07-06  [ 9/72 ]



「いたたたた……」

セレナは何が起こったのか理解できていないまま、痛む頭を抑えながら顔を上げる。
確かルドガーと共にユリウスに手を引かれ、空間に出来た亀裂に飛び込んだはずだった。

「大丈夫か?」
「ユリウス室長!」
「"元"室長、だけどな」
「……ユリウス、さん」

そう声をかけ、苦笑しながら上から手を差し伸べてくれたのはユリウスだった。
セレナはその手を取ってゆっくりと立ち上がる。

(ユリウスさんは確かあのテロの……でも、本当に?)

セレナは学生の頃から何度かユリウスと会ったことがある。
当時から穏やかで面倒見の良い、仕事のできる人と言うのがセレナの持っていた感想で。
他の社員達から聞く評判等も合わせると、目の前のエージェントはアスコルド自然工場テロ事件の指名手配犯になるような人物なのか、今だに釈然としていなかった。

「ルドガーだけでなくて、まさか君まで居たとはな」

ユリウスは困ったように微笑んだ。

「ユリウスさん、あの……」
「例の黒匣の関係か?」

セレナの言葉を遮るように、ユリウスが問いかけた。
セレナの聞きたいことに答えるつもりは無いと言うことが、目を見れば分かった。

「……はい」
「完成したのか」
「いえ、試作品のテストの為に、ルドガーに同行させてもらっています」

「そうか。しかしわざわざ君が出てこなくても、分史対策エージェントに頼めば良かっただろう」

ユリウスの言葉にはどこか冷たさが感じられた。
セレナは堪らず足元に目線を落とす。

「作ったからには自分でテストした方が良いですから……
それとも、"持たざる者"がここにいては迷惑ですか」

セレナの呟きにユリウスも目線を落とした。
硬い表情のユリウスは、ややあってからセレナを突き放す言葉を告げる。

「……そうだ」
「ユリウスさん!」

弾かれたようにセレナが抗議の声を上げる。
しかしそれは、ようやく意識を取り戻したエルによって中断された。

「ううん……」
「エル!大丈夫?」
「セレナ!エルはへーきだよ。でも、ここ……どこ?」

「ニ・アケリアだな」
「セレナさん、エルさんも気が付かれましたか」

アルヴィンとローエンが歩み寄ってきた。
ユリウスに気を取られて辺りを全く確認していなかったセレナだったが、そこで初めて周りの景色を見渡す。
そして、辺り一面に見慣れない緑が多いことに気が付いた。

「少し辺りを確認してきたのですが、ルドガーさん達とははぐれてしまったようですね」

どうやら2人はセレナより先に気が付いて、ユリウスにセレナとエルを任せて周囲の偵察に行ってくれていたらしかった。

「ニ・アケリア?」

セレナは聞き覚えの無い単語に首を傾げた。

「リーゼ・マクシアのアジュール地方の村です。おそらく分史世界の……ですが」
「ここが、リーゼ・マクシア……」

ローエンの答えに、セレナは今一度辺りを見回す。
一年間、断界殻の解放によって姿を表した国。
それまではおとぎ話とされていた、精霊と人が共存する、エレンピオス人にとってはまるで楽園のような世界。

いつかは訪れたいと思っていたが、初訪問がまさかこんな流れで、しかも分史世界となったことは全くの予想外であった。

エレンピオスとは違い樹々が茂り、花が咲き誇り空気も澄んでいる。
これこそが"霊力野"と呼ばれる脳の機関が発達した、選ばれた人間が暮らす世界なのだ。
セレナはしばらくその光景に言葉を失っていた。

「メガネのおじさん、ルドガーは?」

エルがキョロキョロと辺りを見回してから、ユリウスに問いかけた。
ユリウスは目を瞑って首を横に振った。

「ジュードさん達と一緒でしょう。心配はいりませんよ」
「そう遠くへは飛んでいないはずだ」

ローエンがエルの肩に優しく触れ、ユリウスは遠く空を仰いだ。

「なら、ここに来るだろうさ」

それを受けたアルヴィンは、エルにウインクしてみせる。

「エル、本当に大丈夫?どこか打ってない?」

セレナは屈んでエルに視線を合わせると、ぺたぺたと身体のあちこちに触れた。

「だいじょーぶ!もう、セレナもパパみたいにシンパイショーなんだから!」

エルは腰に手を当てて頬を膨らませる。
セレナは元気そうな様子に安堵し、自然と笑みを零した。

「ごめんね、エル。私、どうしてもエルくらいの女の子を見ると、こうなっちゃうんだ」
「そうなの?」
「うん、私にも……妹がいたから。エルくらいの」

セレナは立ち上がり、微笑んだままエルの頭をひと撫でした。
アルヴィンとローエンは黙ってそれを聞いていて、ユリウスはどこか苦い顔をしている。

「セレナの妹?いたって……今は?」
「亡くなっちゃったから。生きていればレイアと同じ歳になるかな」

セレナは村の外へと続く道の先を見つめながら答えた。
エルははっと目を見開いたかと思うとバツが悪そうに眉を下げ、俯いてしまった。

「いいのよ、エル。昔のことだから。
何もしてあげられなかったんだ、妹には……
ってごめん、却って気を使わせちゃったね。私なら大丈夫だから」

セレナはエルの手を取って優しく笑いかける。
他の大人達はセレナの表情から拭い去れない悲しみを感じていたが、おそらくエルには分からなかっただろう。

「それより今はルドガー達だね。みんな無事だと良いんだけど」
「ルドガー、迷子になって泣いてないかな?エルがいなくてだいじょーぶかな!?」

ルドガーの名を出せば、素直な少女は思い出したかのようにそわそわとし始めた。

彼が心配なのだろうか、それともルドガーがいなくて心細いのだろうか。
その様子が可愛らしくて、セレナは再び笑みを零したのだった。

「みんな、魔物にやられてないかな!?」

しばらく落ち着かない様子のエルをなだめていたセレナ達だったが、ふと顔を上げると道の向こうに見慣れた集団が歩いて来るのが目に入ってきた。

「ルドガー!」
「やっぱりちゃんとここへ来たな」

エルはルドガーに駆け寄り、アルヴィンが髭を撫でながら満足そうに言った。

「兄さん……」

ルドガーがユリウスの前までやってくる。
その表情は、兄弟の再会を喜ぶものではない。

しかしルドガーが何かを言いかけた瞬間、タイミング悪く彼のGHSが鳴った。

どうやら相手はヴェルのようだ。
電話の向こうで、どうやらここは"カナンの道標"の存在可能性が高い分史世界のようだとヴェルが告げる。

聞き慣れない単語に、ルドガーが首を傾げた。

「カナンの道標とは、深度の分史世界に存在するカナンの地への手掛かりで、時歪の因子と同化している……」

そこで突然ユリウスがルドガーのGHSを奪い、なんと電話を切ってしまったのだった。

「あとは俺にまかせろ。時計を渡すんだ、ルドガー」
「会って最初に言うのが、それかよ?」

ユリウスの突き放すような態度に、ルドガーが怒りと悲しみを含んだ声でユリウスを睨みつけた。

「ユリウスさん、ルドガーは……」
「君も、帰るんだ」

セレナは居た堪れなくなってフォローを入れようとする。
しかしユリウスはセレナのことも突き放すのだった。

その様子を見ていたジュードが、ユリウスにこれまでの経緯を説明した。

ルドガーが列車テロに巻き込まれて借金を負わされたこと。
分史世界に偶然侵入したことや警察に追われそうになっていたこと。
そして、それから逃れる為にビズリーによりエージェントとして採用されたこと……

ユリウスは事情を知らなかったようで驚き、そして弟を巻き込んでしまったことを謝罪した。

「俺のせいで……すまない」

しかし彼は詳しいことを語ろうとはせず、ただルドガーやセレナにはこれ以上関わるなとしか言わないのであった。

そんな兄の態度に次第に怒りがこみ上げてきたルドガーは、時計をユリウスの足元に投げつける。

セレナは、ルドガーが怒ったのを初めて見た。
それはおそらく兄にだけではなく、何も知らされない、信頼されていない自分への不甲斐なさからくる怒りなのではないかと感じていた。

「ダメ!これはエルのパパの!」

ユリウスが時計を拾おうとするより先にエルが動いた。
エルは落ちた時計の上に覆いかぶさり、ユリウスに取られまいと必死に守っている。

「君のでもないし、君のパパのでもない」
「でも、パパの時計と一緒になっちゃったんだもん!ほんとだもん!」
「何だと?では、やはりこの子が……」

エルが半ば叫びながら言うと、ユリウスが目を細め、眼鏡の奥に殺気を宿らせたのをセレナは感じた。

「ユリウスさん……?」
「うっ……!」

しかし次の瞬間ユリウスは突然左腕を抑え、苦痛の表情を浮かべた。

「大丈夫ですか!?」
「騒々しいわね。親子喧嘩なら他所でやってくれる?」

セレナが駆け寄るが、ユリウスは何も言わない。
そこへ凛とした声が響いた。

金色の長い髪の女性の登場に、ジュードが息を飲む。

「ミラ!」

エリーゼが嬉々とした声でその女性を呼んだ。
だが彼女は馴れ馴れしく呼ばれたことに不快感を示しただけで、セレナ達の横を通り抜けようとする。

しかしその時、

グゥ〜!

とても猫の物とは思えない大きさの空腹を告げる音。
ルルはバツが悪そうに後脚で顔を掻いた。

「お腹が空いてるの?おいで、何か作ってあげる」

意外にもミラと呼ばれた女性は動物には優しいらしい。

彼女はルルに優しく語りかけると、スタスタと歩いて行ってしまった。
そしてルルと、エルも一緒になってその後を追いかけて行ってしまう。

「おい、勝手に行くなって!」
「ルドガー、今はエルのところへ行こう」

アルヴィンの静止も聞かず、エル達の姿は民家の陰に隠れて見えなくなってしまった。
セレナは、気まずそうにユリウスから視線を外したままのルドガーの肩を優しく叩く。

そしてユリウスに軽く会釈すると、無言のまま歩き出したルドガーの後を追った。



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この章、改めて見るととてもボリューミーですね。


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