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兄ユリウスの魂が支える橋。
そこに一歩足を踏み入れれば、一瞬で周りの景色が反転した。

細い足場が入り組み、辺りに黒い靄が漂う異質な空間。
この場所こそが、彼等の探し求めてきたカナンの地だった。

ルドガーの後ろに続々と仲間達が現れる。
皆辺りを見回し、その非現実的な景色に言葉を失っていた。


Chapter16 審判の門にて


「カナンの地が、こんなところだったなんて……」

セレナが呟く。
それは、ここにいる誰もが思っていたことだった。

ふとエリーゼが視線の先にある靄の塊を指差す。

「あの黒いのは何でしょうか」
「かなりやばそうな雰囲気だよね」

それにレイアが相槌を打った。
2人の間に飛んできたミュゼが、その靄を見てから微笑んだ。

「ただの瘴気よ。長く触れ続けたら、私やミラもやられちゃうけど」
「言い方軽っ!」
「超要注意でしょー!」

そんなミュゼに呆れた様にレイアとティポが抗議の声をあげた。

「浄化が止まると、瘴気が世界に溢れ出るのではなかったのか」
「うむ。瘴気とは、魂が循環する際に発生する毒素なのだが……」
「本来ならばオリジンが抑え込んでいるはずなんだけど」

ガイアスが瘴気の塊を睨みつけながら問えば、ミラとミュゼも思案顔で答えた。

本来抑え込まれているはずの瘴気が、こんなにも溢れ出ている。
ここがオリジンの玉座があるカナンの地だからなのか、それとも……

「やれやれ、そんなものの中を突き進まきゃいけないなんてな」

アルヴィンが肩を竦める。

「だがビズリーは進んだ」
「恐らく、エルさんの力を利用して」

ガイアスとその隣に並んだローエンが続けた。

そのやりとりを聞いていたルドガーが、意を決して歩きだす。

しかし数歩も行かない内に足元の道が消え、すんでのところで足を踏み外すところだった。

「なんだ!?」
「クロノスの罠か!」

慌てて足を引いたルドガーが声を上げると、ミラが消えた足場の跡に向かって吐き捨てる様に言った。

冷静に辺りを見回したミュゼは、光が歪んで幻覚が生み出されているのだと分析した。

「くそっ……」

ルドガーが、いくつもに枝分かれした細い足場に目を凝らす。
骸殻の力を使えば突っ切ることができるかもしれないという考えが頭をよぎった。

しかしそんなことは、エルの身を考えればできるわけがない。

「四大の力を借りよう」

ふと思いついたようにミラが手をかざす。
するとルドガーの周りを温かい光が包んだ。

「この力で身体を覆えば、妨害されずに通ることができるだろう。
ただし、一度には4人分までしか賄えないと四大が言っている」

ミラがそう言って、ルドガーにあと3人、先行してオリジンの元へ進むメンバーを決めるよう促した。

それを受けたルドガーは、まずミラを指名した。
四大の力を借りていることや、クロノスやオリジンがマクスウェルと同じ原初の大精霊だと言うことからしても妥当な判断だろう。

次にジュードに頼めるかと問う。
そうすれば彼は、当たり前だと頷いた。

「僕たち、親友だからね」

そう言ってジュードは胸を叩く。
人と精霊が共存できる未来を目指す彼は、精霊を道具にすると言うビズリーの野望をなんとしても打ち破りたかった。

そしてルドガーは最後に、傍らにいたセレナに視線を向ける。

「一緒に、来てくれるよな」

セレナは真っ直ぐにルドガーの目を見つめ返した。

「もちろんだよ」

両親を失ってから今日まで自分を育ててくれた、養父が犯そうとしている罪を止める為に。
守ると決めた少女の為に。

そして、支えると誓った大切な人の為に。

後続隊の先導をガイアスとミュゼに任せ、4人は進むべき道の先を見やった。


やがてセレナの身体も、四大精霊の力に包み込まれる。
ほのかに温かく優しい光に身を委ねながら、セレナはピンクゴールドの懐中時計を胸元で握り締めた。

「それがお前の時計なんだな」

その声に意識を呼び戻されれば、目の前には心配そうに覗き込んでくるルドガーの顔があった。

セレナは手の中の時計を差し出す。
するとルドガーは優しい手つきでそのひしゃげた蓋に触れた。

「セレナの父さんと母さんの願い、俺も兄さんから託されたよ。
だから、この時計は使わないでくれ」
「でも……」

ルドガーは言いかけたセレナの唇に人差し指を当てる。
そして困ったように、だが優しく笑ってみせた。

「使わなくていいように、俺が守るから」

それだけ言うと指を離し、身を翻して前を歩み始めた。
その後ろ姿に続いて、四大のサービスで身を包んでもらったらしいルルがぴんと尻尾を立ててついて行く。

ルドガーの指に触れられた感触が消えず、口付けられた訳でもないのにセレナの唇は引かない熱を帯びていた。


「セレナ、少しいいか」

ルドガーとルルの背中を見ながら歩き始めたセレナの横にミラが並んだ。
視線の先には、2人の横を通り抜けたジュードがルドガーに声をかけているのが見えた。

「どうしたの、ミラ?」

魔物への警戒を怠らずに歩みながらも、セレナが首を傾げる。
ミラも辺りを背後を警戒しながらではあったが、穏やかな声でそれに答えた。

「もしかしたらこの先、もう機会が無いかと思ってな」

ミラは辺りに魔物の気配が無いことを確認し、剣を収めた。
そしてその紅い大きな瞳をセレナに向ける。

「君と2人で話がしたかったんだ」
「私と?」
「ああ。“彼女”の代わりにな」

それは紛れも無く、消えてしまったミラのことだ。

「しかし、色々ありすぎたな。君もかなり辛かっただろう。
結局何もしてやれず、精霊の主も無力なものだよ」

セレナはその言葉にミラの目を見てからゆるやかに首を振った。

「私は勝手に辛くなってただけだよ。
エルやルドガーは、もっと辛いはずだから」
「君は優しいんだな」

ミラが微笑む。
先代のマクスウェルが、セレナやルドガー達の始祖であるミラ=クルスニクを模して創り出したという彼女の微笑みは、大輪の花が咲き誇るような華々しい美しさを湛えていた。

「だが私は少し前まで、君の優しさは臆病さとも等しいと思っていた」

ミラは続ける。

「だが、どうやらそれも吹っ切れたようだな。ユリウスのおかげだろうか」

セレナは少し驚いた様子を見せたが、こくりと頷いた。

「すまない、本来ならばもっと早く私からも伝えるべきだった。
君が私のことをエルのように拒絶する可能性に恐れを抱いてしまっていたのもあって、なかなか2人になることができないままここまで来てしまった」

その言葉に不思議そうにミラを見つめたセレナ。
ミラは一呼吸置いてから、足を止めた。

「もう1人の“私”は、ルドガーの背中だけを押して消えてしまったんだ。
本当は君の背中も押したかったようなのに」
「えっ?」

ミラが困ったように笑えば、セレナは驚きに目を丸くした。

「私はずっと時空の狭間を漂いながら、“彼女”を通して君たちのことを見ていたんだ。
君はずっと、“彼女”に引け目を感じて素直な気持ちを押し殺していたな?」
「ミラ、気付いて……」

ミラは共に立ち止まったセレナの肩にふわりと手を置いた。

「“彼女”は君のこともルドガーやエルと同じ位大事に思っていたんだ。
そんな君たち2人に寄り添って欲しいという“彼女”の気持ちはよく伝わって来たよ」
「そんな……ミラ……」

セレナの肩に置いた手を、ミラが今度は彼女の頭まで動かした。
そして優しく、その髪をゆっくりと撫でて行く。

「それから君は、エルのことでも変に気を使っているようだな」
「変にって……だってそれは、エルのママが……」

未だにそれに関してはセレナの心に引っかかっていた。

ルドガーを支えると誓ったものの、いざ未来のことを考えると心の奥に刺さったままの棘がちくりと痛み、セレナは俯いてしまう。

だがミラは、ガイアスと似ているようで少し違う紅い瞳で、セレナを真っ直ぐに捉えたまま続ける。

「エルは今、この先で待っている。
そしてエルを産んだ母親は、あの世界で既に亡くなっていた彼女一人だけだろう」

ミラが諭すように言えば、セレナはゆるりと顔を上げた。

「それとも君は、私たちの知っているエルではなく“正史世界のエル”の為に身を引こうというのか?」

ミラはさらに続ける。

「ヴィクトルの口ぶりからすると、あいつは何らかの形で“相棒だったエル”を喪ったのだろう。
しかし君の愛するルドガーは、そんな男か?」
「……ちがう、ちがうよ」

セレナは静かに首を横に振る。
すると、ミラはまた少しだけ表情を緩めた。

「ミラの言う通りだね。ルドガーは、エルを失ったりしない。
絶対にそんな選択肢は選ばない」
「ああ、そうだろう」

セレナは、胸の奥が少し軽くなった気がした。
その様子を感じ取ったミラは、髪を撫でていた手を止める。

「不思議だな。人間で言うところの”家庭環境”で言えば、君は姉で私は妹だろう?
しかし、君といると自分が姉になったような気がするよ」
「そう言えば、“彼女”のこと、お姉さんみたいだなって思ったことあるな。
お母さん扱いしたこともあるけど」

ミラがふわりと笑えば、セレナも同じように笑った。

「では、私のことも同じように姉と思ってもらいたいな。
母にはまだ早かろう」
「うん。でもね、もう……さっきからそう思ってた」
「そうか。それは嬉しいな」

そう言って2人はまた笑い合う。

するとその時、前を歩いていたルドガーが2人に声をかけた。

「2人とも!こっちの道から先に行けるぞ!」

それからミラと、彼女の手が頭に乗せられたままのセレナを交互に見て、はてと首を傾げた。

「おや、弟が呼んでいるな」
「……ミラ!」

ミラがイタズラっぽく片目を瞑って見せれば、その意味するところに気付いたセレナが顔を赤くして非難した。

ルドガーは頭に疑問符を浮かべながら2人の名を呼んだ。
ミラとセレナはそれに返事をし、頷き合ってから小走りでルドガー達の元へ向かった。

「何を話してたんだ?」
「秘密だ」

ルドガーの問いにミラは胸を張った。
それがおかしくてセレナはくすりと笑う。
ジュードはなんとなく2人の雰囲気から話の内容を察し、穏やかにその様子を見守っていた。

「セレナは私の妹だが、私の物ではないからな。君に返そう」
「きゃっ!」
「んんっ!?」

そう言ってミラはセレナの背中をとんと押した。
その力は弱かったが、意表を突かれたセレナはルドガーの胸に飛び込む形となってしまった。
驚いたルドガーがセレナを受け止めながら声を上げた。

「さあ、あと少しだ。行くぞ!」

そう言って歩き出したミラの背中を、全く状況の飲み込めていないルドガーが怪訝な顔で見ている。
しかしジュードが苦笑いでそれを諌めた。

「まあまあ。ミラも話したいことちゃんと伝えられたみたいで良かったよ」
「うん。ちゃんと伝えてくれたよ」

セレナはそれに笑顔で答える。
それを満足そうに見てから、ジュードもミラに続いた。

2人が数歩先に行ったところで、セレナはルドガーに手を差し出した。

「ルドガー、私もう迷わないよ」

ルドガーはセレナの顔に少しの翳りも無いことに気付き、その手を取った。

「エルと、一緒に帰ろうね」
「ああ。みんなで一緒にトリグラフに帰ろう」

そして2人も歩き出す。

オリジンの玉座まで、あと少し。



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ミラはいつもは堂々としていますが、エルに拒絶されたことはずっと気にしていたんじゃないかと思うんですよね。

さて、ついにここまでやってきました。
ルドガーと夢主が選ぶ選択肢やいかに?



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