C5-2
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「ごめんなさい!」
「俺が悪かった!」
2人が同時に口を開いた。
渾身の謝罪が見事に被り、ルドガーとセレナはお互いにあっけに取られる。
何に対する謝罪なのかは、2人とも分かり切っていたけれども。
ルルは驚いたように、セレナの膝から飛び降りて行ってしまった。
「あの……本当に私、ごめんね」
僅かに立ち直るのが早かったセレナが告げれば、ルドガーは頭を掻いた。
「いや、俺の方こそ……ごめん」
またしばし沈黙が流れたが、セレナにはもう卑屈な考えは浮かんでこなかった。
“2人のミラ”とユリウスが、背中を押してくれたからだ。
「やっと、ちゃんと話せるようになったな」
「……うん」
柔らかな表情で、ルドガーがセレナに向き直った。
「私、勝手なことばかり言って、ルドガー困っちゃったよね」
「いや……それはいいんだ」
セレナも俯きがちにではあったが、ルドガーの方に向き直る。
その言葉に、ルドガーは困ったように笑ってみせた。
「“あいつ”に言いたいこと全部言われたから、それがすごい悔しくてさ」
「あいつって……ヴィクトルさんのこと?」
セレナは首を傾げながら、ヴィクトルの言葉一つ一つを思い浮かべる。
『君を愛していた』
ルドガーと同じ、しかし低く落ち着いた声が頭の中でその言葉を告げると、セレナは突如顔に熱が集まるのを感じた。
「あああ……やっぱり悔しい」
真っ赤になってしまったセレナの顔を見て、ルドガーが盛大な溜息をつく。
「ずっと、いつちゃんと話そうか迷ってた。
そしたらセレナが、全部終わったら話してくれるって言って……嬉しかった」
それから一息つくと真面目な顔になり、向き合ったセレナの手を取る。
セレナがはたと顔をあげれば、ルドガーはその瞳を真っ直ぐに見つめた。
「俺、分かったんだ」
一呼吸置いてから、ずっと伝えたかった言葉を紡ぐ。
「どんなに傷付いたって、お前がそばに居ない方が辛い」
「ルドガー……」
「好きだよ、セレナ」
真摯に見つめてくるエメラルドの瞳。
セレナもそれを逸らさずに見つめ返す。
「セレナが色々悩んでてああいう態度だったのは分かった。
でも、だからって簡単に諦められるほど俺は大人じゃないよ」
そしてルドガーがそのまま繋いだ手を引けば、セレナは簡単にその胸に収まる。
ルドガーの腕に包み込まれ胸板に耳を当てれば、ドキドキと心臓の音が聞こえてくる。
目を閉じながらそれを確かめると、セレナは自分の腕をルドガーの背中に回した。
「ありがとう……私も、ルドガーのことが好き。
今度は自暴自棄でもなんでもないし、もう卑屈にもならないよ」
そうすれば、ルドガーの腕に力が籠った。
伝わってくる体温が上昇したのか、それとも自分の体温が上がったのか、お互いにわからない。
「臆病な私とはもうさよならしたんだ。
“ミラ”とユリウスさんが、背中を押してくれたから」
「そっか。2人……いや、3人に感謝しないとな」
「うん」
ミラもユリウスも、セレナとルドガーどちらも大切だからその背中を押したのだ。
そのことは、2人にしっかりと伝わっていた。
「ルドガー……すき」
その言葉を噛みしめるように、セレナはルドガーの胸に顔を埋めた。
一度想いが重なり合えば、今まで押さえつけていた反動からかそれは胸の底から溢れてくる。
ルドガーはセレナの肩を掴んで軽く距離を取った。
反射的にセレナはルドガーを見上げる。
「今度は、逃げるなよ?」
ルドガーははにかみながらそう言って、片手をセレナの後頭部に這わせた。
セレナは彼の言わんとするところを理解し、静かに目を閉じる。
一瞬の間が空いて、唇が軽く触れた。
セレナはルドガーのシャツを軽く握る。
その仕草は余計にルドガーを高揚させ、今度は深く口付けた。
羞恥心と緊張感から上手く呼吸ができなくなったセレナが酸素を求めて身をよじれば、ルドガーは最後に小さくリップ音を立てて、名残惜しそうに唇を離した。
セレナは大きく息を吸い込みながら、恨めしそうにルドガーを見上げた。
しかしその視線を浴びたルドガーは悪びれることもなく、楽しそうに言った。
「お前が煽るから」
「あ、煽ってなんか……!」
「顔、真っ赤だぞ?可愛いな」
セレナの抗議は受け入れられず、さらなる追い打ちによってセレナは身体中が心臓になってしまったかのような錯覚に陥った。
しかし睨み返そうとルドガーと目を合わせれば、言葉とは裏腹に穏やかな視線とかち合う。
「嫌われたかと思ってた」
「え?どうして?」
不思議そうにセレナが問えば、ルドガーは罰の悪そうな苦笑を浮かべる。
「あの時、返事も待たずにキスしたから」
それは、セレナが今日の様にルドガーの部屋に泊まった夜。
しかしあの時は、変なところで怖気付いていたセレナが、ルドガーを傷付けてしまったのだった。
セレナは首を横に振って、申し訳なさそうに眉を下げた。
「本当は嬉しかったの。でも、私は臆病で……」
“彼女”の存在のせいにして、本音をぶつけるのを避けたのだ。
「ごめん。俺、知ってたんだ。セレナの気持ち」
「……えっ?」
「エルと話してただろ?その、俺を……好きだって」
「聞いてたの!?」
セレナは弾かれたようにルドガーの腕から飛びのこうとする。
しかしそれはルドガーが腕に力を込め直したことで未遂に終わった。
「2人が大丈夫か確認しようと思っただけだったんだけど、その……ごめん」
ルドガーは少し力を緩めると、セレナの額に自分のそれを当てる。
鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、ルドガーの前髪がセレナの頬をくすぐった。
「でも、嬉しかった。好きだったのに、俺にも言い出す勇気が無かったから……
だからあの後余計にヘコんだんだけどな」
「……ごめんね」
「いや、いいんだ。俺が考え無しだった。
ちゃんと全部話して、セレナに分かってもらう努力をしないままあんなことしたから」
そう言ってルドガーは人差し指をセレナの唇に当てる。
セレナの方はその行動に、またもや顔を赤くした。
「どの分史世界でもセレナは兄さんとくっついてるし、ヴィクトルにもあんなこと言われてるし、沢山嫉妬もした」
自分にはセレナと結ばれる未来は無いのかと考えたりもした。
「でも俺は俺で、セレナはセレナだ。
ここは分史世界じゃないし、もう分史世界は存在しない。
エルもエルだ。他に本物のエルなんていない……そう思ってる」
「ルドガー……」
「だから、セレナが余計なことに気を使う必要なんかない」
ルドガーはそこで人差し指を離すと、今度は軽く、触れるだけの口付けをする。
「ちゃんと、俺の側にいてくれ」
そして、柔らかく微笑む。
セレナも安堵したのか嬉しそうに笑った。
「……うん。ルドガーの側にいたい」
今度はどちらからともなく唇を近付けた。
優しく、少し長いキスが終わると、2人はゆっくりと身体を離した。
「ルドガー、辛い時は泣いてもいいんだよ?」
セレナが心配そうにルドガーを見上げる。
思えば、ルドガーはミラが消えてしまった時も、未来の自分を殺した時も、兄を生贄にしてしまった時ですら泣かなかった。
しかしルドガーは目を閉じてゆるりと首を横に振った。
「“ミラ”や“あいつ”やビズリー、それに兄さんの分も生きるって決めたから」
ルドガーは決意を込めて少し目を開く。
その瞳には、愛しい女性が今にも泣きそうに顔を歪めている姿が映っていた。
「それに……セレナが泣いてくれるだろ?」
ルドガーはセレナの目に溜まった雫をそっと拭う。
「ごめん……私が泣いちゃダメだよね……」
「いいんだ。俺は泣かないって決めたから。
俺が消した世界や俺達のために命を賭けてくれた人達のためにも、強くなるって」
そう言いながら、ルドガーはポケットからあのハンカチを取り出した。
「“あいつ”が持ってたのは俺のセレナのハンカチじゃなくて、あいつのセレナのハンカチだからな」
そう念を押しながら、ルドガーはセレナの目尻にそれを当てた。
「セレナがいてくれて、そうやって俺の為に泣いてくれるから俺は強くいられるんだよ」
その言葉に、セレナは堰を切ったように涙を流す。
ルドガーは、再びセレナを抱き締めた。
沢山の辛い出来事があった。
沢山の大切な人を亡くした。
だが、それをそれを乗り越えることはきっとできる。
長いすれ違いを経て、ようやく2人の気持ちが通じ合ったのだから。
しばらくしてセレナがようやく泣き止むと、ルドガーは彼女を腕の中から開放し右手を差し出す。
セレナはその手を取ると、今だに赤い目ではにかんだ。
2人はソファで向かい合って座ったまま指を絡ませる。
「でもさ、ほんと酷いよな」
思い出したようにルドガーが口を尖らせた。
「俺とセレナがくっついた結末の分史世界は無かったのかよ」
「あはは……なんでだろうね」
その言葉にセレナは苦笑する。
「きっとあったよ。もう確かめようがないけど……」
分史世界は可能性の世界だ。
沢山の選択肢が沢山の可能性を生み出す。
セレナ達の出会った分史世界が示したように、この先も、様々な理由で2人が離れてしまう可能性があるのだろう。
ヴィクトルのいた世界のように、本当は想い合っていたのに別々にならざるを得なかった世界も他にあったかもしれない。
だが、もしかすると2人が幸せに暮らしていた世界もあったかもしれない。
例えば、ユリウスが願ったような。
けれど、今はもう分史世界は存在しない。
だからこそこれから歩む道が、2人の未来のたったひとつの姿なのだ。
「ルドガーが、その結末を選択してよ」
セレナは自らルドガーの腕の中に身を寄せる。
「私とルドガーが一緒にいられる未来を。勿論、エルも」
「ああ。エルも、もう分かってくれてるさ」
セレナの心中を察し、ルドガーが優しく言った。
「うん。でも……ちょっとだけ、私も嫉妬した」
「え?」
顔を覗き込まれ、セレナは恥ずかしそうに俯く。
「だって、ルドガーが他の人と結婚して、可愛い娘まで生まれてて。
ヴィクトルさんは私を愛してくれていたって言ってたけど、もちろん奥さんのことも大事に想ってただろうから」
だからこそ、大切な人の大切な人を守りたくて、あの世界のセレナは彼とその家族全員の為に全てを捨てたのだろう。
写真立てに入れられていた家族の肖像を思い出す。
「セレナ……」
「ごめん、こんなことルドガーに言っても困るだけだよね」
「いや」
ルドガーは俯いてしまったセレナの顎に手を当て、そっと上を向かせた。
セレナの顔はまた泣き出してしまいそうだった。
「ごめん、正直嬉しい……です」
何故か敬語になるルドガー。おそらく照れ隠しなのだろう。
その顔は泣き出しそうなセレナとは対照的に頬が緩んでいる。
「お前が俺のことを本当に好きでいてくれるんだなあと思って」
「……っ、そ、そうだけど……!」
セレナは恥ずかしくなり、顎に指を当てられたままそっぽを向く。
ルドガーはそれを見て、セレナの顎から手を退けると頭を掻いた。
「俺、舞い上がってるな」
「……だろうね」
「仕方ないだろ。
聞いてたはずなのにセレナの本心全然分からなかったんだし」
「ええ!?そうかなあ……」
思い返そうとして、確かに自分は気持ちを押し殺していたから仕方がないかもしれないとセレナは納得した。
「これからは、ちゃんと伝えてください」
ルドガーは照れながら、セレナの髪を撫でた。
セレナはくすぐったそうに目を細め、頷く。
「……はい」
そうして2人は笑い合う。
これから為すべきことはまだ山積みだ。
「俺、頑張るから」
「社長だもんね。ルドガーが」
「自分でもびっくりだよ」
ルドガーが困ったように頭を掻くと、セレナは微笑みながらかれの頬に手を当てた。
「大丈夫。私がそばにいるよ」
それはきっと、友が、兄が、父が。
皆が保証してくれている。
どんなにつらいことがあっても、支え合い、選択した未来に向かって。
2人なら乗り越えていけるということを。
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ものすごーーーく遠回りになってしまいましたが(私の当初の予定からもかなり遠回りになりましたが)、ようやくここまで辿り着きました。
このエピソードは次回でおしまいです。
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