15-03  [ 62/72 ]



まばゆい光の洪水が収まり、ルドガーはゆっくりと目を開く。
そこは見慣れたトリグラフ中央駅の改札前だった。

「……何が起こったんだ?」

ルドガーはそう呟く。

つい先程までユリウスと刃を交えていたはずだった。
そして最後にお互いの死力を尽くした技がぶつかり合い、今この場所に自分は立っている。

その意味するところは。

ルドガーは弾かれたように駆け出す。
目指す場所は勿論、兄弟が15年間共に暮らしてきたあの部屋だ。

すると駅を出たところで突如聞きなれない少女の声に呼び止められる。

「ルドガーさん?」

反射的に足を止め振り向けば、そこにはセレナに似た顔立ちの、あの分史世界で出会った彼女の妹がニコニコと笑いながら立っていた。

「ごめんなさい、急いでました?
今日はお仕事お休みなのかなと思って」

セレナの妹シータは小首を傾げる。
ルドガーは状況が飲み込めておらず、返答に困っていた。

シータはそんなルドガーの様子に気付いたかは不明だったが、セレナと同じ品の良い笑みを浮かべたままルドガーに歩み寄ってきた。
足を止めたルドガーを見て、自分と話している時間はあるらしいと捉えたようだ。

「私、この前お母さんと2人で食堂にお邪魔したでしょう?
そのことを後からお父さんに言ったら、なんで連れて行ってくれなかったんだ!って拗ねられちゃって」

シータはにこにこと笑いながら続ける。

「だから、また今度食べに行きますね!
お父さんなんか休みもぎ取るって張り切ってました」

それからシータは右腕にはめられたごく普通の腕時計を確認して、あっと小さく声を上げた。

「もう行かなくちゃ。私が呼び止めたのにすいません。
お姉ちゃんが就活でリーゼ・マクシアに行ってるんですけど、今日帰ってくるのでこの後待ち合わせして買い物しに行くんです。
……って、ルドガーさんなら聞いてますよね、ふふ」

そして小さく笑いながら去り際に一度振り向く。

「お父さんもお母さんも、ルドガーさんのお料理だけじゃなくてルドガーさん自身も大好きみたいですよ?
私も……早くルドガーさんが“お兄ちゃん”になってくれたら良いな、って思ってますから」

そして悪戯っぽくウインクして見せると、シータは手を振って人混みに紛れてしまった。

その背中を無言で見送ってから、ルドガーは歩き始めた。

その表情は暗く、眉間には皺が刻み込まれている。

大通りを抜けマンションフレールのエントランスまでやってくる間に、見知った顔をいくつも見つけた。

その一人一人が希望に満ちた顔をしていて、“この世界”が平和でまるで理想の世界のように思えてくる。

それもそのはずだ。
何故ならこの世界を願ったのは、きっと……


「うわっもうこんな時間!行ってきます!!」

エレベーターが3階に着き扉が開くと、奥から慌てたような声が廊下に響いてきた。

よく聞き覚えのある、しかし自分で聞いているのとは少し違うそれに、ルドガーは反射的に柱の影に隠れた。

「ちょっと待て!」

後に続く声は、それこそ聞き間違えることは決して無い、聞き覚えのありすぎるもので。

「堅苦しいの苦手なんだって」

部屋から飛び出してきたのは紛れもない、この世界の自分。
そしてその後を追ってきて、緩んだネクタイを締め直すのは兄。

自身も身に覚えのある光景に、ルドガーはくっと奥歯を噛み締めた。

「いい加減慣れろ、これくらい」
「ま、そのうちにね」

呆れたように弟を見るユリウスに、ルドガーが笑いかける。

ありふれた、それでいてなんと尊い日常であることか。

ふとユリウスがルドガーの肩をぽんぽんと叩く。

「そんなんで、彼女の両親に挨拶なんてできるのか?」

言われたルドガーがむすっと兄を睨んだ。

「大丈夫だよ。その時はちゃんとする」
「本当かあ?
俺の上司と先輩なんだぞ、後々気まずくなったら俺が困るんだからな」
「はいはい。心配いらないって」

今だに苦笑しているユリウスの手を自分から離しながらルドガーが言う。
そんな弟に、ユリウスは再度呆れたように笑うのだった。

「まあその為にも、まずははやく金を貯めて買う物買わないとな」
「おう。セレナが来年卒業したら、な」
「そうだな。ちと気が早かったか」
「あはは、そうだよ兄さん」

ユリウスが手袋を嵌めた左手を顔の前で開き薬指を揺らして見せれば、ルドガーは満面の笑みで頷く。

しかし次の瞬間ハッと我に返り、慌ててユリウスに背中を向けた。

「やばっ、遅刻!
夕飯、トマトソースパスタにするからさ!」

そう言って兄に手を振りエレベーターに向け走り出す弟。
その背中を見送ってから、ユリウスは傍にいたルルに溜息混じりの困ったような笑みを向けた。

「あれでご機嫌とったつもりなんだからな……ま、とられてるけど」

そしてユリウスはルルを抱えて部屋の中へ入って行った。

その一部始終を見ていたルドガーが柱の影から出てくる。
震える拳を固く握り、奥歯がギリギリと音を立てた。

こんなにも幸せな、理想の世界を、これから壊す。

しかも時歪の因子は……

ルドガーは無意識に時計を握りしめていた。

「なんだ?忘れ物か?」

玄関のドアを開ければ、コーヒーを飲んでいたユリウスが、新聞に視線を落としながらルドガーに声をかける。
しかしルドガーはただ玄関に立ち尽くし、顔を歪めていた。

テーブルの上で寝そべっていたルルが怪訝な視線を向けてくる。
まるで、お前は誰だ?とでも言いたげに。

そんな弟と愛猫の様子を順々に見てから、ユリウスはコーヒーマグと新聞を静かにテーブルに置くと、ゆるりと立ち上がった。

「そうか……トマトソースパスタ、食べ損ねたな」

しかしその声色はとても穏やかで、口元には柔らかい笑みが浮かんでいる。

「可愛い弟と“妹”の晴れ姿が見れないのは、心残りだが……」

ユリウスはルドガーの肩に優しく手を置く。

「気にするな。
弟の我儘に付き合うのも、案外悪くない」

これまではずっと、自分の我儘に付き合わせてきたようなものだと、ユリウスはそう思っていた。

幼い弟から母親を奪い、彼の時計を利用し殺戮を繰り返してきた。
本当のことを教えもせず、憧れてくれた自分と同じ職業への道も絶った。
それが、ルドガーの為だと自分自身に言い聞かせて。

だがそんな人生ももう終わりだった。

弟が新しく見つけた、大切なものを守りたい気持ち。
その為に自分が犠牲になることは怖くなどなかった。

包み込むような暖かい声に、ルドガーの脳裏に15年間の思い出が走馬灯の様によみがえる。

幼い頃の思い出から今日に至るまで、それは堰を切った川の様に溢れ出てきた。

かけがえのない日常が、こんなにも大切で、尊いものだったとは。

ルドガーはその一つ一つが零れ落ちることの無い様に、目を瞑って胸に手を当てた。

「もう行け、ルドガー。
守ってやりたい子がいるんだろう?」

ルドガーの肩にそっとユリウスが手を置く。
その言葉に、ルドガーの脳裏にエルとの約束が思い出された。

『エルとルドガーは、一緒にカナンの地へ行きます!』

(そうだ。俺は絶対に、エルの為に……!)

ルドガーがくっと声を漏らす。
決心はしたものの、喉の奥はカラカラに乾いていて、目の奥がツンと痛んだ。

そんな弟の最後の僅かなためらいに気付いたユリウスが、その蒼い瞳をルドガーに向ける。

「大丈夫だ。お前には、支えてくれる子もいる」
「兄さん……」

今度ルドガーの脳裏に浮かんできたのは、困った様に顔を背けたセレナの姿だった。

「あいつは……」
「彼女の本音を聞くのが怖いか?」

ルドガーが何か言いかけたのをユリウスが制した。
その言葉にルドガーは押し黙る。

ユリウスは柔らかく微笑んだ。

「あの子は色んなことに気を使いすぎなんだよ。
お前だって分かってるんだろう?本当は」

ユリウスは知っている。
“この世界”の彼女ではなく、ルドガーの想うセレナのことを。

ルドガーはユリウスの顔を見る。
エメラルドの瞳はまだ少し揺れていた。

「そんなに簡単に諦められるなら、命を賭けて守ったりしないだろう?」

ユリウスが言っているのは、おそらく海瀑幻魔に襲われた時のことだろう。
あの時から、きっと既にルドガーにとってセレナは大切な存在になっていたのだろう。

「セレナは優しすぎる。死んだ父親にそっくりだ。
一歩身を引こうとするところは母親譲りだがな」

ユリウスは懐かしそうに目を細めた。

「幸せにしてやってくれ。
俺ができなかった、あの人達への恩返しも兼ねて」
「兄さん……俺は……」
「お前はもう確かに一人で自分の未来を選べる。
だがその道を歩き続ける為には、お前に寄り添って支えてくれる人が必要だ」

ユリウスはもう、一緒に歩いては行けないのだから。

「素直になれ、ルドガー。
言っただろう?『大切なら守り抜け。選べないならどちらの手も離すな』と」

本当に片方だけしか選べないのだろうか?
見つめるサファイアの瞳がそう言っていた。

「お前ならできる。
何故ならお前は、俺の弟だからだ」

その言葉にルドガーがハッと目を見開く。
そしてしばらく何か考えた後、力強く頷いた。

「もう、大丈夫だな」
「……ああ」
「そうか。こんなことしかしてやれず、すまんな」

ユリウスが静かに目を瞑る。

ルドガーは時計を握りして、一瞬の内に骸殻化した。

兄は、お気に入りのあの歌を口ずさむ。

そう言えば、“彼女”の父親もこの歌をよく口ずさんでいたなあ、なんて思いながら。

そのメロディーがこだまする部屋で、弟は一回り大きな兄の身体を、一思いに槍で貫いた。

槍を握り締めながら、ルドガーは咆哮する。

これ以上の声は出ない程、喉が張り裂けそうになるくらい叫び続けた。

ユリウスは、緩やかにルドガーの肩に自らの身体を預けた。

2人の足元に、赤い海が広がっていく。

そしてそこに、ぽとりと銀色の懐中時計が転げ落ちる。

カチカチと音を立てていたそれは、だんだんとテンポを遅くしていき、そして遂に針の動きを止めた。

それと同時に、兄の鼻歌も最後のフレーズを歌い上げる。

幼い頃から何度も何度も聴かされてきたこの歌が、まさかもう彼の声では聴くことができなくなってしまうとは。

ルドガーは叫び続ける。

ユリウスは笑っていた。

「お前は、お前の世界を作るんだ」

兄の背中から突き出た槍の切っ先には、黒い靄を放つ小さな歯車。

そして段々と景色に亀裂が入り、遂にはパリンと音を立てた。

彼の創り出した、理想の世界。
それが壊れ去っていく。

景色が戻り、骸殻化の解けたルドガーがガクリと膝を着く。

その足元には、銀色の、風防にヒビの入った懐中時計が転がっていた。



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温泉(闘技場もですが)エンドのスタッフロールで流れてくる大川透さんのコメントを思い出しながら書きました。
ユリウスは幸せだったと思いますか?っていうあれです。

このお話は、お兄ちゃんはきっと幸せだったんじゃないかなと想像しながら書きました。
みなさんはどう思いますか?



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