるのだろうか……セレナはそこを気にしていた。
しかし新しいものを貰うのは余計に申し訳ない。
しかも相手は高額債務者。

「じゃあ、持っててよ」

セレナは今だに釈然としないルドガーに言った。

「初任務で分史世界を消して、ミラさんに叩かれた。その記念」
「記念!?それ記念って言うのか?」

ルドガーは盛大にベンチからずり落ちそうになる。

「ルドガーはこれからも分史世界を消す……心が痛くなること沢山あると思う。
けど、痛くなって腫れちゃったら、また私が冷やしてあげるね」

セレナは立ち上がって、空に浮かぶ満月に向かって宣誓した。
ルドガーはと言えば、ずり落ちそうになった体制のままセレナの言葉に目を見開いて固まっている。

「それを忘れない為に、持ってて?
辛くなったら、私に言ってね」

セレナはルドガーの方に振り返り、はにかんだように笑う。

「……ありがとう、セレナ」

ルドガーもセレナの優しさが胸に沁み渡って広がって行くのを感じ、笑顔を浮かべた。

それからもう遅いから送って行くというルドガーと1人で帰れると言うセレナのしばしの攻防が続いたが、結局セレナが根負けし、ルドガーは戸締りとエルの様子を確認しに一度部屋へ戻って行った。

(ルドガーって、意外と頑固だな)

自分を棚に上げてセレナはそう思った。

ルドガーを待つ間、もう一度満月を見上げる。

本当はあのハンカチが役に立たない方が良い。
いくらビズリーが探し求めていた”クルスニクの鍵”だとは言え、
1人の青年があんなに辛い思いを全て背負う必要は無いと思うからだ。

しかしおそらくそれは無理だろう。
セレナは養父の、目的の為なら手段を選ばないやり方をよく知っている。

ーーそれならば、少しでもできることをしよう。

クルスニクの一族に生まれながら”何も持たない”自分ができることは少ない。

あのハンカチの様に、一族の宿命を背負って戦う彼の傷を癒してあげられるようになろうと、セレナはそう決意したのであった。



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幸せの黄色いハンカチ?(古い)



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